「母をたずねて三千里」完結版ついて

編集内容
 ・総集編形態…ダイジェスト再現型(全編)
 ・再現範囲…1話〜52話(全話)・前半1〜36話(36話)・後半39話〜52話(14話)
 ・オープニング「草原のマルコ」(本編と同じ) エンディング「かあさんおはよう」(曲は本編と同じだが背景画像は新編集)
 ・ナレーション 藤田淑子(本編外の概要説明等) 高乃麗(本編中)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・マルコの家は7話で引っ越して以降のもので、最初からここに住んでいることになるよう編集。
 ・エミリオやベルナルドというジェノバでのマルコの友人はなかった事になっている。
 ・コルドバからトゥクマンへの旅においては、牛車隊が関わる物語は前面カットとなり徒歩の旅となるよう編集。
 ・最後にナレーションでマルコが医師になってアルゼンチンに戻ったことが明確にされる。
 ・エンディングの背景画像は、5話、11話、13話のアメデオ登場シーンを繋いだオリジナル。

内容の詳細
1話 母との別れシーンのみ採用
2話 (カット)
3話
4話 ペッピーノ一座の劇中最初の舞台を採用(5〜6話のシーンが先)
5話 瓶洗いのシーンを採用
6話 ロンバルディーニが診療を途中で切り上げるシーンを採用
7話 屋根上でフィオリーナと出会うシーン マルコがフィオリーナのマリオネットを褒めるシーン および「屋根の上の大きな海」シーンを採用
8話 (カット)
9話
10話 母の手紙不着シーンを採用
11話 (カット)
12話
13話 ペッピーノ一座が出港する前夜の父との会話 フィオリーナとの別れシーンを採用(後者は大幅に簡略化)
14話 父親との口論シーン 「フォルゴーレ号」に忍び込むシーンを採用
15話 ピエトロとジーナがマルコを迎えに来てからマルコの旅立ちが許されるまでを採用
16話 「フォルゴーレ号」船上の生活のダイジェスト
17話 (カット)
18話 移民船出港のシーンのみ採用
19話 マルコとフェデリコ一行の出会いを採用(簡略化…ニーノとの出会いと食べ物を分け合うシーン)
20話 (カット)
21話 ブエノスアイレスが見えたと移民船の乗客が騒ぐシーンを採用
22話 ロハス邸のロシータとのシーン以外はほぼ採用 「メレッリの家」での話は一部省略
23話 (カット)
24話 マルコとフィオリーナの再会を採用
25話 一座の馬車がブエノスアイレスを出発して草原に差し掛かったシーンを採用
26話 (カット)
27話 深夜にマルコとフィオリーナが語り合うシーンを採用
28話 (カット)
29話
30話
31話
32話
33話 バイアブランカ到着シーンを採用 モレッティとの対面シーンを採用 街をマルコが夜一人で歩くシーンを採用
34話 (カット)
35話 駅でのエステロンとの出会いシーンを採用 エステロンがアンナの手紙をマルコに見せるシーンを採用
36話 マルコが駅に着いて以降のシーンはほぼ採用(前半終了)
37話 (カット)
38話
39話 (後半開始)川船での旅はダイジェストで採用
40話 ロサリオ到着シーン以外はほぼ採用(ただしバリエントスの執事による「侮辱」はカット)
41話 列車の旅は車内でマルコが地図を確認するシーンのみ採用 メキーネス邸に到着したシーンは全面採用
42話 パブロとの出会いと夕食シーンを採用(ただし殴り合いはカット)
43話 (カット)
44話 「メキーネスさん」の家でアンナの居場所を聞き出すシーンからはほぼ採用
45話 貨車からつまみ出さて線路を逸れるまではほぼ採用(ただしアメデオが見つかるシーンはカット)
46話 (カット)
47話
48話
49話 靴が壊れて怪我をするシーン以降はマルコの夢とアンナ再登場以外ほぼ採用
50話 立ち往生したマルコを救った男との別れシーン 砂糖工場到着以降のシーンはほぼ採用
51話 メキーネス邸到着以降のシーン以外はほぼ採用
52話 帰路の旅をダイジェスト再現し そのまま終了

