このページを作成している時点で100系が東海道を走るのは残りあと1往復。
100系は東海道新幹線に色々な記録と想い出を残した。
国鉄の最後の自信作100系は、JRによって育てられた。
分割民営したJR東海の最初のフラッグシップは100系だった。
JRグループが最初に新造した新幹線車両も100系だった。
JR東海の秀作、「シンデレラエクスプレス」「クリスマスエクスプレス」も100系だった。
バブル絶頂期の逼迫した東海道新幹線を先頭で引っ張ったのも100系だった。
「のぞみ」が軌道に乗るまで300系を影で支えたのも100系だった。
日本の昼行列車最後の食堂車も100系だった。
そして、残念なことに速度記録日本一の座につけなかった最初の新幹線車両が100系であった。
100系はその速度性能が仇となって、引退が早まった「悲劇の車両」とも言える。
あと5年早く生まれていたら、長きに渡って東海道・山陽新幹線の「顔」でいられただろう。
あと5年遅かったら、100系の存在その物がなかっただろう。
だが、主役でいた僅かな間に強烈に輝き、我々にこれほど強い印象を与えた車両はないだろう。
100系が東海道という大舞台から去っても、我々の記憶から消えることはないだろう。 |