「ふしぎな島のフローネ」完結版ついて

編集内容
 ・総集編形態…特定エピソード集中形(前半は無人島上陸過程・後半は無人島からの脱出過程)
 ・再現範囲…6話〜49話(ほぼ全編)・前半6〜20話(15話)・後半36話〜49話(14話)
 ・オープニング「裸足のフローネ」(本編と同じ) エンディング「フローネの夢」(本編と同じ)
 ・ナレーション 藤田淑子(本編外の概要説明等) 渡辺菜生子(本編中)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・ジョンが難破船に閉じ込められた設定はカットされ、最初から一家と共に筏に乗り込んだ風に編集される。
 ・エルンストとフランツの探検組が山の山頂に到着した日と、フローネ達の留守番組が「お化けの木」を見つけた日は同じだが、本作ではアンナと猛獣が戦った日も同じ日の夜とされている(本編では次の日となる)。
 ・フランツが足に怪我をした日と無人島への船の接近日は本編では同じ日として描かれているが、本作ではこの間に数日を置いたとナレーションされる。
 ・モートンの独断による救助作戦は無かったことになっている。モートンのトラブルメーカーとしての設定も無し。
 ・従って地震発生の翌日からモートン指揮の脱出作戦が始まったことになっている。
 ・またアンナとモートンの間のトラブルも、「気が合わない」ことが示唆されただけに留められた。
 ・脱出船進水式時のロバの死は無かったことになっている。従ってロバはいつの間にかいなくなっている。
 ・モートンと他のメンバーが動物の扱いで衝突したことはカットされ、動物たちは問題なく脱出船に乗ったことになっている。

内容の詳細
1話 (カット)
2話
3話
4話
5話
6話 前半開始 後半の嵐のシーン「嵐が来て5日目」のところからほぼ採用
7話 フランツが船長と海で流され船長が行方不明になるシーン 朝の甲板でエルンストがフランツを救助したシーン フランツ以外の家族が甲板に出て島の存在を確認するシーンを採用
8話 (カット)
9話 上陸日夜間のシーン以外はほぼ全編を採用
10話 (カット)
11話 フローネ達の「お化けの木」との出会い(フローネ遭難はカット) エルンスト・フランツによる山頂シーンを採用
12話 アンナと猛獣の戦いシーンを全面採用
13話 (カット)
14話 木上の家を建設するシーンをワンカットのみ採用
15話 エルンストとアンナが皿洗いしながら語り合うシーン 木上の家の避難通路を作るシーン 木上の家への引っ越しシーンを採用
16話 (カット)
17話
18話
19話
20話 ほぼ全編を採用(フローネが沖の監視へ行くきっかけとラストシーンはカット) 前半終了
21話 (カット)
22話
23話
24話
25話
26話
27話
28話
29話
30話
31話
32話
33話
34話
35話
36話 後半開始 洞窟での生活のついての会話から始まり フローネが水汲みシーンと一家の就寝シーンを採用
37話 アンナがフローネとジャックと共に畑へ行きタムタムと出会うシーン 一家かモートンに挨拶に行くシーン 一家の夕食シーンを採用
38話 (カット)
39話 モートンがエルンストに酒はないのかと問うシーンを採用
40話 雨季が過ぎたと言うことで一家が木上の家に戻るシーンを採用
41話 (カット)
42話 フローネが地下水の水温上昇に気付くシーン 動物たちに落ち着きがないなど異変が起きるシーン 二度に及ぶ地震シーン アンナがエルンストに島からの脱出を訴えるシーンを採用
43話 (カット)
44話 エルンストとモートンが脱出について深夜まで語り合うシーン 島民会議のシーンを採用
45話 ロバの死以外はほぼ採用
46話 (カット)
47話
48話 木上の家から立ち去るシーン以降をほぼ全面採用
49話 ほぼ全面採用 後半終了
50話 (カット)

