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第1話 「あたらしい家族」
名台詞 「あなたの気持ちはわからないけど、でもあなたが悲しいことだけはわかるわ。それだけじゃいけないの?」
(ソラ)
名台詞度
★★★★
 北海道の開拓にやってきたソラの一家は、水害で大きな被害を受けた十勝にやってくる。水害の影響でぬかるんだ大地を馬車で走っていると、一人の少年が川に浮いているのを見つけて助ける。助けられた少年はレイと名乗るが、その両親は流されて行方不明。父はレイに一緒に暮らすよう勧めるが、「僕には行く場所なんかない」とこれを拒んで走り去ってしまう。ソラがレイを追って「一緒に行きましょう」と促すが、レイは泣きながら「父さんも母さんも死んだんだ、もう誰もいないんだ。君には僕の気持ちなんて分からないよ」と返す。これに対しソラが「あなたが生きていてよかった」とした上で、レイに訴えたのがこの台詞だ。
 そう、本当に悲しい人の気持ちなんて他人には分からないものだ。ましてやこの物語の場合、その悲しみの中で見ず知らずの人たちと一緒に生活をしなければならないという状況にレイが追い詰められている。そんなレイに寄り添うためには…まずその悲しみに寄り添い、これを共にすることが必要だ。このソラという少女は幼いながらもそのことだけは解っていて、この言葉でレイの悲しみに寄り添おうとした。実はこれが本当に悲しんでいる人間に対し、他人ができる最大限のことで、だからこそ「それだけじゃダメなのか?」と付け加えて問うたと私は解釈している。
 このソラの台詞に、レイは返す言葉がない。だがその表情は心を開いた風でもない。レイがソラに心を開くのは、この台詞の直後に間髪を入れずに起きる「事件」があったからだ。
名場面 暴れ牛登場 名場面度
★★★★★
 名台詞欄のやりとりの結論も出ないまま、ソラとレイにピンチが訪れる。茂みの中から突然大きな牛が現れて二人に突進してくるのだ、もちろん牛がそんなどう猛なはずはなく、牛の後ろで野犬が吠え立てて牛を追っている。
 突然の出来事に逃げる二人だが、逃げつつもソラはレイに「牛を引きつけるから犬を追い払って!」と言う。レイはこの言葉に反応して犬を追い払おうとするが、それでも牛はソラを追うことをやめない。しかもその先では落ちた木の枝で道が塞がれていて、ソラ絶体絶命のピンチだ。その行き止まりの手前でソラは牛の方へ振り返り「おーーーーーーーっ!」と叫ぶ。突然の出来事に立ち止まった牛にソラはゆっくり近付き、やがて牛が落ち着いたのを見て牛の身体をなでる。牛は安心した表情でソラを見つめる。「よしよし、怖かったよね。もう大丈夫」と優しく声を掛けるソラの元に、「犬は逃げてった」と叫びながらレイが戻ってくる。レイが「大丈夫か?」と問うと「野犬はレイが追い払ってくれたよ」とソラが返し、牛はレイの頬をペロリとなめる。震えるレイと「お礼を言っているんだわ」とはしゃぐソラ…そして二人は笑い合う。
 悲しんでいる人間に「一緒に行こう」というのは簡単なことではなく、レイも返事を返せないことは名台詞欄シーンで演じられた。だがそのままでは物語が進まないのでひと事件欲しいところで、それが起きたという感じのシーンだ。二人が牛と野犬に追われ、これらと共に戦うことで二人は手を取り合って助け合えることを知り、レイもやっと心を開けるのだ。
 だがこのシーンが印象的なのはそのような物語上必要な要素としてだけではない。この緊迫しているはずのシーンが実に楽しく、かつ迫力を持って描かれているのだ。最初の牛登場のシーンでは画面一杯に映る牛がなんとも「怖く」描かれているし、二人が牛から逃げるシーンのスピード感も良い。そして牛に向かって振り返ったときのソラの表情、牛にぺろりとなめられたときのソラの震え具合…これら全てが迫力と愉しさを持って描かれているのだ。「開拓もの」という平坦になりそうな物語にうまく主人公のピンチ(かつ主人公が死なない程度)を挟み込み、物語にうまく緩急を付けたという意味でもこのシーンは好印象だ。
感想  「大草原の少女ソラ」は十勝の開拓民の日常を丁寧に描いたことで好評を博した物語で、再放送が何度も行われているのはこのサイトをご覧の方ならご存じと思う。その第一話は一家が十勝にやってくること、そこでレイという少年に出会い生活を共にするまでの過程が丁寧に描かれているのはとても印象深い。
 始めてこの物語を見たときは、開拓にやってきた一家は水害が起きた地に放り込まれる形でやってきて、しかも水害に被災して天涯孤独となった少年と合流するというストーリーに一時は「どうなるんだ」と思って見ていたが、名台詞欄シーンと名場面欄シーンが上手く組み合わさったことで印象的かつ素直に物語が進んだように感じた。ソラトレイの心理的距離が短くすることを急がなければならないところが、慌てて物語を展開させるのではなく短時間ながら「越えるべき壁」をキチンと超えさせた点は秀逸と言わざるを得ない。
 またシーンの一つ一つが今見ると細かいのも目の付け所だ。例えば冒頭の一家が馬車に乗ってぬかるみを進むシーンでは、馬車の上ではしゃぐソラが馬車が揺れて転ぶところなんか、「馬車がぬかるみで揺れている」点をキチンと示していると思うのだ。だがそれとは対照的に手を抜いているとしか思えない部分も散見され、父ちゃんが口を動かさずにしゃべっているシーンなどは最後の方まで改善されなかったもんなぁ。この作品、物語の内容や「つくり」はとてもいいんだけど、終盤では制作スケジュールがタイトだったのか、作画崩壊が激しくて有名な1話もあったりするし。
 先回りの感想はやめて、いずれにしても今後が楽しみと思わせてくれる第一話だったのは譲れない。
研究  物語に描かれた水害について
 本作は発端は、北海道に開拓のために渡ってきた一家が水害に襲われた直後の十勝地方にやってきたことから始まったのは有名である。ではこの物語で描かれた水害とはいつ起きたものなのだろうか、本作は制作スタッフが十勝地方へロケハンしていることでも有名なので水害は実際に起きた災害がモデルと思われるのだ。
 調べてみたところ、明治31年(1898年)9月5〜8日にかけて十勝地方に激しい雨が降り、十勝川を初めてとする十勝地方全ての河川が氾濫したという記録が見つかった。この頃は十勝地方の開拓はまだ始まったばかりで、これら開拓民が湖沼の下に埋没したと記録されている。
 この災害による死者は21名、流出家屋511戸、溺死した馬は90頭に及ぶという。レイの両親はこの中の二人という設で、この水害の翌日にはソラの一家が十勝に到着したという設定だと考えるべきだ。だが十勝でこれだけの大雨が降ったのなら、その十勝へ向かっていたソラ一家もかなり難儀したと思うのだが…。

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