心象鉄道1.近畿日本鉄道20100系「あおぞら」号(エンドウ製Nゲージ)
忘れられぬ最初で最後の出会い

乗れなかったけど実車撮影は間に合った!


 「石神井急行旅客鉄道」第一回目は、Nゲージ鉄道模型車両の紹介としては「大ネタ」の部類に入る物をいきなり紹介しようと思います。その名作とも言える車両を生産・販売したメーカーは既にNゲージから手を引いて久しく、今の若い人はそこがNゲージのレールシステムや車両を出していたと話をしても信じてくれないと思われるメーカーです。
 そのメーカーの名は「エンドウ」。今やHOゲージ専門の一流だと思われがちですが、ここはかつてNゲージの名作を数多く出していました。京成AE系・都営地下鉄10-000系・近鉄車両シリーズ・京王5000系・京阪3000形&5000形などなど。
 私の手元にあるエンドウ製のNゲージ車両は僅かに2編成半。そのうちのひとつがこのコーナーの方向性を示すものとして最適の判断から、これを最初に取り上げる事にしました。
 その車両は近畿日本鉄道20100系。1962年に3両編成5本が製作された「修学旅行用電車」です。その内容は3両編成でオールダブルデッカー、車内は少年少女サイズに合わせてあってオールクロスシートながらも片側は3人掛け座席という国鉄155系電車と同じ発想の座席配置をしています。近畿圏の小学生が修学旅行で「お伊勢参り」へ行くための足として活躍し、年末年始や大型連休と言った繁忙期には臨時列車として運行された実績も持ちます。
 1980年代末期になると老朽化が問題になって、一般特急車改造の「あおぞらU」の登場により1編成を残して廃車となってしまいました。そして1990年秋、イベント用に残されていた最後の1編成も終焉の時が近付いていました。

 模型の方はいつ頃から販売されていたのか等の情報はよく分かりません。
 ただひとつ確実に言えるのは、私がエンドウとは別のメーカー系模型店でこの模型を手に入れたのが1990年頃というのは確かです。中古ではなく新品で定価での購入という記憶もあります。この頃にエンドウが再生産したのか(既にNゲージから撤退後と思われます)、はたまたその店(メーカー)が倉庫の片隅に眠っていた「あおぞら号」を発見して店頭に出したのか、その辺りの理由も定かではありません。様子としてはその日その模型屋にあったエンドウ製品はこの「あおぞら号」だけであったこと、その系列店以外で売られているのを見た事がないこと、鉄道模型雑誌等での予告や宣伝がなかったこと(他のものを買う予定を急遽変更して買った)、店頭に並んでいる箱数もかなり少なく店員が「現品限り」と言っていた記憶があることからこれは倉庫に眠っていた在庫品が発見され、店頭に出たのではないかと思います。
 ちなみに当時、同じエンドウ製の近鉄3000系と8800系を他の店で見つけていますが、これは単なる売れ残りではないかと推理しています。