考察・感想
 「ふしぎな島のフローネ」という物語は、「世界名作劇場」中で最も知名度の高い作品だと言われている。「一家が海難事故に遭い無人島に漂流する…」というこの分かりやすい物語をどう90分にまとめるのか、これは簡単なようで難しいと思う。本来なら全編ダイジェストで行きたいが、物語が「流れ」ではなく1話完結になっているものが多く全部を繋いでまとめるのは難しいのだ。だからこの物語の再現はどうしても「特定エピソード集中形」の総集をするしかない。そこで制作者が選んだまとめ方は「無難」なものではあるが、確実なところを狙ったと言っていいだろう。これを見ていきたい。

・前半…「無人島への上陸過程」を再現

 オープニングが終わり本編が始まると、いきなり画面に現れるのは荒らしに揉まれる「ブラックバーンロック号」の姿である。そして人々が荒らしと戦う様子を背景に、ナレーターが冷静に物語がそこに至るまでの経緯を語り出すという始まり方だ。
 そして嵐の中の人々のシーンが一通り終わると、主人公一家の登場だ。もう嵐に入ってから5日という6話後半のシーンから本総集編が始まる。ここから始まるのには大きな意味がある。嵐が去るまでフランツが別行動となり一家は船からの脱出を躊躇うわけだが、この理由付けが省略されることなく描かれるのだ。フランツは船医の手伝いで疲労困憊の父に代わり、船員の手伝いに船室を出る。そこへ座礁事故が起きてフランツが一時行方不明になり、一家が船から脱出しなかった理由として描かれる事になるのだ。
 同時に緊迫した人々の船からの脱出という、リアルタイムでこの物語を見た人の記憶に強く残っているシーンが再生可能となったのは意義が大きいと思う。エミリーの悲痛と共に最期の救命ボートが出て行くシーンも余すところ無く描かれ、一家は船に残って一夜を明かすという展開に説得力を持たせる。
 翌朝シーンでフランツがあっけなく助かるが、このあっけなさも本編アニメと同様だ。だが船からの脱出劇でエルンストが何度も躓く物語はカット、一家はいきなり筏を完成させて無人島に上陸する。この筏のシーンを長く取った事で、エルンストが何度も躓いてやっと無人島にたどり着いた展開の代理となる物であろう。そして本来は無くてもいいはずのフローネが上陸してはしゃぐシーンもたっぷり再現、物語に緩急を上手く付けて見る者を物語に引き込む。
 そして矢継ぎ早に一家は二隊に別れての探検シーンとなるが、ここで急ぐのはある程度やむを得ない。既にここまでに前半45分の半分以上をたっぷり使ってしまっているからだ。その中でもフランツが山頂で絶望するシーンと、アンナと猛獣の手に汗握る対決をキチンと再現したのは秀逸だ。おかげで木上の家はあっという間に完成してしまったが、視聴者の印象に残っている場面をまとめ漏らさなかったという点で評価できる。
 一家が木上の家に引っ越すともうフランツが怪我するところまで話は進む。すぐフローネが接近する船を発見して、一家が助かるべく尽力するシーンが描かれるが、結局船が去ってしまって何とも言えないシーンで前半は終わる。船接近から得られた教訓もカットだが、後半の編集を考えればこれは正解だ。
 この通り、前半は「無人島への上陸過程」と、前半展開にオチを付けるべく20話の船接近の話を付け加えるという形でまとめた。一家が島に上陸する過程が分かり易く、しかも迫力を持って編集されたので、過去にこの物語を全話通して見た経験のある人でも納得のいく内容であるだろう。

