「赤毛のアン」完結版ついて

編集内容
 ・総集編形態…ダイジェスト再現形(全編)
 ・再現範囲…1話〜49話(ほぼ全編)・前半1〜20話(20話)・後半37話〜49話(13話)
 ・オープニング「きこえるかしら」(本編と同じ) エンディング「さめない夢」(曲は本編と同じだが背景画像は新編集)
 ・ナレーション 藤田淑子(本編外の概要説明等) 麦人(本編中)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・マリラがアンを引き取るかどうかを決める際、スペンサー夫人の元を訪れていない編集になっている。
 ・「教室騒動」において、アンの登校拒否の理由はギルバードにからかわれたことだけが原因とされた。
 ・アンがマシュウとマリラの前で「十八番」の朗読を演じたのは、クイーンへ旅立つ際ではなく合格発表の夜とされた。
 ・エンディングの背景画像は、3話でアンが部屋から外を眺めるシーンを使用したオリジナル。

内容の詳細
1話 前半開始 グリーンゲイブルズでマリラとレイチェルの会話シーン マシュウのブライト・リバー駅到着シーン マシュウとアンの出会いシーン 馬車でのアンの髪の色の関する会話と「喜びの白い道」通過を採用
2話 馬車のグリーンゲイブルズ到着からマリラとアンの出会いとそれに続くアンの大泣きシーン マリラとマシュウの「アンを送り返さねばならない」旨の会話シーンを採用
3話 (カット)
4話
5話
6話 マリラがアンを引き取るとアンに宣告するシーン アンが置いてもらえることをマシュウに報告するシーンを採用
7話 (カット)
8話
9話 ダイアナとの「おごそかな違い」シーンを採用
10話 (カット)
11話
12話
13話
14話 アンがギルバートを石板で殴る騒動シーン 授業終了後にアンがギルバートを無視するシーンを採用
15話 (カット)
16話 アンが「いちご水」を出してダイアナがこれを飲むシーン 酔ったダイアナがアンに介抱されて帰宅するシーン 「いちご」水=「ぶどう酒」と発覚するシーンを採用
17話 橋の上でのアンとダイアナの「別れ」シーンの一部(別れの儀式以外)を採用
18話 ダイアナがアンの家に飛び込んで以降(医師がダイアナの家に着いたシーン以外)をほぼ採用
19話 (カット)
20話 頭痛で横になっていたマリラが起きて以降のシーンは全面採用 前半終了
21話 (カット)
22話
23話
24話
25話
26話
27話
28話
29話
30話
31話
32話
33話
34話
35話
36話
37話 後半開始 冒頭の「大きなアン」登場シーンを採用
38話 アンが受験票をもらい番号が「13」であることを知るシーン マシュウとマリラが受験番号を知るシーンを採用 クイーン学院の入試シーン以降はほぼ全面採用
39話 ダイアナがグリーンゲイブルズに駆け込んできてから発表をマシュウやマリラに報告するまでのシーンは全面採用
40話 (カット)
41話 アンがマシュウとマリラに詩の朗読を聞かせるシーンとこれに関連するマシュウの独り言シーンを採用
42話 アンとルビーやジェーンがクラス編成の話題をするシーン 夜の下宿でエイブリー奨学金の話題をするシーンとこれに関連するアンの独り言シーンを採用
43話 (カット)
44話
45話 アンとジェーンが発表について街で語り合うシーン マシュウとマリラが発表について語り合うシーン 試験結果発表シーンを採用
46話 アンが朝目覚めたシーンとマリラとアンの朝食シーンを採用 夕方のアンとマシュウのシーン(「1ダースの男の子よりも…」)を採用
47話 マシュウが倒れて以降はほぼ全面採用
48話 (カット)
49話 マリラの診察シーンを採用 グリーンゲイブルズの売却についてマリラがアンに告白するシーン以降はほぼ採用 後半終了
50話 (カット)

