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♪ちゃららーらーらーららー ちゃららーらーらーららー(「虹になりたい」のメロディ)
私たちがゴーラーに来てから3年が過ぎ、農場は大きくなって私も働きに出ているの。
そんなある日、クララお姉ちゃんの子供の具合が悪くなったの。
次回「南の虹のルーシー」、「立派なお姉ちゃん」お楽しみに!
♪ちゃららー ちゃらーらーらー ちゃんちゃん

はいじまオリジナルストーリー・「南の虹のルーシー」その後

立派なお姉ちゃん

 アデレードからゴーラーヘ向けて馬車が走っていた。馬車といってもごくありふれた乗合馬車で、一日に何往復か定期的にアデレードとゴーラーを往復している。この乗合馬車に毎週、決まって土曜日の午後のゴーラー行きと月曜日の朝のアデレード行きに乗る少女がいる。少女は小さい頃からお気に入りの赤いワンピース姿で、赤いリボンをかけた麦わら帽子をお決まりのように被っている。髪型も小さい時からお気に入りの一つ三つ編み、さっぱりした顔つきが印象的なこの少女こそがルーシーメイ・ポップル、13歳である。
 ある夏の土曜の午後、彼女を乗せた馬車はゴーラーヘ向けて街道をひたすら走っていた。草原を渡ってくる風は草の臭いがし、草原を渡ってきた涼しい風が馬車の窓から入ってくる。「もう学校が夏休みになったのね、私がこの馬車でアデレードに通うようになって1年だわ。」と彼女は心の中で思った。
「でも秋の収穫期になったらまた農場の仕事ね。今年も豊作だといいな、今年は人が増えたから楽しそうだわ。」
 あれから3年の月日が流れていた、今は1844年の初夏。
 あれというのはもちろんポップル一家がプリンストンから土地を購入し、ゴーラーに移り住むようになってからである。つまり一家がオーストラリアにやって来てから7年の月日が流れたことになる。
 ポップル農場は最初の1年こそは収入もなくて赤字経営だったが、プリンストンが穀物を高く買い取ってくれる業者を紹介してくれたことと、初年度は豊作だった事も手伝って農場の経営は2年目には安定していた。それ以前に土地そのものはプリンストンから破格の条件で譲り受けたものであるし、その土地購入資金もかつて住んでいたアンガス通りの家がプリンストンの仲介で予想以上に高く売れたために不足分は予想よりも少なかった(それでもある程度の未払い金が発生しているが)。ポップル一家はプリンストンに対し、いくら礼を言っても足りないほどの感謝の気持ちを持っており、家族ぐるみでの付き合いも続いていた。。
 ゴーラーの町はずれに20エーカーほどの土地の一部で麦作りから始めたポップル農場は、やがて他の穀物や牧畜も開始することになる。羊を大量に飼い始めると人手も足りなくなって今は1人だけだが人を雇うようになり始めたのはこの年の春である。
 ルーシーは1年前にゴーラーの小学校を卒業した。この時に両親は上の学校へ上がってもっと勉強することをルーシーに勧めたが、ルーシーはもう勉強は嫌だとしてこれに反対した。話を裏返せばようやくこの家にも子供に小学校以上の教育をさせられる程の余裕が出来たのだ。
 アーニーが
「勉強もせず遊んでいるばかりなんて許さないわよ。農場であんたの手を借りるのは1年中ずっとではないし、家の仕事はケイトがいれば十分なのよ。」
と叱ると、
「私は勉強よりも仕事がしたいの。」
と言ったのだ。
 と言うのもちょうどその頃、プリンストン邸では家を手伝ってくれる人間…つまりメイドを捜していたのだ。この話がルーシーの耳に入り、ルーシーは「私はプリンストンさんのために働かなければならない。」と考え始めていたのだ。ルーシーは悩んだ結果この思いをまずケイトに相談し、ケイトはベンに相談し、その結果ルーシーの希望には賛成すると共に実現するためにはまず父に話をして説得すべき、とルーシーに訴えた。
 ルーシーはこの希望を父アーサーに正直に話すと、彼は首をかしげた。勉強より仕事をしたいというなら反対はしないが…なぜプリンストンのところなのか?とアーサーが理由を問いただすとルーシーは
「私たちはあの人に助けてもらったのよ、だから少しでも恩返しをしたい。」
と今までに見せたことがないような真顔で答えたのだ。
「恩返しなら私がプリンストン農場で働いてる。」
「それはプリンストンさんのお仕事のお手伝いでしょ? 私はあの家に恩返しがしたいの。土地を譲ってくれただけでなく、私が怪我をして記憶を失ったところをあんなに親切にしてくれたプリンストンさんと奥さんのために働きたいのよ。」
 こう言われるとアーサーも納得するほかなかった。翌日アーサーはルーシーを連れて馬車でアデレードまで行き、フランクにルーシーの希望を言うとフランクは涙を流しながら
「それは嬉しい、妻も喜ぶ。それに今度の家での仕事はルーシーが適任かも知れない。」
と答えたのだ。フランクがこの話をシルビアにすると、シルビアも泣いて喜んだ。そして目の前にいる赤ん坊に
「あなたのお姉ちゃんが来るわよ。」
と優しく言った。
 プリンストン夫妻には2年前に待望の女の子が生まれてメアリーと名付けられた。その時夫婦は「今度こそエミリーが生き返ったんだ」と泣きながら喜んだのだ。今回夫婦が手伝いを探していたというのはこのメアリーの世話を中心としたプリンストン邸の家事を手伝ってくれる人を必要としていたのだ。
