「思ったこと」特別編
愛車乗り換えの話 |
最初で最後、愛車の世代交代の写真
右・先代の愛車、ワゴンRワイド
左・新しい愛車、モビリオ
2.最後の旅〜納車編
3月末に新車「モビリオ」を契約してからの2ヶ月は前の愛車「あ〜るくん」との最後の日々となった。
5月の大型連休には青森方面の旅行を企画しており、はからずともこの旅行は「あ〜るくん」最後の遠方への旅となった。行程は5月1日夜に我が家を出発し東北道を北上、途中で車中泊を入れながら翌朝に青森インターを降り、5月2日は竜飛岬や十三湖など津軽半島を回って金木温泉に宿泊。3日は十和田湖から八幡平を回って山形へ向かって天童で宿泊、4日は山形から米沢を経て会津若松へ抜け、会津西街道で日光へてからから金精峠経由で群馬県方面へ、それから帰京という行程であった。
最初は「あ〜るくん」にとってもっとも過酷な行程と言っても過言ではなかった。数時間の休憩を挟むだけで高速道路を連続700キロも走ったのはもちろん始めてで、ここ一年ほどは高速走行時の振動が大きくなっているのに不安を感じていたため心配もあったが、大きな難もなく何とか東北自動車道全線を走りきった。途中の休憩は那須高原サービスエリアの20分、岩手山サービスエリアで車中泊を含め4時間。2日朝9時には東北道終点青森インターに着いてJR青森駅前を通り抜けて海辺にクルマを置き、かつての青函連絡船「八甲田丸」を眺めた。「あ〜るくん」にとって2度目の青森である。
続いて津軽半島東海岸を北上、下北半島を間近に望む平舘からは郵便局を巡りながらの旅となった。この日は朝から快晴、車窓の津軽海峡は鏡のように穏やかであった。
三厩からは国道を逸れて鉄建公団が青函トンネル建設のために造った道路、現在の「あじさいロード」へと進路を取り、午前11時頃には竜飛岬に到着した。前回大雨で訪れることが出来なかった青函トンネル殉職者慰霊碑、竜飛岬灯台と付近の展望台、通称「階段国道」こと国道339号線末端部、漁港付近の散策など竜飛岬観光はほぼフルコースで回った。娘が郵便局の鉢植えを倒してしまうというアクシデントはあったが。
続いて通称「竜泊ライン」を津軽半島西側の小泊に向けて南下、前回来たときは霧で何も見えずここの絶景を楽しむことが出来なかった。ここから見る景色はとても文章では表せない。新緑に包まれた緑一色の山々、そして鏡のように穏やかな海。もっと近い場所なら病みつきになったであろう。
小泊から集落にある郵便局に立ち寄りながらさらに南下。十三湖まで下った。何処までも続く緑一色の絨毯のような津軽平野に続く一直線の道路、湖を一周しているうちにいつしか日が傾き、やがて雄大な景色の中に真っ赤な日が沈んだ。
翌日は金木からさらに津軽半島を南下。朝9時半頃に浪岡の町を通過すると東に進路を変えた。まずは八甲田山を越えて奥入瀬を目指す。標高が800メートルを超えるととたんに1メートルほどの雪の壁に囲まれ、あたりはまだスキーを楽しみたい人々のクルマでたちまち大混雑になった。雪の壁の中を標高1000メートルあまりの峠を越えて一路奥入瀬渓谷へ向けて高度を下げて行く。標高800メートルを着るととたんに雪の壁が消えた。
坂を下りきったところから十和田湖方面の標識に従って愛車を進めた。すると車窓には鬱蒼とした森の中に流れる渓谷が見えた。奥入瀬である。この渓谷も文章にしつくせないほどきれいな光景で、「車窓から眺めればいいや」という軽い気持ちで計画を立てた自分を恨む結果に。景色を眺めながら「ここへは絶対にもう一度来よう、次は1日取ってキチンと歩いて眺めよう」と決意。その決意を確固とするために車窓風景の写真は一枚も残さないことにした。
やがて流れが緩やかになったかと思うと目の前に湖が広がった、十和田湖である。湖を周回する道路に入って途中何カ所かで車を止めて湖の写真を残した。とにかく山が深くてなんか神秘的なものを感じる湖であった。発荷峠で十和田湖と分かれて国道を鹿角へ向けて降りていった。鹿角市内のコンビニで弁当を買い込んで昼食。さらに秋田県との県境を目指して南下、田沢湖へ抜ける国道へと進路を取った。八幡平の景色はもうすっかり春という感じであり、新緑がまばゆいくらいの景色であった。温泉地が近いところでは少し渋滞したが、難なく田沢湖まで下ってここからは単純に帰り道となった。
途中十三湖付近で撮影した最後の勇姿 |