考察・感想
 「赤毛のアン」は「世界名作劇場」シリーズの中でも、「あらいぐまラスカル」と並んで看板作品的に扱われる作品のひとつである。また原作小説の知名度の高さみならず、海外で映画化されていることや劇団四季のミュージカルの演目にあるなどこの作品について知る機会は日本でも多く、他の媒体からこのアニメに入ってくる人はシリーズ他作品より多いことだろう。つまりこの「完結版」の善し悪しはある意味「世界名作劇場」シリーズの善し悪しに直結する可能性がある。
 そしてこの物語は、アンが少女時代の物語において劇中で起きる様々な「事件」が見る者の目を楽しませるが、前後半合わせて90分ではこれを全部再現するのはどうしても不可能だ。「マシュウの死」を通じて物語の結論が出る15歳以降の展開についても無視するわけに行かない。だからどの事件を「選ぶ」かというのは、この完結編を視聴するに当たっての最大の関心事でもあった。

・前半…「赤毛のアン」らしさを追求した結果忙しすぎる展開に

 物語はなぜかマリラとレイチェルの会話から始まる。孤児の女の子が毒薬を入れたという噂をレイチェルが語り、それに対しマリラが「引き取るのは男の子」と強く訴えるあのシーンだ。このシーンだけで「マシュウとマリラが欲しかったのは男の子」という前提をキチンと置くという準備を怠らずに、物語はブライト・リバー駅で駅長が駅を閉めるシーンとなる。ここでやっとアンが初登場してマシュウとの運命的で印象的な出会いを演じ、馬車のシーンではアンが赤毛を悲しみ「喜びの白い道」ではしゃぐシーンのみが抜き出された。ここで最初のアンの性格をキチンと「完結版」視聴者に植え付ける。
 だがもう物語は大急ぎでグリーンゲイブルズ到着となる。すぐにマリラが出てきて「男の子は何処なの?」と声を上げ、アンが大泣きするあのシーンになる。かと思うとマリラが「あの娘は孤児院に返す」としてスペンサー夫人の元を訪れる決意をするが、その決意に関連するシーンが無いまま朝になり、アンが「私をここに置いてくれるの? それとも余所へ…」と訴えるシーン、そしてマリラの「アンはここに置く」という宣告へと矢継ぎ早に進む。ここは本編がのんびり進めてきたところだけあって、「赤毛のアン」通し視聴経験者は脱落してしまいそうな勢いだ。
 アンがグリーンゲイブルズの住民となると、間髪置かずに物語はバリー家の庭に進む。何の前触れもなくダイアナとの「おごそかな誓い」まで話が進むのだ。もちろんここも飛ばさずに時間を掛けて再現しており、二人の名コンビぶりを上手くアピールしている。かと思うといつの間にかアンは学校に通い始めており、ギルバートに「にんじん」とバカにされるシーンに進む。この「教室騒動」ほぼカット無しで完璧な再現だ。そしてナレーターの解説でアンはこの一件が理由で登校拒否をしたことが述べられる。
 「教室騒動」の余韻が収まらないまま、ダイアナが立派な服を着てグリーンゲイブルズに登場。かと思ったら次のシーンでもう「いちご水」を飲んでいて、そう思ったらもうべろんべろんに酔っているという忙しい「お茶会」が描かれる。もう次のシーンではアンが「ダイアナの母が怒っている」旨を泣きながら告げていて、橋の上でダイアナとの「別れ」を少しだけ演じかけたと思ったら、次のシーンでダイアナがグリーンゲイブルズに飛び込んできてミニーメイの喉頭炎を告げるという忙しさだ。
 そしてアンがあれよあれよという間にミニーメイを治療し、マリラからダイアナの母の誤解が解けた旨を知らされる。アンはバリー家の賓客として迎えられた事がしっかり描かれたと思ったら、「アンがグリーンゲイブルズにやってきて1年」の話が最後に時間を掛けて演じられて前半が終わる。
 そて、この前半の解説を見て「ゴチャゴチャ書いてあって何が何だかよくわからなかった」という人も多いだろう。正直言ってこの完結版「赤毛のアン」DVDの「前半」を見てみるとこんな感じなのだ。次から次へと矢のように物語が流れていき、オリジナルを知っていれば知っているほど脱落してしまいそうな忙しさで物語が進むのだ。「赤毛のアン」にはどうしても「飛ばせない」という展開があり、ここをひとつひとつ丁寧に拾った結果がこの「ゴチャゴチャ感」になってしまったのは否めない。
 だがこの勢いの中でも、前述のように馬車でのアンとマシュウの会話は上手いところを抜き出して再現しているし、マリラから「ここに置くことにした」と告知されたときのアンの表情も省くことなく再現した。だから取り残されても印象には残る、そんな感じで進んでいくのだ。もちろんこの展開は「赤毛のアン」初心者にも勧められる、飛ばしすぎとは言え大事なところは落としていないからだ。
 だが一つ個人的に嬉しいのは、前半の45分は20話までとしてくれたことだ。正直言ってアンが可愛いのは1〜20話、「グリーンゲイブルズに来て1年」のところまでだと個人的に思う。この後の少しずつ落ち着きを獲得していくアンに魅力を感じないわけでないが、純粋な「可愛さ」があるのはやっぱこの20話だと私は考えている。この最も可愛いアンを描くのに前半45分をたっぷり使ってくれたのは個人的に嬉しく、制作者に感謝したい。

