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 東京多摩の我が家を出発したのは4月30日未明4時、そこから東北道をかっ飛ばして盛岡インターで降り、今回は国道455号線を通って岩泉へ、ここで県道44号線に進路を取って田野畑村へ直接乗り込んだ。そしてまず到着したのは三陸鉄道田野畑駅、昨年は列車も動いてなくて誰もいない寂しい光景だったが、今年は多くの人々が集まり、走るようになった列車の到着を待っていた。
 まず最初にカメラを向けたのは、田野畑村の海辺に立つこの水門。水門の上に立つ動力室が三陸鉄道の列車を見立てた形になっている。
 よく見ると、反対側は行先が「久慈」になっていたりする。この水門は昨年来たときとほとんど変わってなくて、津波で破壊されたままだ。
 田野畑駅を示す看板だが、今回の訪問で初めて知ったのは震災のあの日、津波がこの駅のすぐ前まで押し寄せたという事実だ。
 海までけっこう高さあったぞ…。
 上写真の奥に見える築堤が宮古へと続くはずの三陸鉄道北リアス線の鉄路だ。だが今は駅構内を出ないうちに車止めがしてある。
 このトンネルの向こうで橋梁が流出しているのは、去年も見たし今回も見て確認したことだ。
 駅前の広場に止まるこのバスは、北リアス線の北と南に分かれた運行再開区間を結ぶ連絡バス。列車が通じていないのは路線図で見れば僅か2駅分だが、そこは北リアス線にとって最も険しい区間。国道45号線も難所である区間だったが、今は自動車専用道の開通で難所は解消されている。
 だが田野畑駅・島越駅と国道45号を結ぶ県道が上記とは別の難所であることは明記しておこう。
 なぁんて思っていた13時過ぎ、いよいよ本日乗る列車が田野畑駅に接近する。
 今回往路に選んだ列車は、JRから乗り入れの観光列車「リゾートうみねこ」である。八戸で新幹線に接続し、海岸伝いに久慈へ、そして北リアス線に乗り入れてくる。
 三陸の最も北にあたる鉄道が復活しつつあることで、この春から運行を再開した。
 その「リゾートうみねこ」では運転席背後の展望スペースを陣取った。そしてここにいたら私と同じ鉄道好きの仲間が集まる集まる…。
 ここは白井海岸駅。トンネルに挟まれた狭い谷間に突然駅がある「秘境駅」のひとつだ。でもクルマで行くとあっけなくついちゃうんだよね(とはいえかなりの難路だけど)。
 堀内駅近くの大沢橋梁、ここで列車は一時停止して観光客に景色を見せる。
 この橋梁の外観は「撮り鉄」の時にしっかりご覧頂くことになる。
 野田玉川を出発してしばらく行くと、いよいよ野田村の被災区間に入る。ここは昨年の来訪時に写真こそは撮らなかったが、土盛りが完全に流出しているのを確認している。
 土盛りを新たに作り直し、しかも再度の津波襲来に備えてコンクリートで補強するといった具合だ。そういえば陸中野田駅付近では、元々土盛りがコンクリートで固められていたから、上に載っていた線路が流されただけで済んでいる。
 トンネルをひとつ抜けると、野田村の中心街を左に眺めながらの区間になる。だが左側には家も何もない、みな津波で流されてしまっていて、去年来たときは一面瓦礫だらけだった。
 右側は元々松林だったそうで、その林を構成していた木が数本だけ残っている。
 この写真を撮った位置とほぼ同地点で、昨年も写真を撮っていた(画像にマウスポインタを合わせると昨年の風景に変わります)。
 上写真の奥側に陸中野田駅がある。駅付近は津波の被害をほとんど受けていないように見えるが、実際のところはその日にいたわけでないので解らない。
 ただ、駅は築堤の上にあるので無事だったのは確かなようだ。あの震災から僅か5日で、ここに列車が走っていたのだ。
 小さな峠を越えると列車は久慈駅に到着。ここで車両はJRに戻るため、乗務員もJRの人に変わる。
 そして私も、後ろ髪引かれる思いをしながらこの列車を降りる。とても快適な列車だったなー。
 折り返し田野畑へ。

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