御巣鷹の尾根2014
〜日航機墜落という巨大事故と、御嶽山噴火災害について考えた〜

 山歩きで一番キツいのは、お昼の前の15分間だと思うのが私の持論である。
 山頂へ向けての最後の上りは決まってキツく、これに昼食時を目前とした空腹とふくらはぎに溜まる疲労が重なる。この日もそれと戦いながら、この日の山歩きで到達する最高峰を目指していた。この時ばかりは「もう二度と登るもんか」とも考えてしまうこともある。
 周囲はあまり人の手が入っていない原生林の部分では、標高を上げるにつれて少しずつ紅葉の色づきが多くなって行くのが解る。その中に続く頼りない山道、頼りは数十メートルおきに私に向かう先を示してくれるピンクのリボンだけだ。このピンクのリボンに何度救われたか…途中、完全に道がシダ植物に埋まっていてリボンがなければ道を見失うところもあった。
 やがて頼りない道の先が明るくなってくる。あそこが山頂だ…とはやる気持ちを抑えて一歩ずつ着実に登ってゆく。勾配が緩んで明るい場所に出た、三角点を示す石柱が立っている…そんなに広くないが山頂だ。
 時計は正午を50秒ばかり過ぎていることを示していたことをハッキリ覚えている。今日は何処までも雲一つない青空が広がり気持ちよい、すぐ頭上には紅葉が始まった葉が彩りを添える。遠くを見れば八ヶ岳から甲斐駒ヶ岳にかけての山々が見える。下に目線を移せば、美しい信州の農村が山間に点在しているのが見える。緑と青が織りなす美しい風景に、空腹も忘れて見入っていた。この自然がくれた「有情」を享受し、「キツかったけど登ってきて良かった」と思うひとときを過ごしていた。

…だが、私がこんな感慨に浸っていたまさにその時、この遠くに見える山をいくつか越えた同じ長野県の反対側の端にある山で、私と同じように山を歩き自然からの「有情」である秋山の風景を愛でていた人々が、「自然」から「非情」を突きつけられ地獄のような光景を目にしていることや、それによって多くの生命が失われているなんて夢にも思わなかった。

 私が今年、「御巣鷹の尾根」慰霊登山を兼ねて周囲の最高峰「高天原山」にアタックし山頂に到着したのは、長野・岐阜県境の名峰である御嶽山が噴火し、私と同じように山歩きをしていた人たちが地獄を見ていた2014年9月27日12時、まさにその時であった。


 今回の登山ルートのGPSデータを「Google Earth」に落としてみた。去年は県境稜線を右折したが、今回は左折した。
 目指したのは「御巣鷹の尾根」付近の最高峰、「高天原山」である。

10時10分頃に入山、今年もこのすげの沢のささやきに癒やされながらの登山になる。今年2回目の秋山登山のせいなのか、それとも道がキツいからなのか、登り初めて少しで息が切れた。
今年も駐車場には観光バスが1台、登山中にその客と思われる軽装の団体とすれ違う。この人たちは去年も会った、管理人に聞いたらやはり三菱の航空機設計者達だった。
沢に沿ってしばらく登ると山小屋が見え、そこから尾根斜面を登ると
日本航空123便墜落現場である「御巣鷹の尾根」に到着する。
到着時刻は10時45分、碑の前には中高年登山者の一団がいた。
その人達を背景に手を合わせる。
今年、この日を選んだのは国内の交通機関史上最悪の事故である
洞爺丸事故60年の翌朝だからという理由だ。
その節目の年に、隣国の韓国では悲惨なフェリーの沈没事故が起きている。
日航機事故犠牲者の冥福と、交通機関の安全を祈って手を合わせた。

今年、安全の鈴の短冊を見たらJR東日本の社員による書き込みが目立った。
碑の上部にある小屋にも、JR東日本労組が捧げていった花輪が残っていた。
ここで出来た出来事を、無言で伝える石碑。
今夏は30周年を前に、この事故の検証番組が放映されたりもした。
その内容の原因追及部分には「?」と思うところは多いが、陰謀論をハッキリと一蹴してくれた点は評価したい。
また、生存者の一人による詳細な証言による再現映像は目を見張るものがあった。