・実車と私

 私が関西の私鉄に興味を持つようになったのは小学校5年生くらいでした。
 当時、自分の小遣いで買った本に「私鉄特急全百科」というものがありました。いわゆる80年代前半に全盛を迎えた少年少女向け「大百科もの」と呼ばれる分厚い本で、少年時代は関東地方から外へ出る事が殆どなかった私はこれを読んで、特に関西の私鉄への憧れを強くしていました。
 特に興味を強く持ったのが近鉄の特急列車群。この本には近鉄を彩る数々の特急車両と、それらが結ぶ路線図が大きく描かれていました。そしてその特急車両各形式の紹介の最後に最もページ数を割いて紹介されていたのが20100系「あおぞら」号でありました。
 当時、関東地方には「二階建て車両」は存在しませんでした。今でこそJR東日本はダブルデッカー王国ですが、1980年代初頭と言えば二階建て車両と言えば近鉄にしか存在しませんでした。その近鉄も二代目までのビスタカーは引退、3台目のビスタカー30000系はどちらかというとハイデッカー車に近い構造であり、本格的な二階建て車両は当時の日本にはこの「あおぞら号」しかなかったのです。
 私は本でしか見られない「あおぞら号」に「二階建て車両の構造的な興味」を持ったのは事実です。すり切れるほどこの「あおぞら号」紹介ページを眺め、その白黒写真を通じて車両がどうなっているのか知ろうとしていました。その思いは「いつか乗りたい」という憧れに変わってきます。
 月日が流れ1989年春、高校を卒業する直前に初めて大阪を訪れました。その時に大阪横断ルートとして選んだのが奈良から近鉄奈良線。本でしか見た事がなかった近鉄特急「スナックカー」を初めて目の当たりにしたときの近鉄奈良駅での興奮は忘れていません。この時は憧れの「あおぞら号」を追いかける余裕もなく、決定的な知識不足でその車両がいつ何処で運用されているのかも知らず、ただ本来の旅行の目的である四国を目指して西へと去っていっただけになってしまいました。
 その年の夏と秋にも大阪入りを果たします。でもまだ定期運用されている車両を追いかけるのが優先で、京阪電鉄や阪急電鉄を中心に活動する事になってしまいました。団体用でいつ何処で動いているのか分からず、乗れるかどうか分からない「あおぞら号」に手が回らないまま、「あおぞら号」の現役引退のニュースが耳元に届き「遂に間に合わなかった」と落胆する事になります。
 しかし、「あおぞら号」は私を待つかのように生き残りました。1編成だけが引退後も廃車を免れてイベント用に当面の間のこる事になったのです。だが関西のイベント情報は私の元に届きにくく、この頃から東武鉄道5700系や京阪京津線の追いかけに力を注ぎ始めたために近鉄にまで手が回らなくなっていきました。
 その最後の1編成も遂に廃車になるために本当に最後のさよなら運転が行われるとのニュースが飛び込んできた1990年11月、私は「せめてあおぞら号の写真だけでも」と思って秋の関西旅行に半日の空白を入れました。その半日の間に「あおぞら号」が留置されている近鉄の高安車庫へ足を運んでみようと考えた訳です。
 さわやかな秋晴れの大阪、車庫に沿った道路から車庫内を見渡すと、そこには3両編成の二階建て車両の姿がありました。運が良くてパンタが上がって通電状態です。感動のあまり我を忘れて柵に登ってシャッターを切りました。光線状態は良くなかったけど忘れられない写真となったのは事実です。


オール二階建ての見事な編成美


先頭部の拡大

 さて、この「あおぞら号」との最初で最後の出会いにはオチがつきます。折から天皇陛下の「即位の礼」が行われた時期でもあり、これに反対する過激派集団が陛下が伊勢神宮へ行く際に近鉄を使うという事で、近鉄車両に放火するという事件が起きたばかりでありました。住宅街の中にある近鉄車庫の柵に登って中の写真を撮っている私が怪しく見えるのは当然と言えば当然でしょう。写真を撮り終えた直後に気が付くと、覆面パトカーに乗った「私服」2人に取り囲まれていました。安物の刑事ドラマのように警察手帳を見せられ、厳しい口調で「何をしていたんだ?」と尋問されてしまいました。
 私が「あおぞら号」を指さして「あそこに引退寸前の貴重な電車が止まっているから撮影していた」と答えたら、「私服」のうち1人が警察無線を通じて本当にそのような車両が高安車庫にあるのか近鉄に問い合わせをしていました。その間に持ち物をチェックされ、身分証明になる健康保険証を見られて、住所・氏名・年齢・会社名を聞き出されてヒヤヒヤしたのを覚えています。近鉄側が高安にいる「あおぞら号」の存在を警察に認めてくれたため私はなんとか無罪放免になりましたが、「私服」に「今はこの辺りはピリピリしているから写真を撮り終えたなら早く帰ってくれ」と言われました。
 そんな訳で「あおぞら号」をじっくり眺める事は出来ませんでしたが、この状況下、写真だけは残せたと言う事に満足すべきでしょう。もしも近鉄が高安の「あおぞら号」が貴重で鉄道好きが外で写真を撮っていてもおかしくないと認めてなかったら、最悪を考えると警察署に任意で同行を求められ、この時のフィルムは没収されたかも知れません。
 近鉄20100系、私にとって憧れに憧れたけど乗る事が叶わなかった鉄道車両の代表例です。そして最初で最後の出会いは、警察に捕まりかかるという後にも先にもない貴重で緊張の体験を伴い、この車両は乗れなかった鉄道車両の中では一番忘れられない車両になるでしょう。