考察・感想
・前半…見事に「必要かつ大事な部分」のみを最小限に切り出すことに成功
 こちらの総集編は、大まかなストーリーを全て補完したほぼ完璧な総集編となっている。序盤のジェノバでの展開も主要な部分はしっかり押さえていて、物語の展開に説得力を持たせるまとめ方を入れている。とくに屋根上でのフィオリーナとの出会いは、「必要最小限かつ大事な点のみ」をうまく拾っている感がある。つまりマリオネット練習中のフィオリーナがマルコをとりあえず出迎える点、その後フィオリーナが自分の生い立ちを語る点などをカットしなかったことだ。視聴者はマルコが「母に逢えなくて寂しく辛い思いをしている」という前提で見るから、収録時間を考えればここでマルコが自分語りをするシーンはカットで良いだろう。そして屋根上でマルコが「おかーさーん」と叫び、手を繋いで海を眺めるまではノーカットで行く。こうして二人の間に「絆」が生まれたことを強く描くのは後々の展開に響いてくる。
 また、ペッピーノ一座がジェノバを出港するシーンは制約の中でうまく「利用可能」なシーンだけで繋いだと思う。本編アニメでは組長園長先生じゃなくてレナートに騙されるシーンが入り、マルコの台詞や行動がそれに連動しているので「総集編」として編集する場合にレナートを不在とすると非常に厄介な部分でもあっただろう。このようなところは編集者の腕の見せ所で、ここではレナートに連動しないシーンだけを上手く抜き出したと思う。だがマルコがフィオリーナの旅立ちに間に合わない最大の理由はレナートだったわけで、不自然さを感じさせないようにうまく抜き出すのに苦労したと思う。時間が足りない中で敢えて前夜のマルコとピエトロのシーンを挟み、マルコがふさぎ込んでいるから翌日も到着が遅れたと見せるのだ。
 ジェノバではマルコとピエトロの諍いも必要な部分だけ上手く抜き出していたが、これが伏線としてラストで回収されないまま終わったのはこの総集編唯一の不満点である。
 マルコが「フォルゴーレ号」に乗り込んでからの展開も、上手く数分でまとめたと感心するところだ。

 マルコがジェノバを発って以降は展開が急激に早くなる。「フォルゴーレ号」や移民船での出来事は、移乗とフェデリコとの出会い以外はダイジェスト再現とされた。ブエノスアイレスに到着してからは劇場版の「MARCO 母をたずねて三千里」と似た展開を取るよう抜き出しているが、ここではメレッリの存在はカットされずに次の行き先はバイアブランカとなる。そしてフィオリーナとの再会は、ジェノバでの物語で必要な部分をカットしなかったのが効いて二人が抱き合って再会を喜ぶのに説得力がある編集となっていたのは言うまでもない。
 二人が再会するとその間の出来事に触れられることもなく、マルコは唐突にペッピーノの馬車で南へ向かっている。バイアブランカ往路の出来事はマルコとフィオリーナが深夜に語り合う場面だけ抜き出したが、ここではフィオリーナの台詞(27話名台詞欄参照)ではこの総集編で存在がなかったことになっているエミリオやベルナルドについて語っている部分は上手くカットされている。
 このシーンが住むと一座とマルコは唐突にバイアブランカに到着し、モレッティから最悪のシミュレーションを聞かされたと思ったらすぐ駅でエストロンと出会うシーンとなる。そしてアンナからの手紙が出てきたかと思うと、36話後半をほぼそのまま(細かいシーンのみカット)再生したかと思うと前半が終わる。

・後半…一転して特定エピソード集中型になるが全話カバーも忘れない
 後半はブエノスアイレスでの出来事を全て省略し、ロサリオへの船上での出来事のダイジェストを背景にこの間の出来事をナレーション説明するシーンから始まる。これが終わると休む間もなくバリエントス邸での出来事となり、フェデリコとの再会→イタリアの星へと流れて行く。ここで視聴者を泣かせた後ですぐコルドバへの汽車シーンを1シーンだけ挟むと、もうコルドバのメキーネス邸の前でドアを叩いている。かと思うとパブロがゴミ箱を漁っていて、という忙しい展開だ。パブロが「メキーネスさん」の手がかりを掴んでマルコの次の行き先がトゥクマンになることは、二人がロバに乗って「メキーネス邸」に往復するシーンを背景にしてナレーション説明。ここは本編アニメでも長くてしつこいと感じる部分だからこの再現で正解だろう。
 そして間髪置かずにフアナが病で倒れ、ここの展開は実に詳細に再現する。ここをじっくり描くために後半の最初は忙しく「飛ばした」のだと思える位だ。これでマルコの気持ちの変化やパブロの感謝の気持ちを丁寧に描いてから、マルコは貨車でコルドバを出発、したかと思うとすぐ放り出される。

