地球防衛事業部3.アメリカ合衆国・連邦航空宇宙局(NASA) スペースシャトル OV−105・「Endeavour」
(バンダイ「大人の超合金」シリーズ2・1/144スケール)

〜さらばスペースシャトル〜


世界で最初、そして今のところ最後の現実の「宇宙往還機」であるスペースシャトル


 「石神井急行旅客鉄道・地球防衛事業部」は第三弾にして始めて「実物」が存在するものの模型となった。それはこの時期にどうしても取り上げたいと思っていたアメリカの宇宙船スペースシャトルだ。1969年に有人月面着陸に成功したアポロを標準の宇宙船とし、宇宙ステーション「スカイラブ」を実現させたアメリカ連邦航空宇宙局(NASA)が、次に選んだ宇宙船のスタイルは「地球と宇宙を往復できる宇宙船」だった。

 アメリカにしろソ連にしろ、それまでの有人宇宙船は全て「使い捨て」だった。その機体が宇宙へ行く事が出来るのは一度だけで、宇宙飛行の度に機体を作らねばならずこれに莫大な予算を投じていた。これを節約しようと普通の乗り物のように出発地と目的地を往復できる宇宙船を開発しようと立ち上がったのだ。

 そして研究開発と様々なテストを経て、1976年に世界初の宇宙往還機スペースシャトルとして初号機(テスト用機材だが)である「エンタープライズ」が姿を現した。人々はこの今までの宇宙船と全く違うスタイルに驚いたという。それまでの宇宙船はロケットの先端に取り付けられる円錐形と決まっていたが、「エンタープライズ」は飛行機、それも貨物機に近い機体に超音速機のような三角形の翼という当時にしてみれば「未来形」の機体に見えただろう。
 「エンタープライズ」は大気圏内でのテスト用として使われ、着陸等のテストや訓練に使用された。

 これらの準備の後、宇宙飛行可能な最初のスペースシャトル「コロンビア」が建造され、1981年4月にスペースシャトルは始めて宇宙へ飛び、また宇宙飛行できる形で地球に帰還。こうしてシステムが完成すると、「チャレンジャー」「ディスカバリー」「アトランティス」を建造して4機体制として、新たな宇宙開発のため地球と宇宙をまさに「往復」した。

 1986年1月に「チャレンジャー」が打ち上げ直後に空中分解、乗員7名が犠牲になるという悲劇を起きる。これによって安全対策が確立されるまで3年に渡り飛行中止となり、さらに再使用における点検項目が増え「機体を往復させることで安く上げる」といううたい文句が崩壊したのがスペースシャトルにとって最初の曲がり角になったことだろう。NASAが本格参入するはずだった宇宙ビジネスはその間に他国に奪われてしまい、スペースシャトルは実験や研究目的の飛行が中心となり、その後は国際宇宙ステーションの建設や関連資材運搬の主役として活躍することになる。
 この間に事故で失われた「チャレンジャー」の代替機として、今回模型を紹介する「エンデバー」が建造された。そしてアメリカの宇宙飛行士だけでなく、日本を初めとする各国の宇宙飛行士がスペースシャトルを利用することとなり、スペースシャトルはまた宇宙開発の主役に返り咲く。

 ところが2003年2月、宇宙での活動を終えて地球に帰還する途中の「コロンビア」が大気圏再突入中に消息を絶つ。同時刻にテキサス州などで分裂しながら地上に墜ちて行く飛行機雲が目撃され、さらに落下した破片が見つかるに及んで「コロンビア」が空中分解したことが明らかになった。この事故でも乗員7人の生命が失われ、またもスペースシャトルの飛行は全面中止となってしまう。

 アメリカ国民の後押しもあって2年後にスペースシャトルの打ち上げは再開されるが、その代わりにさらに点検項目が増えてしまい数回の飛行で新しい機体が1機作れるとまで言われるようになってしまった。さらに機体そのものも老朽化が進んでおり、NASAはスペースシャトルを使い続けることは得策ではないと考えるようになった。そこで「オリオン」という新型の宇宙船を開発し、スペースシャトルを退役させることになった。「オリオン」はスペースシャトルと比べると一時代前に戻ったようなスタイルの、使い捨て型の有人宇宙船だ。

