「ペリーヌ物語」劇場版ついて

編集内容
 ・総集編形態…ダイジェスト再現形(パリ到着以降の物語)
 ・再現範囲…17話〜53話(36話分)
 ・オープニング 「ペリーヌものがたり」(本編と同じ)
 ・エンディング 「ペリーヌものがたり」(音源は2〜3番・背景画像は3話のペリーヌとマリの旅シーン)
 ・ナレーション 日比野美佐子(新規録音)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・ボスニアからパリへの旅は全面カット、ただし一部はエンディングでダイジェスト再現。
 ・したがってルクリとシモン荘の人々以外、以外の旅行中で出会った人物は不在。
 ・マルセルが不在のため、シモン荘の存在はパリで税関から聞いたという設定に変更されている。
 ・シモン荘では最初から部屋を借りたように見えるよう編集されている。また、馬車や写真機などはいつの間にか無くなっている。
 ・ペリーヌが最初に暮らそうとした安下宿屋は設定自体カットされている。秘書になった後の豪華な下宿は出てこないだけ。
 ・ポールは画面には出てくるが、積極的に紹介されたりしない。
 ・ビルフランがエドモンの死を知った際、ビルフランが病で倒れるという設定はなくなるよう編集された。

内容の詳細
1話 (カット ただし1〜16話の旅行シーンは回想シーンとして編集して採用)
2話
3話
4話
5話
6話
7話
8話
9話
10話
11話
12話
13話
14話
15話
16話
17話 パリ到着シーンを採用
18話 ペリーヌがシモンから宿代を請求されるシーン ペリーヌがシモンに医者の紹介を乞うシーンを採用
19話 (カット)
20話 マリがペリーヌを無事マロクールに届けられるよう祈るシーンを採用
21話 マリ臨終シーンを採用
22話 (カット なお25〜26話の一部シーンは回想シーンとして採用)
23話
24話
25話
26話
27話 ほぼ全面採用(ファブリやポールの初登場シーンは除く)
28話 オヌーからトロッコ押しを習うシーンを採用(30話相当シーンの後の場面となる)
29話 (カット)
30話 ペリーヌの出社シーンを採用(27話相当シーンの直後シーンとして)
31話 (カット)
32話 ペリーヌとロザリーの昼食会シーン以降はほぼ全面採用
33話 ペリーヌがファブリを小屋に招いて夕食を取るシーン(1話〜16話の旅シーンが回想として挟まる) ビルフランの夕食シーンとエドモンの肖像に語りかけるシーンを採用
34話 タルエルから呼び出されたシーン以降はほぼ全面採用
35話 ペリーヌがタルエルに脅されるシーン ロザリーがビルフランがエドモンを捜しているという推理を語るシーンを採用 その後に冒頭の工場に「オーレリィ」が来た際のビルフランとテオドールの会話シーンを挿入)
36話 ペリーヌがビルフランに新聞を読み聞かせるシーン ペリーヌが両親や一人旅についてビルフランに語るシーンを採用(この間に25〜26話の一人旅シーンが回想として挟まる)
37話 ビルフランがオーレリィを呼び出して秘書に任命するシーン テオドールとファブリがオーレリィ秘書着任についての会話シーンを採用
38話 (カット)
39話 朝のビルフラン出社シーン ファブリがビルフランに届いた手紙を渡すシーン ペリーヌがインドからの手紙を読み上げるシーン ビルフランがマリへの恨みを叫ぶシーンを採用
40話 (カット)
41話 ほぼ全面採用
42話 (カット)
43話 ペリーヌがファブリに全てを打ち明けたシーンを採用(44話相当シーンの後の場面となる)
44話 ビルフランがテオドールに工場を継がせられないとペリーヌに語るシーンを採用(41話相当シーンの直後として)
45話 フィリップがビルフランの元を訪れエドモンの死を告げるシーン以降は全面採用
46話 エドモンの葬儀シーン ビルフランがエドモンの肖像画に呟きながら涙を流すシーン ペリーヌがビルフランに夕食を取るよう説得するシーンを採用
47話 フランソワーズがシャモニーから出かけるシーン フランソワーズがビルフランを見舞うシーンを採用
48話 (カット)
49話 ビルフランにフィリップからの電報が届きテオドールがこれを読むシーン ペリーヌとビルフランの庭でのシーン フィリップがビルフラン邸に到着して以降の全シーンを採用
50話 テオドールがビルフラン邸から帰るシーン ビルフランがエドモンの肖像に語りかけるシーン シャモニーのシーンでファブリが到着して以降のシーンを採用
51話 パリの名医による診察とその結果シーン 手術と手術中にペリーヌが祈るシーンを採用
52話 ビルフランが始めてペリーヌの姿を見るシーンを採用
53話 街を見下ろし丘の上でペリーヌとビルフランが語り合い二人で踊るラストシーンを採用

