私が「世界名作劇場」から離れた理由というわけではないが…
「若草の招待状」におけるアイドル論

 この曲がオープニングテーマから下ろされた理由は、やはり問題は歌っている人だろう。歌うのは当時おニャン子クラブのメンバーとして大人気だった新田恵利、アイドルとしては1980年代後半のアイドルを代表する存在で、アイドルそのものが美女から「クラスメイトにいそうな感じ」という路線へ転換するきっかけとなった人物と言っても過言ではないだろう。だがこの人の最大の欠点は「歌唱力」だった。あの和田アキ子が彼女の歌を聴いて「テレビが壊れたかと思った」とコメントしたというエピソードは有名である。
 確かに当時、私も彼女の歌を聴いて「…」だったし、私が一時期所属していた軽音部では「ボーカルの反面教師」として最初に名前が挙がるほどだった。現在聞き直してみても決して上手だと思わないが、1990年中期〜後期にかけて出てきたアイドルなのか歌手なのかハッキリしない歌い手さん達と比較すれば、まだ聴ける方だと思うようになった。エコー以外では声のごまかしをしていないと言う点では評価できると思う(まぁ90年代は機械に歌わせているとしか思えないのが多かったから…)。
 「愛の若草物語」のオープニングで不評だった理由も歌そのものではなく、歌っている人の歌唱力だろう。私はおニャン子の時代から思っていたことだが、テレビ局がアイドルを売り込むのになんで歌を無理矢理にでも歌わせるのかというのが疑問だった。特におニャン子みたいな素人をアイドルとして使うシステムが出来てからこの疑問は拡大するばかりである。無論、歌が苦手な人だっているだろう、そのような人たちに本格的なレッスンも付けず歌を歌わせるだけでなく、その歌を無理矢理ドラマやアニメの主題歌として起用するという方針には疑問を呈さずにはいられない。歌わせるのが目的でアイドルにさせるのならば、歌うのが得意な人を選べばいいはずだ。この結果が新田恵利というアイドルに「音痴」のレッテルが貼られ、アニメ主題歌も途中で降板させられるという「悲劇」となったのだ(本人がどう思っているかは知らないが)。この悲劇は歌が得意でない人に無理矢理歌わせたか、歌唱力不足を本人に指摘せず止めなかったかが原因で、このアイドルの周囲にいた人に罪があると考えている。

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