 以来ルーシーはプリンストン邸に泊まり込みでこの仕事をするようになった。月曜日の朝にゴーラーからアデレードに向かい、メイド服に着替えて子供の世話を中心に数々の仕事をこなした。フランクもシルビアも普段着での仕事を認めていたが、ルーシーは「仕事だから」として頑なまでにメイド服を着用した。メアリーはルーシーに非常によく懐き、ルーシーもメアリーを妹のように可愛がった。
 ただし働くにあたって、秋の収穫期は仕事を休んでポップル農場を手伝うという条件がつけられた。それもアーサーからではなくフランクからの希望であるが、その経緯は後述しよう。さらにフランクには一家がせっかく掴んだ農場があるのにこの家族がバラバラしたくないという気持ちがあったため、ルーシーが週に一度は必ず家に帰れるように計らったのだ。つまり子供の世話が中心だから、シルビアがフランクと出かける機会が多い月曜日から土曜日の昼までまでルーシーに働いてもらう事にしたのだ。
 ルーシーにとって仕事は辛いものだった。特に最初は何をしていいのか分からず先輩メイドのキャロルに叱られてばかりで、何度も辞めようかと思ったこともあった。でも次第に仕事を覚えて自信もついてきており、辛くないと言えば嘘になるが辞めたいと思うことは無くなった。なによりも自分の働きが恩人であるプリンストン夫妻のため、また家族の幸せのために役立っていると思えば、辛いことも乗り越えられるのだ。自分はそのために働く決意をしたのだから…。
 やがて馬車がゴーラーの町に入り乗合馬車乗り場に着くと、ルーシーは鞄を持って真っ先に馬車の外に出た。辺りを見ると目の前に馬車が止まっていて、遠巻きにその馬車の主を眺める男が2〜3人というのがいつもの光景である。馬車から声がした。
「ルーシー、こっちよ。」
「お姉ちゃん、言われなくても分かるわよ。」
「あんたいつもぼんやりしているでしょ、声をかけないとわからないんじゃないかと思って…」
「私はもう、そんな子供じゃないわよ。それにお姉ちゃんが馬車で来ると凄く目立つのよ。もう、いつからこんなもてるようになったの?」
「私の美しさなら当然よね。じゃ行くわよ。」
ケイトは馬車を走らせた。
 ケイトはポップル家の家事手伝いをして母を助けていた、ポップル家だけでなくクララの家も手伝っている。食材の買い出しなどでゴーラーの町へ馬車で買い物に行くのは彼女の役目である。馬車そのものは農場を始めた時にプリンストン夫妻が「お祝い」としてポップル一家にプレゼントしたものであってケイトのものではないのだが、アーサーもジョンもベンも畑仕事で手一杯で馬車に乗る暇なんか無く、いつしか事実上はケイト専用になっていた。
 その上、16歳の少女が一人で馬車に乗って買い物や妹の送迎に来る姿は町でも評判で、いつしか町の男達の憧れの少女になっていた。その「一人で馬車に乗りまわしている少女」というイメージ通りの性格でもあることも手伝って、ゴーラーの町の多くの男達から交際を申し込まれた(その都度皮肉たっぷりな言葉で断ってきた)。そんなケイトであるが、彼女にも「意中の人」はいるのだ。
「でお姉ちゃん、ビリーとはどうなの? うまくやってる?」
「ルーシー、あんたったら!」
ケイトの顔は真っ赤だ。そう、ケイトの「意中の人」はビリーである。
「ビリーはとてもいい人よ、別に子供の頃から知っているからって訳じゃないけど、力持ちで器用でカッコイイし。でもちょっと臆病なのが玉に瑕かな。」
「結婚はいつするの?」
「何言ってんの、私も彼もまだ16よ。まだ早いに決まってるじゃない。」
「でもビリーならお姉ちゃんにお似合いよね。いいなぁ、私にもいい人いないかな?」
「あんたにはまだ早いわよ。」
「言ったわね!」
「でもあんたの前に素敵な人が現れても、仕事が忙しくてそれどころじゃないのは事実でしょう?」
「そうねぇ。今のところ私の恋人は仕事ってわけなのよね。」
なんてやっているとケイトの馬車はゴーラーの町を抜けて、ポップル農場の門をくぐっていた。門のところで番をしていたリトルが馬車を追って掛け出した。もちろん、馬車が止まればリトルとルーシーのじゃれ合いが始まるのである。
 ついでに言うとモッシュはこの2年前に寿命を迎え、この時は一家全員で涙を流したものだ。スノーフレイクは農場経営が順調になった1年前に買い戻され、ポップル農場の羊第一号となった。ステッキー・パンジー・ソッピーは皆で仲良く乳を出し相変わらず一家の栄養を支えている、パンジーとソッピーに子供が出来た。そしてディンゴのリトルはあの頃ほどの若さはなくなったが、ここに書いたとおりポップル農場の番犬として健在である。
「ただいま、母さん。」
「お帰りルーシー、あんたお腹空いてない?」
「母さん、大丈夫よ。私が帰ってくるといつもそれなんだから…。ところで父さんは?」
「父さんは農場でしょ? ケイトは一緒じゃなかったの?」
「馬車の馬に餌をやりに行ってる。多分その後はビリーを追っかけて放牧場へ行くんだわ。」
 アーサーとアーニーの夫婦は相変わらずである。ただ農場経営を初めてからはアーサーはよく笑うようになった。その笑顔の理由はもちろん農場を手に入れるという夢が叶ったこともあるが、後述するもうひとつの幸せの方が理由として大きいだろう。アーニーは主婦として家を守る他、農場が忙しい時は積極的に農地に出てきた。
