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5000系「レッドアロー」
西武鉄道初のロマンスカー
・実車について
西武鉄道戦後最大のプロジェクトは、池袋線の終点である吾野から秩父までの路線延伸。これによって武甲山で採掘されるセメントを輸送するというプロジェクトを、地域輸送や観光輸送にも活用するというものであった。これが現在の西武秩父線である。
そして1969年秋の西武秩父線が開通は西武鉄道に様々な名車を生み出すことになる、秩父線の急勾配と通勤輸送の双方に対応した高性能通勤電車101系、セメント輸送に対応した私鉄最大の電気機関車E851。そして「目玉」として登場したのは秩父への都市輸送と観光輸送を目的とした西武鉄道初のロマンスカー5000系である。
5000系はその白い車体に赤いストライプを配した外装から、「レッドアロー」というニックネームを与えられた。1969年秋の秩父線開通と同時に池袋と西武秩父を結ぶ特急列車として活躍を開始、当時は4両編成で多客期だけ2編成連結した8両編成での運行であった。昼間運行の特急「ちちぶ」号と、休前日運行の登山客向け夜行列車「こぶし」号としての運行は好評で、1976年には編成が6両に伸ばされることになる。6両編成化の過渡期には4両編成と6両編成を連結した10両編成と特急も運行された。
6両編成化と同時に運行体系も大きく変化する。池袋線では夜行の「こぶし」号の運行は廃止になったが、池袋と所沢や飯能を結ぶ都市間輸送列車として「むさし」が運行を開始する。特に夕方ラッシュ時の「むさし」は仕事帰りのサラリーマンに好評で、これまで観光輸送が目的と思われていた大手私鉄ロマンスカーに「通勤特急」としての着席サービスという役割が持てることを世間に知らしめることになった。
そして新宿線でも特急の運行が開始される。西武新宿から西武秩父まで休日のみ1往復する「おくちちぶ」号が設定されたのである。「おくちちぶ」号は日帰り秩父観光に使いやすい時間に設定され、西武新宿から秩父への観光列車として定着する。のちに西武新宿への車両送り込みのための回送列車にも客を乗せることとなり、西武新宿〜所沢間に「むさし」が休日1往復設定される。この新宿線の「むさし」は夕方の下り列車のみ本川越までの運行となる。
6両編成化と同時に内装に手を加えられ、座席はリクライニングシートとなってロマンスカーらしい装備が揃った。全編成が6両編成になると先頭の電気連結器が撤去されてスカートの形状が変わるなど、外観にも変化が生まれる。
このように池袋線・秩父線・休日だけ新宿線で活躍していた5000系「レッドアロー」は、1980年代を通じて大きな変化は見られなかった。時代が昭和から平成に変わる頃には再度座席が変更され、車内に公衆電話が設置されるなど、時代に合わせた改良が加えられながら20年以上に渡り活躍した。
5000系「レッドアロー」最初の「曲がり角」は1993年である。20年以上の活躍により老朽化が進んでいた「レッドアロー」に代わる新型特急は1990年代に入ると検討されはじめ、1992年頃にはその内容が漏れ聞こえてきていた。その新型特急は10000系「ニューレッドアロー(以下NRAとする)」として1993年に登場する。
同時に西武鉄道の特急運行は、新宿線を中心に大きく変化した。新宿線の西武新宿〜本川越間休日1往復運行だった「むさし」は、毎日頻繁運行の「小江戸」へと発展的解消を遂げて、これに新型特急の「NRA」が集中投入されることとなった。そして西武新宿と西武秩父を結んでいた「おくちちぶ」は、池袋線の観光輸送用速達特急にその名を譲って廃止となることになった。こうして5000系「レッドアロー」は新宿線から姿を消し、池袋線・秩父線のみでの活躍となる。
