「世界名作劇場」シリーズ旅対決!
マルコvsポルフィ!


 「世界名作劇場」シリーズには「旅」を主体にした物語がいくつかある。その中でも私が当サイトで全話視聴の上の考察をした2作品、「母をたずねて三千里」と「ポルフィの長い旅」の2作品で描かれた旅について徹底的に比較をしてみたい。ここでは物語の展開などは一切考慮せず、あくまでも旅の内容だけを比較したい。
 ここではマルコの旅を「フォルゴーレ号」ジェノバ出港からトゥクマンのメキーネス邸到着と、ポルフィの旅をミーナとはぐれてパトラに向けて走り出すシーンからパリ到着までとして、様々な面から二人の旅を比較する。なお「母をたずねて三千里」の最終話で描かれたマルコの帰路についてはここでは対象外としたい。
 
 
二人の旅程を再確認
 まず二人が辿った旅路を再確認してみたい。ルートや距離は下表の通りである。

マルコの旅路 ポルフィの旅路
ジェノバ
    →リオデジャネイロ
船舶
(外洋定期船)
10400km シミトラ村(架空)→パトラ 徒歩 20km
(推定)
リオデジャネイロ
    →ブエノスアイレス
船舶
(移民船)
2240km パトラ→ブリンディシ フェリー 570km
ブエノスアイレス
    →バイアブランカ
馬車 635km ブリンディシ→マテーラ 鉄道 190km
バイアブランカ
    →ブエノスアイレス
鉄道 635km マテーラ→カウロニア 鉄道 380km
ブエノスアイレス→ロサリオ 船舶
(河川貨物船)
350km カウロニア→メッシーナ 鉄道
  +鉄道連絡船
140km
ロサリオ→コルドバ 鉄道 395km シチリア島〜ローマ 航空機 570km
コルドバ→トゥクマン郊外 鉄道・牛車・ロバ・
徒歩・馬車
566km ローマ〜アヌシー 徒歩+トラック 870km
アヌシー〜パリ 徒歩+トラック 520km
合計(ジェノバ→トゥクマン) 15221km 合計(シミトラ村→パリ) 3260km

 見てみるとわかるのは、マルコの旅の距離が圧倒的な点であろう。距離で対決したら、マルコの旅程はポルフィの4.6倍もあるので全く勝負にならない。ポルフィが東京から横浜に行ったとすれば、マルコは箱根を越えて富士山の麓の静岡県富士市まで行ったのと同じ比率になる。う〜ん、同じ土俵に並べてしまっていいのだろうか?
 だが後述するが、マルコの行程の大部分は外洋船舶による大西洋横断である。これを考慮すればマルコの本格的な旅はブエノスアイレス基準とすることも出来、この距離は2581kmとなりポルフィより少なめの数値になる。

 二人の旅行期間はどうだろう?
 マルコの旅行期間はハッキリしない。当サイトの考察によると「フォルゴーレ号」で21日(船の性能から算出)、移民船で5日(初日と最終日は前後とダブる)、ブエノスアイレス滞在が4日、バイアブランカへの片道が25日、バイアブランカ滞在に3日、ブエノスアイレスへの移動に3日(初日と最終日は前後とダブる)、ブエノスアイレス滞在が2日、ロサリオへの船旅が4日、ロサリオ滞在に1日、コルドバへの列車で1日、コルドバ滞在が1日、トゥクマンへの移動に13日、合計80日掛かっていると考えられる。

 一方ポルフィは、劇中の描写から旅行期間が判明している。シミトラ村の震災が8月、そこでしばらく避難生活をして、さらにパトラでしばらくアルバイトをしていたことも描かれている。だからポルフィがパトラから乗ったフェリーのチケットの日付けが10月7日であることに矛盾はない。ポルフィがパトラで1週間アルバイトしたと考えれば、彼の旅が始まったのは10月に入ると同時位のタイミングだろう。彼のパリ到着は初冬の景色が描かれていて、色々な描写から1ヶ月後にクリスマスに迎えたと考えられるので旅の終わりは11月下旬。出発を10月1日として、パリ到着を11月25日とすれば、56日となる。マルコより1ヶ月近く短い。