ここで山の管理人に会い、高天原まで問題なく登れることを確認する。
この管理人の方、私の顔を見て「以前も来ましたよね?」と。
最近は2010年、2013年、2014年と来ているが、全て管理人さんと会って話を聞いているからなぁ。
機体が衝突した「×岩」を過ぎ、その裏のコックピットクルーの石碑に手を合わせる。
これを超えしばらく行くと、123便事故関連の痕跡はなくなりこのような道しるべが現れる。
その先には急坂で尾根を登る細い山道があることは、この写真でおわかり頂けるだろう。

いよいよ本格的な山道の始まりである。時に11時ジャストだ。
去年来たときに「もう来ねえぞ」と思った急登だが、やっぱり今年も来て難儀している。
壁のような斜面、見上げるところにある目印のリボン、全てが恨めしく見える。
でも好きで来ているんだから文句は言えない。
この急登に難儀していると、やがて木々の向こうに空の青が見えてくる。
123便事故エリアを出発して30分、今年も私はこの県境稜線に立った。
ここで去年とは逆方向に曲がる。
県境稜線を左折してしばらくで、岩場の上から進行方向の景色が開ける場所を発見。
写真中央の最も高い部分が、今回目指す高天原山である。
この写真ではわかりにくいが、広葉樹が生えている場所はもう色づき始めている。
稜線付近の景色だが、広葉樹主体の原生林と人の手が掛かっている杉林の繰り返し。
道はほぼ一貫して稜線の長野県側につけられている。
さて、道は何処でしょう?
こんな風にシダ植物に覆われて道筋がハッキリ見えない箇所が何ヶ所かあった。
リボンの目印がなかったら、この区間を見たら引き返しを決意したと思う。
そして本ページの冒頭に書いたように、12時に標高1978メートルの山頂に到着。
そこに書かれていた山の名前は、「高天原山」ではなく「蟻ケ峰」という別名であった。

その頃、長野県の反対側の端っこの御嶽山が噴火していたなんて…。
ラジオなどはつけていないし、下山後の帰宅の愛車でもラジオをつけなかった。
その報せを聞いたのは、無事帰宅してテレビのスイッチを入れた時だ。
木々の隙間から周囲の風景を見る、足下に信州の山村が広がる。
ここは長野県川上村梓山という地域で、墜落直前の123便目撃情報があった場所だ。
背景の大きな山は三宝山、その裏側には甲武信岳が控えているはずだ。
遠景に目を移すと、八ヶ岳から甲斐駒ヶ岳にかけての山々が見える。
本当に空がきれいで、色づき始めた紅葉とのコントラストが素晴らしかった。
ここで昼食の後、すぐに帰途につく。
穏やかだが道がわかりにくい県境稜線の道では、一度道をロストしてしまったが、
GPSのおかげで逸脱にすぐ気付いて事なきを得た。
ネット上には高天原山からの下山中に道を間違えて「御巣鷹の尾根」に戻ってこられず、
誤って長野県側の人里まで下山してしまった人の記録があったので慎重であった。

13時05分に無事に「御巣鷹の尾根」の「×岩」まで戻った。
県境稜線からここまで降りてくる間に、高天原山を目指す若い男性3人組とすれ違った。
その下りは登りよりも難しく、今回は転倒もしてしまった(痛いだけで済んだけど)。
「御巣鷹の尾根」から南側の谷間を見る。奥の山の左側に事故機が接触した「U字溝」がある。
高天原から「御巣鷹の尾根」に降りてきたとき、石碑の周囲には人の姿はなく静かな山のたたずまいを見せていた。
「御巣鷹の尾根」に立つと必ずこの風景を見る。
何処までも続く緑の山々、それもいま自分がいるレベルと殆ど変わらない高さだ。
そして人工物は事故にも見当たらず、この景色を見るたびに犠牲者の「孤独」を感じる。
そして下山、この下山路では何人かの登山者を追い越すかたちに。
すげの沢のささやきを聞きながらの下山では、いつも後ろ髪を引かれる思いをする。
そして13時55分、駐車場に到着して今日の山歩きは終了した。

…今年の「御巣鷹の尾根」慰霊登山、この9月27日という日程を選んだのは、天候や季節的なものもあったが、何よりも前述したとおり前日の9月26日が日本最悪の海難事故であった洞爺丸事故の60周年の日であったことだ。函館の七重浜まで出向くのは資金的に無理と言うことで、今年の「慰霊登山」をこの日に選ぶことで船舶や航空機や鉄道の安全を願うという趣旨の「慰霊登山」としたのだ。

