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・「母をたずねて三千里」エンディング
「かあさんおはよう」
 作詞・高畑勲 作曲・坂田晃一 編曲・小六禮次郎 歌・大杉久美子
 旅の緊張感が溢れるオープニングに対し、エンディングはとてもまったりした曲である。まったりした展開の話の後にこれを聴かされるとうまくはまるが、辛い展開の22話や48話とか49話の後や、感動のうちに終わった13話や24話や40話の後にこれを聴かされると、ガクッと来てしまうというのはよろしくない。そういうときは「もうちょっと差し障りのない歌に出来なかったのか?」と感じるときもあった。
 曲はワルツ調ののんびりしたテンポで、内容は前半でマルコと母の距離感を歌い、後半ではマルコの母へ「甘えたい」気持ちがうまく描かれている。特に前半の歌詞はジェノバのアルゼンチンの誤差を上手く使った歌詞になっていて、タイトルの「かあさんおはよう」にうまくオチるようになっている。
 背景にはデフォルメされたマルコが歌詞に合わせて、朝起きて窓を開けたり、雲に乗って母のところへ飛んで行ったりする画像だ。これがまた歌と合っていてまったりしていて、前述のように回によっては本編との落差が大きすぎる。どーでもいーが雨を降らしている雲に乗って傘をさしても意味が無いぞ、と思うとマルコは雲から飛び降りて傘をパラシュート代わりに着陸するというとんでもない方向に展開する。そして着地した先には母がいて抱き付くのだが、ここで出てくるアンナがマルコとは違いデフォルメされていないのがちょっと不思議だ。
 いずれにしても物語の余韻はうまく味わえる内容だとは思う。でもやっぱ重い話や感動的な話の後だとちょっとなぁと思った。

・「母をたずねて三千里」の総評
・物語について
 考察本文中に記した通り、物語は大きく4編に分けられる。1話〜13話までの「ジェノバ編」、14話〜25話までの「旅立ち編」、26話〜38話までの「バイアブランカ編」、39話〜52話までの「再会編」で分類することが出来る。だいたい1幕が13話前後で1単位と見て良いだろう。そして終わってから振り返ると、それぞれの区切りは線が引かれたかのように明確に物語が転換するのだ。

 まず「ジェノバ編」であるが、ここではマルコが旅に出る前の設定固めと理由付けが主であり、また終盤へ向けての伏線も多く植え付けて行くものとなっている。特に設定固めのためにマルコと母の別れという序盤最大のヤマ場を第1話のうちに済ませてしまい、2話からはマルコと父の諍いを主としてマルコのその家族の性格付けと設定付けをひとつひとつ丁寧にこなして行く。
 これが落ち着くと5話からはジェノバでのマルコの仲間達や、ペッピーノ一座との物語へと進んで行く。ジェノバの仲間達との物語ではマルコの性格付けという役割を持ち、ペッピーノ一座との物語では一座の性格付けはもちろん、彼らが今後の展開でマルコを助ける理由付けを行う。そして二度目のヤマ場であるフィオリーナとの別れで第1幕は幕を閉じる。

 「旅立ち編」では、第1幕の展開を受けて早速マルコの旅立ちへと物語を展開させる。もうマルコや周辺人物の性格付けという展開は一切無しで、第1幕で作り上げた設定や性格に従って物語を淡々と続ける。第2幕初回である14話のうちにマルコは密航を企て、早くも15話でジェノバを旅立ってしまうという潔さだ。この潔さは第1幕で1話で母との別れを済ませてしまった点にも通ずる。
 そして旅に出て最初の「フォルゴーレ号」の旅では、「楽しい旅」を描くことに注力している。それはその後の旅を辛く描くことで印象付けるためだが、この辺りの「落差」は徹底的に描かれている。リオデジャネイロ以降では移民船の悲惨な状況から始まり、ブエノスアイレスに上陸すると母や頼れるはずのメレッリが行方不明であることが判明したり、全財産を盗まれたりという展開に入ってくるとこの「楽しい旅」が後からじわじわと効いてくるというものである。
 またブエノスアイレス到着直前で「母とすぐ会える」とマルコの気持ちを盛り上げたのも同じ効果だ。
 そしてブエノスアイレスでは母の行方不明と全財産を盗まれるという最悪から力強く立ち上がるマルコも描かれた。この中で「もうひとりのおかあさん」の死に立ち会うことで「親」の気持ちを知り、自分が何が何でも母に逢わねばならないと意識する。そしてフィオリーナと再会をきっかけに「次なる旅立ち」へと物語が繋がってゆくのだ。
 こうして第2幕では「ジェノバからの旅立ち」から「ブエノスアイレスからの旅立ち」の流れを上手く繋いでマルコの強い意志を植え付けるのが主となるのだ。