 マルコは1日当たり190.3キロ、ポルフィの旅は1日当たり58.2キロ、マルコの旅が俊足であることもお分かり頂けるだろう。マルコの平均速度は7.90km/h、ポルフィの平均速度は2.43km/hである。この速度の差は考察を続けるとわかってくる。
 

話数と旅程の詳細
 続いて下表を見て頂きたい。これはマルコとポルフィの旅を、話数基準で追ってみたものだ。
 
マルコ ポルフィ
1話 ジェノバでの日常生活の物語 1話 シミトラ村での日常生活の物語
2話 2話
3話 3話
4話 4話
5話 5話
6話 6話
7話 7話
8話 8話
9話 9話
10話 10話
11話 11話
12話 12話
13話 13話
14話 マルコが密航をすべく「フォルゴーレ号」に潜り込む 14話
15話 「フォルゴーレ号」船上 ピエトロから旅が許可される→旅の始まり
旅の目的地→ブエノスアイレス
15話 避難所からの脱走を企てたポルフィとミーナがはぐれ ポルフィがパトラへ向かって走る→旅の始まり
16話 「フォルゴーレ号」でリオデジャネイロへ向かう 16話 パトラ滞在
旅の目的地→イタリア(ブリンディシ)
17話 17話
18話 リオデジャネイロ到着 移民船に乗り換え 18話 フェリーでブリンディシへ渡る
19話 移民船でブエノスアイレスへ向かう 19話 ブリンディシ滞在
旅の目的地→「北」
20話 20話 列車で移動 列車を乗り間違いマテーラへ
21話 21話 マテーラ滞在
22話 ブエノスアイレス滞在
旅の目的地→バイアブランカ
22話 列車で移動 カウロニアへ
旅の目的地→「?」
23話 23話 カウロニア滞在
24話 24話
25話 25話 カウロニア滞在だが ラストに貨物列車に潜り込み移動開始
26話 ペッピーノ一座の馬車でバイアブランカへ向かう 26話 潜り込んだ貨物列車がそのまま連絡船に積み込まれ シチリアのメッシーナへ
旅の目的地→「南」
27話 27話 シチリア滞在
28話 28話 シチリア滞在 ラストで航空機に乗り込みローマへ飛ぶ
旅の目的地→ローマ
29話 29話 ローマ滞在
旅の目的地→パリ
30話 30話
31話 31話
32話 32話 (ポルフィの旅行は描かれず)
33話 バイアブランカ滞在
旅の目的地→ブエノスアイレス
33話 ローマからトリノへ徒歩移動
34話 34話
35話 35話
36話 バイアブランカ滞在 ラストでブエノスアイレス行きの列車に乗車 36話
37話 ブエノスアイレス滞在
旅の目的地→コルドバ
37話
38話 38話 トリノ(推定)に滞在
39話 川船でロサリオへ移動 39話 トリノからアヌシーへ徒歩移動
イタリア・フランス国境通過時は通りすがりのトラックに潜り込む
40話 ロサリオ滞在 40話
41話 列車でコルドバへ移動 ラストまでに到着 41話
42話 コルドバ滞在
旅の目的地→トゥクマン
42話 アヌシー滞在
43話 43話 パリへ向け徒歩移動
44話 44話 パリへ向けて徒歩で移動していたが アレッシアのトラックに拾われてパリ到着
45話 様々な手段を経てコルドバからトゥクマンへ移動 45話 パリ滞在 そのまま完結
46話 46話
47話 47話
48話 48話
49話 49話
50話 50話
51話 トゥクマン市街から郊外のメキーネス邸に到着 51話
52話 トゥクマン滞在の後 帰路の旅 52話
 
 マルコの旅は14話では出発は確定していないので15話スタートとなる、ゴールは51話で37話分が旅行であるが、実際には14話はラストシーンでやっと出港だし、51話は前半の途中で到着するので事実上35話半が旅と換算してもいいだろう。
 ポルフィは15話でミーナとはぐれ、パトラへ向かって走り出してしまうところが旅のスタートと言えるだろう。ゴールはもちろん44話のパリ到着で、29話分が旅ということになる。ただ15話の旅立ちと定義できるシーンは後半なので、28話半が旅と換算しよう。
 すると「母をたずねて三千里」では1話あたり428.8kmのマルコの旅を描いており、「ポルフィの長い旅」では1話あたり114.4kmのポルフィの旅を描いていることになる。やはりマルコの旅は足が速い。
 

