「アルプスの少女ハイジ」劇場版ついて

 1974年に放映されヒットした「アルプスの少女ハイジ」であるが、これほどの作品を興行界が黙って見ているはずもなく、いわゆる「まんがまつり」系のアニメ映画として短編作品が数度上映されたことがある。
 そしてこの総集編とも言える内容に編集された劇場版が、本放送から5年の時を経た1979年に上映された。本作を総集編としてダイジェストにまとめるだけでなく、主人公のハイジと「おじいさん」以外のほぼ全員が配役を変更されて雰囲気を一新した。テレビ版の「アルプスの少女ハイジ」に慣れている人には、この配役変更は受け入れがたいところがあるかも知れない。
 だが現在、本作のダイジェスト版としてDVDが発売されているのはこの劇場版だけのようで、取りあえず「アルプスの少女ハイジ」に興味を持った人の登竜門として機能せざるを得ないところだろう。このページではそんな劇場版「アルプスの少女ハイジ」についてまとめてみたい。

編集内容
 ・総集編形態…ダイジェスト再現型(全編)
 ・オープニング「おしえて」(本編と同じだが一部アレンジが違う)
 ・エンディング「まっててごらん」(本編と同じだが、背景色が若干薄い)
 ・配役変更(敬称略)

ペーター 小原 乃梨子 丸山 祐子
デーテ 中西 妙子 浅井 淑子
「おばあさん」 沼波 輝枝 麻生 美代子
ブリギッテ 坪井 章子 荘司 美代子
クララ 吉田 理保子 藩 恵子
ロッテンマイヤー 麻生 美代子 京田 尚子
「おばあさま」 川路 夏子 高村 章子
ゼーゼマン 鈴木 泰明 筈見 純
チネッテ つかせのりこ 原 えおり
セバスチャン 肝付 兼太 槐 柳二
ヨハン 榎本 好章 千田 光男
家庭教師 島田 彰 上田 敏也
塔守 水島 鉄夫 高田 竜二
ナレーター 沢田 敏子 前田 敏子


「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・登場するヤギについては、殆ど名前を呼ばれることがない。
 ・ハイジが山の牧場で「山が燃えている」と叫ばない、この台詞も重要視されない。
 ・ヤギのユキちゃんや小鳥のピッチーに関わるエピソードは無かった事になっている。
 ・アルムで暮らすハイジが冬の間学校へ行かねばならないという設定自体が無くなっている。
 ・ハイジの帽子が「おじいさん」のプレゼントという設定がない。
 ・クララが飼っている小鳥は設定自体が消されている。
 ・ネコのミーちゃんも設定が消されている。
 ・フランクフルト編での「おばあさま」が出てくる経緯は同じだが、突然現れて気が付いたらいなくなっている。
 ・ハイジが本を読めるようになったきっかけのグリム童話の本についての設定が無くなっている。
 ・「おばあさま」は、ハイジとクララを連れて森へピクニックへ行かない。
 ・「おばあさま」が去った後のハイジについては、「病気になった」とはするがその症状についてはカット。
 ・ゼーゼマン邸でハイジの服が焼かれた設定はなくなり、ハイジがアルムに戻ると自然に以前の服に戻っている。
 ・「おじいさん」は冬の間ハイジを学校へ行かせるという決断をしない。
 ・よって「冬の間の家」も設定自体が消されている。
 ・したがって、学校関係やソリ大会のエピソードは設定からカット。
 ・クララはいきなりアルムの山小屋を目指す。ハイジは山小屋からデルフリ村まで迎えに行ったという設定に変更。
 ・アルムに来たロッテンマイヤーは、「おばあさま」の来訪を待たずにいつの間にかに姿を消す。
 ・「おばあさま」はクララを連れて帰るとき以外は山に来ていない設定になっている。
 ・クララのアルム滞在期間が非常に短いように演出されている。
 ・従って、クララがアルムに来て一度「お花畑」へ行ったら、もう立つ練習をしている。
 ・クララが立つ練習や歩く練習をしている間も「おばあさま」と手紙のやり取りをしていた設定はカット。
 ・クララが立って歩くのをゼーゼマンと「おばあさま」に秘密にして驚かせようと提案するのは、クララでなくペーター。
 ・クララが馬車でデルフリ村を発ったところで物語が終わり、その後のオチはカット。

