2011年春・三陸鉄道訪問記
2011年3月、東北地方を巨大な地震と津波が襲い、多くの人々の生活と生命が奪われてしまったのはこのサイトをご覧の皆さんもご存じの通りだろう。
実は今回、三陸鉄道を訪問するかどうかはギリギリまで悩んだ。 私のような余所者が、地震と津波で苦しんでいる地域に足を運んでも良いものなのか、かと言って私にはボランティアで働くほど根性はない。こんな男が被災地へ行くという事で悩んでいた訳だ。 結果的には行って良かったと思っている。三陸鉄道の方には歓迎してもらえたし、それだけでなく現地で会話した人も私を歓迎してくれた。そして何よりも「何が起きたかしっかり見て、みんなに伝えて欲しい」と現地の人に言われたことだ。この一言が私が急遽このページを作るきっかけになった。ちなみに今回の旅で訪れた場所は三陸鉄道だけではなく、三陸地方のいくつかの観光地も立ち寄っている。飲食店にも立ち寄った。 そしてこのような形で現地での実状を伝えることと共に、もう一つの決意は「また来るぞ」ということだ。私の資金的事情では三陸を訪れるのは他の旅行を全部止めたとしても年に一回が精一杯、でもその出来る範囲で当面は旅行では三陸に立ち寄ろうと考えている。 それと今回の震災で、鉄道に被害があったのは前述した通り。今回の旅でもJR山田線や気仙沼線などの被害状況も見てきている。これらの路線は路線が古いこともあって海岸線近くを走る事も多く、三陸鉄道とは比較にならない大被害が出ている事は付け加えておきたい。また現在は旅客営業をしていない岩手開発鉄道も大船渡市内の貨物駅施設に大きな被害が出ているのを見ている。 これら各路線の被災状況を見て、私には鉄道が「助けてくれ」と悲鳴を上げているような気がした。もっと地元の人々の役に立ちたい、このように時だからこそ人と心を結びたい、そんな鉄道の悲鳴がきこえてくるように感じた。 それは特に三陸鉄道において、僅かに再開した鉄道が人々の役に立っているのを目の当たりにしたからだ。特に小本駅で列車を待っている人達が「列車が通うようになって便利だ」と話をしているのを聞き、その後宮古駅で列車を待つ人々が行列しているのを見て、鉄道が必要とされているのを見てからそう強く感じた。 だがこれらの鉄道はお世辞にも儲かっているとは言えないだろう。赤字の上に多額の復旧費用が重くのしかかり、三陸鉄道は存亡の危機にあると言ってもいい。だが赤字だから不要と一刀両断するのも間違いだと思う、人々が必要としているものは赤字でも運営しなければならないはずである。 数年前、九州は宮崎県で高千穂鉄道が水害からの復旧を断念しそのまま廃止になった。これは悪しき前例にならないかと不安である。恐らくこちらでもギリギリまで廃止の判断をしなかったはずで、「赤字だから」と簡単に切り捨てたわけではないと思うのだ。だが「赤字だからダメ」という考えでこの鉄道を潰したのは、私は世間の判断ミスだと思っている。 もちろん簡単にバスに変えられる路線なら廃止という決断もありだと思う。だがそれは整備された国道が線路と完全並行していて渋滞もなく、旅客数が最も混雑するときでもバス一台で運べる数…つまり本当に空気を運んでいる状況だったらの話だ(鉄道1両とバスでは輸送力に大きな差がある)。 三陸鉄道はどうしてもこの条件に当てはまらない。震災前はラッシュ時は増結して対応していたと言うし、今回の一部が運転しているに過ぎないという非常事態に置いても1両の車両が混雑する有様だ。 さらに三陸鉄道が走る路線が徹底的にバス代行に向かない。北リアス線の島越や田野畑、南リアス線の甫嶺〜綾里のように国道から完全に逸れた集落を結んでいる区間がある。どれも鉄道輸送をカバー出来るような大型バスが通れるような道路でなく、震災でなくても悪天候になるだけで簡単に交通が途絶するようなところだ。ここから鉄道の線路を剥がしたらその地域に住む人達は、そこでの生活が出来なくなってしまうだろう。 だから私としては、そんな思いを込めてこのページのタイトルも「鉄路の悲鳴がきこえる」というものにしたのだ。この鉄道をぜひとも助けて欲しい、政治家の皆さんも含めよろしくお願いしますよ、という気持ちが伝わるタイトルをと考えたわけだ。 三陸鉄道の全線復旧への長い戦いはまだ始まったばかりであるが、私もこれをしっかり見守って機会があれば力は小さくても引き続き支援していきたいと思っている。 そしてまたいつの日か、三陸鉄道を北リアス線から南リアス線へ直通する列車が走ることを願ってやまない。その日が来たら今度は列車に乗って全線旅をしたいと思う。 そしてその時は、三陸鉄道だけでなく復興なった三陸の旅を楽しみたい。 ・三陸鉄道訪問記メニューに戻る |