乗り物
 旅行には乗り物は付き物である。マルコもポルフィも物語を一通り見てみるとひたすら歩いている印象がある方も多いと思うが、実は乗り物での移動は非常に多い。

マルコ ポルフィ
船舶 ジェノバ→リオデジャネイロ 10400km パトラ→ブリンディシ 566km
リオデジャネイロ→ブエノスアイレス 2240km ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ→メッシーナ 9km
ブエノスアイレス→ロサリオ 350km アヌシー湖の湖上連絡 14km
小計 12990km 小計 589km
鉄道 バイアブランカ→ブエノスアイレス 635km ブリンディシ→マテーラ 190km
ロサリオ→コルドバ 395km マテーラ→カウロニア 380km
コルドバ→(草原で追い出されるまで) 65km カウロニア→ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ 130km
小計 1095km 小計 700km
航空機 (利用無し)   シチリア→ローマ 570km
自動車 (利用無し)   イタリア国境通過時 200km
パリ到着時 350km
小計 550km
馬車等 ブエノスアイレス→バイアブランカ 635km (利用無し)  
コルドバ→トゥクマンの大部分(牛車) 320km
トゥクマン市街到着時 48km
小計 1003km
合計 15088km 2409km

 この一覧表の内容を見て、マルコがいかに乗り物に依存していたかがわかるだろう。何とマルコは全行程の99.1パーセントを何らかの乗り物で移動しており、印象に残る徒歩での旅は1%に満たない。しかもこの徒歩の旅には「ばあさま」というロバに乗っての旅(ロバに乗るだけでなく、降りてロバを引いて歩くのを繰り返していたので「徒歩」とした)も含まれているため、マルコが自分の足で旅した距離はさらに短くなる。

 一方のポルフィは「自動車好き」という設定であり、劇中では鉄道や航空機に興味を示すほどの乗り物ヲタぶりを演じつつも、乗り物に頼ったのは全行程の73.9%に過ぎない。上記の表ではポルフィのトラック利用をなるべく長めに見積もったが、それでも実に865キロも徒歩に頼っているのだ。対してマルコの徒歩旅行の距離は133キロ、しかもこのうちの半分以上は確実に「ばあさま」に乗っての旅だ。マルコの徒歩を多めに見積もっても、ポルフィはマルコの10倍も徒歩の旅をしたことになる。すごい。
 またマルコの旅では大陸間の渡航があるため、船への依存度が高いのも特徴だ。全行程の83.0%を船の旅に頼っており、対してポルフィの船への依存度は18.1%だ。つまりマルコの旅は距離だけを基準で考えると大西洋横断でほぼ終わってしまっていると見る事も出来るのだ。

 鉄道への依存はマルコは7.2%、ポルフィは21.5%とポルフィの方が高くなる。ポルフィは全行程の2割を鉄道に頼っており、その依存度は船よりも高い。だがマルコは大西洋横断という大旅行があることを考慮せねばならない、マルコのブエノスアイレス上陸以降の旅程は2581キロ、これを基準に考えるとマルコの鉄道依存は42.4パーセントとなりポルフィを上回る。船についても同様の考えで行くと13.6パーセントであり、こちらはポルフィを下回る結果となる。

 あとは「その他」の乗り物だ。マルコは馬車や牛車の旅で6.6%、ブエノスアイレス以降のみで考えると38.9%の依存率となり、比率としては鉄道での旅行とほぼ同じ距離を馬車等で移動したと考えて良いだろう。
 ポルフィは航空機での移動が17.5%、トラック便乗の旅が16.9%と、このふたつの乗り物がほぼ同じ比率で登場しているのがわかる。