 「バイアブランカ編」では母の消息を掴むべく、メレッリをたずねにバイアブランカへ往復する物語が描かれる。主となる展開は往路の方で、ここではマルコとフィオリーナの物語を軸にマルコを鍛えるべく展開を取るのだ。同時にマルコが母と出会った後のための伏線を張っておき、マルコのアルゼンチンでの「家族」となるペッピーノ一座との絆を強くする。
 マルコを鍛え上げたところで万を侍してバイアブランカに到着、メレッリもアンナも見つからないという展開で一度落としてからメレッリを登場させるというもどかしい展開だ。
 フィオリーナとの別れを盛大に描いてから、メレッリの情報に従いブエノスアイレスに戻るマルコの前に、今度は母が遠方にいるという壁を据えるまでがこの第3幕の物語になる。今後の物語を決定づけると同時に、これまでの物語に一度区切りを付けるべくブエノスアイレスで出会った人を振り返ってマルコの気持ちを一度完全に切り替えてから、最終幕へと物語が流れる。

 「再会編」ではバイアブランカで得た母の手がかりに従って、淡々と最終目的地を目指す展開となる。これまでの展開を結集し、マルコの実力と精神力が試される展開となった。ロサリオで紹介者に会えないだけでなく侮辱され、コルドバで病に苦しむ貧しい少女と自分の目的との狭間に揺れ、牛車隊との旅は自分とどうしても気が合わない人物との同行させられることに苦しみ、「ばあさま」の死ではマルコを悲しみの縁に落とし、吹雪の草原ではマルコを心身ともに限界という状態に追い込む。これら次から次へと容赦なく押し寄せる「試練」の向こうに母が待っているという展開を取った。
 同時に49話から、その求める母が健康ではなく病に苦しんでいるという描写から母側の状況も画面に流し、マルコに対するさらなる危機として描くのだ。
 ここまで容赦なくマルコを苦しめた上で感動の母子の再会となり、多くの人がこの物語は「母子の再会劇」と同時に、その直前のマルコの苦しみが強く印象に残るように出来ている。
 そして母子の再会、それによる母の快復、さらにマルコの成長と決意を物語の結論として描き、最終話ではオチとしてジェノバへの帰路が描かれる。特にこの第4幕での登場人物が再び画面に現れ、それぞれマルコとの絆が演じられる。その上でブエノスアイレスではペッピーノ一座との再会を描き、フィオリーナのマルコへの思いが本物であることがしっかり描かれる。そしてラストシーンはマルコ一家の再会で「何もかもが最初に戻った」という大団円で物語は終わるのだ。

 全体を通してみると、考察本文で散々語ってきた「容赦のなさ」はやはりポイントであろう。マルコが苦しむところだけでなく、実はマルコにとって嬉しいシーンも容赦がないというのは本文で言わなかった点だ。ブエノスアイレスでのマルコとフィオリーナの再会はその筆頭格であろう。このようにプラスもマイナスも容赦なく描き、マルコにプラスとマイナスを行き来させることでマルコの想いや強さを上手く描き出している。
 同時に物語はマルコに対し一切同情がない。淡々とマルコの旅を描くことに徹しているというのは今回見直してみて再確認した点だ。マルコに同情がないからこそ、マルコに辛く当たる人間は悪役にされず公正に描かれ、中には見ていてそっち側の人間に感情移入出来る場合もあった。マルコを列車からつまみ出した貨物列車の車掌の台詞が名台詞欄に上がっている点がその筆頭格である。こうしてマルコに辛く当たる人間にもちゃんと正当な「理由」が与えられるため物語がリアルになり、だからこそ「母との再会」という最大のヤマ場に限らず、洋書の感動シーンで涙した人も多かったのだ。

 このような展開を通じて、物語は「親子の絆」というテーマを見る者に訴えてくる。遠く離れても切れることのない絆、遠く離れることによって強くなる絆、この両方を訴えてくるのだ。この点はオープニング曲やエンディング曲までも統一されているテーマだ。この中でマルコと母は遠い場所で想い合うという状況で、マルコと父はすぐ側にいて諍い合うという展開からこの絆を描いた点は面白い。マルコと母が再会によってこれを確認するのはもちろんだが、マルコが旅を通じて自分の父の仕事の大きさを知り、父の背中を追うという決心を持つまでに至るという展開で父との絆を確認するのだ。
 その裏側で描かれたのが、マルコとフィオリーナを中心にした「遠い友との絆」という物語も同時に描かれている。またマルコの旅そのものは目的に向けて一途になれば必ず目的を達せられるという点や、努力はいつか報われるというという点も描いているのだ。