 マルコが貨車から放り出されると、ここまで本編アニメを忠実に再現してきた後半の様相は一変する。牛車隊の関する話や「ばあさま」に関わる話は全面的にカットされ、「MARCO 母をたずねて三千里」と同じようにここでのマルコの旅が徒歩主体として描かれるのだ。線路沿いを歩くシーンから唐突に49話の靴が壊れたシーンまで飛び、見ている人が自然に「この間でマルコは沢山歩いたのだろう」と感じるように出来ている。「MARCO 母をたずねて三千里」のようにわざとらしく、そして無いはずの山脈や峠越えをダイジェストで描かれるよりも何倍もスッキリしていてリアルだ。
 マルコ立ち往生ではマルコは母の夢を見ないが、49話名台詞シーンで上手く切ると同時に母側からの状況も入れなかったことで自然に話が回る。むしろ短時間でまとめるなら母の幻や夢を見ない方がスッキリして良いだろう(そういえばこの総集編では、本編でマルコが度々見ていた「母の夢」や「妄想」は全部カットされている)。そしてすぐにマルコは助けられた事が示唆され、続いてトゥクマンの砂糖工場のシーンとなりマルコが走るシーンはじっくり再現された。

 トゥクマン郊外のメキーネス邸到着からもこれまた詳細に描かれる事になる。特にマルコがアンナの病室に入ってからアンナと抱き合い病状を聞くまでのシーンはノーカットで、二人の「再会」劇をじっくり見せてくれるのはこの総集編最大のポイントであろう。物語最大のヤマ場で一切カットがないのは、当完結編シリーズの見せ場の一つでありこのDVDが「世界名作劇場」の初心者編として誰にでも安心して勧められる理由の一つである。
 その上でアンナの手術についてカットされなかったのも評価すべき点だ。二人が再会したあとのもうひと試練をしっかり描き、マルコがこれだけの旅をしてきて自他共に「よかった」と思える展開を入れると共に、最後のマルコの決心に説得力を持たせるという意味はとても大きい。この手術シーンがあることでこの「完結編」は「母をたずねて三千里」の総集編として完成度の高い物になったと思う。
 そして最後は、帰路の様子がダイジェストで描かれ、二人のジェノバ帰還を待たずに物語は幕を閉じてしまうが、これは「マルコとピエトロの諍い」という展開にオチを付ける事が出来なかったため、前述したように最大の不満点として残った。代わりにラストシーンではナレーターの解説により、マルコが将来医師になってアルゼンチンで働いたことが明確にされ、本編アニメの「総集編」としての位置づけだけでなく、本編とは違うこの「完結編」独自の物語の結末が出来てしまったと考えることも出来よう。そのような意味でも優れた総集編だと思う。

・まとめ
 この総集編の特徴は、とにかく物語が「矢のように早く進んでいく」というより「忙しい」という印象がついてまわることだ。
 物語は前半では36話までのほぼ全展開をカバーしようとして、短く抜き出したシーンを次から次へと繋ぐという手法を取り、後半では特定エピソードをじっくり描く時間を捻出するために、やはりそれ以外のところでは短く抜き出したシーンを次から次へと繋ぐという展開である。
 よって見ている方は多少「忙しい」と感じるが、短く抜き出したところも、詳細に描くため長く抜き出したところも、物語全体として見た場合に矛盾が起きないように上手く配慮され、「母をたずねて三千里」という物語やその登場人物像を壊すことなく全話ダイジェストの総集編として上手くまとめたという評価は出来るだろう。
 また、見ているとこれを全編見てわずか90分しか経っていないというのが信じられないほど、「長さ」を感じるのも特徴だ。かといって「しつこい」と感じることもなく、ちょうど良いあんばいで物語が終わるという感触がある。
 これは非常に内容が濃く、その濃い内容を忙しく見せられた割には物語に筋が通っていることが理由だと思う。ただこんな感じの総集編は名作と駄作の差が紙一重だと思う。これで一つでも矛盾が出てきたりすると途端に「しつこさ」を感じてしまうし、また内容を無理に濃くしたり、無理矢理感動させようと変な編集をするとやはり「しつこさ」を感じて見る気がなくなってしまう。「総集編」製作ではこのバランスが難しいはずであり、こんなに上手く出来たのは「母をたずねて三千里」という素材の大きさによるところも多いと思う。特に「無理矢理感動させない」という作りは、素材がそうなっていないと不可能でもあるのだ。

・おまけ
 コルドバからトゥクマンへの旅行についてだが、マルコが560キロ中500キロも歩き通すのはちょっと無理がある。だからここでは、貨物列車に潜り込んだマルコがなかなか見つからなかったという解釈を取らざるを得ない。マルコが貨車からつまみ出されたのは、オリジナルアニメで牛車隊と別れた辺りと解釈をすべきだろう。「MARCO 母をたずねて三千里」を見るときもこの解釈に準じるべきと考える。

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