 こうして見るとポルフィの方が鉄道や航空機といった速度の速い乗り物を多く利用しているにもかかわらず、マルコの乗り物での旅の比率の高さからマルコの旅行速度が上がっていることは理解して頂けるだろう。特に距離だけを基準で言うと船の旅が長く、この船旅の比率の高さがマルコの旅行速度を大幅に上げたと言ってもいいだろう。対してポルフィは徒歩での旅が長い分、どうしても鈍足になってしまうのだ。
 

同行者
 旅は道連れ世は情け、このふたつの物語に限らず「旅もの」の物語では多くの同行者が物語を印象付ける。三蔵法師には孫悟空と愉快な仲間たち、星野鉄郎にはメーテル、旅には同行者は欠かせない。
 マルコもポルフィも基本的には一人旅のスタイルを取っているが、区間によって同行者が生じるところもある。それについては下表を見て頂きたい。なお「同行者」の定義からは公共交通機関としての乗り物の運行者に該当する人物は除外してある。またここでは明確な意図を持って「同行」した人のみを対象にしており、交通機関で相席になって2〜3言葉を交わしただけの人物は「同行者」としていない。

マルコ ポルフィ
アメデオ 全区間 15221
km
アポロ シミトラ村→アヌシーの先 2840
km
   
フェデリコ一行 リオデジャネイロ
      →ブエノスアイレス
2240
km
マリカ一家 パトラ→ブリンディシ 566
km
ペッピーノ一座 ブエノスアイレス
      →バイアブランカ
635
km
デイジー&マクシミリアン マテーラ→カウロニア 380
km
牛車隊一行 コルドバ→トゥクマンの大部分 320
km
ジャック シチリア→ローマ 570
km
アンヘル トゥクマン市街到着時 48
km
アントニオ ローマ郊外の城郭都市
          到着時
20
km
         サミュエル イタリア・フランス国境付近 200
km
マチルド アヌシー湖の湖上連絡 14
km
アレッシア パリ到着時 350
km
合計 3243
km
合計 2100
km

 まず欠かせないのが二人が連れて歩いていたペット、アメデオとアポロについてだ。アメデオは全区間マルコと同行し、同行率は100%である。対してアポロは途中で猟師に射殺されるという最期を迎えており、ポルフィが旅立ってから2840km地点でその短い生涯を終えてしまっている。従ってアポロの同行率は87.1%だが、下に続くゲスト同行者についての考察を読めばポルフィが完全に一人旅になった区間は殆ど無いことはわかってくる。

 次にゲスト同行者についてだが、この結果を見て面白いのは二人の全行程の距離差に対して「ゲスト同行者がいた区間」に大きな差がないことだ。これはマルコの旅の大半を占める大西洋横断については、レオナルドやロッキー、それにアレクサンドルやマリオは同行者ではなく「乗った船の運行者」だという解釈を取った事による。これを同行者に含めてしまうと、二人とも同行者がいた区間と乗り物に乗った区間の距離がイコールとなってしまう。一人旅のつもりで旅に出たが、飛行機の客室乗務員や列車の車掌がいたから一人旅ではないなんてアホな話は誰もしないだろう。「一人旅」の常識を照らし合わせるとレオナルドやマリオは「同行者」に該当しないのだ。

 すると問題視されるのはポルフィの場合のジャックだ。ポルフィが移動に利用した飛行機を操縦したのはジャックであるが、この飛行機はシチリアのマフィアが個人的に飛ばしたと解釈できる。つまり通りすがりの自家用車に乗せてもらったのと同じだ。
 するとマルコは同行者がいた旅は21.3%に過ぎなくなってしまう。対してポルフィは64.4%も誰かと旅をしていたことになるのだ。だがこれで比較するとあんまりなので、マルコを「乗り物」の時と同じようにブエノスアイレス以降を基準にして考えると、38.1%は誰かと一緒だったことになる。やはりマルコの旅は船旅時の「船員との旅」と言うのは大きかったんだなー。船員を同行者に入れると、全行程基準で91.9%、ブエノスアイレス以降基準で52.4%も同行者付きの旅に変わる。