・マルコの旅程
 劇中におけるマルコの旅程は以下の通りである。本文にも出してきたものではあるが、ここに再度挙げておきたい。
第15〜18話(ジェノバ→リオデジャネイロ)
第18〜22話(リオデジャネイロ →ブエノスアイレス)
第26〜33話・36話(ブエノスアイレス〜バイアブランカ往復)
第39〜40話(ブエノスアイレス→ロサリオ)
第41話(ロサリオ→コルドバ)
第45〜51話(コルドバ→トゥクマン郊外)

ジェノバ→リオデジャネイロ 船舶(外洋定期船) 15〜18話 10400km 2650里
リオデジャネイロ→ブエノスアイレス 船舶(移民船) 15〜22話 2240km 570里
ブエノスアイレス→バイアブランカ 馬車 26〜33話 635km 161里
バイアブランカ→ブエノスアイレス 鉄道 26話 635km 161里
ブエノスアイレス→ロサリオ 船舶(河川貨物船) 39〜40話 350km 89里
ロサリオ〜コルドバ 鉄道 41話 395km 100里
コルドバ〜トゥクマン郊外 鉄道・牛車・ロバ・
徒歩・馬車
45〜51話 566km 144里
合計     15221km 3875里
         
帰路(トゥクマン郊外〜ジェノバ) 馬車・鉄道・船舶 52話 13710km 3491里
往復合計     28931km 7366里



・登場人物
 登場人物としての特徴は、「旅もの」共通の特徴としてゲストキャラが多い点だ。下記の名台詞順位を見ても、多くがゲストキャラで占められていることが解るだろう。

 主人公マルコは芯がしっかりしていて真っ直ぐで頑固、こう決めたら曲がらない性格として描かれた。ただ序盤では何かあるとすぐブレるように描かれ、特に父親に対して理解せず反発するように描かれ、自分が背負っている運命をも受け入れられない「幼さ」を前面に出した性格でスタートさせた。これが旅行で様々な出来事から様々なことを学び、特に父親の仕事の偉大さを知って自分の運命を受け入れるようになり、何よりも「自分がなすべき事」が何なのかをしっかりとつかみ取るという成長を見せる。
 これに合わせ、マルコの顔立ちも変化が見られる。序盤のマルコの顔は「あどけなさ」を強調した幼い顔つきであるが、物語が進み終盤になると同一人物とは思えない精悍な顔つきに描かれる。だが終盤の例外は51話の再会シーン、マルコが母と抱き合って再会を喜ぶシーンでは元のマルコに戻っているように見えた。この表情の違いもある日突然変わるのでなく、徐々に変えていったのだから意図していたのなら凄いと思う。

 マルコの母、アンナは「優しさ」を前面に出した性格にした。回想シーン以外では最初の1話と最後の4話でしか出てこないので、息子を「叱る」シーンを描く必要がなかったのがこの印象を強くした面もあろう。1話のアンナはやむを得ない理由で遠くへ行かざるを得ない事態に対し、息子を心から思いやる姿が描かれ、49話の再登場から再会まではひたすら息子に「逢いたい」と願う母として描かれている。そして再会後のアンナは息子から力をもらい力強く立ち上がる女性としての面を強くし、息子に出会えたこととその成長をどれだけ喜んでいるかを上手く描いた。
 序盤や物語途中のアンナは「豊満な女性」として描かれていたが、49話での再登場以降はやせ細って別人のような体格で描かれた。ここにこの女性の苦労をうまく描いたと思う。

 ピエトロは「不器用な父」として描かれている。面白いのは彼が不器用になるのはマルコに対してだけであり、他の人には器用に付き合っているのだ。つまり小さな子供と付き合うのが苦手、そんな親として描かれたのだ。だからこそこの父は息子に大事な事を告げる事を忘れ、マルコとの諍いを繰り返してしまう。だが「貧しい人のための診療所作り」という信念を持った人でもあり、その信念は最終的にマルコに理解される。

