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4000系
連邦…いや 秩父線の白い奴
・実車について
 西武鉄道の路線網で一番奥に位置する西武秩父線は池袋線末端部(飯能〜吾野間)と一体になった山岳路線であり、西武鉄道一のローカル線と言っていいだろう。休日は奥武蔵の山々を訪れるハイカーなどが多く利用し、観光客で賑わう路線でもある。
 その西武秩父線は1969年の開業以来、101系など一般車両でローカル輸送を行っていたが、開業20周年を迎える1989年から秩父鉄道との直通運転が決まり、これに対応した車両が必要になった。臨時列車は101系を改造して対応することとなったが、定期列車はこれを機に秩父線のテコ入れを行うことになり秩父線専用の新型車両の導入が決定した。その内容は観光客中長距離の乗車やローカル輸送に対応した料金不要のクロスシート車であることは早い段階から漏れ聞こえていた。そうして登場したのは4000系である。

 4000系は2扉クロスシートというこれまでの西武鉄道にない車両で、車体も山口線新交通システム以外ではこれまでになかった白い車体に青・赤・緑の細いラインを入れた「ライオンズカラー」となった。ボックスシートの窓は二連の大形のもので、乗客に奥武蔵の景色を堪能してもらうよう配慮されたのだろう。前面デザインは半年先行して登場した新2000系のものをアレンジしたものとなり、前面ガラスと種別表示が一体化してスッキリしたデザインとなった。その他、扉の半自動化など山岳ローカル線に適したサービスを提供出来る設備が整っている。
 足回りは車体の老朽化により廃車になった101系のものを転用し、秩父線での走行には全く支障のない力のあるものとなっている。前面には新2000系同様のスカートが取り付けられ、独特の雰囲気が出ている。足回りは101系の転用とはいえ、101系との連結使用は考えられていない。

 4000系は登場するとまず飯能〜西武秩父間のローカル輸送に使用され、続いて行楽シーズンに運行の池袋〜西武秩父間の快速急行に運用された。これにより冬季の新101系2連単独運用が消え、西武秩父線ローカルは通年で4連以上の運転となった。1989年春に秩父鉄道との直通運転が開始されると、4000系が平日は飯能から、休日は池袋から、三峰口や長瀞、後に寄居まで乗り入れるようになった。なお1989年度前半頃まで、4000系が間合い運用として休日朝の小手指→池袋間の普通電車を受け持っていた事を記憶している方も多いことかと思う(混雑に対応出来ず、すぐに101系に置き換え)。間合い運用と言えば秩父鉄道線内での区間運転に使用されていたことも忘れてはならないだろう。
 また、2扉クロスシートという特殊な車体ということもあり、多くのイベント運転にかり出されている。1995年の国分寺線・新宿線開業100周年イベントでは、国分寺〜本川越間を走行し新宿線だけでなく国分寺線への入線も果たしている。それだけでなく西武球場(西武ドーム)で有名歌手のコンサートがあるときは狭山線に入線し、鉄道の日イベントでは西武新宿まで乗り入れ(しかも復路は普通電車扱い)、ミステリートレインとして西武園線に入線した記録もある。

 西武鉄道は1990年代後半から多摩川線や多摩湖線といったローカル線をワンマン運転化していたが、2002年には西武秩父線もワンマン運転化される事となった。そこで秩父線ローカル運用を受け持っていた4000系がワンマン運転対応に改造されることになり、運転台や車内設備の改造が行われた。最も目立つ点はボックスシートが一部ロングシートに改造された事だろう。その後、パンタグラフがシングルアーム化されて現在に至る。

・模型について
 さて、模型の4000系であるが、こちらも人気車両のひとつでありながら長い間製品に恵まれて来なかった。何年か前にガレージキットがあったが、それも西武鉄道の許諾が取れていないのでメーカー側が「西武4000系」とは絶対に言わないという面白いものであったが、4000系を手にする唯一の手段とだけあってインターネットを見るといくつか作例がある。私はとてもじゃないけどこれに手を出すのは無理だと感じた、車体は作れたとしてもあの細かいラインの塗装が自分の腕ではどうにもならないと判断していたからだ。