 ポルフィの64.4%というのも想像していたより高い同行者率だ。ポルフィは特に後半で一人旅をしていた印象が強く、同行者が一緒だったという印象は強くない。だがポルフィが乗り物で長距離移動をしたときは必ず同行者がいる状態で、特に一度の移動距離が長いフェリーや航空機での移動で同行者がいたのが大きかったと思われる。
 そのポルフィであるが、ペットも失って本当に一人で旅した部分がある。それはアポロが死んでからアレッシアのトラックに拾われるまでの70kmだ。ポルフィは全行程の2.1%をペットの同行もない本当の「一人旅」をしていたのだ。だがこの程度で済んでいるのは、アポロの死と入れ替わりでアレッシアが登場していることによるだろう。もちろん前述の通りマルコにはアメデオが全区間同行しているので、完全な「一人旅」は経験していない。
 
 
旅の目的
 旅には必ず「目的」がある。三蔵法師は天竺にある経典を持ち帰る目的で旅をしていたし、星野鉄郎は「機械の身体をタダでくれる星」を目指して999に乗り込んだ。宇宙戦艦ヤマトの旅も放射能除去装置受領のためという明確な目的があった。それと同じようにマルコもポルフィも旅の目的があった。

 マルコの目的は、アルゼンチンへ出稼ぎに行ったまま連絡を絶った母アンナに逢いに行くという目的だった。マルコは連絡を絶った母が心配なのと恋しいので頭が一杯になり、またその母がいるはずのアルゼンチンへ渡航するペッピーノ一座と親しくなったことでその思いを強くする。その思いが頂点に達したとき、マルコは密航を企てリオデジャネイロ行きの船に潜り込むところから旅が始まるという見方もあるだろう。
 そして父によってアルゼンチンへの渡航が認められ、最初は母が住んでいたブエノスアイレスを目指して旅をするがそこに母の姿はなく。次に母の行方を知っているはずのメレッリを捜すためにバイアブランカへ向かうという「二重目的」の様相を見せる時期もある。バイアブランカでメレッリから「母はブエノスアイレスに戻った」→「コルドバへ移動した」という情報を掴みこれに従って旅をして、やっとたどり着いたコルドバに母の姿は無くここで「母はトゥクマンへ移動した」という情報を得、これに従って旅を続けたというのがマルコの「目的の変化」である。

 一方ポルフィは震災による避難生活中にはぐれてしまった妹ミーナを捜す旅だ。避難所脱走を企てた兄妹が落ち合う場所ではぐれてしまい。ポルフィはその足跡を追ってギリシャの港町パトラへ、ここで妹らしい少女がイタリアへ渡航したという情報を掴むが渡航費用を稼ぐために働いたために出遅れたというものであった。渡航したブリンディシで「妹を連れたと思われる旅芸人が西へ向かった」という情報に従って列車に乗るが、方向を間違ってしばらくは宛てもなく旅をすることになってしまう。そうしてたどり着いたカウロニアで一行が南下しているという情報を得、これに従って南下してシチリアに到着。
 シチリアではマフィアの抗争を止めるきっかけ作りをするという大活躍によって、妹一行がローマに向かったという情報を得ることになる。そして飛んで行ったローマでは妹と再会まであと一歩まで迫るが、様々な事情によりこれが適わず代わりに一行がパリへ向かっていることを知る。
 続いて到着したトリノ(?)では妹が母から受け継いだ懐中時計を市場で発見、だが時計の入手経路を掴むことが出来ず失意のまま北へ向かう。ここからは目的に大きな変化の無いままとりあえず妹がいるはずのパリに到着し、パリで色々あって二人が再開するというものになった。

