「南の虹のルーシー」完結版ついて

編集内容
 ・総集編形態…ダイジェスト再現形(全編)
 ・再現範囲…1話〜50話(全編)・前半1〜39話(39話)・後半40話〜50話(11話)
 ・オープニング「虹になりたい」(本編と同じ) エンディング「森へおいで」(本編と同じ)
 ・ナレーション 藤田淑子(本編外の概要説明等) 吉田理保子(本編中・本編のナレーションを流用)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・アデレードに到着する前の居留地でのエピソードはほぼ完全にカット。
 ・ビリー、パーカー、シルバー、プロスペロの不在。デイトンはいつの間にかいなくなる。
 ・ステッキー、リトル、スノーフレイク、エミリーなどの名前がいつの間にかについてしまっているので注意。
 ・クララの挙式もカット、これもいつの間にかに結婚していることになっている。

内容の詳細
1話 前半開始 一家のボートによる上陸シーン 一家の夕食シーンを採用
2話 (カット)
3話
4話
5話
6話
7話
8話
9話 居留地から出発するシーンを採用 ルーシーら一行のアデレードへの道中シーンをワンカットのみ採用
10話 デイトンが置いてきぼりにされた事が判明するシーン ルーシーら一行のアデレード同着シーンを採用
11話 アーサーとアーニーが「小屋」に到着するシーンを採用
12話 (カット)
13話 アーサーがヤギの柵を作るシーン ベンとデイトンのアデレード到着シーンを採用
14話 (カット)
15話
16話
17話
18話 小屋増築完成を前にデイトンに煉瓦の小屋を造ることを語るシーン 小屋増築工事完了シーンを採用
19話 (カット)
20話
21話
22話 ベンがデイトンを呼びに来るシーン デイトンのディンゴ診察とディンゴの子を拾うシーンを採用
23話 アーサーがディンゴの子を飼う条件を語るシーン ルーシーとケイトがリトルと遊ぶシーンを採用
24話 (カット)
25話
26話
27話
28話
29話
30話
31話 一家が牛車に乗ってウィルソン農場へ向かうシーン 一家が買うことになるかも知れない農場を見るシーン リトルとハッピーの対決シーンを採用 アーサーが事情を聞くシーン以降は全面採用
32話 ウィルソンに農場の売却を断られるシーンを採用 一家で虹を見上げるシーン以降は全面採用
33話 「アンガス通りの家」初登場シーンをワンカットのみ採用
34話 石切の仕事についてアーサーとアーニーが語り合うシーン 山崩れ発生シーンを採用
35話 ルーシーが怪我をした父を見舞うシーンを採用
36話 デイトンによる診察シーン クララが「我が家は神から見放された」と愚痴るシーン アーサーが「神様…」と呟きながら眠るシーンを採用
37話 (カット)
38話
39話 肉がないことをケイトと母が語り合うシーン スノーフレイク売却がルーシーに告げられるシーン以降はほぼ全面採用 前半終了
40話 後半開始 ほぼ全面採用
41話 プリンストンがルーシーの記憶を取り戻そうと馬車に乗せたシーンをワンカットのみ採用
42話 シルビアが「エミリー」に自分を母と呼ばせる庭でのシーン ベンが帰宅してルーシー行方不明を知るシーン プリンストンがシルビアに少女が記憶を取り戻すと語るシーン アーサーとベンがルーシー行方不明を警察に通補した結果を語るシーン ケイトがリトルがいなくなっているのに気付くシーンを採用
43話 アーサーがスノーフレイク売却を後悔するシーン ルーシー行方不明で泣きながら家事をするアーニーのシーン クララとジョンがどうやってルーシーを捜せばいいか語り合うシーン ベンが新聞社から帰るシーンを採用
44話 ポップル一家が教会でお祈りするシーンとその帰り道のシーン 「リトル!リトル!」のシーン ルーシー帰宅シーン アーサーとベンの帰宅シーンを採用
45話 (カット)
46話
47話
48話 病に倒れたシルビアが「ポップルさんに土地をあげてほしい」と懇願するシーン プリンストンがアーサーとアーニーにルーシーを養子にしたいと訴えるシーンを採用
49話 48話シーンの続きで養子の件が断られるシーン プリンストンがその結果をシルビアに語るシーン 居酒屋から酔ったアーサーが出てくるシーン ルーシーとケイトの寝室での会話シーン ルーシーがプリンストンに養子にしてくれと懇願するシーンを採用
50話 49話シーンの続きでプリンストンがルーシーの真意を見抜くシーン アーニーがプリンストンからの土地売却の申し出を告げるシーンを採用 ルーシーがアーサーと土地を見に行くシーン以降は全面採用 後半終了