そして1994年に「NRA」増備で新宿線特急の1時間ヘッド運行が実現すると、いよいよ池袋線にも「NRA」の投入が始まる。すると5000系「レッドアロー」は検査切れの順に戦列から外れ、1995年の秋に「さよなら運転」が行われて全車引退した。翌年には同時に登場した電気機関車E851も引退し、まさに秩父線の「一時代」が終わったと言えよう。
引退した5000系「レッドアロー」は足回りが外され、その機器類はその後出た9000系通勤車に流用されている。また「抜け殻」となった6両分の車体は富山地方鉄道が引き取り、JR485系等の機器類と組み合わされて彼の地でロマンスカーとして活躍中である。数年前には映画で印象的な登場をしており、現在ではすっかり富山のロマンスカーとして定着している。
また、これとは別に先頭車1両が横瀬の車両基地で保存されている。
・私と5000系「レッドアロー」
私が西武新宿線の沿線に越してきたのは小学校に上がると同時で、1977年のことであった。
越してきてほどなく、近くを走る西武鉄道には「レッドアロー」というロマンスカーが走っていることを知る。そして日曜日だけ、近くの上石神井駅を通過することも同時に知った。当時は母親が駅前のスーパーに買い物に行く際、これについて行って駅前で電車を眺めるのが日課であったが、その同じ踏切にカッコイイ特急電車が来ると知っていてもたってもいられなくなくなった。
そしある日曜日、朝食を食べると私は上石神井駅へ走った。いつもの踏切で待つこと数分で白い車体に赤いラインを締めた美しい特急車両が「おくちちぶ」のヘッドサインも誇らしげに通過していった。この光景に感動してその後も特に用事のない日曜日は、駅まで走って「おくちちぶ」号を眺めに行った。同時に「この電車に乗りたい」という思いも強くしていったのは言うまでもない。
私がこの「おくちちぶ」号に乗る機会は意外にあっさりやってきた。この年の秋に家族で正丸峠へハイキングへ行くことになり、その往復の移動手段として「おくちちぶ」号が選ばれたのである。当日は雨でハイキングは中止になったが、なぜか「おくちちぶ」号には乗ることとなり、雨の中を一度赤い電車で西武新宿へ向かってから縫い返す形で西武秩父へ向けて「おくちちぶ」号の旅となったのだ。うれしくて一日はしゃぎっぱなしだったのは言うまでもない。車内販売で飲み物を買ったり、電車の中で用を足すためにトイレへ行ったりという体験が、自分の最寄り路線でもできるという事実に興奮した。
その翌年も「おくちちぶ」号を利用した家族でのレジャーがあったが、その後行き先が京王線や京急線の沿線になってしまったため家族レジャーで「レッドアロー」に乗ることはなかった。だが日曜日の朝に何度も「レッドアロー」は見かけているし、私が中学生頃になると休日に都心方向へ出かける用事は「レッドアロー」通過の時間に合わせるようになった。
高校が池袋だったこともあり、高校の時は一度だけ学校帰りに池袋から「むさし」号で所沢へ行き、ここから新宿線で帰宅するなんて行動もとったことがある。1994年夏には秩父でのさだまさしコンサート観覧用臨時列車「まさし」号が5000系で運行され、当時はさだまさしファンだったこともありこの列車に乗れるツアーにわざわざ参加したという経験もある。だが池袋発着の「レッドアロー」に乗ったのは、この二例だけだ。
1993年12月、「小江戸」運行開始のダイヤ改正で「おくちちぶ」の廃止され「レッドアロー」の新宿線乗り入れがなくなることになる。私はこの「おくちちぶ」最終便にもお別れ乗車をした。実は新宿線の撮影名所で撮り鉄もしたのだが、このときのフィルムを紛失するという失態により写真は残っていないのは泣きたくなるほど残念な話だ。
「NRA」が池袋線特急にも投入されると、私もカメラをかついで積極的に「レッドアロー」を追いかけて秩父へ向かうことになる。そして1995年10月のある休日、私が飯能から所沢まで乗った「むさし」号が私にとって最後の「レッドアロー」乗車となった。