 そしてこのページをアップした直後である2011年7月8日、最後のスペースシャトル「アトランティス」が宇宙へ飛ぶ。当サイトでスペースシャトルが我々に夢を見せてくれたことへの感謝の意として、このような形でスペースシャトル「エンデバー」の模型を紹介したい。


右舷後方から
アメリカの誇り星条旗が翼面に描かれている 左翼はNASAのシンボルマークだ


機首部分のクローズアップ
拡大写真などで見るとスペースシャトルのボディはこのようにざらついているのがわかる


「ペイロードベイ」(運搬室)を開放した様子
宇宙空間での作業ではこの状態 内部前方の丸い部分が国際宇宙ステーションとの連結部分

 スペースシャトルという乗り物は角度により、また状態により様々な表情を見せる。「宇宙と地球を往復する」という宇宙船としての要素に、「少しでも多くの物を運搬する」という乗り物としての要素が詰まっていて、私のような乗り物好きを強烈に引きつける魅力に溢れているのは確かだろう。世界中の宇宙船の中で、最も「乗り物」らしいのはこのスペースシャトルであることは間違いない。
 また従来のロケットのような円柱でなく、従来の宇宙船のように円錐形でもなく、翼と尾翼を持った「飛行機スタイル」であることも、「乗り物」らしくて良いだろう。
 そしてウィングボディのトラックを連想させる広大な荷台…これこそがスペースシャトルが「乗り物」である証だ。


機首部分はこのように解体して中の構造を見る事が出来る
7人の乗員はこのようなスペースで宇宙での生活を送っていた


機体尾部のエンジン部分
姿勢制御装置部分はカバーを外して中身が観察できる 機体のレタリングも素晴らしい


後部から見る
エンジンノズルと方向舵や昇降舵は可動式 方向舵はこの写真のようにエアブレーキ状態も可

 ペイロードベイの開閉以外にも、このように色々とカラクリがあってスペースシャトル構造や機構が理解できるようにできているのは、この「大人の超合金」シリーズの嬉しいところだ。スペースシャトルについてはこういう模型が欲しかったので、バンダイには心より感謝したい。
 特に乗員区画が内部まで再現されているのは嬉しい。これまでスペースシャトルの外見は理解していたし、内部はNASA公開の画像などで見る事が出来たが、その内部についてどの画像がどの部分に当たるのかというのがわかりにくかった。それが解決したのはこの模型最大の成果だろう。
 ここまでの写真は定置状態であるが、定置するためのランディングギアもちゃんと備わっている。実物同様収納式だ。

続いて打ち上げ姿勢だ
スペースシャトル打ち上げのニュースでは必ずこんなシーンが報道される
これはスペースシャトルが最も「宇宙船」らしい表情を見ている時と言ってもいいだろう

上方気味のカットから打ち上げ姿勢をみると構造が分かり易い
シャトル軌道船本体に赤錆色の燃料タンク それに白い補助ロケットブースターが2本が取り付けられている
この光景は巨大で迫力に満ちているという 一度生で見てみたかった…

模型備え付けの発射台には照明が組み込まれている
部屋を暗くすると夜間打ち上げの緊張感が伝わってくるようだ
このままロケットエンジンが火を噴いて飛んで行くんじゃないかと思うほどの質感がある

 やはり個人的には、スペースシャトルはランディングギアを使用しての定置状態より、巨大な燃料タンクと補助ロケットブースターを装着した打ち上げ姿勢の方が好きだ。「乗り物」らしいスペースシャトルの機体と「宇宙船」を象徴するロケットとの融合、これこそが「近未来の宇宙船」と30年前の初飛行のニュースを見て思ったものだ。

 今回、バンダイ「大人の超合金」シリーズとして日本で模型製品化されたスペースシャトルは、5機建造された軌道船の中で最も新しい「エンデバー」だ。1986年の「チャレンジャー」事故を受けてその代船として建造され、1992年の初飛行した機体。以後、毛利衛飛行士が日本人初のスペースシャトル飛行をした機体となり話題になっただけでなく、若田光一飛行士や土井隆雄飛行士も乗り込むなど日本人飛行士の搭乗機会も多かっただけでなく、日本が作った国際宇宙ステーション実験室「きぼう」の運搬や組み立てにも使用され、5機の軌道船の中で最も日本人に馴染みがある機体と言っても過言ではないだろう。