内容の詳細
1話 ほぼ全面採用(ただし「おじいさん」の評判部分はカット)
2話 冒頭から「干し草のベッド」まで 最初の食事シーン ヨーゼフとの対面 最初の就寝シーンを採用
3話 ペーターと共に始めて山の牧場へ登るシーンを採用
4話 ハイジが雷雨に襲われるシーンを採用(7話相当シーンが先)
5話 (4話相当シーンの後、4〜7話をダイジェスト再現)
6話
7話 ハイジが風や雲とはしゃぎ崖から落ちかかるシーンを採用(3話相当シーン直後)
8話 (カット)
9話 冬の訪れシーン ペーター来訪シーンを採用
10話 「おばあさん」との出会い 「おじいさん」によるペーターの家の修理シーンを採用
11話 (カット)
12話
13話
14話
15話
16話
17話 春の訪れを示すシーンを採用
18話 デーテが来訪しハイジを連れ去るまでのシーン ハイジとデーテが山を下るシーンを採用
19話 ほぼ全面採用
20話 ハイジとクララの初会話シーン ゼーゼマン邸での最初の食事シーンを採用
21話 最初の授業シーンを採用
22話 ハイジが塔へ上りアルムを見ようとするシーンを採用
23話 (カット)
24話
25話 お勉強時間の文字を見てアルムへ帰る妄想をするシーン ゼーゼマン帰宅の電報が来るシーンを採用
26話 ゼーゼマンが帰宅シーンからハイジが水汲みから帰宅するまで(ただし医師との出会いシーンはカット) ゼーゼマンがロッテンマイヤーに「おばあさま」を呼ぶことを告げるシーンを採用
27話 「おばあさま」を含めての勉強シーンを採用
28話 ハイジが「おばあさま」からもらった本を読むシーン 「魔法のお国」関連シーンを採用 そのシーンの後に「おばあさま」と階段でジャンケン遊びをするシーンを採用
29話 (カット)
30話
31話
32話 ロッテンマイヤーに「魔法のお国」にいるのを見つかり出入り禁止にされるシーン 夜ハイジが寝床に入るシーンを採用
33話 ゼーゼマンがクララにハイジをアルムへ帰す事を告げるシーン
34話 ほぼ全面採用
35話 「おじいさん」がなぜハイジが戻って来たのか聞くシーン ハイジが山小屋に入るシーン 「干し草のベッド」シーン ハイジの就寝シーンを採用
36話 (カット)
37話
38話
39話
40話 ペーターがクララからの手紙を持ってくるシーンを採用
41話 (カット)
42話
43話 クララら一行が山小屋へ向かうシーンから昼食シーンまで ハイジとクララの就寝シーンを採用
44話 (カット)
45話 ハイジとペーターがクララと「山のお花畑」に来たシーンを採用
46話 (カット)
47話
48話
49話
50話 「足を動かす練習」に続いて立つ練習のダイジェスト 「クララ大地に立つ!」シーンを採用
51話 (カット)
52話 前半はほぼ全面採用 その後クララがデルフリ村からフランクフルトへ帰るシーンをラストシーンとして終了

考察・感想
・序盤…本作で大事な設定付けや印象付けに時間を掛ける
 「アルプスの少女ハイジ」を総集するとなると、特に序盤の編集は一番難しいかも知れない。最初はデーテがアルムへハイジを連れて行くところから始めるというのは当然にしても、ハイジがアルムに落ち着いてしまったらどうやって「アルムの生活」を印象付けるか、これは「アルプスの少女ハイジ」総集では重要な要素になる。これに失敗すると、中盤以降の物語に説得力が無くなってしまうのだ。
 物語が始まると、厚着したハイジがデーテに連れられてアルムを目指すことから始まる。だがこの中で感心したのは、ハイジがアルムへ向かう時にペーターと一緒になり、ペーターやヤギたちと戯れながらアルムを目指す部分をカットしなかったことだ。ハイジが下着姿になる点や、ハイジが脱いだ服をペーターが金に釣られて取りに行くところも忘れず、冒頭を楽しく見せるだけではなく、ここで既に「ハイジによるアルムの生活の印象付け」が始めていて、物語に説得力をつける方向に動いているのだ。
 そしてデーテと「おじいさん」の言い争いの末にハイジのアルム残留が決定し、早速ハイジがアルムでの生活基盤を固める。この過程である食事シーンや「干し草のベッド」シーンもちゃんと再現したのは細かい。序盤の再現に時間を掛け、設定固めをしっかり行うのだ。
 そして今度はペーターと共に山の牧場へ上がるシーンとなる。ここでは大事な「山が燃えてる」はカットされたが、ハイジが雲に巻かれて崖から落ちそうになったり、夕立にやられたりと印象的な所を上手く抜き出している。それとは別に山での生活をダイジェスト再現することで、山での生活は楽しいという点を上手く示唆している。そして「冬の訪れ」もキチンと描き、それをきっかけに「おばあさん」に話が進み、ここでハイジの優しい性格を印象付けるのは本編と同じ展開だ。
 そうして「おばあさん」の話が済むと、唐突に春が訪れしかもさらに2年が過ぎたことがナレーターにより解説される。ここまでが「序盤」であるが、もう上映時間の半分近くを消化しているのは驚きだ。この作品の総集において、序盤がいかに大事かと言うことが現れている形だ。