「あ、ルーシーお姉ちゃん、お帰り。」
「ただいま、あんた学校はどうなの?」
「お姉ちゃんが帰ってくるとそればかり、今はお姉ちゃんが大好きだった夏休みだよ。」
「よかったわねー、しばらく勉強しないで済むじゃないの。」
「僕は友達に会えないのが寂しいんだよ。」
「学校が好きなんて変な子だわ。」
「僕はお姉ちゃんと違うんだよ。」
 トヴはゴーラーの小学校へ通っている。ルーシーとは違い優等生で、ゴーラーの小学校でもトップクラスの成績である。ルーシーが小学校を出たら働くと言い出したのはトヴの優秀さもある。頭の良い弟と常に比べられているうちに心の底から勉強するのが嫌になってしまったのだ。
 またトヴは姉ルーシーから動物好きの性格を引き継いでおり、1年前には念願のコアラ捕獲に成功した。しかし、飼うことはせずすぐに逃がしている。なぜならトヴはアデレードにいた頃のウォンバットの死に衝撃を受けており、以来野生動物は捕まえてもすぐ逃がすと心に決めていたのだ。
「トヴ、一緒にリトルの散歩に行かない?」
「行こう、お姉ちゃん。」
 普段はリトルの散歩はトヴの担当であるが、この日のようにルーシーが家に帰るとルーシーとトヴで行くことになるのだ。ルーシーがプリンストン邸へ働きに出るようになってからはリトルの世話はトヴが殆どやっている。散歩と言ってもポップル農場の敷地をぐるりと一周するだけだ。
「あらルーシー、帰ってたのね。」
ジョンの家からクララが小さな子供を連れて出てきた。その子はまだ喋れないが、ルーシーを指さして喜んでいる。どうもルーシーは仕事を始めてから小さい子供に懐かれるようになったようだ。
「元気にしてた? ヘンリーはまた大きくなったのね。」
 クララとジョンの夫婦は農場内の小さな家に住み、クララは2年前に男の子ヘンリーを出産し、さらに今は二人目を妊娠中である。それもあって現在クララは農場には出られず、家事を中心にした生活をしており、その傍らで農場の事務仕事をしている。また小さな子供がいる上に身重のクララを助けるべく、ケイトはクララの家の家事も手伝っているのだ。
 ここまで言えばアーサーの笑顔は孫の力が大きいことは誰もが理解するだろう。アーサーは孫を溺愛し、手が空いている時は無理矢理にでも孫のそばにいないと気が済まないようだった。そのアーサーの孫への溺愛は、アーニーですら妬いてしまうほどである。
「あんたが一年間働き続けられたなんて信じられないわ、すぐに嫌になって逃げ出してくるんじゃないかと思ってたけど。」
「そんな事言わないでよ…でも他のところで働いていたら嫌になったかもね。プリンストンさんのところだから働けるんだわ。」
「あの人達優しいし、あんた甘えたりしていないでしょうね?」
クララの発言は相変わらずだ。
「そんなことないわよ。私は助けてくれた時の恩を忘れてないの。だからあの人達のためにならどんな辛い仕事でも出来るわ。」
ルーシーは働きに出るまで家事の手伝いなんかもろくにしてなかった。それは二人の姉の存在があったからで、クララはそれを一番よく知っていたからルーシーが働きに出ると聞いて誰よりも不安を感じていたのだ。だがルーシーは立派に子供の世話だけでなく子供の世話に必要な家事を全部こなしており、子供に対する知識は一児の母であるクララと競い合う程になっていた。
「そうねルーシー、その気持ちを忘れてはダメよ。」
「わかっているわ。でもクララお姉ちゃんはお母さんになったせいか、言うことがすごく大人になったわね。」
「そうかしら…?」
 以前のクララならこんな事言われたら「生意気言わないの!」と言い返したところだろう。ルーシーがクララのお腹をさすりながら続ける。
「あなたいいお母さんのところに生まれられるからよかったね。男の子かしら、女の子かしら? 私も早くあんたの顔を見たいわ。」
 ルーシーとトヴがリトルを連れて歩くと、今度はケイトとビリーが放牧場で並んで腰掛けて語り合っているところに出くわした。トヴが叫ぶ。
「あ〜、ビリーまたさぼってお姉ちゃんとお話ししてる!」
「さぼってないよ、俺は羊の放牧をしてるだろ?」
 この年の春、ポップル農場が働く人を募集した時に何処で話を聞きつけたのか、アデレードから真っ先にやってきたのがビリーだった。アーサーが聞いたところではビリーはしばらくアデレード郊外の農場で働いていたが、そこでは一緒に働いている人とそりが合わず苦労していたらしい。それで辞めようかと考え始めていたところにポップル農場で人手が足りないと父が聞いてきて(情報源はパーカーらしい)、「ゴーラーヘ行ってポップルさんのところで働け」と父に一方的に言われたというのだ。ビリー本人も「ポップルさんの元で働く方がいい」と二つ返事で父の言葉に賛同したというわけだ。そしてビリーがゴーラーにやってきてポップル家で生活するようになると、ケイトと恋仲になるまで時間はかからなかった。
「そうよトヴ、ビリーは羊の放牧を見てればいいの。私たちは羊を見ながらお話していたんだからさぼっている訳じゃないの。」
「あ、ルーシー帰ってたんだね。」
「それはさっき私が言ったでしょ。」
「え、聞いてないよ。」
「言った。」
「聞いてない。」
「きゃははははははは、二人とも仲かいいのね〜。」
ルーシーが思わず冷やかした。
「じゃあ仲の良い二人に私たちは邪魔みたいだから、行こっか?」
