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 南三陸町を後にして、途中で国道45号から逸れて398号線へ。次の目的地はここ、石巻市立大川小学校。
 去年訪れる予定だったが、国道398号線の北上川の橋が流されてしまっていて渡れず、立ち寄ることが出来なかった。
 校舎の前には、学校の門柱がそのまま慰霊碑になっていた。ここでは津波に警戒して避難中の児童達が津波に呑まれ、その殆どが帰らなかったという。
 そのニュースを最初に聞いたときから、現役小学生の娘がいる私としては、どうしても一度来て手を合わせたかった。

 手を合わせると、自然に涙が出てきた。
 花で飾られた門柱の隣には、児童達の遺族が建てたという慰霊碑「子まもりの像」が建っていた。
 亡くなった子供達の親御さん達の、その無念が伝わってくる慰霊碑だ。

 子供達が逃げようとしていた高台、それに一握りの助かった子供達が逃げ込んだ裏山、それらがあまりにも近いところにあるのも驚いた。
 大川小学校からさらに国道398号線を進むと、女川の街に出る。
 鉄筋コンクリート造りの建物が、そのまま横転している光景は何度見ても驚きだ。
 女川の街を行く。ここでも瓦礫が撤去された事による「広さ」が印象的だ。
 ここはかなり奥の方まで津波の痕跡があり、とても驚いた記憶がある場所だ。
 マウスポインタを画像に合わせると、去年この場所から反対方向を向いた写真に切り替わるようにしてある。
 そして、石巻に到着。小雨が降り始めていることもあり、ここからは高速道路に入り一路東京を目指した。

 今回も、写真では伝えられないものがひとつある。それは被災地に漂う「臭い」だ。口では説明しづらい独特の臭いが、まだ被災地にあることは最後に言い残しておきたい。

(画像にマウスポインタを合わせると去年の写真になります)

こんな形で、今年の大型連休の旅が終わった。
今回の三陸の旅では、まだあの大災害の爪痕が全く消えていないことを思い知らされると同時に、
その大災害から力強く立ち上がる人々の姿も見せられた。
そして、三陸鉄道が一部で復旧したように、多くの人々や企業が復旧への道のりを歩み始めている事も理解出来た。
その道はまだ始まったばかりに違いないけど、またいつの日か三陸の美しい街並みが元に戻ると信じている。
私にはそれを見守り、僅かながら応援することしか出来ないけど、その道のりをしっかりと見つめてみたい。
それが、もしも自分が災害に巻き込まれたときの糧になるはずだから。

あの大災害から力強く立ち上がり、前を向いて生きて行く人達に敬意を表すると共に、
被災地の一日も早い復興を願い、今回の旅行記を終わりたい。

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