「世界名作劇場」シリーズ旅対決!
見てみるとわかるのは、マルコの旅の距離が圧倒的な点であろう。距離で対決したら、マルコの旅程はポルフィの4.6倍もあるので全く勝負にならない。ポルフィが東京から横浜に行ったとすれば、マルコは箱根を越えて富士山の麓の静岡県富士市まで行ったのと同じ比率になる。う〜ん、同じ土俵に並べてしまっていいのだろうか? 続いて下表を見て頂きたい。これはマルコとポルフィの旅を、話数基準で追ってみたものだ。
マルコの旅は14話では出発は確定していないので15話スタートとなる、ゴールは51話で37話分が旅行であるが、実際には14話はラストシーンでやっと出港だし、51話は前半の途中で到着するので事実上35話半が旅と換算してもいいだろう。 ポルフィは15話でミーナとはぐれ、パトラへ向かって走り出してしまうところが旅のスタートと言えるだろう。ゴールはもちろん44話のパリ到着で、29話分が旅ということになる。ただ15話の旅立ちと定義できるシーンは後半なので、28話半が旅と換算しよう。 すると「母をたずねて三千里」では1話あたり428.8kmのマルコの旅を描いており、「ポルフィの長い旅」では1話あたり114.4kmのポルフィの旅を描いていることになる。やはりマルコの旅は足が速い。 乗り物
この一覧表の内容を見て、マルコがいかに乗り物に依存していたかがわかるだろう。何とマルコは全行程の99.1パーセントを何らかの乗り物で移動しており、印象に残る徒歩での旅は1%に満たない。しかもこの徒歩の旅には「ばあさま」というロバに乗っての旅(ロバに乗るだけでなく、降りてロバを引いて歩くのを繰り返していたので「徒歩」とした)も含まれているため、マルコが自分の足で旅した距離はさらに短くなる。 旅は道連れ世は情け、このふたつの物語に限らず「旅もの」の物語では多くの同行者が物語を印象付ける。三蔵法師には孫悟空と愉快な仲間たち、星野鉄郎にはメーテル、旅には同行者は欠かせない。 マルコもポルフィも基本的には一人旅のスタイルを取っているが、区間によって同行者が生じるところもある。それについては下表を見て頂きたい。なお「同行者」の定義からは公共交通機関としての乗り物の運行者に該当する人物は除外してある。またここでは明確な意図を持って「同行」した人のみを対象にしており、交通機関で相席になって2〜3言葉を交わしただけの人物は「同行者」としていない。
まず欠かせないのが二人が連れて歩いていたペット、アメデオとアポロについてだ。アメデオは全区間マルコと同行し、同行率は100%である。対してアポロは途中で猟師に射殺されるという最期を迎えており、ポルフィが旅立ってから2840km地点でその短い生涯を終えてしまっている。従ってアポロの同行率は87.1%だが、下に続くゲスト同行者についての考察を読めばポルフィが完全に一人旅になった区間は殆ど無いことはわかってくる。 次にゲスト同行者についてだが、この結果を見て面白いのは二人の全行程の距離差に対して「ゲスト同行者がいた区間」に大きな差がないことだ。これはマルコの旅の大半を占める大西洋横断については、レオナルドやロッキー、それにアレクサンドルやマリオは同行者ではなく「乗った船の運行者」だという解釈を取った事による。これを同行者に含めてしまうと、二人とも同行者がいた区間と乗り物に乗った区間の距離がイコールとなってしまう。一人旅のつもりで旅に出たが、飛行機の客室乗務員や列車の車掌がいたから一人旅ではないなんてアホな話は誰もしないだろう。「一人旅」の常識を照らし合わせるとレオナルドやマリオは「同行者」に該当しないのだ。 すると問題視されるのはポルフィの場合のジャックだ。ポルフィが移動に利用した飛行機を操縦したのはジャックであるが、この飛行機はシチリアのマフィアが個人的に飛ばしたと解釈できる。つまり通りすがりの自家用車に乗せてもらったのと同じだ。 するとマルコは同行者がいた旅は21.3%に過ぎなくなってしまう。対してポルフィは64.4%も誰かと旅をしていたことになるのだ。だがこれで比較するとあんまりなので、マルコを「乗り物」の時と同じようにブエノスアイレス以降を基準にして考えると、38.1%は誰かと一緒だったことになる。