ルーシーはそう言うとトヴの返事を待たずにリトルを連れて行ってしまう
「ルーシーお姉ちゃん、待ってよ。」
慌ててトヴがルーシーを追いかけた。
「まったく、五月蠅い妹なんだから。」
「でも昔から君たちの会話は面白かったよな。俺、一緒にいるだけで楽しかったぜ。」
「別にあんたを楽しませるためにやってた訳じゃないのよ。」
「でもさ、ルーシーもすっかり立派になっちゃったね。」
「あの子はもう姉の私を追い抜いちゃったかも知れないわね。」
「…」
「なんか私だけ家で何にも変わってなくて、置いて行かれちゃったみたいに感じているのよ。兄弟のいないあなたには分からないかも知れないけど。」
「君は君なりにちゃんと家や農場を支えているじゃないか。君は君に出来ることからやっているんだし、俺はそんな直向きな君が…」
「ありがとう、あなたがそう言ってくれる限りは私も負けてられないわね。」
 麦畑の方ではポップル一家の男達が一仕事終えて休憩しているところだった。
 ベンもアーサーやジョンと共に農場で働くが、農地が巨大なこともあってアーサーはベンに百姓仕事だけでなく農場の経営という点をしっかり学ばせることにした。そこでベンは仕事の合間を縫ってはプリンストンのところ行き農場経営について学んでいる。たまにアデレードへの往復がルーシーと一緒になることもある。ベンは勉強が出来るとこの役割を喜んでおり、また農場で汗を流す父の姿を見てからはこの仕事もまんざらではないと感じるようになると同時に、父の農園を継ぐという運命を受け入れるようになっていた。
「父さん、お兄ちゃん、ジョン、ただいま。」
「おかえり、しっかり働いてきたか。」
「ええ、私が働いたこの1年で土地代の残りも少しは減ったでしょ?」
「お前がこうして働いてくれるおかげで、父さんはプリンストンさんのところで働く必要もなくなって自分の農場に集中できる。土地代の残りが減るよりそっちの方が父さんは嬉しい。」
「そんな、働きたいっていうのは私の我が儘よ。それでたまたま土地代を返しているだけなのよ。」
その言葉を吐くルーシーの瞳には一点の曇りも無かった。そんなルーシーを見て兄が口を開いた。
「でもお前、給料の殆どをこの土地代としてプリンストンさんに返しているから、ただ働きみたいなもんじゃないのか?」
「いいのよ、私なんて忙しくてお金を持っていても使う暇がないですもの。」
 そう、ルーシーはプリンストン邸で働いて得た給料の殆どを、土地代の残りの支払いに充てているのだ。これによってアーサーは閑散期にプリンストン農場で働く必要がなくなり、自分の農場一本に絞って働くことが出来るのだ。
…あれはルーシーがプリンストンの元で働きだしてからちょうど一ヶ月目の事だった。いつも通りルーシーは土曜日の午後にゴーラーのポップル家に帰ってきたのだが、その日だけは乗合馬車でなくプリンストン邸の馬車に乗ってフランクと一緒に帰ってきた。ゴーラーの乗合馬車乗り場へルーシーを迎えに行っていたケイトが「行って損した…」とぼやいた以外は、皆突然の来客に驚いた。
 居間で両親とルーシー、そしてフランクの4人が向かい合った。ケイトは茶を用意しに台所へ消えた。
「あの今日は大事なお話があってお伺いしました。」
「はぁ、何でしょう?」
「ルーシーには来週から暇をやろうかと思うんです。」
両親は驚いた。フランクの話を続けるより先に口を開いたのはアーニーだった。
「ルーシー、まさかお前クビになったんじゃ…何をしでかしたの?」
「いいえ、ルーシーを解雇するのではありません。」
両親は顔を見合わせた。
「もう収穫が始まるでしょう? 農場も忙しくなっているようだから、収穫期の一ヶ月はルーシーをポップル農場で使ってください。そしてまた一ヶ月したらうちに働きに来て欲しいのです。」
両親はホッとしてフランクの顔を見た。
「確かにうちは今、猫の手も借りたいほど忙しいからそれはありがたいんですが、プリンストンさんのお宅は大丈夫なんですか?」
「その心配には及びません。一ヶ月間は他のメイドに頑張ってもらいます。それよりこんな忙しい時だからこそ、ルーシーはポップルさんの農場で働くべきなんじゃないですか? 家族が全員で汗を流しているところに、ルーシーもいなければならないと私は思います。それともうひとつ。」
「まだ何かあるんですか?」
「ポップルさん、もうあなたは私の農場で働いて頂かなくても結構です。次の農閑期は家でゆっくりしていてください。」
今度はアーサー一人が驚きの表情を作った。
「私の働きにご不満でも…」
「いいえ、そうではありません。あなたはこの農場の土地代を返すために私のところで働いていましたね。」
アーサは頷いた、それを見届けるとフランクは続ける。
「もう、その必要が無くなったということです。」
「まだ土地代の支払いは残っているでしょう? 確かにこの2年で大分減りましたが…」
「ルーシー、君から話しなさい。」
フランクはその先の説明をルーシーに任せた。ルーシーはちょっと恥ずかしそうな表情をしながら言った。
「お父さん、実は私、今日生まれて初めてお給料を頂いたの。」
「それはよかった、おめでとう。それで?」
「でも私はそのお給料の殆どをプリンストンさんに返すことにしたの。」
「な、なんだって…?」
