「愛少女 ポリアンナ物語」完結版ついて

編集内容
 ・総集編形態…特定キャラクターによる回想形(第一部のみ)
 ・再現範囲…26話〜27話(26話の回想シーンを再編集して第1部を総集)・前半26話(1話)・後半26話〜27話(2話)
 ・オープニング「し・あ・わ・せカーニバル」(本編第1部と同じ) エンディング「愛になりたい」(本編第1部と同じ)
 ・ナレーション 藤田淑子(本編外の概要説明等) 羽鳥靖子(本編中)

「完結編」製作に当たっての設定変更点
 ・物語全編がポリアンナ視点からパレー視点に改変(だがポリアンナしか知らないはずのシーンも採用)。
 ・従ってポリアンナの父の死は描かれず、「前提条件」に変化。
 ・ポリアンナとペンデルトンの出会いは、ペンデルトンが森の岩の下で負傷した時とされる。
 ・「第1部」のみを総集し、「第2部」は全面カット。従ってカリウやジェミーやサディなどの第二部キャラの存在は無し。

内容の詳細
1話 (カット)
2話
3話
4話 ポリアンナとパレーの出会い ポリアンナに屋根裏部屋が与えられるシーンを26話相当シーンの回想として採用
5話 夕方のナンシーとポリアンナが帰宅するシーンを26話相当シーンの回想として採用
6話 朝のポリアンナがパレーに抱き付くシーンを26話相当シーンの回想として採用
7話 勉強の時間にポリアンナがパレーに母について語ろうとしたシーンを26話相当シーンの回想として採用
8話 (カット)
9話
10話 ポリアンナがパレーのところにジミーを連れてきたシーンを26話相当シーンの回想として採用
11話 ポリアンナが怪我をしたペンデルトンを発見したシーン ポリアンナがチルトンに電話を掛けたシーンを26話相当シーンの回想として採用
12話 (カット)
13話
14話
15話 ポリアンナがペンデルトンを見舞うシーン ポリアンナの正体を知ったペンデルトンがチルトンに抗議するシーンを26話相当シーンの回想として採用
16話 (カット)
17話
18話 ジミーの「城」が完成するシーン ジミーがペンデルトンに敷地内に「城」を作ったことを報告するシーンを26話相当シーンの回想として採用
19話 ほぼ全編を26話相当シーンの回想として採用
20話 ほぼ全編を26話相当シーンの回想として採用 ポリアンナ自動車事故シーンで26話シーンに戻ったところで前半終了
21話 後半開始後26話シーンを挟んでパレーがポリアンナの看病をするシーン 「恐ろしい宣告」シーンを26話相当シーンの回想として採用
22話 (カット)
23話 ほぼ全編を26話相当シーンの回想として採用
24話 チルトンがポリアンナの足が治る可能性をペンデルトンに語るシーン以降を26話相当シーンの回想として採用
25話 エームス博士がポリアンナの手術の成功可能性をパレーに語るシーン それに対しチルトンとパレーが語り合うシーン ポリアンナが手術を決意するシーンを26話相当シーンの回想として採用
26話 前半開始 手術中にパレーがポリアンナとの生活を思い出すシーンを改変することで本物語(第一部のみ)を総集 回想シーン途中で後半へ 手術後シーンでは博士が手術成功を告げるシーンを採用 ポリアンナが眠りから覚めるシーンはダイジェスト再現
27話 ジミーがチルトンに手紙を渡すシーン以降はほぼ採用 後半終了
28話 (第二部は全面カット)
29話
30話
31話
32話
33話
34話
35話
36話
37話
38話
39話
40話
41話
42話
43話
44話
45話
46話
47話
48話
49話
50話
51話