 またポルフィの方では、ポルフィの旅の目的であるミーナの側の旅が何度か描かれているのは見逃せない。ミーナの旅には目的など無く、漠然と出会った旅一座に着いていっただけだ。このミーナの行動がポルフィから見れば神出鬼没で、ポルフィの旅の目的地を散々振り回したのは否めない。
 それに対しマルコの母アンナは、マルコがアルゼンチンに渡航した頃にはまだ「旅」を続けていた事が分かる。マルコはアンナがブエノスアイレスにいると言う前提で渡航してきており、いないとわかると今度はメレッリがアンナの居場所を知っているという「唯一の手がかり」を求めてバイアブランカへ向かっている。このバイアブランカ往復に約1ヶ月掛かっている事を考慮の上、続きを読んで欲しい。
 アンナの足取りでわかることは、マルコかブエノスアイレス上陸の1ヶ月前まではメレッリがブエノスアイレスにいたらしいことがひとつだ。これより前にアンナはメキーネスと共にコルドバへ転居したと考えられるが、この時期については推定できる内容が劇中にはなかった。
 続いてマルコがコルドバに到着し、メレッリから聞いた住所を訪れたときに「メキーネスは1ヶ月前に何処かへ転居した」旨を知らされた事だ。
 ここで悔しいのは、もしマルコがブエノスアイレス到着時に「コルドバに母がいる」という情報を掴んでいたら、コルドバで母に逢えていたかも知れない事実が浮かび上がってくる。バイアブランカ往復でマルコは一ヶ月の期間を浪費しており、この分が無ければコルドバに「メキーネスが引っ越した1ヶ月前」に着いていた可能性は高いのだ。ここでもポルフィとミーナのように紙一重の状況があったのだ。

 マルコは「母」、ポルフィは「妹」を追って旅をしたが、肉親への思いや気持ちは誰でも変わらないが、多くの人を引きつけるのはやっぱマルコの「母捜し」の旅かも知れない。その理由は物語を見ている全員に「母」が存在するか、かつて存在していたかのどちらかであるからだ。だが「妹」がいるという人は自然に限られてくる。私には妹がいるが、世の中には弟しかいない人もいるし、兄妹の末っ子の人もいる、また一人っ子もいるのだ。だから「母捜し」は共感を得やすいが、「妹捜し」はちょっと難しい点があったのは事実だろう。
 
 
立ち往生
 二人とも旅の終盤で道中で力尽きて倒れたシーンが描かれている。気力も体力も使い果たし、前項のように「旅の目的」がどんどん移動してしまいいつまでも掴めないことで絶望を感じ、ついには雪の街道に倒れるという共通のシーンでもって二人は立ち往生する。

 マルコの立ち往生はマルコの最終目的地まで残り60キロという地点、全行程の99.6%を消費したところでついに力尽きたのだ。15161kmも旅を続けて目的にたどり着けなかったらそりゃ絶望で倒れもするわ、とこの数値を見た人は思うことだろう。マルコが倒れた地点は50話冒頭でマルコを助けた老人の台詞にあるので確定だ。ちなみにブエノスアイレス基準で考えても97.7%の地点(ブエノスアイレスから2521km地点)、マルコは本当にゴール直前まで頑張ったのだ。

 対してポルフィが倒れたのはスタートから2910km地点、全行程の89.3%地点である。彼が立ち往生した場所からまだ10%以上の行程が残っていたが、ここはアレッシアのトラックに救助されて僅か一晩、話数にして半話で到着してしまうので劇中でのポイントとしてはマルコと大差ないように見えてしまう。だがブエノスアイレス基準のマルコとの比較で考えれば、マルコより400km程多く旅をしていることになり、またマルコよりも大幅に徒歩距離が長いことを考えれば、ポルフィの精神力はマルコを上回っていると考えることも出来る。やはりここは年の功か?

 そして二人とも運良く助けられる。マルコは通りすがりの旅の老人に助けられ、歩行を困難にしていた足の怪我の治療までしてもらえる。ポルフィは以前知り合ってから惚れられているガールフレンド、アレッシアの乗るトラックに救助されてファーストキスまで体験するという甘〜い時間を無意識に過ごす。

 どんな助かり方をしたとしても、どちらの立ち往生もゴールを目前とした「旅のヤマ場」であり、最も苦しかったところだったことは否めない事実であろう。
 
 
まとめ
 こうしてみると、この二人は優劣の付けがたい旅を互いにしてきたことがよく理解することが出来るだろう。
 これらの旅は二人の主人公、マルコとポルフィに様々な試練を与えて成長させるという物語を視聴者に見せてくれた。その要素の一つ一つを改めて見直してみると、現在の我々には不可能なとんでもない旅の姿が見えてきたことだろう。
 二人が「世界名作劇場」という大舞台で、こんなアツい旅をしてきたことは是非とも忘れないで頂きたい。またこのページを見たことを機に、マルコとポルフィの旅を見直して頂ければとも思う。

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