考察・感想
 個人的には「世界名作劇場」最高傑作だと思う「南の虹のルーシー」、この物語の特徴は全体的にまったりしていることと、終盤で一気に展開をたたみ掛けることである。そしてその特徴が良く出た総集編であることは上の表からも読み取ることが出来るだろう。
 この作品は原作が恐ろしい程マイナーな事(日本では入手困難)もあり、多くの人は「世界名作劇場」の他作品を見て入ってくることだろう。そんな人に「全編見たい」と思わせることが、本作の場合の完結編の意義になってくる。

・前半…第一印象は「わかりやすさ」

 前半が始まるとポップル一家の上陸シーンからスタートするという、物語のあらすじから考えれば当たり前の状況である。そしてすぐ最初の夕食シーンとなり、アーサーが何故オーストラリアまで来たのかを演説ぶるシーンになるが、ここで話の骨格をしっかりと設定したのはとても上手い。また上陸シーンから夕食シーンの流れでワンカットずつではあるが、ペティウェルやその飼い犬のハッピーを出すことを忘れず、今後の展開で重要なキャラであることをしっかりと印象付ける。こう言う意味でも物語の骨格をキチンと設定していると感じたのだ。
 続いては一家が海岸の居留地生活を終えてアデレードへ出発するシーン。海岸に荷物番としてベンを残した設定などは捨てず、後の物語が自然に回るようにしたのは後から解って行く。この道中での事件はカットされたが、ルーシー達の歩行シーンをワンカットだけ入れ、アデレード到着の印象的なシーンを上手く抜き出して本編アニメの雰囲気を崩さずに話を持って行った。さらにアーニーが到着して家の狭さに驚くシーンもカットしなかったのは、この90分1本勝負でもこの「小屋」の狭さをちゃんと印象付ける狙いがあったはずだ。
 一家がアデレードに着くとそこでの生活に定着するため家の増築などの展開をきっちり再現し、増築完成シーンだけ抜き出してこれらが上手く行ったことだけは見せてくれる。だがその段が過ぎればもうリトル登場だ。ここのカットの思い切りの良さは褒めても良いと思う、この間は全話通しでゆったり見るから面白いところであって総集編に入れられたら何が何だか訳が分からなくなるだろう。同じようにリトルが登場した後もハッピーとの対決までは思い切ってカットをしており、こちらはルーシーの病気などとても前半45分に押し込められないエピソードが多い。この思い切ったカットで話がわかりやすくなり、リトルという重要で印象深いペットの登場をしっかり視聴者に叩き込む。
 リトル登場のエピソードが終わると、何の説明も無くリトルはすぐ大きくなっていよいよ一家がウィルソン農場を視察する話になってくる。この農場視察シーン再現に時間を掛け、この完結版でも本編同様「これで農地を手に入れたポップ一家」の物語に移行して行くのだと感じさせる手法を取るのだ。しかもこの完結版ではまた前半の半分を消化したところ、多くの視聴者が騙される作りになっている。
 そしてリトルとハッピーの対決、ペティウェルの怒りと進み、ここで序盤でペティウェルとハッピーをちゃんと出しておいた理由がハッキリしてくる。すぐにウィルソンから農地売却を断られ、一家揃って虹を見上げるあのシーンになる。通し視聴の経験者は「これで前半終わりか?」と思うところだろう、だが唐突にルーシーが10歳に成長し、アンガス通りの家も出てきてまだ物語は進むのである。
 ルーシー成長後の話で前半に入れられたのは、アーサーが石切場で負傷するストーリーと、スノーフレイク売却の件である。しかも前者は本編アニメでは合間合間に他の展開、例えばリトルとシルバーの「対決」などが入って落ち着かない感もあるが、この完結版ではアーサーの負傷の件だけに絞って見る事ができる。後者も同じで、本編アニメではデイトンとの別れと交互に演じられるが、ここもスノーフレイク売却の一件だけに絞り見ている方は分かり易い。そしてスノーフレイクが売られて行くと、ルーシーが暴れ馬による事故に遭い前半が終了する。
 この前半の特徴は、本編アニメから比較するとかなり「飛ばした」のだがそうは感じさせなかった点だ。短い時間で次から次へと展開を進めて行く点は「赤毛のアン」完結版と共通点である、だが「赤毛のアン」完結版の欠点である「ゴチャゴチャ感」を全く感じなかったのだ。
 その理由は「あれもこれも」をせず、再現するストーリーをある程度絞ったことだろう。「赤毛のアン」だと原作が有名なばかりに、どうしてもカットできない展開が多く出てくる。その結果前半45分に「あれもこれも」で詰め込まなきゃならなくなって、結果ゴチャゴチャした印象だけが残ってしまった。だが「南の虹のルーシー」完結版では原作がマイナーなためそれにとらわれない編集が出来たのだろう、抜き出すシーンや再現ストーリーを絞る事に成功した。それで前半に39話分ものストーリーを詰め込んだが、忙しさやゴチャゴチャとっ散らかった印象もなく、自然にしかも本編アニメとの設定の矛盾もなく、わかりやすく物語を流すことができたのだ。この前半45分は、見ていて少し「長い」と感じるが、その「長さ」はあくまでも詰め込んだストーリーの多さによるもので、その編集がとても良いので悪い評価ではなくむしろ好印象だ。