・後半…ゆったりと物語の要所を漏らさず再現
 後半は物語が始まると、いきなり15歳に成長した「大きなアン」が出てくる。つまり前半は「最初の1年」を描き、後半は「大きなアン」でまとめるという展開だ。ここで前後半区切ってくれたおかげで、ひとつだけオリジナルよりも良くなった点は「アンの成長」が唐突でなくなり違和感がなくなったことだ。オリジナルはたった1話、劇中時間で半年で一気に巨大化してしまっている。だがこの完結版ではナレーターの解説もありここで一気に3年飛ぶということで、アンの成長の不自然さを解消した。
 後半が始まるといきなりクイーンの入試だ。まずこの「入試」という物語に時間を掛けて、現実的に意味での「アンの成長」をキチンと見せつけてくれる。そしてすぐ「合格発表」になるが、「入試」に時間を割いたため「合格発表」に時間が掛かってアンが不安になるという要素が無くなってしまった点は賛否両論別れるだろう。私は「入試」をもっとあっさり描いて「合格発表」の直前のところで時間を割いた方が、ダイアナが新聞を持って駆け込んできたシーンが盛り上がってよかったと思う。「入試シーン」は必要だけど重いだけで多くの印象に残っていないだろうし、何よりも「試験番号13番」なんて総集編ではどうでも良いことのはずだ。「合格発表」で時間を掛ければ、アンがその不安をどう乗り越えようとしたか描けて物語的にも良かったと思うが。
 合格発表が終わるとアンが詩の朗読をマシュウとマリラに聞かせる感動のシーン、ここではマシュウとマリラのアンへの愛情と、それをアンがしっかり受け止めていることが描かれるので重要な展開だ。これを余すことなく再現したのは評価できるポイントだ。アンの名言とマシュウの独り言で、完結版で涙した人も多いことだろう。初見の人はここからはハンカチが必要だ。
 そして物語はクイーン学院の生活になるのかと思ったら、すぐエイブリー奨学金の話題になり、かと思ったらもう卒業試験の結果が出るという慌ただしさだ。だがこの卒業試験の結果発表ではアンとジェーンの会話をキチンと挿入して、アンの不安と緊張を描いている。同時にグリーンゲイブルズでマシュウとマリラの様子も出され、緊張を高めてから結果を出すという展開を持ってきた。やっぱ「赤毛のアン」の試験発表シーンはこうでなくちゃと思う。初見の人もこのシーンではアンの不安と緊張が伝わるだろう。
 この発表が済むともうアンはグリーンゲイブルズに戻ってくる。ここでマシュウの体調とマリラの具合が語られることで、やっと二人の「老い」が話題になる。マシュウとマリラの「老い」もこの物語の重要なテーマで語り漏らせない部分だが、アンが12〜14歳の物語を全部カットしてしまったためにここまでこれを描くことが出来なかったのだ。こうして瞬時に不安を煽ってからマシュウの「1ダースの男の子よりも…」のシーンとなって明確に「死亡フラグ」を立てるやり方は、短時間ながらオリジナルを踏襲して視聴者に言いしれぬ不安を与える。こうして盛り上げたところでマシュウの死去、葬儀と進み、アンの部屋でのアンとマリラが泣きながら語り合うあの名場面となって、視聴者のハンカチをまた濡らす。この流れはある意味定番だが、「赤毛のアン」ではアンの成長の上でどうしても無くてはならないシーンだ。
 そしてこの完結版のラストシーンは、アンがマリラに「曲がり角」に入ると宣言する49話のあのシーンだ。これは「赤毛のアン」における物語の結論であり、これが語られたことで物語が幕を閉じるものだ。こうしてアンとマリラが手を取り合って生きて行く事が示唆されたことで、視聴者も安心してエンディングを見る事が出来るだろう。
 後半では再現話数が少なかったこともあって比較的ゆったりと描かれており、前半の忙しさがウソのようだ。中でも「大きなアン」の物語の要所はしっかり押さえていて、2回の試験結果発表やマシュウの死に関わるシーンに時間を掛けたのは印象的である。だが前述の通り、1回目の試験結果発表はその前の「入試シーン」をもっとあっさりやって引っ張るべきところだったと思う。たしかに似たような展開が2回続いて視聴者が「しつこさ」を感じるかも知れないが、あの試験結果発表のしつこさこそが「大きなアン」の物語の醍醐味の一つであるのは確かだ。