 だがその思いで登っていたその日に、御嶽山が山頂に多くの登山者がいる中で噴火するという大災害が起きてしまった。事態は火山噴火による大量遭難へと発展し、火山災害としては戦後最悪の負傷者や犠牲者を出してしまった。
 その負傷者や犠牲者は、この日の「御巣鷹の尾根」から奥へ入った私と同じように、紅葉などの景色を眺めることで山の自然を愛でていた「自然からの有情」を享受していた人たちである。同じ時間に私と同じ事をしている人たちが、まさにリアルタイムで大災害に巻き込まれてしまったことに今回は「他人事ではない」と心を痛めた。

 またその日、私が行った山の中の「御巣鷹の尾根」は過去に「航空機墜落」という多くの人の死があった現場である。自分がそのような場所にいるときにこのような大災害が起きていた偶然。これは私にこれまでの山歩きのスタイルを考え直させるきっかけとなっている。持ち物や装備が万全かだけでなく、遭難した場合の連絡法、今回のような災害に巻き込まれた場合の対処法…何よりも普段の山行きは、一人暮らしが基本である私は特に誰に何処へ行くと告げて出かけているわけではないことが問題のように感じてきた。たとえばもし、私がこの日行ったのが高天原ではなく御嶽山であったら…運良く怪我もせずに帰ってこられれば良い、だけでもし大怪我して意識がなくなったり、最悪死んでしまった場合は…誰も私がそんな目に遭っているとは思わないだろう。会社は突然の無断欠勤で騒ぎになっても私がそんな目に遭っているとは思わないだろうし、地元の自治会も集まりの日に私が来なくて探すことだろう。時が経てば実家の家族が用があって連絡してきたら、やっぱり連絡が付かなくて困るだろう。
 そのような「危機管理」を自分が全く考えていなかったことが、今回の災害を通じて見えてきたのだ。

 今回の御嶽山噴火は、私がこのサイトでもよく言っている「自然の非情」というものをまざまざと見せつけられたかたちとなった。
 高山地帯では秋の紅葉が最もきれいで人気があるシーズンでただでさえ登山者が増えている日の、昼食時という山頂付近に最も人が集まる時刻、そんな最悪のタイミングを狙って前兆もなしに火山が噴火というのは、「登山」という趣味の上で考えられるまさに最悪のシナリオだ。
 私は山歩きをするようになってからまだ活火山には挑んでいないが、もし活火山に登るならその山の火山情報を見ておくくらいの事は考えていた。火山の噴火というのはある程度予知が可能なものだという思い込みがあって、噴火の危険があるときは警報や入山規制があると思っていたからだ。テレビで噴火のニュースを最初に見たとき、噴火して噴煙が上がっているすぐ目の前を多くの登山者達が逃げ回っている光景を見て「何で?」と思ったものだ。
 つまり、今回のように前兆のない噴火なんて私自身想定していなかった。自然相手にはなにが起きるか解らない、今回の災害はそれを我々に突きつけてきたのである。

 私がサイトなどで繰り返し言っている事だが、人は「自然」から受けるものは常に「有情」と「非情」である。今回の山行きで私は、山が見せる秋の風景などの「有情」を楽しんでいたが、同じ時間にそれほど遠くない山で「自然」から「非情」を突きつけられた人がいる。この差は「訪れた山が違った」だけのことであり、状況が違えば私が向こうで「非情」を受けていたかも知れない紙一重のものだったと思っている。だから今回の災害は他人事だと思うことが出来ない。
 この災害から学べることは何だろう、と今はそればかりを考えている。そしてその答えを、私がその時いた山である「御巣鷹の尾根」に眠る御霊に報告するためにまたこの山に登らねばならない。そう感じている。

 最後に、今回訪れた「御巣鷹の尾根」に眠る御霊の冥福と、60年前に洞爺丸事故で七重浜に沈んだ多くの人々のご冥福を改めて祈ると共に、今回の御嶽山噴火災害で犠牲になられた方のご冥福と、怪我をされた方の一日も早い回復を心から祈っています。


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