考察・感想
 「愛少女 ポリアンナ物語」は「世界名作劇場」シリーズの中では、前年の「小公女セーラ」と並ぶ中期の代表作であろう。主人公ポリアンナのあくまでも前向きな生き方と、それを描き出す道具である「よかった探し」は放映年である1986年の日曜夜を印象的に彩ってきたことは否定できない。この物語に救われた人も多いのではないかと思う。
 この物語の特徴は、本編では物語中盤を境に「第一部」「第二部」と明確に分けられてテーマは同じでも多少毛色の違う物語が演じられることだ。もちろん前後半合わせて90分ではそれを全て再現することは不可能なので、この完結版では潔く割り切って「第一部」のみの総集となった。
 その物語の再現を「主人公以外の主要登場人物の回想」というこれまた大胆な設定でまとめてきたのだ。

・前半…「いきなりそこか?」が第一印象

 あの賑やかしいオープニングテーマが終わると、出てくるのは病院。「ポリアンナの親父が死ぬときゃ病院なんぞ出なかったぞ…」と思うと、手術台の上にポリアンナが…「いきなりそこか?」と全編通しで見たことある人はツッコミを入れたはずだ。そして手術室の前で待つパレーが出てきて、物語がパレーの回想で進み始めると「そう来るか?」と思うわけである。勘のいい人はこの冒頭シーンを見ただけで、この「完結版」で再現されるのは「第一部」だけと理解することだろう。私もそうだった。
 そして最初はオリジナル26話の展開に沿って、パレーの回想として再編集されたポリアンナの活躍シーンと、手術室の前でうろうろするパレーが交互に出てくることになる。これはオリジナル26話が嫌いな人にはイライラする展開だろう。だが回想シーンとしての様相が変わってくるのはポリアンナとペンデルトンの出会いまで回想したところからだ。オリジナル26話にはパレーがこのシーンを思い出すことはないので、ちょっと回想設定であることを忘れそうになる。ここでポリアンナがはじめてチルトンの声を聞いたときのリアクションをノーカットで再現し、ポリアンナとチルトンの出会いこそが物語を牽引する運命的な出会いであることをキチンと視聴者に印象付けておく点は好印象だ。
 同時にペンデルトンがポリアンナの正体を知った反応も詳細に再現し、この物語特有の謎が多い展開という要素も忘れずに入れてくる。その中からペンデルトンがポリアンナに特別な心境を抱き、その過程でジミーをも巻き込んで話が広がって、結果としてポリアンナが交通事故に遭うまでの展開が前半となる。このポリアンナ・ペンデルトン・ジミー・チルトンで進む物語をじっくり時間を掛けて再現し、ポリアンナの第一部の屋台骨となる「謎解き展開」を上手く再現して行くのだ。
 そしてポリアンナが車にはねられ、大仰なBGMとジミーの叫びで前半がそのまま幕を閉じるのかと思ったら、ちゃんと最後に回想設定を思い出すよう手術室の前のパレーにシーンが戻ってから終わるのはとても好印象だ。ここは他で見た総集編などを振り返ると見落としがちな点で、結果展開に矛盾を生じやすくしてしまうポイントでもある。制作者側はちゃんとパレーの回想で物語が進んでいたことを忘れず、前半終了においてもパレーにシーンを戻してから終わる。ここでこの「回想設定」としての総集編作りは半分は成功したと言っていいだろう。

