JAPANESE DREAM
〜神戸で追った青函連絡船の面影〜
1992年1月、神戸港。
私は青函連絡船の幻影を追い求め、この地へ来た。
この街で何隻かの青函連絡船が生まれているが、その形跡を探しに来たわけではない。
正月を迎えようとしている北海道の地で、私は横浜〜神戸間で運行されていたクルーズ船「JAPANESE
DREAM」がすぐに運行を終えてしまうという情報を得た。
そして年明け早々に駆けつけたのが神戸港であった。
「JAPANESE DREAM」はご存じの方も多いと思うが、元青函連絡船「十和田丸」を改造して作られた豪華客船である。
バブルが華々しかった頃、ある企業によって横浜〜神戸間の定期豪華客船という今では信じられない構想が上がり、それが現実となった。
そのための船を探しているときに青函連絡船が廃止、引退した連絡船がこの企業に目をつけられた。
そしてJR北海道から「十和田丸」を購入、すぐさま豪華客船に改造された。
「JAPANESE DREAM」と名を改められた「十和田丸」は、航海甲板にも客室がつけられ、煙突も一層分持ち上げられるなど外見が大きく変わる工事もされたが、
船体構造そのものは基本的に同じで、船首部分、船橋、下部遊歩甲板にその原型を止めていた。
そして末期まで活躍した津軽丸形車両渡船で唯一、国内の定期航路に就航したものとして青函連絡船を追ってきた者の間で話題となった。
しかし、豪華設備で好況に浮く人々を集客しようとしたが、豪華客船による横浜〜神戸間航路に実用性は全くなかった。
この間を豪華に移動したいという人々は新幹線のグリーン車等実用性のある移動手段を選んだ。
バブルのまっただ中でありながら、この豪華客船構想は失敗に終わったのである。
その結果が1992年1月、まだバブル経済崩壊前の好況期にある中での撤退である。
私は神戸から横浜へ向かうラストクルーズとして出航する「JAPANESE
DREAM」を追いかけたことになる。
神戸港を選んだのは、横浜港では彼女の姿をカメラに納めるための絶好の撮影ポイントが岸壁近くにないからである。
本当は津軽丸形最後の定期航路になるこの航路に乗りたかったが、残念ながら私自身にバブル景気は訪れてなく、こんな豪華客船に乗る予算がなかった。
だが撤退と聞きいてもたってもいられず、旅行の行程を変更して神戸港へ向かった。
青函連絡船十七回忌を迎える今年、この時に撮影したフィルムのネガを発見。
青函連絡船客載車両渡船としては最後まで国内で定期航路に就航していた「十和田丸」の悲痛な最期を皆さんにお送りする。
皆さんにお詫び
今回公表する写真は8年に渡り私の実家で私の親が管理の元、保管されていたネガをフィルムスキャナで読み込んだものです。
保管状況があまり良くなった(コンビニ袋にまとめて押し込まれ押入深く眠っていた)ため、ネガ全体に傷やカスレが入ってしまっています。
色褪せ等は修正できますが、これらの傷などは修正に限界があります。
そのため多くの写真に白い点や線のようなものが入り、お見苦しい点がある事を前もってお詫びしておきます。
また、一部の写真は撮影日を照合するために日付入りで撮影しています。
日付写り込みについてはご容赦頂きたく思います。