考察・感想
 本作は本編アニメが放映された2年後、1980年に「母をたずねて三千里」とともに劇場用長編アニメとして編集されたという。「母をたずねて三千里」の方は上映されたものの不人気ですぐ上映中止に追い込まれたことで、「ペリーヌ物語」の劇場用長編である本作は上映ができなくなり、誰の目にも触れることのないままお蔵入りになっていたという。
 その後、1990年に「ペリーヌ物語」のレーザーディスクが発売された際に、本長編も同時にレーザーディスクとビデオソフトとして発売され日の目を見る事になり、以後NHKのBSで何度か放映されたことで多くの人がこの作品を知ることとなったという、複雑な経緯を持つ作品だ。
 私は本作を、今年3月にNHK−BSで放映されたのを視聴した。以後これをもとに、完結版と同じフォーマットで解説していきたい。

・序盤…パリ到着からスタート

 物語が幕を開くと、画面に出てくるのはパリの風景だ。そしてパリでの検問所の行列が出てくるのはほんの一瞬だけで、もう例の家馬車はパリの街中をシモン荘目指して走っている。そのシモン荘についても劇中でペリーヌがハッキリと「税関の人が教えてくれた」と語るため、ここでマルセル不在が確定する。そんな細かいところに気付いたかと思うと、次のシーンでは既に母子はシモン荘に部屋に入っていて、シモン荘での物語がほとんど再現されないまま、マリの臨終シーンという忙しい展開になる。マリの臨終シーンが終わるとやっと画面にこの映画のタイトルロールが現れる、背景はマロクールの街の全景だ。
 タイトルロールの後は唐突にペリーヌとルクリの別れシーンである。ここから27話をほぼ丸々流す形でペリーヌがマロクールに落ち着くまでをゆったり再現する。ロザリーとの出会いやフランソワーズとの初対面など大事なシーンはこぼれがないようにしてある。さらにビルフランの硬い表情を出すことで、道の険しさを示唆する事を忘れないのもよい。ここのゆったりとした展開では「ペリーヌ物語」の空気がよく再現されていると思う。
 だが27話再現部分が終わると物語は暴走を始める、ペリーヌは何の説明も無く池のほとりの小屋に住み着いており、何の説明も無く工場のトロッコ押しとして働いているのである。その上で「池のほとりの小屋」と「トロッコ押し」が強く印象付けられるように短い時間で何度も出てくるよう編集されているから、見ていて混乱した人も多いかも知れない。テレビ放映版を全編見た人ならこの流れでも問題は無いと思うけどなー。
 そしてシャモニーの庭でのペリーヌとロザリーの平和な昼食シーン、何の説明も無くポールがいるがここでも彼は存在を忘れられていて、彼が出てくる唯一のシーンである。そしてその平和な昼食シーンにファブリが飛び込んできたところで、物語はファブリをペリーヌの味方として印象付ける展開も忘れないといったところだろう。本編と同じ展開でファブリは「オーレリィ」の本名を知り、ペリーヌの謎の一端を掴むキャラとして活躍することになる。このシーンで好印象なのは、ベンディットがペリーヌを天使と見間違うシーンをカットしなかったことだ。
 そしてファブリがペリーヌの秘密の一端を掴んだという設定は、本編にはない新たな要素を付ける事になる。ペリーヌがファブリを小屋に招待して夕食をご馳走したシーンで、ペリーヌのこれまでの旅を振り返るという要素を付け加えたのだ。ここでカットされたパリ到着以前の旅の様子が回想としてたっぷり流され、ペリーヌのこれまでの旅の険しさがキチンと示唆される。同時進行でビルフランが一人の夕食を悲しんでいるシーンを入れるの話忘れなかったのは、とても印象が良いと思った。