やはりマルコの旅は船旅時の「船員との旅」と言うのは大きかったんだなー。船員を同行者に入れると、全行程基準で91.9%、ブエノスアイレス以降基準で52.4%も同行者付きの旅に変わる。 ポルフィの64.4%というのも想像していたより高い同行者率だ。ポルフィは特に後半で一人旅をしていた印象が強く、同行者が一緒だったという印象は強くない。だがポルフィが乗り物で長距離移動をしたときは必ず同行者がいる状態で、特に一度の移動距離が長いフェリーや航空機での移動で同行者がいたのが大きかったと思われる。 そのポルフィであるが、ペットも失って本当に一人で旅した部分がある。それはアポロが死んでからアレッシアのトラックに拾われるまでの70kmだ。ポルフィは全行程の2.1%をペットの同行もない本当の「一人旅」をしていたのだ。だがこの程度で済んでいるのは、アポロの死と入れ替わりでアレッシアが登場していることによるだろう。もちろん前述の通りマルコにはアメデオが全区間同行しているので、完全な「一人旅」は経験していない。 旅の目的 旅には必ず「目的」がある。三蔵法師は天竺にある経典を持ち帰る目的で旅をしていたし、星野鉄郎は「機械の身体をタダでくれる星」を目指して999に乗り込んだ。宇宙戦艦ヤマトの旅も放射能除去装置受領のためという明確な目的があった。それと同じようにマルコもポルフィも旅の目的があった。 マルコの目的は、アルゼンチンへ出稼ぎに行ったまま連絡を絶った母アンナに逢いに行くという目的だった。マルコは連絡を絶った母が心配なのと恋しいので頭が一杯になり、またその母がいるはずのアルゼンチンへ渡航するペッピーノ一座と親しくなったことでその思いを強くする。その思いが頂点に達したとき、マルコは密航を企てリオデジャネイロ行きの船に潜り込むところから旅が始まるという見方もあるだろう。 そして父によってアルゼンチンへの渡航が認められ、最初は母が住んでいたブエノスアイレスを目指して旅をするがそこに母の姿はなく。次に母の行方を知っているはずのメレッリを捜すためにバイアブランカへ向かうという「二重目的」の様相を見せる時期もある。バイアブランカでメレッリから「母はブエノスアイレスに戻った」→「コルドバへ移動した」という情報を掴みこれに従って旅をして、やっとたどり着いたコルドバに母の姿は無くここで「母はトゥクマンへ移動した」という情報を得、これに従って旅を続けたというのがマルコの「目的の変化」である。 一方ポルフィは震災による避難生活中にはぐれてしまった妹ミーナを捜す旅だ。避難所脱走を企てた兄妹が落ち合う場所ではぐれてしまい。ポルフィはその足跡を追ってギリシャの港町パトラへ、ここで妹らしい少女がイタリアへ渡航したという情報を掴むが渡航費用を稼ぐために働いたために出遅れたというものであった。渡航したブリンディシで「妹を連れたと思われる旅芸人が西へ向かった」という情報に従って列車に乗るが、方向を間違ってしばらくは宛てもなく旅をすることになってしまう。そうしてたどり着いたカウロニアで一行が南下しているという情報を得、これに従って南下してシチリアに到着。 シチリアではマフィアの抗争を止めるきっかけ作りをするという大活躍によって、妹一行がローマに向かったという情報を得ることになる。そして飛んで行ったローマでは妹と再会まであと一歩まで迫るが、様々な事情によりこれが適わず代わりに一行がパリへ向かっていることを知る。 続いて到着したトリノ(?)では妹が母から受け継いだ懐中時計を市場で発見、だが時計の入手経路を掴むことが出来ず失意のまま北へ向かう。ここからは目的に大きな変化の無いままとりあえず妹がいるはずのパリに到着し、パリで色々あって二人が再開するというものになった。 またポルフィの方では、ポルフィの旅の目的であるミーナの側の旅が何度か描かれているのは見逃せない。ミーナの旅には目的など無く、漠然と出会った旅一座に着いていっただけだ。このミーナの行動がポルフィから見れば神出鬼没で、ポルフィの旅の目的地を散々振り回したのは否めない。 それに対しマルコの母アンナは、マルコがアルゼンチンに渡航した頃にはまだ「旅」を続けていた事が分かる。