・後半…「記憶喪失編」の忠実再現とその後の「綱引き」に絞る
 後半の最初のシーンは、前半のラストシーンを繰り返す。これは本編アニメの39話と40話も同じようになっていて、全話通して見た人は違和感なく感じるだろう。だが「南の虹のルーシー」初見の人が、このDVDで前後編連続視聴をすると同じシーンが繰り返されることになって「?」と感じる事だ。1度目と2度目の違いは本編アニメと同じで、このルーシーの事故がルーシー視点で描かれるかプリンストン視点で描かれるかの違いである。そしてルーシーがプリンストンに救助され、ポップル家ではルーシーが帰らない事で不安が募るという流れが自然に再現され、見ている方の不安が頂点に達したところでルーシーの記憶喪失発覚という流れに持って行く。ここは「南の虹のルーシー」の見どころでもある点だ。ルーシーの病状がハッキリすると今度はルーシーが事故に遭った橋の上でリトルが遠吠えするあのシーンになり忠犬ぶりをアピールする。そしてリトルを連れてルーシーを捜しに出たアーサーとジョンが何の手がかりも掴めないまま帰宅し、一家を落胆させるという一連の「ルーシー行方不明」という物語をここでは時間を掛けてうまく再現する。
 ここからは短縮されているとは言え、プリンストン邸のルーシーとポップル家の様子が交互に演じられるのは本編アニメと同じだ。プリンストン邸では記憶を取り戻せないルーシーとそこに付け入るシルビアの偏愛が描かれ、ポップル家では三女の行方不明で一家が団結して行く様子が余すところなく描かれるのだ。この双方の動きで物語が盛り上がったところで、橋の上でルーシーとリトルが再会して記憶を取り戻すシーンとなるのも本編の流れを忠実に受け継いでいる点だろう。
 本編だとルーシーの記憶が戻ったところで一段落つき、物語はプリンストンとの絡みから一時離れるが、この完結版ではこのままプリンストンとの関係に話が流れる。シルビアが土地と引き替えにルーシーを養子にすることを思い付く「綱引き」への展開だ。こうして後半でも再現するエピソードが限定されて、あくまでも「わかりやすく」物語を再現して行く。
 プリンストンがルーシーを養子に欲しいと切り出し、これが断られると物語は唐突にアーサーが居酒屋から酔っぱらって出てくるシーンになる。そしてルーシーがケイトに「父さんが土地を手に入れてみんなで働ければ…」と語る夜の寝室シーンとなる。勿論ケイトの「無理みたいね」の返事も収録、こうして一家が娘達までもが希望を失うという最悪の事態を迎え、ルーシーの決断にキチンと理由を持たせるよう編集してある。
 そしてルーシーが単身でプリンストン邸に乗り込み「養子にしてくれ」と懇願、プリンストンがそのルーシーの真意を見破ってポップル家に土地を破格の条件で売却することを決意するが、それはアーニーがプリンストンからの申し出をアーサーに告げるシーンとして再現される。アーサーとルーシーの感動の抱擁で物語に決着が着く。
 そして本編アニメ同様、ここで終わりにしない。プリンストンがポップル家に売却する農場でスノーフレイクと再会するいわば物語の「オチ」をキチンと演じてから、農場への旅立ちという本編と全くラストシーンで後半が幕を閉じるのだ。何か本編と同様、このラストには長い小説を読み終えたような爽快感までうまく感じる事ができるのだ。
 後半は「記憶喪失編」の再現と、それによって生じたシルビアとポップル家の間の「綱引き」に話を絞った。後半にも前半と同じ「わかりやすさ」を感じ、やはり同じように45分が良い意味で長く感じるそういう内容だった。