・後半…パレーの回想だけではないぞ
 後半は再びポリアンナの手術シーン、それに手術室の前のパレーの姿で幕を開く。この完結版は徹底的に「パレーによる回想」という設定を走り続ける。
 回想に戻るとパレーとナンシーがポリアンナの看病に全力を尽くすシーンを挟み、すぐに「恐ろしい宣告」のシーンとなる。パレーが倒れポリアンナが大泣きしたかと思うと、すぐペンデルトンが十何年かぶりにハリントン邸を訪れたシーンに変わる。ここでパレーの気持ちを持ち上げてから、今度はポリアンナが歩けなくなったと知った街の人々が大挙して見舞いに押しかけるシーンへと続き、ここでパレーが「よかった探し」の存在を知るという展開へ。そしてパレーがやっとポリアンナに心を開き、感動の抱擁シーンへ持って行く展開はオリジナル23話を上手くなぞっていて雰囲気が出ていると思う。
 このシーンに続くのはもうチルトンがペンデルトンに「(自分が診断すれば)ポリアンナの足は治る」と力説するシーンに飛ぶ。その会話をジミーが盗み聞きしてしまい、単身ハリントン邸に乗り込んでパレーを説得するシーンはカットされずにほぼ全面的に採用されている。ここは「ポリアンナの足が治る」という第一部最大の見せ場であり、多くの人々の印象に残っているストーリーでもあるだろう。そしてポリアンナが目をさますと目の前にチルトンがいるあの名場面となり、二人の絆が強く演じられる。
 文章にすると短いが、ここまででもう後半のほぼ半分を消化している。
 チルトンの診察シーンが済むともう唐突にボストンの病院でエームスの診察まで終わっている。エームスが「手術の成功確率は20%」と突き付け、これにまつわるパレーとチルトンの会話、そしてポリアンナの決意が描かれると…手術室の前のパレーにシーンが戻る。同時に手術が終了してポリアンナが手術室から出てきて、手術成功が告げられると物語は「回想設定」からやっと離れる。ポリアンナが目をさますシーンはダイジェスト再現となった。
 既に物語に結論が出たがまだ少し時間が残っている。ここでは「第一部」最終回の大団円をちゃんと描いた。ポリアンナが手紙でチルトンを呼び出し、パレーと二人きりになる時間を作るところから始まり、最後はポリアンナが歩いて感動の「第一部 完」でこの完結編は幕を閉じる。「第一部」という括りがあるにしても、本編の完結と同じ結末を取ったので非常にスッキリ終わった感がある。

・まとめ
 この完結版では「ポリアンナ物語」の前半である「第一部」を、本編26話を上手く使って「回想」という形で再現した。結果的に言えば本編のうちたった2話だけで27話分を総集したことになる。私は本編26話の考察で「前半は総集編と化していた」と語ったが、その通りになってしまった感がある。
 そしてこの「本編26話」という骨格に「回想シーン」として物語再現に必要なシーンを植え付けるという方針で、この「第一部」を上手く再現したと思う。このテンポがとても良く、またほぼ語り漏らしがないという上手い出来だ。
 ただ「回想設定」には賛否両論は出るだろう。やはりこの設定を崩さないために物語の途中で定期的に手術室前のパレーが出てくるのが、邪魔だと感じる人もあるかも知れない。ただ私は気にならなかった、なぜならそのタイミングが上手く考えられていたからである。ちゃんと「物語の切れ目」を狙っているのだから、気にならない人は気にならないだろう。これが物語の切れ目でないところでばーんとパレーが出てきたら、やっぱ私の評価も変わっていたと思う。
 最後は自然に「回想設定」から脱し、ちゃんとパレーとチルトンが結ばれるというオチでもって本編と同じように終わるのも好印象だ。これで何らかの形で本編には続きがあることを示唆していれば、この「完結版」からこの物語に入った人を引き込むことは可能だと思う。
 残念な要素を一つあげるとすれば、「よかった探し」を前面に出さなかったことだろう。「よかった探し」こそがこの物語の最大の印象点であり、当時ブームになった理由でもあったのだが…残念である。

・おまけ
 当完結版で描かれた「よかった」の回数は15回。ただ「ほぼ全編採用」の回でも、うま〜く「よかった」シーンだけカットされていたりするのは驚きで、「よかった」シーンの存在が総集編として重要な話を抜き出すに当たって邪魔なシーンであることが見てとれる。
 完結版反映範囲が本編26話(再編集)〜27話の2話でしかない点は、このシリーズの中で再現話が最も少ない方のトップで間違いないだろう。だが完結版冒頭シーンの話数(26話)については上には上がおり、「ペリーヌ物語」(本編27話…ペリーヌとロザリーの出会いから始まっている)や「わたしのアンネット」(本編39話…今後考察予定)の方がさらに遅いところから始まっている。本編で50話前後まで話数がある物語において、完結版ラストシーンの早さ(27話終了)ではトップであることは間違いない。

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