・中盤…ペリーヌの心境よりもサクセスストーリーを重視
 画面が工場でのトロッコ押しシーンになると、そこへタルエルからの呼び出しが来るという形で唐突にサクセスストーリーへの扉が開く。バロン乱入のドタバタ劇は無しで、ペリーヌとタルエルの一対一で「トロッコ押し打ち切り」が命じられ、同時にペリーヌはサン・ピポア工場にやられる理由をギョームが聞くという設定で自然に流した。ただここでバロンが乱入しなかったことで、この流れは「ペリーヌ物語」の空気とは少し違う真面目な物語になったのは否めない。
 ここからしばらくは王道的展開でペリーヌのサクセスストーリーをじっくり描く。ペリーヌが通訳の仕事を上手くこなし、これを見たタルエルに脅され、テオドールには酷い身なりだと罵られながらもビルフランの信頼を勝ち取り、そしてビルフランから身の上を聞かれる。ここを利用して本編同様、25〜26話の一人旅の回想が流されるが、ここでは本編のように時間調整ではなくその旅の様子を流すことが必要なのは「総集編」ならではであることは多くの人が理解出来るだろう。
 そしてペリーヌが秘書に大抜擢というシーンに流れて行くが、ここは物語の「切れ目」がなく編集されているので「時間経過」を理解しづらい作りになってしまっているのがちょっと残念。ペリーヌがビルフランに身の上を語るシーンと、秘書に抜擢されるシーンが繋がってしまっていて、これがそれぞれ別のシーンであるという見分けが付きにくくなっているのだ。この長編で始めて本物語を見た人は、シーンの途中で突然部屋が豪華に変わったりして驚いたことだろう思う。
 またここでテオドールの台詞が多くなるのだが、この部分のテオドールの台詞が全部新規録音されていたのが痛い。同じ銀河万丈さんの声は確かなのだが、テオドールとはまるで別人の演技になってしまっているのだ。テオドールの情けない声ではなく、ギレン・ザビやペンデルトンのおっさんのような低音が聞いた演技になってしまい、本編を見た経験のある人はここのテオドールの声を聞いて「誰?」と思ってしまったところだろう。
 ペリーヌが秘書になってしまうと、待ってましたとばかりにインドから手紙が届くあのシーンになる。だがここでは時間の関係もあったのか、「インドからの手紙」を巡ってペリーヌとテオドールやタルエルとの「闘い」はカットされ、しかも「インドからの手紙」でペリーヌが読み上げたのはその後半、マリについて書かれている部分だけという急ぎようだ。つまり「知りたい情報がない」と落胆するビルフランの様子はカットされていて、マリの話を聞かされたビルフランの怒りだけが再現された形になった。しかもビルフランの「浅ましい女め」の後は、余韻のないままペリーヌはあっさり立ち直ってインドへの電信を命じられて出かけていて、その道中でタルエルに襲われる。なんか「インドからの手紙」にまつわるペリーヌの心境変化が無視されてしまい、ちょっと残念だと感じた。
 だがペリーヌがタルエルに襲われるシーンを省略しなかったのは、その後のペリーヌがビルフラン邸に住み込みになるという展開に説得力を与えることになる。つまり物語はペリーヌの心境よりもサクセスストーリーを重視したと言うことだろう。ペリーヌのビルフラン邸住み込みエピソードは、最初の夜のことまでほぼノーカットで展開することとなる。
 そしてビルフランにより工場の後継者争いが簡単に説明された後、ペリーヌがファブリに自分の正体を明かすところまでがこの作品の「中盤」といえる部分だろう。ペリーヌが「祖父を悲しませないために孫と名乗りでない」という決意を表明したところで、物語は終盤へと流れて行く。