・まとめ
 この総集編では、「南の虹のルーシー」という物語の必要なところを全部抜き出し、余計なところは容赦なくカットするという方向性で一貫している。その一貫性が「わかりやすさ」を生み、本編を全部見た人もそうでない人にとっても納得のいく内容だったと思う。そういう意味では総集編としてはとても優れた内容だと思う。
 ただし、問題はある。例えば他の「世界名作劇場」作品や何らかの形でシリーズ外から入ってきて、この完結版で「南の虹のルーシー」が初見だという人がこれで満足してしまう可能性がある内容でもあるのだ。するとそのような人はわざわざ全話見てみようと考えることは無くなってしまう。やはり新しい視聴者を「世界名作劇場」に引っ張り込むという目的においては、「優れた総集編」が必ずしも優秀という訳には行かないのだ。やはり他作品の完結版のように、本編に興味を持つ要素が欲しかった。それがほんの僅かの語り漏らしであったり、余計なシーンの挿入だったりするのだ。
 総集編の善し悪しと存在する目的は違い、総集編自体が優れた内容でも存在理由を基準に言えば優れている総集編にはならない。それを考えさせられる完結版であった。例えば1年かけて放映されるNHK大河ドラマの、年末に放映される総集編ならこういう編集で良いだろう。でも目的が違うから「世界名作劇場」完結版としてはこれではダメなのだ。

・おまけ
 冒頭の設定変更等のところで語った通り、この完結版には「いつの間にかこうなってる」という部分が多い。これは名付けシーンを中心に、完結版の内容に関わる部分でも不要部分と思われれば容赦なくカットされているからだ。
 ルーシー名物の動物の登場であるが、ルーシーが飼っている動物はだいたい一通り出ているが、物語前半を彩った野生動物の活躍は全部カットされている。カンガルー、コアラ、ワライカワセミなど「ためになる」シーンも無くなったのはちょっと残念。また記憶喪失中のルーシーを慰めてくれた猫のプロスペロの登場シーンが全面カットされたのは、リトルと対照的でもありかなり残念だ。

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