両親はそろって何が起こっているか分からないという表情をした。ちょうど茶を持ってやって来たケイトが、驚いてトレイを落としそうになったが慌てて体制を整えた。
「私のお給料のうち私に必要な分以外は、全部残りの土地代を返すのに使おうかと思うの。そうすればお父さんもプリンストンさんのところで働かなくて済んで、うちでヘンリーと一緒にゆっくり過ごすことだって、うちの農場の仕事に集中することだってできるわ。」
両親は顔を見合わせた。フランクが補足する。
「つまり、ルーシーは家族のために働きたい、役に立ちたいって事なんです。私はこの申し出を受けた時、このお金はルーシーが自分で働いて稼いだのだから自由に使う権利があるんだよ、と言いました。だがルーシーはだったらなおさら土地代の支払いに使うというのです。そこで私としてはこのような事を勝手に決めるわけにも行かず、こうやってポップルさんのところへ相談に伺ったわけです。」
アーニーは目から涙が溢れた。この子はなんて良い子なんだろう? そう言いたいのに言葉が出ない様子だった。アーサーもしばらく唇を振るわせた後、
「わかりました。ルーシーの給料はルーシーの好きなようにしてください。…あれ、おかしいぞ。やっぱ歳を取るとどうも涙もろくなって…」
と言いながら照れているルーシーを抱きしめた。ルーシーはびっくりして、さらに照れた。
「ありがとう、ルーシー。」
「ポップルさん、ルーシーは家族思いの優しい子です。だからこの話を聞いて家が忙しくてみんなが忙しい時こそ帰してやらねばならないと感じたのです。この子は3年前に怪我をしてうちで過ごした時、家族のみんながものすごく心配してくれた事を今でも忘れないと言っています。あの時、ルーシーを養子に欲しいと言ってしまった自分が恥ずかしい。」
その言葉を聞いてアーニーがエプロンで涙を拭ってから言った。
「この子は私たちには、あの時の恩返しとしてプリンストンさんの家で働きたいと言い出したのですよ。でも本当はわが家のことを真剣に考えて働いていたなんて…」
「ルーシー、お前は私たちに初めての給料で素晴らしいプレゼントをくれたんだ。このことは絶対に忘れないよ。」
両親の思わぬ涙にルーシーは驚いて見ていた。
「父さん、母さん、そんな大げさに驚かないでよ。私、恥ずかしいわ。」
「じゃあルーシー、来週からは麦の収穫の手伝いを頼むぞ。」
「まかしておいて、私が来たからにはみんな少しは休める時間が増えるわ。」
ルーシーと両親、それにフランクと、茶を入れに来たケイトは笑顔で笑い合った…
「でもいいよな、今はお前ほどこの農場や家族の役に立っている人はいないんだぞ。父さんはヘンリーとの時間が増えたと大喜びしてるし。」
ベンの口調は何処か羨ましそうだった。アデレードで苦しかった頃から自分がどれだけ家族の役に立っているのか気にし続けていた。色々あったが、妹のルーシーはプリンストンから土地を手に入れてくるわ、今は未払い分の土地代を自ら働いて返しているわ…それに比べたら自分はなんて力が無いんだろうと思わざるを得ないのだ。
「そうだ、ルーシーは働くようになって本当に立派になったよ。アデレードにいた頃から思えば信じられないよ。」
ジョンもルーシーを誉める。特にジョンはこの1年でのルーシーの成長ぶりに驚いている。
「だからそれほどでもないのよ、私はただやりたいことをやってるだけなの。」
「その謙虚な言葉はお父さん譲りだな、そういう気持ちを忘れちゃダメだぞ。」
ジョンの言葉にアーサーはちょっと恥ずかしそうな顔をした。
「だがなベン、お前だってプリンストンさんの元で農場経営の勉強をして、もうすぐこの農場の経営を任せられるようになるんだぞ。私なんかは百姓の仕事は性に合っているが机に向かって金計算するのはどうにも性に合わない。そんなことができるお前は父さんより立派だ。」
「そんなことはないよ、まだまだ勉強は足りないから頑張らなくちゃ。父さんの跡を継げるようになるのはまだまだ先、それにジョンが跡継ぎになるかもしれないしさ。」
「おいおい、僕をそんな持ち上げないでくれよ。僕なんかやっと百姓の仕事を全部覚えたところだし、それでもまだまだ分からないこともあってみんなの足を引っ張っているだけだからさ。」
「ジョンだってこの農場で立派に役立ってるさ…」
アーサーが言いかけたところで、ルーシーが口を挟んだ。
「ジョンもクララお姉ちゃんと同じだわ。」
「え? なにが?」
「お父さんになって言うことが立派になったってこと。」
「え? まぁ…それほどでも…、ハハッ。そうだ、ヘンリー大きくなったろ?」
「ええ、帰ってくるたびに大きくなってるわ。」
ジョンは顔を赤くして照れていた。
 農場の日が暮れようとしていた。
 ビリーは牧羊犬の力も借りて家畜を建物の中に入れ、アーサーがベンとジョンを連れて帰ってきた。ルーシーが帰ってくる土曜の夜は全員で夕食を取ると決めていた。ポップル家の6人、ジョンの家の3人、それと共に働くビリーも食卓に入れて10人での賑やかな夕食となるのだ。ルーシーはこのひとときがとても大好きだった。
 その中でも特に嬉しかったのはルーシー13歳の誕生日が一番近かった晩春の土曜日のことである。いつも通りケイトの馬車でルーシーが帰ってくると家の前で家族全員が整列してルーシーを出迎えた。その前に馬車が止まると、ケイトが「ルーシー、3日ばかり早いけど誕生日おめでとう!」と何処に隠し持っていたのかプレゼントの小さな箱を出した。続いて全員から祝福の言葉があり、よく見るとみんな手にプレゼントを持っていたのだ。そして一家全員に押し込まれるように家の食堂へ行くと、そこにはご馳走や派手な飾り付けが用意してあってすぐに誕生日パーティが始まった。