それから4年後の1999年夏、お盆休みの旅行の行き先に北陸を選んだ私は富山地方鉄道の特急列車乗車を組み込んだ。そして目論見通りに電鉄富山駅で「レッドアロー」と再会、しばしの旅行を楽しむことになる。上市駅での方向転換では飯能駅での方向転換を思い出した記憶は今でもある。そして往路は西武電車、復路は京阪電車というこの日の富山地方鉄道の旅が、今のところ「レッドアロー」に乗った一番最近の経験だ。「レッドアロー」が富山で末永く活躍することを祈らずにはいられない。
・模型について
5000系「レッドアロー」の模型であるが、その美しい車体のせいかこれは古くから商品が存在する。最初に出たのは1980年代初頭に登場したグリーンマックスの板キットだ。私はこれには手を出していない、というのは私がNゲージ鉄道模型に手を出した頃にはすでに決定版といえる完成品が市場を席巻していたからだ。
その完成品とは、1980年代前半にトミックスが世に放ったものである。当時はもちろん、現在でもその「つくり」の良さに惚れ惚れしてしまうモデルであることは西武電車ファンなら同意していただけるだろう。トミックスにとってもエポックメイキング的な製品であり、緻密で形式ごとに作り分けられた床下機器や、屋根上機器や車体のシャープさは現在のトミックス製品につながる基礎を作ったといえるものであもある。室内灯の取り付け可能構造や前照灯の点灯なども、トミックスでこの「レッドアロー」が最初だったと記憶している。私も中学生の頃にこのモデルを手にして、当時の我が家での虎の子的な存在として使っていた。その後、中学生の頃の保管値状況が悪かったせいか劣化が激しく、1994年頃にこのトミックスの「レッドアロー」は買い直している。限定商品である「さよならレッドアローセット」は購入を見送っている。
このトミックスの「レッドアロー」は美しいとはいえ、当時の限界を露呈しているモデルであることも否めない。前面の窓押さえ金具、フロントガラス下の西武の車紋、側面の窓を固定している黒いゴム部分への色差しは当時の技術では難しかったのだろう。さらに金型の制限のためか、奇数側と偶数側のクハ車が作り分けられていないという点も残念な点だ(これはグリーンマックスのキットでも同じだ)。これらの点を改造によって再現しグレードアップしようと「再生計画」をここ10年くらい検討しているが、困難な部分の工事方法で悩んでいてずっと止まっているのが現状だ。またこれとは別にこの「レッドアロー」は長く再生産がされておらず、もう入手困難といえるものとなっていた。
そしてその改造計画が止まっている間に、Nゲージ鉄道模型における「レッドアロー」を巡ってとんでもないことが起きるのである。
2013年末、Nゲージ鉄道模型の最新情報が書いてある某ブログを見て、私は飲んでいたコーヒーを吹き出した。吹き出したコーヒーを掃除するのも忘れ、直後に画面を指さして「ぬをををををををををををををををををををっ!」と叫んでしまった。
そこに書かれていた情報は、Nゲージの老舗KATOからの「レッドアロー」の発売予定である。前の年に突如旧101系を発売、その美しさに感動した私は「KATOが他の西武電車も出してくれたら…でも初代レッドアローは叶わぬ夢なんだろうな」と思っていたが、それが現実になろうとしている情報であった。もちろんすぐにネットショップのサイトへ行って、予約購入ボタンをポチッたのは言うまでもない。
そして半年近く待った大型連休中に、いよいよ夢にまで見たKATOの「レッドアロー」が我が家に届いた。箱を開けてうなった、過去にトミックスの「レッドアロー」があったとは言え、これと明確に違う方向性で美しく仕上げてきたのである。トミックスの「レッドアロー」は「重厚さ」を強調していたが、KATOは「軽快さ」を打ち出してきたと思う。私はどっちの「レッドアロー」も美しく、甲乙つけがたいと思っている。ありがたいのはKATOの「レッドアロー」はヘッドサインの差し替えができること。製品出荷状態では「ちちぶ」のマークが刺さっているが、これを「おくちちぶ」にも「むさし」にも好きなときに変更できることだ。それだけでなく「レッドアロー」初期の非電照式時代のヘッドマークも付属している。残念ながら夜行列車「こぶし」のヘッドマークはないが、6両編成化後の姿を再現するには不足はない。