・終盤…急ぎすぎで大損

 ここで待ってましたとばかりにフィリップが馬車に乗って登場、いよいよビルフランに「エドモンの死」を告げる。このシーンにはたっぷり時間が使われ、45話の後半はほぼそのまま使うという中盤での忙しさが嘘のような展開だ。そしてエドモンの葬儀もたっぷりと描かれ、ビルフランが悲しみのどん底にあることを視聴者に印象付けたところでペリーヌがビルフランに食事をするよう説得するあのシーンだ。ここでペリーヌが他人とは思えない感情でビルフランに接していることをビルフランが理解し、誰の目から見てもビルフランとペリーヌの信頼感が強まった事をしっかりと印象付けてから次へ行くのはとても印象的だ。
 だがこの間にビルフランが倒れることもなく、もうフランソワーズがビルフランを見舞い、目の不自由なビルフランが知ることのできない「オーレリィ」についての情報を語る。これにビルフランは反応するが…このシーンはここまで、ビルフランが慌ててセバスチャンを呼ぶシーンすらカット。こんな感じでこの辺りからとても忙しく、中途半端な編集になってくる。
 唐突にシーンは工場の社長室になり、何故かビルフランとテオドールがいてペリーヌがいないというところへタルエルが電報を持ってくる。そしてテオドールがその電報を読むシーンだが…正直、この総集編でこのシーンが挿入された理由がわからない。この前のテオドールの演説があれば理解出来るが、このシーンだけではテオドールが電報を読み上げるのは意味を成さないのだ。次のシーンでテオドールがもれなく付いてきたことに説得力を持たせるためなのだろうけど、それにしてもこのシーンは不要。ここへ来てだんだん粗が出てきたぞ。
 さらにフィリップが調査結果を持ち帰る直前のビルフランの様子が描かれるが、これも無くて良かっただろう。ビルフランが「オーレリィ」の正体を知るのを前に緊張している事は、ここまでやらなくても多くの視聴者が自然に理解出来ることだろう。ここの時間があれば、47話の再現(ビルフランとフィリップの会話など)に使った方が良かったのではないかと思う。
 そして満を持しての感動シーンだ。フィリップの「最後の調査」で「オーレリィ」と呼ばれる娘の正体が判明し、祖父と孫の感動の抱擁のノーカット再現は避けて通れないだろう。同時にこの直後シーンとしてテオドールが屋敷から出て行くシーンを選んだのは、このシーンにテオドールが来ていたことを忘れていないという面で良い処理だったと思う。
 だがここからはもう目が回るような忙しさだ。「シャモニー」のみんながペリーヌの正体を知って喜ぶシーンは、ファブリが合流して以降の後半部分だけが抜き出されてあっという間だったし、その後はもう「目の手術」へ向けて一直線どころかひとっ飛びという感じだ。ビルフランの「孫の顔が見たい」という思いを印象付けることもせず、唐突に手術を始めて唐突にペリーヌの顔が見られる段階になる。この二度目の感動シーンはその前でそれぞれの登場人物の「思い」をしっかりと引き立てず、本編では全く感じる事の無かった「白け」を感じてしまった。
 そしてビルフランはあっと言う間に目が完治し、パリカールがいつの間にかにビルフラン邸の馬車を牽いていることに何の説明も無いままラストシーンだ。もう何が何だが…つまり最後の方は急ぎすぎてしまい、語り漏らしがとても多いと感じた。

・まとめ
 結論を先に言ってしまえば、この劇場版がもし劇場で上映されていたとしても成功はしなかったと思う。確かに「ペリーヌ物語」の良いところを引き出してはいるが、テレビ放映版の「空気」の引き出しには失敗しているし、前述の通り終盤で急ぎすぎていくつか語り漏らしや物語の盛り込むのを忘れたまま感動シーンに持って行ったところがあり、特に「ビルフランの目」という二度目の感動シーンが白けてしまう(本編ではそうでなかったのに)という重大な欠陥を抱えてしまうことになった。つまり本編を見てからこの映画を見る人も、この映画でこの物語が初見だという人も、どちらも中途半端にしか感動を得られないという悲しい総集編になってしまったと思う。
 それでも序盤や中盤は、語りたい部分が何処にあるのかがハッキリしていたので視聴経験のある人は終盤に期待するだけに、そのがっかり度は高いと考えられる。終盤は「語りたいポイント」がハッキリせず、かつ二度ある感動シーンへ向けて物語を盛り上げることを怠り、エドモンの死がビルフランに伝わって以降の再現は見るに堪えないと言っても過言ではない。
 だが終盤展開も細かい部分ではとても上手く描かれていると思う。エドモンの死を知ったビルフランが病気で倒れるという設定を排除したのは斬新な試みで、かつ物語を分かり易くする方向に働いたと思う。ペリーヌの正体が判明する感動シーンの次が、テオドールの姿だったこともとても印象的だ。
 以上、批判点は多く「ペリーヌ物語」を新たに見たいという人にも、視聴経験者にダイジェストで見たいと言われても、この映画はとてもお勧め出来ない。この映画よりも最近に作られた「完結版」の方が、上映時間が20分少ない割には上手くまとまっていると感じるので、見たい人にはこちらを勧めるだろう。

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