「お前は家のために本当に頑張ってくれている。だから父さんも母さんもお前の誕生日祝いは一番頑張ることにしたんだ。」
「そうよ、私たちはあなたの最初の給料日にくれたプレゼントを忘れないわ。だからお前が働きだして最初の誕生日は特別豪勢にすることにしたのよ。」
両親の言葉にルーシーは胸が一杯だった。「もっと頑張らなきゃ」と思ったと同時にこんな盛大な誕生祝いをしてもらえるほど家が裕福になったことも実感していた。アデレードにいた頃の状況を思うと嘘のようだ。
 以来、ルーシーは家族の誰かが誕生日を迎えると必ずプレゼントを用意した。他の兄妹や家族の誕生日祝いも以前よりは豪華になっていて、さらにクララの夫のジョンや家族ではないビリーの誕生日までキチンと祝うようになっていた。
 次の日、ルーシーはケイトと共用になっている自分の部屋の物入れをあさっていた。
 この部屋はポップル家がゴーラーに来てからずっとルーシーとケイトの部屋となっている。ルーシーが住み込みで働くようになってもケイトはルーシーの領域を侵さずに、部屋はルーシーと共用という認識を崩さずにいた。それは外に働きに出ると決めたルーシーがいつ逃げ帰ってきてもいいようにという意味と、給料を殆ど土地代の返済に使うと聞いて、週末にルーシーが帰ってきた時の居場所を確保しておこうという意味のふたつの理由による。ルーシーがいた側の半分もケイトがきれいに掃除をして、いつ妹が帰ってもいいようにしているのだ。
「えっと、3年位前の服って…確かこの辺に。」
「ルーシー、あんたなに探してるの?」
「あったあった。これよ、私が記憶を失っていた時にプリンストンさんの家で来ていた服。」
ルーシーは今や自分にとってすっかり小さくなってしまった青いドレスと赤いドレスを出して言った。
「そんなもん今頃出して、どうするの?」
「う〜ん、まだメアリーが着るには小さいわね。」
「当たり前でしょ、プリンストンさんちのメアリーって、お姉ちゃんのところのヘンリーと同じ歳でしょ?」
「そうなんだけど、メアリーの誕生日が来週なのよ。」
「それでプレゼントになる物を探していたの?」
「プレゼントは別に考えてるわ、いずれはこの服もメアリーへのプレゼントにするつもりだけど。実はメアリーへのプレゼントを用意していたら急に懐かしくなって出してみたの、でもあんな小さい子もあと8年でこれが着れる程大きくなるのね。」
「そりゃ当然でしょ、あんただってそうやって大きくなったんだから。でメアリーへのプレゼントって?」
「これよ。」
といってルーシーは部屋の隅に座らせてあった人形を持ち上げた。これはルーシーが記憶を失ってプリンストン邸にいたルーシーに、シルビアがプレゼント物だ。
「そうか、お人形を見ていたらあの頃のことを思い出したのね?」
「そうよ。メアリーももう2歳、そろそろお人形とお友達になれる歳だわ。仕事を始めた頃はまだ歩けもしなかったのに…。だから私、このお人形をメアリーにあげることにしたの。」
「あんた、それ大事にしていたじゃないの? 本当にあげちゃっていいの?」
「私はもうお人形遊びする歳じゃないわ。どっちにしてもお仕事が忙しくてお人形の相手はしてられないし。でも大事だからこそメアリーにあげるのよ。」
「よく分からないわね。」
「私はプリンストンさんに感謝しているし、メアリーだって可愛いわ。私は妹が出来たと思っているのよ。メアリーも私にとてもよく懐くし、私もメアリーが好きだから今あげられる物で一番大事な物をあげようかと思ったの。今は小さいから分からないだろうけど、もっと大きくなったら私の気持ちを分かってくれるわ。それにメアリーが持っていれば私は一緒に遊べるし。」
「あんた、本当に大人になったわね。あの動物ばかり追いかけ回していたルーシーとは別人みたいだわ。まさかまた何処かに頭ぶつけて、今度は記憶はあるけど頭の中がおかしくなっちゃったとか…」
「お姉ちゃん!」
「ハハハ、冗談冗談。」
「お姉ちゃん、ちょっと馬車でゴーラーの町まで連れていってくれない?」
「いいけど、何で?」
「このお人形を包む包装紙とリボンを買いに行きたいの。」
「わかったわ、いらっしゃい。」
二人は馬車に乗って出かけた。
 人形が大きいからと大きめの包装紙と長いリボンを買って帰ってきた二人のところに、アーニーが走ってきた。
「ケイト、いいところに帰ってきたわ。」
「どうしたの? お母さん。」
「大変なのよ、ヘンリーがお腹が痛いと言って苦しんでるの。その馬車でデイトン先生のところまで行ってほしいのよ。」
「分かったわ、すぐ行く。」
ケイトはすぐに馬車を反転させた。
「気を付けて行ってくるのよ!」
その言葉を背に受けながら、ケイトは馬車の速度を上げた。
「今日は日曜日だから診療所はお休みね。」
ケイトは独り言のつもりで言ったのだが、
「そうよ。」
と隣から返事が来て驚いた。ルーシーが乗ったままだったのだ。
「あんた降りてなかったの?」
「お姉ちゃんが止まらずそのまま馬車の向きを変えたから、私が降りられる訳ないじゃないの。」
「とにかくデイトン先生の家へ行くわ。急ぐから捕まっててね。」
