久慈側運転再開区間
(陸中野田駅〜久慈駅)

 陸中野田駅からはまた列車の旅に戻る。短い区間ではあるが、ここから2駅は久慈の街を囲う峠を越える区間であり海からは離れる。
 久慈には三陸鉄道の車両基地もあるので、車両の検査などには困らないだろうが行き違い設備もない範囲での運行に留まっているため宮古側と同じく、やはり1両の車両が行ったり来たりしているだけだ。こちらでは朝ラッシュの時間帯に乗ったこともあり、地元の高校生などで車内は立ち客が多数出るほどの賑わいだった。

久慈からやってきた列車がゆっくりゆっくりと陸中野田駅に接近してくる。
こちらでも列車の最高速度を40km/hに制限して運行している。
「鉄道むすめ」キャラクターのヘッドマークだが、宮古側では紙に印刷したものをフロントガラスに貼り付けているだけだったが、こちらでは立派なヘッドマークを作成して掲げていた。
また通常なら「ワンマン」表示をする小窓に行き先を表示している。中央の表示装置には「陸中野田」の表示は用意されていないのか?
中間の陸中宇部駅、桜が満開でまさに春うららと言った感じでのんびりしている。
この景色だけを見ていると、ほんの僅か離れた場所で町が震災で壊滅しているなんて信じられない。
陸中宇部駅に進入してくる久慈行きの列車。
撮り鉄ばかりしているように見えますが、ちゃんとこっちでも1往復乗っていますよ。
ホーム1本だけの小さな駅で、街へ買い物という老人と登校の学生を数人ずつ乗せて出て行く。列車本数は少ないけど人々の生活を、この僅かな運行再開区間が支えていることを実感させてくれた。
三陸鉄道は生きている。悲鳴を上げつつも。
列車は久慈駅に到着、JRとの乗り継ぎ駅である。
しかし、JR八戸線はこの時点でも運転見合わせが続いている。三陸鉄道は「離れ小島」になりつつも奮闘しているのだ。
車両基地の様子を見てみる。
やはりこちらでは震災時に運用されていなかった車両が多数眠っていて、運行再開の日を待っているのだ。
手前側に置いてある車両は、運行再開区間の予備車両としていつでも動けるようスタンバイしているのだろう。宮古側は予備の車両がないようなので今後どうなるのか気になるところだ。

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