さらに過去のグリーンマックスやトミックスの製品で再現をあきらめた最大の点である「偶数側クハ」がちゃんと再現されているのもうれしい。車端部のトイレと車内販売準備室の関係だけでなく、屋根上のクーラー位置もちゃんと違っているという懲りようなのは正直驚いた。
我が家に届いたKATOの「レッドアロー」だが、すぐにある改造をした。それは先頭車の連結器である。製品の「レッドアロー」は他編成との併結を考慮して、密連型のKATOカプラーが装備されている。これは電気連結器部分で連結する構造なので、当然のことながら電気連結器を再現した姿になっている。私の心の中では「レッドアロー」は電気連結器のない1980年代以降の姿であり、「レッドアロー」を再現するなら他編成との併結は不可能でいいから電気連結器なしの姿にしたかった。
そこでまず容赦なく密連型KATOカプラーの電気連結器部分を切り取った、これで我が家の「レッドアロー」先頭車は他編成との併結は不可能となる。そして実物同様、電気連結器をがなくなった分だけスカートの連結器用の穴を小さくした。ここには小さくする寸法に切ったプラ板を接着し、このプラ板をウォームグレーに塗装した。これで雰囲気は電気連結器撤去後の1980年代の「レッドアロー」となった。う〜ん、製品付属の非電照式時代のベッドマークが使い道なくなったなぁ。
もちろんこの「レッドアロー」だが、私の元に来てしまった以上はヘッドサインは「おくちちぶ」が定位となる。もちろん新宿線を走る「レッドアロー」として、我が家の西武新宿線車両とと一緒に走らせるためだ。気が向いたら「むさし」のサインを入れたり、気が向けば「ちちぶ」のサインを入れて池袋線の車両と一緒に楽しむであろう。
こんな形で我が家には現在、2編成の「レッドアロー」が存在する。トミックスの「レッドアロー」については再建計画を諦めたわけでなく、いつか日の目を見る日が来るようにしてやりたい。またKATOの「レッドアロー」も大事に使い、1980年代の西武鉄道の再現を楽しみたい。
カーブを行く「レッドアロー」
前照灯だけでなく、通過表示灯やヘッドサインの光り方も「らしい」ので感動。
ちょっと広角で
台車や床下のつくりもきれいで、KATOらしい美しさだ。
鉄橋を渡る「レッドアロー」
こんな光景を奥武蔵の山の中で何度見たことだろう。
待ちに待った「偶数側クハ」
後位側の配置だけでなく、写真ではわかりにくいが屋根上も違う。
「レッドアロー」と「レッドアロークラシック」
夢の並びは模型だからこそ、でも保存車を使えば実物でも再現可能か。
秩父線の二大スター
どっちも池袋線・秩父線の旅情であった。
先頭車のクローズアップ
連結器周りの改造状況と、側面の窓ガラス固定ゴムの再現がわかりやすい角度で。
連結部のクローズアップ
号車札やトイレ窓の再現は秀逸、汚物タンクはカプラーにぶら下げてある。
101系と並ぶ
どちらもKATOらしい美しさ、「実物通り」でなく「実物らしく」作った結果がこの美しさだ。
新旧「レッドアロー」の並び
デザインの違いに「時代」を感じる、どちらも現在のデザインではない。
再び「レッドアロークラシック」と並べる
この塗り分けはどんな車両にも似合うのかもしれない。
「レッドアロー」と「レッドアロークラシック」を連結してみた
アイボリー再現はマイクロエースの方が好きなのだが。
KATOの「レッドアロー」とトミックスの「レッドアロー」
拡大して見ると「時代」の差は明確だがね離れてみるとそうでもない。
KATOの方が運転席が高く、ヘッドライト周りのスペースに余裕がある。
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