 マルコのもう一つの家族とも言えるペッピーノ一座は印象深く描かれた。
 フィオリーナは芯が強くて真っ直ぐなマルコに惹かれて行く少女として描いた。彼女は当初、自分がどうあるべきかを見失ったままとにかく一家に着いていくしかない少女として描かれていたが、マルコの出会いによって「自分に行くべき場所がある」事を知る。それをマルコから教わった彼女は悪い言い方をすればマルコの「信者」であったかも知れない。マルコに生き方を教えられ、マルコによって明るく笑うことを覚えた彼女がマルコの為に出来ることは、母捜しの手伝いをすることだけであったが、それに従って忠実に動く彼女の姿は多くの人の印象に残っただろう。
 当考察では「フィオリーナ萌え〜」で描いたが、私が彼女にはまったのはある意味少年時代の私の好みに近かったのもあるだろう。アーメンガードほどではないにせよ、やっぱ何とか助けてあげたくなっちゃう性格なのも男心をくすぐっていると思う。

 姉のコンチエッタはそんな妹の心境を誰よりも解っていたし、また彼女にもフィオリーナと同じ時期があり同じように自分を目覚めさせた存在があったことを知っているのだろう。だからフィオリーナと一緒にマルコに手を貸すという行動には説得力がある。そしてそのために、一座の看板女優という立場を利用して座長であり父であるペッピーノを上手く操るというずる賢い性格が描かれていたのは面白い。

 ペッピーノはそんな娘達の父親としてあるときは威厳を持ち、あるときは言い負かされるという都合の良いキャラとして描かれたが、バイアブランカ編まではマルコの周囲にいる唯一の「大人」として良い意味でも悪い意味でも機能していたと思う。その証拠が後述する名台詞欄への登場回数の多さだろう。彼の一言はマルコを動かし、娘達を想い、それらを暖かく見つめる「父性」がうまく現れているのだ。実はマルコの父ピエトロが性格的に「父性」を見せるのが難しいキャラであるので(だからマルコと諍いを起こす)、ペッピーノが見せる「父性」はマルコの成長には、良い意味でも悪い意味でも欠かせなかったと考えられる。

 その他、多くのキャラクターがこの物語を彩っているが、書き出すとキリが無いのでレギュラーと言えるマルコの家族とペッピーノ一座だけ細かく考察した。他のキャラは名台詞欄登場回数ランキング上で語ることにしたい。

 その名台詞欄登場回数であるが、連載を続けているときに既に感じていたが主人公マルコが圧倒的に回数が多い。20回の大台を期待していたが残念ながら(?)そこまで届かなかったものの、登場回数19/52回はこれまで当サイトでの考察結果ではトップを走っていた「赤毛のアン」のアンによる17/50回をも上回り、トップの座を奪い取った。登場頻度は2.7話に1回と、ほぼ1話おきに名台詞欄に上がっている計算になる(ちなみにアンは2.9話に1回、続く15/46回のセーラが3.0話に1回)。
 マルコだけで19回も当欄を独占しているから、残りは全部少数でしかない。2位ですらペッピーノの4回、3位でやっとマルコの父ピエトロや、マルコを想うフィオリーナが登場するがどちらも3回という有様。しかもその3回のランクに、劇中への登場がペッピーノよりも圧倒的に少ないフェデリコが食い込んでいる。その下へ行くとマルコの母アンナですら2回、ジーナやパブロが劇中への登場回数の割に健闘して2回、「フォルゴーレ号」コック長のレオナルドがこの順位にいるのは当然だが一緒にいるのがもっと重要な人物だったりするという点で驚きだ。
 さらに順位が下がると、マルコの兄トニオを除いてもうゲストキャラばかり、この点はこの物語の特性を如実に反映していると言えよう。