広大な津軽平野の夕日と「あ〜るくん」 |
さて、旅から帰ってきたら「あ〜るくん」での用は仕事での荷物運搬が二度と、近所への買い物程度となった。買い換え・引退が目前に迫った「あ〜るくん」はどんな気持ちでこれらの用をこなしていたのだろう。
それとは別に新車の準備も進んでいた。納車日も5月25日と決まり、自動車保険などの手続きも進んでいた。さらに新車に積み込む用品のうち、自分で用意して取り付ける方位・気圧・高度計だけは5月11日に先行して到着した。準備が進むに連れ、新車が来るという期待と今までの愛車を手放す辛さがつのり、複雑な心境になってきた。
5月24日、休日出勤の振替休日を取った私は、最後の洗車と「あ〜るくん」最後のドライブに出かけた。仕事で何度も走った山梨県方面を主に走り、最後は塩山からホームグラウンドとも言える青梅街道で帰ってきた。「あ〜るくん」で何度も走った柳沢峠のコーナーをひとつ、またひとつと確かめるようにハンドルを切って通り過ぎた。春の穏やかな天気の日、梅雨の大雨の日、秋の紅葉が美しかった日の峠越え、積雪にハンドルを取られてヘアピンでスリップしたあの日、ひとつひとつを思い出しながらの「あ〜るくん」最後の柳沢越えは本当に穏やかな初夏の峠道だった。家に帰ってから車内に積んであるものの片付け、自分で装備したものの撤去などをしたときは少し悲しかったね。
5月25日朝、忘れ物を取りに一度会社へ行った。これが「あ〜るくん」最後の運用となった。会社から家に帰らずそのままホンダのディーラへクルマを走らせ(途中で何故か曲がり角をひとつ見落としてディーラを通過してしまった…「あ〜るくん」最後の反抗か?)、午前11時頃にディーラの駐車場に「あ〜るくん」を入れた。このクルマのハンドルを握る最後であった。
ディーラの担当者は私のワゴンRを見ると、裏の整備工場からマスカットシルバーのきれいなモビリオを出して「あ〜るくん」の隣に停めた。私はモビリオが注文通りであること、傷など外観上の不具合がないことを確認、異常がないと認めたところで担当者が私にモビリオの鍵を渡した。この瞬間が私の愛車が変わった瞬間でもある。
担当者から説明を聞き、今後の点検などのスケジュールの説明の後にいよいよモビリオを持ち帰ることになった。鍵を開けてまだビニールシートがかぶったままの座席に座り、エンジンに火を入れた。シフトレバーを動かして軽くアクセルを踏んだ、感じは悪くない。ただハンドルの具合に慣れていないので駐車場の出し入れで暫くはとまどうことだろう。早速入れ替わりにディーラ駐車場に入ってきたステップワゴンと接触しかかった。何とか出口に向かう通路に入った。最後に振り返ってまだ駐車場に止まっている「あ〜るくん」を振り返った。「いい人に引き取ってもらうんだよ」最後に声をかけた。
一度モビリオを家に持ち帰り、座席にかぶせてあるビニールシートを剥ぎ取って本格的に使用できるようにした。続いて説明書片手にカーナビの使用方法を調べるのに四苦八苦、なんとか最小限の使い方を30分でマスターした。ま、カーナビはレンタカーで使ったことがあったから基本操作法さえ分かれば問題はなかったが。
午後になってモビリオを駐車場から出した。試運転として少し走らせてみることにしたのだ。これをしないとこのクルマの性能がどれほどなのか分からない。「あ〜るくん」の時もそうだったが、試運転の道路に奥多摩周遊道路を選んでいる。ここへの往復では一般道のドライブのほぼ全ての要素が揃っているからである。走らせてみた結果、予想通り性能的には「あ〜るくん」の少し上が出るように感じた。回転半径が大きくなったことが不安だったが、途中何度か立ち寄ったコンビニやビューポイントの駐車場の車庫入れでは全く難がなかった。エアコンは効きすぎて寒いくらいで、窓が大きいことによる車内の温度上昇はあまり心配しなくていいようだ。マイナス点はエンジンブレーキの効き方にムラがあり、赤信号での減速がガックンガックンしてしまうことか。これは運転方法を研究して行くことで解決することが出来そうだ。
これから新しい新車、モビリオとこれからどんな旅をするのか。今は期待が大きい。
また「あ〜るくん」のように私の手足となってくれるように大事に乗りたいと思う。
ホンダ・モビリオ 2002年式W CVT・FF
1500ccSOHC
2002年5月24日登録