「うん。」
 その頃、家ではクララとジョンが不安な表情で腹痛に苦しむ息子を見ていた。そこへアーニーが顔を出した。
「お母さん…。」
「大丈夫、今ケイトがデイトン先生を呼びに行ったわ。」
「この子大丈夫かしら…。」
「大丈夫、心配しなくていいのよ。私はあなたも含めて5人の子供を育てたから慣れているけど、あなたの不安はよく分かるわ。クララもね、このくらいの歳の時に急に熱を出して苦しんだ事があったけど、今のあなたはその時の私と同じなのね。」
「お母さんも不安だったの?」
「もちろんよ。特にあなたの時は最初の子供だったからね。あなたは単なる風邪で大したことがなかったけど、そうと分かるまでは心配で心配で…」
「デイトン先生!」
「お、ケイトじゃないか? ビリーとは仲良くやってるかい?」
「そんなこと言ってる場合じゃないの! ヘンリーがお腹が痛いって苦しんでるわ。すぐうちに来て。」
「分かった。すぐ行く。」
デイトンはいつもの診察鞄を抱きかかえるとすぐに走った。馬車の荷台に飛び込むように乗るとすぐ走り出した。
「お、ルーシーも今日はご一緒かい?」
「デイトン先生、お久しぶりです。」
「君の話は聞いてるよ。働くようになってたくましくなったって言うじゃないか、確かに顔つきも変わってきた。」
 デイトンは一家より先にゴーラーに来て診療所で働いていた。クララの挙式には急患があって出席できなかったが、ポップル一家がゴーラーに引っ越してきて農場を始めた時は誰よりも喜んだ。そしてたまにポップル家に顔を出しては半ば押しつけられるように夕食を付き合わされて帰るのである。
 そのデイトンだが、この町に来てから酒を呑むのをやめてしまった。なぜならゴーラーまで来たのに農地を手に入れられず、酒に溺れて堕落して身体がボロボロになった患者を何人も診たからである。酒に溺れている人間がそういう人たちに「お酒はやめなさい」と言ってもまるで説得力がない、だからデイトンは酒を呑まなくなった。そんなデイトンにケイトが「先生がお酒をやめるなんて信じられない」と言ってしまったのはお約束だろう。
 馬車は猛スピードでポップル農場に戻ってきた。デイトンは馬車から飛び降りてクララの家に飛び込んだ。
「あ〜大したことはないですな、ちょっとお腹が詰まっているだけです。今はちょっと苦しいけどすぐ治りますよ。」
デイトンがいうとクララは心の底からホッとした。ヘンリーへの処置が済むと、ケイトがデイトンに茶を出した。
「私ね、先生が来るまでの間に思い出したことがあるの。」
クララが明るい表情を取り戻して言った。
「思い出したって、何をかね?」
「アデレードに来て間もない頃、お母さんがデイトン先生に水をかけた時のことよ。」
「ああ、わしもあれは覚えている。あれで目が覚めたよ。」
「私も覚えているわ、お母さんがあんな事するなんて思わなかったもん。」
ケイトの声にルーシーがつまらなそうに言う。
「私は覚えてないわ。」
「あんたはビリーと遊びに行ってていなかったのよ。酔っぱらったまま診察しようとしていたデイトン先生に、お母さんが頭から水をかぶせたのよ。」
「わしわな、あれで目が覚めたんじゃ。酒ばかり呑んでないで真面目にやらないとえらい目に遭うってな。」
「デイトン先生覚えてらしたんですか? 私もあの日はついカッとなって先生に酷いことを。」
「いや、奥さん気にしないでください。あれがなきゃわしはここまで真面目な医者になっていなかったと思うからね。で、クララさんはなんであの日のことを思い出したのかね?」
「あの日のお母さんの気持ちが分かったのよ。なんでお母さんがデイトン先生に水をかけたのかがね。」
「それはどういうことかね?」
「先生、自分の子供が苦しんでいるのを見ている母親って凄く不安なんです。それがどれだけ不安なのかって事は自分がその立場になってよく分かったわ。その不安を知っていたお母さんは酔っぱらってまともに診察できるかどうか分からないデイトン先生と、その先生の姿を見て不安になっている親御さんの姿を見たらいても立ってもいられなかったのよ。今の私があんな場面に遭ったら、多分お母さんと同じ事をするわ。」
「わしゃもう酒をやめたんじゃ、だから水はかけないでくれよ、クララさん。」
「分かってますよ、デイトン先生。今日は本当にありがとうございました。」
「みんな、大人になって行くのね。」
夜、ケイトはルーシーに言った。突然の言葉にルーシーはどう答えていいか分からなかった。そんなルーシーを知ってか知らずか、ケイトは言葉を続けた。
「お姉ちゃんは子供を産んで立派な母親になってるし、あんたは立派に働いて家族の役に立っているわ。なんか私だけ置いて行かれた感じ。」
「そういえばお兄ちゃんもそんな事言ってたわね。」
「お兄ちゃんはプリンストンさんに農場経営を教わって、私たちが知らないような知識をたくさん身につけたし、父さんが苦手な事もできるようになったわ。私なんかアデレードにいた頃とちっとも変わっていない。ビリーっていういい人はいるけど、それだけだわ。」
「お姉ちゃんだって大人になってるわ。アデレードにいた頃に比べたらしっかりしていると思うわ。」
「何処が、どういう風に?」
「その前に、私だって全然立派じゃないわ。仕事でヘマをすることも多いし、そのたびに奥さんに叱られるし。」
「あの奥さんでも叱ることあるんだ?」