・まとめ
 このとおり前半は「アンがグリーンゲイブルズに落ち着く過程」、後半は「大きなアンの物語」という内容で編集された。だがこの完結版は「総集編」として優れているかどうかと問われれば、後半はともかく前半は首を傾げざるを得ない。前述したように前半は物語の展開が忙しすぎ、ゴチャゴチャ感がどうしても拭えないのだ。確かに「アンのグリーンゲイブルズでの最初の1年」を再現しようとするとあれ以上のカットは難しいだろう。だがこれは45分で語るには無理がある内容でもあり、どうしても詰め込みすぎになってしまうわけだ。これ以上カットしたら「赤毛のアン」では無くなってしまうだろう。
 対して後半は再現範囲となる話数も少なく、オリジナルでも物語展開がゆったりしていた部分なので前半の忙しさが信じられないほどゆったりしている。個人的には採用シーンの選び違いを感じる部分もあるが、「大きなアン」の物語としてはうまく要所を押さえていると思う。
 だけど前半の忙しさがやっぱなー…。あれで「世界名作劇場」シリーズに新たなファンを引き込めるかというとちょっと不安だ。忙しくて脱落しやすい作りになってしまっただけに、脱落した人がどんな感想を持つかはとても不安だ。これはオリジナルの特徴である「ゆったりした作り」が裏目に出てしまったので残念だ。「赤毛のアン」は編集して総集編を作る事自体が向かない作品だと理解するべきだ。

・おまけ
 この完結版に収録されていない21話〜36話で「中編」をまとめて欲しいと思うのは私だけだろうか? やっぱり「痛み止め塗り薬入りケーキ事件」や「面目をかけた大事件」「不運な白百合姫事件」なども「完結版」に入れて欲しかったなー。でも本当に「中編」が出るなら、話の中心は「クリスマスのコンサート」になっちゃいそうだ。

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