マルコはアンナがブエノスアイレスにいると言う前提で渡航してきており、いないとわかると今度はメレッリがアンナの居場所を知っているという「唯一の手がかり」を求めてバイアブランカへ向かっている。このバイアブランカ往復に約1ヶ月掛かっている事を考慮の上、続きを読んで欲しい。 アンナの足取りでわかることは、マルコかブエノスアイレス上陸の1ヶ月前まではメレッリがブエノスアイレスにいたらしいことがひとつだ。これより前にアンナはメキーネスと共にコルドバへ転居したと考えられるが、この時期については推定できる内容が劇中にはなかった。 続いてマルコがコルドバに到着し、メレッリから聞いた住所を訪れたときに「メキーネスは1ヶ月前に何処かへ転居した」旨を知らされた事だ。 ここで悔しいのは、もしマルコがブエノスアイレス到着時に「コルドバに母がいる」という情報を掴んでいたら、コルドバで母に逢えていたかも知れない事実が浮かび上がってくる。バイアブランカ往復でマルコは一ヶ月の期間を浪費しており、この分が無ければコルドバに「メキーネスが引っ越した1ヶ月前」に着いていた可能性は高いのだ。ここでもポルフィとミーナのように紙一重の状況があったのだ。 マルコは「母」、ポルフィは「妹」を追って旅をしたが、肉親への思いや気持ちは誰でも変わらないが、多くの人を引きつけるのはやっぱマルコの「母捜し」の旅かも知れない。その理由は物語を見ている全員に「母」が存在するか、かつて存在していたかのどちらかであるからだ。だが「妹」がいるという人は自然に限られてくる。私には妹がいるが、世の中には弟しかいない人もいるし、兄妹の末っ子の人もいる、また一人っ子もいるのだ。だから「母捜し」は共感を得やすいが、「妹捜し」はちょっと難しい点があったのは事実だろう。 立ち往生 二人とも旅の終盤で道中で力尽きて倒れたシーンが描かれている。気力も体力も使い果たし、前項のように「旅の目的」がどんどん移動してしまいいつまでも掴めないことで絶望を感じ、ついには雪の街道に倒れるという共通のシーンでもって二人は立ち往生する。 マルコの立ち往生はマルコの最終目的地まで残り60キロという地点、全行程の99.6%を消費したところでついに力尽きたのだ。15161kmも旅を続けて目的にたどり着けなかったらそりゃ絶望で倒れもするわ、とこの数値を見た人は思うことだろう。マルコが倒れた地点は50話冒頭でマルコを助けた老人の台詞にあるので確定だ。ちなみにブエノスアイレス基準で考えても97.7%の地点(ブエノスアイレスから2521km地点)、マルコは本当にゴール直前まで頑張ったのだ。 対してポルフィが倒れたのはスタートから2910km地点、全行程の89.3%地点である。彼が立ち往生した場所からまだ10%以上の行程が残っていたが、ここはアレッシアのトラックに救助されて僅か一晩、話数にして半話で到着してしまうので劇中でのポイントとしてはマルコと大差ないように見えてしまう。だがブエノスアイレス基準のマルコとの比較で考えれば、マルコより400km程多く旅をしていることになり、またマルコよりも大幅に徒歩距離が長いことを考えれば、ポルフィの精神力はマルコを上回っていると考えることも出来る。やはりここは年の功か? そして二人とも運良く助けられる。マルコは通りすがりの旅の老人に助けられ、歩行を困難にしていた足の怪我の治療までしてもらえる。ポルフィは以前知り合ってから惚れられているガールフレンド、アレッシアの乗るトラックに救助されてファーストキスまで体験するという甘〜い時間を無意識に過ごす。 どんな助かり方をしたとしても、どちらの立ち往生もゴールを目前とした「旅のヤマ場」であり、最も苦しかったところだったことは否めない事実であろう。 まとめ こうしてみると、この二人は優劣の付けがたい旅を互いにしてきたことがよく理解することが出来るだろう。 これらの旅は二人の主人公、マルコとポルフィに様々な試練を与えて成長させるという物語を視聴者に見せてくれた。その要素の一つ一つを改めて見直してみると、現在の我々には不可能なとんでもない旅の姿が見えてきたことだろう。 二人が「世界名作劇場」という大舞台で、こんなアツい旅をしてきたことは是非とも忘れないで頂きたい。またこのページを見たことを機に、マルコとポルフィの旅を見直して頂ければとも思う。 |