・中盤…ハイジとクララの絡みが少ない点が難点
 春が訪れるとハイジの学校問題なんか飛ばして、もうデーテがアルムの山小屋で「おじいさん」に白々しく力説しているあのシーンだ。「おじいさん」がキレて、デーテが言葉巧みにハイジを騙して連れ出すまでも時間を掛けて描かれ、物語に説得力をつける。だがデーテがハイジの連れ去りに成功すると、もう他の要素は全てカットしてハイジのフランクフルトへの旅が始まる。そして汽車は無情にもフランクフルトに到着し、ハイジとデーテがロッテンマイヤーに対面するところでもう本作は上映時間の半分を過ぎている。ハイジとロッテンマイヤーの初対決を時間を掛けて再現し、「この二人は絶対に合わない」という印象を見る者に植え付けるが、ここで慌てるとフランクフルト編の物語がまた説得力を失ってしまう。
 だから慌てず急がず、ゼーゼマン邸での最初の食事シーンまでをじっくり描く。だがそれを過ぎると、ここまでの丁寧な物語再現がまるで嘘のように、突然矢のような早さで物語が早く進む。勉強シーンをひとつ挟むと地下室に閉じ込められたりネズミと戯れないうちに塔へ登る話になり、それが終わるとミーちゃんが出てこないままにまた別の勉強シーンとなる。話は前後するが、ハイジらが森へピクニックに行く話も設定ごとカットされたので、本作を見るとハイジがフランクフルトで勉強しかしていなかったような印象を受けてしまうのは難点だ。そして唐突にゼーゼマンの帰宅が決まり、ゼーゼマンが現れてトントン拍子に「おばあさま」の来訪を決め、「おばあさま」もあのお茶目な登場ではなく気が付いたら屋敷にいるという状況だ。
 その中でも「魔法のお国」の件だけは時間を掛けて再現し、ハイジのホームシックを強く見る者に印象付けるのはとても良い。だがその後が急ぎすぎだ、「おばあさま」のいる生活をワンシーン(ジャンケン遊び)だけ流したらもう「おばあさま」は屋敷から姿を消している。そしてロッテンマイヤーが出てきて、怖い顔でハイジを「魔法のお国」から連れ出す。そのシーンだけで「ハイジは病気になった」とナレーションされ、唐突にゼーゼマンが現れてクララに「ハイジを山へ帰す」と語り出しているのだが…ちょっと待て、この映画の「フランクフルト編」では、ハイジとクララの絡みが殆ど無いぞ。ハイジとクララが仲良くなったという印象がつかないままにハイジがセバスチャンに連れられて山に帰ってしまった点は、本劇場版の最大の欠点であるかも知れない。クララが山へ行きたい、ハイジもクララを待っている、これに説得力がつかなくなってしまったのだ。
 ハイジのアルム帰還も印象深く再現される。「あばあさん」との再会、そして「おじいさん」との抱擁はそこへ至る過程や背景をじっくり描いたからこそ説得力が生まれている。そしてハイジが再度アルムで生活基盤を固めたところで、物語は終盤へと流れる。