 「エンデバー(Endeavour)」の名の意味は「努力」である。その名の由来は18世紀にジェームスクックが乗り込み、南太平洋を探検航行してオーストラリア大陸を「発見」して「初上陸」をしたイギリス製の帆船である。オーストラリアのグレートバリアリーフにある「エンデバー礁」や、その北に位置する「エンデバー川」もこの船が由来である。
 ちなみに「エンデバー」という名の宇宙船はこのスペースシャトルだけでなく、4回目の有人月面着陸に成功したアポロ15号司令船の名としても使われていた。それとは別に「2001年宇宙の旅」の原作本を初めてとして、いくつかのSFに出てくる宇宙船に「エンデバー」と名付けられたものがある。


アメリカ合衆国 連邦航空宇宙局・スペースシャトル OV−105 「Endeavour」
初飛行・1992年5月7日打ち上げ(通信衛星「インテルサミット」修理ミッション)
最終飛行・2011年6月1日帰還(国際宇宙ステーション補給ミッション)
宇宙飛行回数 48回・地球周回回数 4429周
宇宙飛行時間 280日9時間39分44秒
宇宙ステーションドッキング回数 ミール1回・国際宇宙ステーション10回

全長 37.24m・全幅 23.79m・全高 17.25m(軌道船本体のみ)
重量 78t・最大積載量 25060kg
運用高度 190〜960km・速度 27875km/h
乗員数 2〜8名(実際には6名以上で運用)

・主な経歴
1992年9月 スペースラブ実験ミッションにて毛利衛飛行士が日本人として初めてスペースシャトルに搭乗
1993年12月 ハッブル宇宙望遠鏡修理ミッション
1996年1月 日本の実験衛星を回収
1998年1月 ロシアの宇宙ステーション「ミール」とドッキング
2008年3月 日本が作った国際宇宙ステーション実験棟「きぼう」の船内保管室を運搬
2009年7月 同じく「きぼう」の船外実験プラットフォームを運搬




このコーナーの最後に
1986年1月の「チャレンジャー」空中分解事故と
2003年2月の「コロンビア」空中分解事故で
宇宙に散った14名の宇宙飛行士たちに心より哀悼の意を表します

 いよいよ2011年7月8日、スペースシャトルが最後の旅に出ます。これを前にどうしても当サイトでスペースシャトルのことを一度取り上げてみたかったので今回はこのような企画となりました。
 初飛行から30年、事故による数年の中断があったもののスペースシャトルは宇宙飛行を日常化し、その舞台で様々な実績を上げることで我々に「宇宙」という限りなく可能性がある「夢」を見させてくれました。そして日本人が宇宙へ行くという事を日常化してくれた機体も間違いなくこのスペースシャトルであったわけで、日本人が最も馴染みのある有人宇宙船だったことは間違いないでしょう。
 そして何よりも打ち上げたまんまの姿で戻って来るという「乗り物」らしい面だけでなく、我々が子供の頃に目にしたSFアニメのような要素を持っていたこともこの宇宙船が我々の印象に深く残った理由のはずです。打ち上げてどんどん小さくなって、最後はロケットの先端だけが地球に帰還してきていたこれまでの「宇宙船」と違う近未来的なものを、この事実から感じていました。自分達が宇宙に出られる日が近いんじゃないか、そんな夢をも見せてくれた「乗り物」だったのです。
 今後、アメリカはスペースシャトルに変わる新しい宇宙船を開発しますが、その内容はまた昔の使い捨てであり打ち上げた一部だけが地球に帰還するという前時代的なものに戻ってしまいました。徹底的に効率を追求するのは間違いない方針の一つではありますが、このスペースシャトルの引退は我々の「夢」がひとつ終わったようにも感じて寂しい限りです。
 いつの日か、またスペースシャトルのような夢のある有人宇宙船が世に現れることを願って、今回のこのコーナーを終わりとします。
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