 そんなこんなで2012年の晩春、破竹の勢いのマイクロエースから西武4000系の製品化が発表された。報せを聞いてすぐに某ネットショップのサイトに飛んで行って「予約」ボタンをポチッちのは言うまでもない。ラインナップはシングルアームパンタグラフ化や、ワンマン仕様に改造された姿である現行仕様と、1988年に4000系がデビューした頃の姿である登場時仕様の2種類。当然私が欲しいのは「登場時」の方で、予約・購入したのもこちらだ。
 夏になると鉄道模型イベントで早速試作品が出てきた。この展示を見て車体は塗装さえ上手く行けば安心出来ると判断したが…スカートの形状がどうしても気に入らなかった。先頭車が併結のために中間に入った場合のカプラーの首振りへの対応で、スカートの連結器の穴が左右にあり得ないほど拡がってイメージを壊しているのである。ダミーカプラー用のスカートを付けるということもなさそうだし…よって、購入した後にスカートに手をかけねばならないと判断した。
 だがこの点はあまり考えずにすぐに妙案が浮かんだ。それはグリーンマックス製の旧2000系用のスカートを付ければ良いということだ。早速秋葉原のグリーンマックスのお店に出向き、バラパーツとして売られていた旧2000系用スカートを4個ゲットしてきた。4両編成×2本で8両セットだから、4個だ。

 2012年11月中旬、いよいよマイクロエースの4000系が店頭に並んだ。私の元にも予約品が届き、箱を開けると有無を問わさずスカートを外した。外す前の写真一枚も残していない、可哀想なスカートである。前もって購入しておいた旧2000系用のスカートを取り付けるべく色々検討、結果はスカート側にある取り付け用の突起の後半分を現物合わせで削り落とし、両面テープで補機用の上はめ込むというやり方となった。これで前面から見た雰囲気はかなり良くなり、4000系らしくなった。
 同時に先頭部の連結器をボディーマウントのTNカプラーに交換、本当は湾曲形の胴受けのものにしたかったが、ネットだけでは入手が難しく泣く泣く諦めた点だ。これが実現していれば前面は完璧だったのになぁ…でも製品ままの状態よりもかなり雰囲気が良くなったと自画自賛している。
 ここまでやって「では行き先を…」と思って行き先表示ステッカーを見て「何じゃこりゃ!?」と叫んでしまった。前面行き先表示の色が側面と同じ色で青々としている。ダメだ、行き先表示はこのまま使えないと判断して、前面の行き先表示をどうするかで悩む事になった。これは事前のイベント等で判断出来ない盲点だったなぁ。
 だがこれもすぐに解決策が見つかった。6000系の時と同じで、行き先や種別表示のサイズが実物では2000系と共通になっていることを思いだしたのだ。ということは、グリーンマックスの2000系用ステッカーが使えるってことだ。グリーンマックスの2000系用ステッカーは我が家に大量に在庫がある。使ったのは2000系の時に「普通 上石神井」、6000系の時に「急行 西武新宿」だけだったから、池袋線のは丸々残っている。ボーナスパーツとして4000系用の行き先もついているが、これはなぜか若干小さくて使えない。だから2000系用の行き先を使う事にした。
 行き先は本当はかつての間合い運用を再現して「普通 池袋」にするつもりだったが、製品のステッカーではなく余りステッカーを使う事になったという経緯もあり「普通」が品切れで無い。また前述の理由で秩父鉄道乗り入れや秩父線関係の行き先も使えない。すると自然に行き先は「快速急行 池袋」になってしまった。側面は特に特別な理由も無いので、私のこだわりで行き先は入れていない。
 前面の行き先も種別も、フロントガラスの内側に貼って「ガラスの内側感」を出すことにした。これを分解してレンズハーツを出すのに一苦労、このパーツを外すには側面ガラスを外さなきゃならないのだが、これが接着剤で固定されているのでまた外すのに一苦労。おかげで1両はガラスパーツを割っちゃったけど…外から見えないところで助かった。

 こうして我が家の4000系は製品ままの状態よりもかなり見栄え良くなったが、前面の行き先はガラスの内側に貼ったのが失敗だったようだ。これを外側に貼るのに直そうかと思っているが、もうあの前面のレンズパーツ外すのやりたくないな…。当面そのままにしておこう、行き先がちょっと眩しいから二重に貼ってもいいかな。
カーブを行く4000系
なんかTNカプラーが真っ直ぐに落ち着かない…対策検討中
踏切を行く
確かにこれは池袋線を走る光景だ
101系と並ぶ
今は見られない懐かしいカット 奇しくも模型はKATOの旧101系とほぼ同時期の発売となった
行き先がハッキリ見えるカット
種別はいいんだけど 行き先はちょっと見えづらいな

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