・終盤…一転して特定エピソード集中型になるが全話カバーも忘れない
 終盤に達した時点で、もう上映時間は残り僅かというとんでもない状況だ。こうなると話は一点に絞らざるを得ない、これは「クララが立って歩く」という点だ。ペーターがクララからの手紙を預かって小屋に来たかと思えば、もうクララが村人達の強力で小屋を目指すあのシーンだ。この辺りはじっくり時間を掛けて再現され、クララの達成感やそれによる変化(食が進む)等をキチンと描く、しかしどんどん無くなる時間。本編の全話通し視聴経験がある人が、この映画の上映時間を計りながら見たら「本当に終われるのか?」とハラハラすることだろう。
 だが、この期に及んで物語は先を急がない。ロッテンマイヤーはいつの間にかに姿を消すが、クララはペーターに背負われて「お花畑」まで登るのである。そしてキチンとクララの「歩きたい」という気持ちを高めて、説得力をつける。
 だが時間的にはそんなことをしている場合ではないのも事実、「お花畑」のシーンが終われば、もうクララは立つ練習をしている。しかもこれがダイジェスト再現だ。そしてハイジがクララを罵倒するあのシーンとなり、「クララ大地に立つ!」…って、やっぱり急ぎすぎだよなぁ。
 クララが立ったと思ったら、歩行練習もないままにゼーゼマンと「おばあさま」がアルムにやってくる。そしてクララは二人の前で立って歩いて見せ、感動の名場面だ。本作では物語の結論をこことして、クララが馬車に乗ってデルフリ村を去るシーンで幕を閉じる。
 終盤はとにかく話があっという間だ。だがこれは全話通し視聴した直後で、終盤にあったいろいろの印象が強いからそう感じるのかも知れない。本編ではクララの「歩きたい」という気持ちを盛り上げるだけでなく、クララが「子供だけの世界」を知る展開や、クララの挫折など、様々な物語が描かれている事を忘れてはならない。その中からひとつだけを集中すれば、これだけ短くできると言うことだ。

・まとめ
 全体を見てみると、「アルプスの少女ハイジ」という作品が持つ空気は再現出来ていると思う。物語の流れや雰囲気といったものが上手く掴めている。特に序盤は明るく、中盤の「フランクフルト編」はちょっと暗く、終盤はまた明るくという本編における「空気」の再現は上手く行っている。
 だが、序盤の「アルム編」に時間を割きすぎ、そのために中盤以降がとても忙しくなってしまった印象がついて回る。確かに序盤での「アルムでの楽しい暮らし」というものを見る者に印象付けないと、中盤の物語が上手く回らないのは理解出来る。だがハイジがフランクフルトに到着するシーンまでで上映時間の半分も使ってしまったのはちょっと暴走のしすぎだと感じる。おかげで「フランクフルト」以降の展開がとても早く、視聴者によっては脱落する者もあるんじゃないかと思うほどの勢いで進んで行く。その中でハイジの「山へ帰りたい」という気持ちは再現出来ているが、クララについては完全にそこにいるだけの存在になってしまった。ロッテンマイヤーもただ怖い人になってしまい、「フランクフルト編」中核のキャラが生かされないまま「ハイジの物語」として「フランクフルト編」がまとめられたといっていいだろう。
 その勢いは「フランクフルト編」の後も続くが、ハイジがアルムに戻って以降は「余計な物語」が削られている事もあってスッキリした印象があるのも事実だ。冬のデルフリ村での生活や、クララがアルムに来て前半の「歩きたい」という気持ちを盛り上げる展開は52話あるシリーズものとして必要なのであり、総集編であれば必要はないだろう。だからクララがアルムに来て唐突に歩く練習を始めるという本作の展開は、「あり」だと思う。
 そして最後のシーンも52話あるシリーズではなく、総集編だからこそクララがアルムを立ち去って終了でいいと思う。ダイジェストになったことでそれ以上の意味が物語になく、本当にスッキリした形だ。
 まとめると、序盤はゆったりしていてアルムでの楽しい暮らしが上手く再現されているが、中盤の「フランクフルト編」では忙しい印象がついてハイジの「山へ帰りたい」という気持ちは再現出来ているがクララの気持ちの再現に失敗していること、そして終盤は展開は早いながらも本編での余計なものは徹底的に省略し、話を単純に上手くまとめたといえる。
 この長編作は「アルプスの少女ハイジ」に興味を持った人には、安心して勧められる。そしてこの総集編では語り足りないところもあるため、取りあえず本作を見た人が本編全52話を見たいという気にもなってくれることだろう。その点で言えば優れた総集編とも言えるだろう

・おまけ
 この作品のもう一つの特徴は、前述したように本編と比べると担当声優が大きく変わっていることである。でもペーターは最初見た時に担当が変わっているとは思えなかったほど、丸山祐子さんによって本編のペーターの雰囲気を上手く演じられていたと思う。他は何年も「アルプスの少女ハイジ」を見ていなかったと言う人には違和感は無いかも知れないが、本編を全話通しで見た直後だと違和感がありすぎて落ち着いて見てられない。
 中でもロッテンマイヤーは年相応ではなく年配の女性みたいな感じになっちゃったし、セバスチャンは「そうさのう…」と良いそうで怖かったし、クララはアルムでヤギの決闘を見て「白いヤギが勝つわ」と言いそうで怖かった…。

…この劇場版での配役については、別途公表の声優さんランキングに含みません(その他の作品として扱います)。

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