御巣鷹の尾根2013
2013年9月28日、慰霊登山してきました。今年は開山前の土砂崩壊で登山口までの道路が通行止めになり、お盆の一週間に仮復旧した以外は9月中旬まで登山出来なかったようです。 道路が復旧したとの情報を得た私は、早速慰霊登山を計画しました。このところの北海道の鉄道で続くトラブルを見て、私は「行かなきゃ」と思っていたからです。それだけでなく、今回は県境の稜線まで登ってみました。 該当の鉄道会社の人達も、ここを訪れて気を引き締め直して欲しいものです。 |
今回の登山ルートのGPSデータを「Google Earth」に落としてみた、「御巣鷹の尾根」のさらに上まで登っているのがお分かり頂けるだろう。
中央左の行程が二手に分かれているところが、123便墜落現場一帯で、その左端の突端が「昇魂之碑」の広場となります。
10時頃に登山開始、駐車場には観光バスが1台いて、登山中は多くの軽装の方達とすれ違った。後で尾根の管理人の方に聞いたら、三菱重工で飛行機設計をしている人達だったそうだ。 この登山道は上りはキツイが、いつ来てもこの沢の流れに癒される。 |
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沢沿いのコースが終わり、尾根への急登に差し掛かる。 事故で愛する人を亡くした方々は、ここをどんな思いで登るのだろう? |
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「昇魂之碑」まで登山口から25分で到着。 ここで尾根の管理人の方と二言三言話をしてから、今回はさらに上を目指す。 |
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機体最前部が激突したといわれる「×岩」。 今日はこの裏にあるコックピットクルーの石碑をも通り越す。 |
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激しい登り坂、道なんか無くて木にくくりつけられたピンクのリボンを伝って登る。 40分の悪戦苦闘の末、私はついに群馬・長野県境の稜線に立った。 |
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稜線には「60年日航機遭難地慰霊登山道」の道標が立つ。 だがそこは登山道というより、リボンを伝って続く「踏み跡」程度のものだ。 「三川」というのは、長野県側の登山口。ここから「御巣鷹の尾根」を目指しても良いかな? |
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これがその稜線に続く「慰霊登山道」。道というには頼りない「踏み跡」。 だが人が定期的に入っている事は確かであることも、歩いていて解る。 途中に「日航ノ頭」というピークもあったはずだが、往復ともよくわからないうちに通過してしまったらしい。 |
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そして行き着いた所は、大蛇倉山(1962メートル)の山頂。 | |
山頂を通り越し、少し降りたところの岩場が絶景ポイントだ。 上野村方向に目をやると、さっき愛車で通過してきた上野ダムが水を湛えているのが見える。 ダムと送電鉄塔以外に人工物が見あたらない、とても寂しい光景である。 こんな見渡す限り人工物が見えない場所なんて、日本では他に何処があるだろう? こんな寂しくて不便な場所に、123便が墜落したのだ。 |
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同じ岩場から今度は長野県方向を見る。 すぐ足下には南相木ダムがある。このダムの堰堤は日本一標高が高いのだとか。 上野ダムと南相木ダムは水路で結ばれており、実は両者のダムの水は同じもの。 南相木ダムは上野ダムの上部貯水池として機能し、「揚水発電」を行っているのだ。 その発電施設は、6年前に上野村を訪れた際に見学した。 ダムの話ばかりになってしまったが、背景には雄大な八ヶ岳。 そしてこちら側には、僅かであるが人里も確認することが出来る。 |
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大蛇倉山からの帰り道、「御巣鷹の尾根」へ下る道との分岐近く。 ここにある小ピークでこの日の昼食とした。その昼食場所からの帰路を眺める。 この周囲何メートルに人がいないのだろう、と考えたら少し心細くなった。 近くにはまだ新しい鹿の糞もあり、本来は動物たちの世界なのだろう。 ちなみに、鹿のものとは違う真新しい糞も見つけていて、ぞっとしたことはここだけの話。 |
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県境稜線から「御巣鷹の尾根」への下りも、ピンクのリボンを頼りに悪戦苦闘の連続。 その道無き道の様子を1枚も撮影していないことが、その悪戦苦闘の何よりの証拠。 どれくらい下っただろうか、やがて木々の合間に向かいの尾根の「U字溝」が見えてきた。 123便が右主翼を激しく接触させた場所で、その痕跡は事故から28年を経ても消えていない。 |
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クルーの石碑の脇を通り抜け、「×岩」に戻って来た。 足はガクガク、身体は汗まみれ。下りとはいえ体力を使った。 到着時刻、12時50分。 昇魂之碑を出発したのが10時40分頃だから、2時間ほどで往復してきたことになる。 途中、昼食に掛けた時間は15分ほど。 |
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「昇魂之碑」まで降りてきた。 実は左側にある鐘の音が、県境稜線まで聞こえていた。 |
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「昇魂之碑」に戻って程なく、迷彩服を着た自衛隊の方々が尾根へ登ってきた。 そして碑に花を捧げ、一同黙祷。 この人達には見覚えがあった。 上野村から登山口を目指す愛車での道中、上野ダム付近で追い越した自衛隊員一行だ。 上野村の人里からここまで徒歩で来たようだ。 |
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520の御霊に黙祷を捧げる自衛隊員達。 彼らは陸上自衛隊のヘリ操縦士の卵だそうだ。 ここで見たこと、感じた事をヘリの操縦に行かして欲しい。 私もこの人達に続き、碑に向かって手を合わせた。 「鉄道に携わる者を代表して、北海道での不祥事をお詫び申し上げます」 「あのようなことを繰り返さぬよう、鉄道に携わる者の一人として努力します」 再度いうが、北海道の鉄道の人達はここに来て初心に立ち返って欲しい。 |
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「昇魂之碑」からスゲノ沢までは、往路とは違うルートで下山。 こちらには123便乗客の墓標が数えられないほどある。 他の登山者が「違ったルートで沢まで降りれないのか?」と聞いてきたので、こちらを案内した。 歌手の坂本九さん、生まれて初めての一人旅で事故に遭遇した少年、家族に遺書を通じて最後の想いを届けた人、乗客のために頑張った客室乗務員達…本当に多くの人々の墓標がある。 この景色は、私がここから見る一番好きな景色。この景色の雄大さは写真で再現するのは難しい。 そして14時、私は登山口の駐車場に無事帰還した。 |
…私にとって5回目の「御巣鷹の尾根」慰霊登山となりましたが、こんな感じでした。
また行きたいなぁと思います。今度は県境稜線に載ったら反対方向に歩き、高天原山に登ってみたいですね。
でも、県境稜線に乗るまでのあの悪戦苦闘は…ちょっとなぁ…。
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