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 続いて気仙沼にやってきた。
 気仙沼の市街地は去年もやってきたが、旧国道が浸水で通行止めだったので迂回し、元の道に戻ろうとしたら…この船に道を阻まれて通行出来なかった記憶がある。
 ここは大船渡線鹿折唐桑駅前。旧国道から駅前ロータリーに入る駅前通を、この船が塞いでいる形である。
 そしてこの周囲は住宅街だったのだが、今は家という家はひとつもない。
 この船を反対側から見る。船を支える鉄骨があるところが、鹿折唐桑駅へ向かう通りに当たる。
 これだけの船があるから海が近いのだろう、だがここから最も近い海岸まで800メートルある。この船が入れるかどうか解らないが最も近い川まで500メートル、つまりこの位置から海も川も目視出来ない程離れている。
 それだけ大きな津波がこの地を襲ったと言うことだ。
 どれだけ大きな船なのか、この写真を見て頂けば解るだろう。船の真ん中辺りに人が写っているので、それと比較して頂きたい。
 去年、通ろうとした道がこの船に塞がれているのに気付いたとき、あまりの大きさにとにかく驚いた。
 船尾に近い船底部分が道路のアスファルトを割っている状況がこの写真。道路も上に船が載ることなど考慮されていないし、船も道路に直置きされることは考慮されていない。
 船首部ではこの船に自動車が押しつぶされていた。
 続いて訪れたのは南三陸町、最初に来たのはJR気仙沼線志津川駅だ。ここの駅は土盛りの上に駅があるので、地下道から駅に入る形だ。
 だがここにあったはずの駅舎はない。
 線路をくぐる地下道をくぐり抜け、ホームへの階段を上がってみる。その内部が明るく塗装されているのが、とても印象的だ。
 ホームに上がると、大槌や陸前高田の駅で見た光景と大差ない光景だが、ホームが高いところにある分見通しがきくので、その津波で流され何もなくなってしまった光景が持つ「広さ」に改めて驚く。
 志津川駅前通りを見る、ロータリーには線路から外されたまくらぎが山積みにされている。
 ここも賑やかな商店街であったであろう事が想像されるが、今はその面影は何処にもない。
 震災のニュースで何度も出てきた志津川病院。ここでも多くの患者さん等が生命を落としたという。
 志津川で気になっていたのはこの建物、南三陸町の防災対策庁舎だ。駅ホームから多くの人達が訪れているであろう事が見える。
 ここでは津波に襲われるその瞬間まで防災無線で非難を呼びかけ、逃げ遅れて殉職した職員の話が遺されている。この災害では多くの自治体職員が殉職しており、その中でもここでの出来事は象徴的なものとしてマスコミに取り上げられることも多い。
 ここでこの災害で殉職した全ての市町村職員のために、手を合わせた。
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