「そうよ、仕事としてやっているから真剣なのよ。」
「今の私にはそういう真剣勝負がないのよね。」
「ビリーとのことは真剣じゃないの?」
「…真剣よ。」
そういわれるとルーシーは笑った。
「あのね、お姉ちゃん。みんなは私のことを立派になったって言うけれど、私は自分のこと立派だなんて少しも思ってないし、大人だとも思ってないわ。自分の何処がどんな風に立派なのか私には分からないの。だって私はただ必死になって働いて自分のやりたいようにやっているだけなんだから。」
「その結果が立派なんじゃないの?」
「ううん、私はそうだとは思わない。その結果が立派かどうかは、私を見ている他の人が思うことで自分では分からないのよ。誰だって自分の何処がどんな風に立派かなんて、自分では分からないものなのよ。私はみんなから立派立派と言われてそれがよく分かったわ。だからお姉ちゃんも立派なのよ、少なくとも私から見たら。だけどお姉ちゃんは自分の何処がどんな風に立派なのか自分では分からないだけ。きっとお兄ちゃんもそうなのよ。」
「あんたは私の事を立派な人間だと思ってる?」
「お姉ちゃんはずっと前から立派よ、私なんか絶対に追いつけないわ。誰もそれを大きな声で言ってくれないだけのことで、お姉ちゃんはちゃんと家族の役に立っているわ。今日だってデイトン先生を呼びに行くって大役を果たしたし、今日みたいな事があれば母さんもクララお姉ちゃんも必ずお姉ちゃんにそれを頼むわ。」
「…」
「それに、お姉ちゃんが立派だからこそ、ビリーもお姉ちゃんが好きなのよ。」
ケイトは前の日の昼にビリーが言った言葉を思い出していた。
(君は君に出来ることからやっているんだし、俺はそんな直向きな君が…)
「ありがとう、それを聞いて安心したわ。また明日から仕事ね、頑張ってくるのよ。」
「頑張るわ。お姉ちゃんも頑張ってね。」
 月曜日の朝は早起きだ、ルーシーはアデレード行き始発の乗合馬車に乗らねばならない。今は夏だから良いのだが、冬であれば夜明け前に起きねばならないことになるのだ。起きたらすぐ朝食を急いで食べ、ケイトに乗合馬車乗り場まで送られるのだが、その馬車でルーシーはケイトに問うた。
「そういえばいつ頃からだろう?」
「何がよ?」
「お姉ちゃんが私を送る時、辛かったらいつでも逃げて帰って来いって言わなくなったの。」
そうだ、最初の頃ケイトはルーシーが仕事へ出かける時、必ず「辛かったらいつでも逃げて帰って来るのよ。」と言ってたのだ。最初の頃はそういわれても黙って聞いていたルーシーであったが、じきにそれに「そんなこと言われなくても逃げないわ。」と真面目に答えるようになり、その後は「そうね、逃げるならイギリスのお婆ちゃんのところまで逃げるわ。」「その時はこの仕事お姉ちゃんに代わってもらうわ。」などと適度にボケるようになっていた。それがいつしかケイトがこう言わなくなっていたのだ。
「そういえば、いつの間にか言わなくなっていたわね。」
「私ね、あの言葉言われて嬉しかったのよ。」
「またおかしな事言うわね〜。」
「辛い時はお姉ちゃんのあの言葉を思い出して、どんなに辛くても私には帰れる家があるんだって感じてたの。そう思ったら辛い仕事にも耐えられたのよ。」
「ふ〜ん、そうなんだ。でも今はその言葉を必要としていないんじゃないの?」
「お姉ちゃん、なんでわかるの?」
「そりゃ分かるわよ。あんたの顔を見ていれば。」
ルーシーはやっぱりね、と思った。やはりこの姉は自分のことを全て知り尽くしている、何を隠しても自分の気持ちを正確に読みとることが出来て、その都度的確な言葉を自分にくれるのだ。そう、この姉は常に自分の一歩前にいて自分か行くべき方向を指さしているのだ。
「やっぱりお姉ちゃんも立派よ。私にとって立派なお姉ちゃんよ。」
「ありがと。お世辞でもその言葉、素直に受け取っておくわ。」
そう言って笑ったケイトは心から嬉しそうだった。
 朝の柔らかな日差しが二人を乗せた馬車を優しく照らしていた。
 馬車の上で互いの心の中まで知り尽くしている本当に仲の良い姉妹が笑い合っている。二人はまた一週間ばかり離ればなれになるのだが、いつも心は繋がっていることだろう。

…というのがはいじまの「南の虹のルーシー」その後の想像。
 「その後」と言っても最終回からわずか3年後の家族を思い描いた訳で、今回の「南の虹のルーシー」全話視聴で頭の中に浮かんだ物語である。もちろん他の人が考えている「南の虹のルーシー」その後は否定しないし、私もこの先家族がどうなったかの妄想はあるが今のところ発表する気はない。
 ちょっとラストシーンへの伏線が足りないような気もするし、他の家族に字数を割きすぎた感がある。本来ならルーシーとケイト以外の家族の話は割愛して、この二人だけの物語にするべきなんだろうけど、どうしても他の家族の現況を書きたかったからな〜。
 ちなみに、完全な「はいじまオリジナルキャラクター」とあるクララの子とプリンストンの子なのだが、それぞれ16世紀のイギリスに君臨した王女とその父(王)から名前を貰った。
 今回はサブタイトルも自分で決めた。ノリ的には「自分だけの51話」という考えで作ったので冒頭には冗談で「次回予告」も入れておいた。

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