・32話感想
 エイミーのお仕置きに続いて何が言いたいのかよく分からないお話。あ、この話も間違いなく見逃してる。エイミーのお仕置きの話で呆れてから、視聴復活したのは次の回からだ。この話をリアルタイムで見ていたら…多分もう二度と「愛の若草物語」を見なかったかも知れない。

 高校生位になるとやっぱ物語の中身を求めるわけで、この話ではエイミーのお仕置きの回同様に何が言いたい物語なのか見えなくなってしまっている。ジョオがモテモテでめでたしめでたしってか…本放送時に見ていたらそんなの「世界名作劇場」じゃないと突っぱねたと思う。

 さらにこの回のマイナスポイントは、初視聴より先に原作を知っていたことだ。研究欄で語るが、ジョオが長い休暇と聞いててっきり原作の「経験」という章の話になると思っていたのに…この「経験」はクリスマスの芝居と並んで原作で最も面白いエピソードのひとつだと思っていたから、この回をアニメで見る直前にどれだけ楽しみにしていたか、まさかその面白い部分がバッサリとやられて「世界名作劇場」に似つかわしくない恋愛ストーリーになってしまっているとは、視聴が終わった今でも信じられず、正直愕然とした。

 この1話、無かった方が良かったと思う。前述の通り、この回を本放送時にリアルタイムで見ていたら私はこの回を見終えた瞬間に「世界名作劇場」との決別を決意していたと思う。本当に運が良かったな、「愛の若草物語」って。

・「経験」
 「若草物語」でもジョオが長期の休暇をもらえる話がある。同時にメグの家庭教師もキング家が避暑に行ってしまうため3ヶ月も休みとなり、姉妹全員で暇をもてあますという物語となる。ちなみに原作では「思い切り朝寝坊をしてのんびり過ごし、気の済むまで楽しむつもり。」というのはジョオではなくメグがやろうとしていたことで、ジョオは早起きして本をたくさん読むと決意する。これを聞いたエイミーは自分の姉たちのように勉強しないでのんびりしたいとただをこね、ベスも人形の世話などのために家事手伝いを休みたいと訴える。これに母が「試しに一週間のんびり過ごしてみなさい」と答え、姉妹全員が勉強も家事手伝いもしないで一週間だらだらと過ごす展開となるのだ。

 姉妹はこの一週間遊ぶだけ遊び、だらだらと何もしない生活を過ごした。その間、母とハンナは娘達がサボっている分の家事も見事にこなし、家の中のことを円滑となるように見えない場所で努力していたのである。じきにメグは縫い物が上手くいかなくなり、ジョオは本を読みすぎて頭が痛くなり、ベスはやることがなくなってつい家事を手伝ってしまうが姉妹の周囲が散らかっているのが嫌になって人形に当たるようになり、エイミーは姉たちが自分の相手をしてくれないので心から退屈した。そして皆、一日を非常に長く感じるのだった。

 そして約束の一週間を迎えたその日、メアリーはハンナに1日休暇をやり、メアリー本人も仮病を使って寝込んでしまうのであった。朝起きても朝食が出来ていないことを不満に思った娘達だが、事情を聞いて張り切って働き出す。まずはジョオが母に朝食を作るが、どれもこれも失敗だらけでとても食べられる代物ではない。それでも母は喜んで受け取り、隠しておいた朝食をこっそり食べると娘達の朝食を食べたように装うのである。

 さらにジョオはローリーを昼食に招待しようと言い出す。これを母に相談すると母は許可を与えるが、母は「今日は本を読んだり友達とお話ししたり好きなことをして過ごします」と宣言する。その間にベスの泣き声が聞こえるのでどうしたかと思うと、ベスが世話をしていたカナリアが餓死していたと言うのだ。この一週間の堕落した生活で餌をやることを忘れていたのだという。

 こんな状況で大きな失敗を何度も繰り返しながら食事の準備をするジョオを始めとする姉妹の動きは本当に笑えるのだ。出来上がった物は茹ですぎて首がもげたり生ゆでだったりと不揃いのアスパラガス、真っ黒焦げのパン、殻を剥いたら殆ど身が無くなってしまったエビ、ぶつぶつのプディング…ローリーに出すと一皿ごとにちょっと味わっただけで料理がそのまま残されて行く。デザートのイチゴは平らげてくれたが…そのイチゴを食べたエイミーは急にむせかえり洗面台へと消える、イチゴのクリームが腐っていた上に砂糖と塩を間違えていたという。

 このような読んでいる方にとっては楽しい事件が続いた後、カナリアの葬式を挟んで母の説教となる。母が「もう一週間のんびり過ごしますか?」と聞くと姉妹は「もう結構」と答える。そして姉妹は一人一人には役割があり、その役割をキチンとこなすことで日常生活が動いてゆくことを教訓とし、堕落した生活の無意味さを知り、これからは時間があれば新しいことを覚えて行くと誓うのである。

 アニメではこの教訓となるべき部分がすっぽり抜けてしまっているのである。楽しいシーンとなるジョオの料理シーンだけでなく、姉妹にとって重要な教訓を得るシーンや、母やハンナが休んでしまっているところで下手なら下手なりに一致団結する姉妹の姿も描かれていない。アニメは冒頭の「ジョオが休暇を取った」というシーンだけを借りて全く違う物語になってしまったのである。ジョオとローリーとアンソニーの三角関係なんて…もうそれは「若草物語」ではない。こんな中途半端な話にする位なら完全に別の話にして欲しかった。

 私はオリジナルストーリーは否定しない。ただそれが原作の本筋から大きく離れてしまった場合はどうかと思うだけである。「愛の若草物語」の第34話はオリジナルストーリーの中でもやり玉に挙げられることが多いようだが、これは第34話の研究でも語るがまだ「若草物語」の枠からは外れていないような気がする。考えようによってはエイミーがジョオを姉として頼りにしているという内容にも取れ、姉妹が力を合わせて面白可笑しく過ごして行くこの物語のテーマには合っていると私は思うのだ。

 だがこの第32話はダメだ、「若草物語」はジョオを巡る恋愛物語などはどうでもよい筈なのだ(かと言って全くないのがいいわけでもなく背景としてついでに描かれる程度には必要と思う)。そこに主題を持ってくるように物語を改編してしまった制作側は本当に「若草物語」を理解しているのかと思う。ま、当時の流行やテレビ局の意向もあるだろうから一概に批判できないのは確かだろうけど、それで原作と主題が変わってしまうのならばもう「若草物語」を名乗るべきではないと思う。

 原作が面白い話で期待していただけに、この回を見た落胆は本当に大きい。原作を知らなくても言いたいことが分からずに愕然としたはずだというのは前述の通り。本当に本放送時にこの回を見逃してて良かったと、今回見て心から感じた。

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