・後半…前半を受けて「無人島からの脱出過程」でまとめる
 このアニメを一度でも全編通して見た人は、前半の展開を見れば後半の展開は「島からの脱出過程」であることはだいたい想像がつくだろう。そしてその想像の通り物語は幕を開く。
 後半が幕を開くと、既に物語は終盤へとコマを進めたところである。一家が最初の脱出計画に失敗し、雨季がやってきて洞窟に引っ越したことで物語が「脱出」へ向けて大きく舵を切ったところから後半が始まっているのだ。
 洞窟に引っ越してからの生活の様子を少しだけ流すと、もうフローネが洞窟内で「人影」を見るシーンに流れる。かと思うとすぐに畑でタムタムとの「出会い」となるシーンへと矢継ぎ早に流れ、すぐにモートンも姿を現す。この辺りはちょっと忙しく物語が進み、こんな感じで忙しく一家が木上の家に戻るまでが描かれる。
 ここでどう地震に話を持って行くかがポイントとなる。もちろんモートンが単独で救出作戦を決行し、一人で海に乗り出す話を描く暇はない。これ抜きで地震へ話を持って行こうとすると、画面上に色々な矛盾を生じてしまう。かといって地震を飛ばせば「島からの脱出」という物語の説得力を失い、この総集編は見るに堪えないものになってしまう。
 そこで物語の破片を上手く拾う事になる。フローネが洞窟内の異変に気付くシーンでは、本編アニメではモートンが単独で海に出たことでなったことで、狼狽したタムタムが行方不明になってしまうという展開だった。だがここをただ単に「フローネはタムタムに用事がある」だけという感じに物語を抜き出すことに成功、この総集編内でも両親に「危険」とされた洞窟にフローネがいるという不自然さを打ち消すことが出来た。
 ただ地震時にタムタムがロビンソン一家の木上の家にいる理由付けはどうしても出来なかったようだ。本編アニメではモートンが行方不明なのでタムタムが一家と同居するという展開を取ったが、この総集編ではタムタムが同居する理由がカットされている。だがモートンとタムタムが別の木上の家に転居したシーンはワンカットであるが採用されている。したがって地震のシーンを再現しようとすると「タムタムが一家の木上の家に同居している」という矛盾が生まれてしまった。これはやむを得ないことだろう、地震シーンはどうしても必要だし、かつ視聴者の印象にも残っているはずなのでどうしても外せないのだ。
 地震シーンの後は瞬時にモートン帰還後まで話が飛び、すぐに脱出計画がスタートする。ここまでは地震シーン以外は矢継ぎ早に物語が進んでいたが、脱出計画が始まると物語はゆっくり進むようになる。本編アニメで言う44〜45話のシーンは多くが使用され、一家が「脱出」という目標に向けて一丸となっていることがしっかり示されている。ただし、モートンとアンナの諍いとその和解はうまくカットされている。
 こうして脱出計画が順調に進み、ヤギをすてないで2部作は当然のように省略されてすぐに出発となる。木上の家との別れは盛大に演じられ、最後は49話脱出をほぼ全編にわたって再現される。この脱出船での後悔も迫力があり、本編アニメ放映時も終盤ながら決して「消化試合」ではなく印象に残った人も多かったシーンだろう。こうして49話のラストシーンがそのまま本総集編のラストシーンとなって物語は幕を閉じる。ここは本編でも「物語の結論」が得られた場面で、45分2本勝負の総集編ではこの後の「オチ」までやる必要も無いからこれで終わって良いと思う。

・まとめ
 見てきたように前半は「島への上陸」、後半は「島からの脱出」という明確なテーマを持って編集された内容で、この総集編も非常に「わかりやすい」という印象を持った。「ふしぎな島のフローネ」の屋台骨である「無人島での生活」の大半はカットされたが、物語全編の展開を伝えるだけならこれで十分だと思う。
 また前後半それぞれの再現範囲の中で、視聴者の印象に残る迫力シーンは全てほぼノーカットで採用されている点も見逃せない。そのせいで一部の展開が窮屈になった感は否めないが、このおかげで昔このアニメを夢中になって見た世代の記憶を呼び覚まし、新しい視聴者を開拓するのに十分な内容になったことだろう。そういう意味では「総集編」としての役割を立派に果たし、この物語を構成に語り継ぐという役割を立派に担っている良作だと考えられる。

・おまけ
 前述した通り、この総集編では地震発生シーンで「モートンと共にエルンスト家から去った」はずのタムタムが一家と一緒に寝ているという矛盾が生じることになってしまった。本編アニメのモートンが一時不在になるという展開をカットしたために発生してしまったものだ。
 これをどう解釈して矛盾を回避するかは非常に難しい。ひとつあるとすれば、夜間にタムタムがエルンスト家に遊びに行ってそのまま晩ご飯をご馳走になり、帰ろうとしたら例の猛獣に襲われ掛かって帰るに帰れなくなったとのストーリーを勝手に作って解釈するしかないだろう。
 この解釈法にもっといい妙案があるという方は、是非とも教えて頂きたい。

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