名台詞登場頻度
順位 名前 回数 コメント
マルコ 19 堂々の1位、考察文を作っている時も登場回数20回越えるのではと思っていたが、あと一歩で及ばず。印象に残った台詞は51話の将来の決意を語る台詞。物語の結論を得ただけでなく成長をも見せてくれた凄い台詞で、今のアニメキャラでここまで言うキャラは少ないだろう。21話の長〜い台詞も好印象だ。
ペッピーノ 2位は意外な人が付けてきたという感触があるが、旅先でマルコの父代わりをしていて大いなる「父性」を見せてくれた事を振り返れば納得。36話のマルコの今後の旅先を思う台詞が印象に残った。32話の台詞も好印象。
ピエトロ このマルコの父ですら「少数派」になってしまうほどマルコの名台詞が多かった波乱のランキング。この父の性格が出ていたのは14話の台詞であるが、3話の名台詞は51話の名台詞への伏線として記憶に残っていた人は少なかったことだろう。
コンチエッタ ドロンジョ様の名演は台詞だけでなく色んなところで光っていた。台詞としては印象深いのは24話で見事に父親を操った台詞であろう。演技では人形劇による劇中劇がとても印象的、「流しの旅芸人」をうまく再現していた。
フェデリコ 移民船でマルコと出会い、ロサリオで再会してマルコを救う。その救世主の台詞で印象深かったのは40話の「イタリアの星」での台詞。これがマルコの将来を決めた最初の台詞であったのは間違いない。
フィオリーナ お気に入りのキャラがこの順位…ね、贔屓とかないでしょ? その中で最も印象に残ったのは最終回の名台詞、簡単に台詞にマルコへの思いを込めた演技に圧倒された。27話のマルコに想いを託す台詞も好印象。
アンナ マルコの母とはいえ、最初の1話と最後の4話しか登場しなかった(夢や妄想および回想シーン除く)のでこんなものだ。1話の名台詞はマルコに試練の訪れを示す台詞と言うだけでなく、内容的にも感動してこの物語でもっとも印象に残った台詞だ。
ジーナ ジェノバでマルコの母親代わりをしていたのはまさに彼女だろう。そんな彼女はピエトロに対してマルコの旅立ちを後押しする台詞となった15話の長〜い台詞は印象的だ。この女性の母性が良く滲み出ている。
レオナルド 「フォルゴーレ号」でマルコに対し父性を見せた彼は、ゲストキャラの中で最も印象に残っている。16話のマルコを認める台詞は、彼のそんな父性を上手く示している。コック長なのに船の中で一番偉そうだ(笑)。
パブロ マルコとの友情物語を紡いだコルドバの少年。彼はほんの4話しか出てこないが、そうとは思えない程物語での存在感が大きい。42話の名台詞では猪突猛進のマルコに立ち止まることを上手く提案したことで印象深い。
11 トニオ マルコの兄というマルコに最も近い立場であったが、登場回数が中途半端で名台詞には恵まれなかった。2話の名台詞は、弟のことを最も近い立場を見つめている兄の大きさがよく見えた。
ジロッティ マルコを雇った瓶洗浄工場の主人。彼が9話で吐いた名台詞は、人がどうやって職を失って行くのかという現実が上手く語られていた。その内容は現在の日本に通じるものがあるだろう。
ロンバルディーニ ピエトロの診療所で働く医師で、最初はピエトロのやり方に理解を示さないという役回りで登場。しかし10話でそんな姿はかき消され、マルコに医師の力の無さを語る。このギャップが印象的なキャラだ。
ロッキー 「フォルゴーレ号」の船員で、マルコに密航を焚き付けた張本人。18話の名台詞は、この物語で初めてゲストキャラがマルコに同情してキレる記念すべき台詞である。いい男だけどレオナルドとセットなのが災いして名台詞に恵まれなかった。
ジブリアーナ メーテルっ!!!!!! という訳でないが、23話の名台詞はメーテルが鉄郎に言い聞かせているような内容でびっくり。死に行く人間を安心させるためにウソを演じたマルコに「成仏」という概念を教え、それが正しい事だと導く。
エステロン マルコが母の消息を知る男として捜していたメレッリの仮の姿。ちょっと間の抜け感じが「信じて良いのか?」という怪しさを匂わせていて良かったぞ。35話の名台詞はその性格で自分の正体がわかることをポロッと言ってしまったのがこれまたいい。
ファドバーニ コルドバへの旅費を工面できなかったエステロンが、マルコに訪ねるよう勧めたブエノスアイレスの有力者。その立場でありながら37話で彼の口から出てきた台詞は、誰でも母を想うのは同じという普遍的な思いであったのは印象的だ。
貨物列車の車掌 46話で出てきた名もないキャラ。このキャラが語ったのは鉄道のありがたさ、このたびの震災でそれを痛感した人も多いことだろう(私もそうだ)。本作考察で名台詞欄に名もないキャラが上がったのはこの一例だけ。
マヌエル 45話終盤から47話前半まで同行した牛車隊の若者。アムロの声でマルコに同情する。47話は「大自然」について子供に聞かれた大人の自然な反応を上手く演じている。マルコの疑問に思わず私が応えてしまった。


・「母をたずねて三千里」の追加考察
・「MARCO 母をたずねて三千里」
 1999年に公開された「母をたずねて三千里」のリメイク劇場版、正直言って批判ばかりです。

・「母をたずねて三千里・完結編」
 2000年に制作されて放映された「母をたずねて三千里」の総集編。

・「旅対決」マルコVSポルフィ!

 「世界名作劇場」の2大旅ストーリー、「母をたずねて三千里」のマルコの旅と「ポルフィの長い旅」のポルフィの旅を、ストーリーは一切無視してあくまでも「旅」だけの比較をしてみます。

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