三陸駅〜甫嶺駅間・陸前赤崎駅〜盛駅付近

 唐丹駅付近を過ぎると長大トンネルに入り、その間に高度を上げて海面から離れる。三陸駅までは峠越えを繰り返すため海岸に近付くことはなく線路にも大きな変状はないが、三陸駅から甫嶺駅にかけては線路が海に近付き、ここでまた被害が発生している。
 だがここを過ぎるとまた線路は海から離れ、峠を長大トンネルで抜けて大船渡の市街地に入って行くと被害が大きくなるのだ。

三陸駅を過ぎてしばらく行くと、列車は防潮堤に守られた海岸線に出る。ところがその防潮堤が津波で破壊され、線路がある盛土を削ってしまっていたのだ。
この橋梁は橋梁自体は無事なのだが…
上述の橋梁の向こう側を見てみると、盛土が大きく削られて低くなっているのがわかる。その状況を写真に表現するのはとても難しかったが。
写真に見えるパワーショベルは、この盛土から流れた土砂を片付けているようだ。
上記の橋梁から少し進むと、津波で流された民家の2階部分が盛土上の線路に乗り上げていた。
それだけでなく、前方の橋梁の左側の盛土が削れているのがわかるだろう。
甫嶺駅の線路上には、ご覧のように様々な瓦礫が乗ったまま放置されている。道床バラストも流され、軌道はホームの足で食い止められたかたちだ。
甫嶺駅ホームから釜石方向を見る。つまり上写真の奥側にあたる。盛土の半分が津波で流され軌道が盛土の下に転落している。この写真には写っていないが、軌道は写真左側の道路沿いに転落し、まくらぎだけがきれいなカーブを描いて並んでいた。レールは瓦礫として撤去された模様。
ちなみに、残った盛土の中央にはNTTの電話線が仮設されている。杭が等間隔に並んでいるのは通信ケーブルを固定するためのようだ。
甫嶺駅ホームから盛方向を見る。バラストは流失しているものの、こちら側の盛土には大きな変状はない。前述のNTTの電話線がレールに固定されているのがわかるだろう。
峠を越えて大船渡市街、陸前赤崎駅に来た。
このホームからの景色は目を覆いたくなるような惨状だ。この街中を走ってこの駅にたどり着くのも一苦労だった。
陸前赤崎駅ホームは、写真ではわかりにくいが実は大きく傾いている。カーブ区間なのでレールが傾いて見えて当然、と鉄道の軌道に詳しい方は思うだろうが、このレールの傾きはホームの傾きでそう見えている。ホームが上下に波打っているのもお分かり頂けるだろう。
実はこのホーム、よほど危険だったのか恐らく震災後に入れたと思われる真新しい補強がしてあった。
陸前赤崎駅を出ると、大船渡の市街地の縁を回り込むように終点の盛駅へ向かう。そして最後に渡るこの橋梁も、ぱっと見では被害が内容に見えるが…
やはりここでも橋脚が座屈を起こして強度を出せなくなっている。これも破壊状況から言って津波ではなく地震でやられたものだと考えられる。
つまり南リアス線は津波の被害だけでなく、両端にある巨大な橋梁が地震そのものでやられてしまい、津波被害が無くても運行不可だったということだ。
橋梁を渡ると街のレベルまで標高を落とす。すると突然線路が途切れてしまっている。
この盛駅まであと僅かの百数十メートルにわたり、津波で線路が引きはがされて裏返しになってしまっているのだ。
それともうひとつ、ここには写真ではお伝えできない「臭い」があったことも付け加えておこう。思い出したくない強烈な臭いである。
それと関係あるかどうかわからないが、この区間の軌道敷には死んだ魚が多かった。
そして軌道敷から引きはがされた線路は、この踏切で元に戻っている。ここからは若干のバラスト流失がある程度で、終点盛駅まで大きな被害はないようだ(と言ってももう数百メートルとないが)。

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