・模型を眺める

 上記のような思い入れのある「あおぞら号」、売れ残りを発見して手に届く金額であれば欲しいのと言うのは説明するまでもないでしょう
 ではその私の手元にあるエンドウ製「あおぞら号」を見ていきましょう。


模型としてはよるある上方の視点から
つるんとした独特の屋根とその中の送風用のルーバーがキチンと再現されている。


水平位置の視点から
丸みが強過ぎた印象もあるが、贅沢は言えない。

 まずは全体印象。色が実物よりちょっと白いか…と言うより実物を見るまで黄色味が強いクリームだなんていうのを知らなかったというのが正解かも知れません。この辺りは光原の関係等もあるんで一概に言えません。前面は実物に比べて模型の方が丸みが強いが、助手席側大窓の再現が絶妙でかなり雰囲気はいいと思います。
 車体はエンドウ独特の金属製で、本業のHOゲージと同じ材質と思われます。この材料でNゲージとなると一番心配なのはルーバーなど車体側面の細かい部分ですが、これがうまく再現されて実物に近い印象を捕らえています。特に中間車階下部の機器室扉は一品です。今のプラ製だとこの辺りの再現は印刷でやってしまいそうで怖かったりもします。床下機器は実車も先頭車はなし、中間車はケースに収められているので見所はありませんが、車体とともにダブルデッカーの「限界一杯」感はうまく出ていると思います。


先頭車の側面
窓サッシは窓に印刷しているがズレているのが惜しい

 構造的にはエンドウ製Nゲージの基本で、金属製の車体に内側から窓サッシ再現を印刷した透明な窓ガラスパーツを入れているだけです。この窓パーツ、「あおぞら号」に限って言えばサイズが合っていないのか折れ目が出ていないのか、窓から少しズレてしまうのが残念です。窓パーツは青みかかっています。
 金属製なだけに車体の剛性もよく、多少手荒に扱っても車体のゆがみなどはあまり出ないと思われますし、何よりも実物の重量感を感じます。この重量感が欲しくてエンドウさんに昔のN製品を一度でいいから再販して欲しいと思っているのは私だけでないと思います。


先頭車の文字入れ
フォントも形もバッチリだと思う


パンタ廻り
スッキリし過ぎているけど…中間車階下の蓋やルーバーの再現はこの写真が分かりやすい

 細かいところを見れば、車体のあちこちの文字。「VISTA CAR」のロゴ、「あおぞら」の愛称表示、車両番号などこの車両の側面には色々に文字が書かれていますが、これはバッチリだと思います。てゆーか、実物は一度しか見ていないのでその範囲でのお話ですが。
 屋根廻りで再現するのはパンタ廻りとアンテナ関係だけだと思いますが、パンタ廻りに配管などの再現がないのは製造された時代を考えれば致し方ないでしょう。それにしても列車無線アンテナかせあんな所にあるとは模型で始めて知りました、最近ではJRの700系新幹線があの位置に静電アンテナを積んでいますが、「あおぞら号」はその元祖だったのであります。


 「石神井急行」第一弾、いかがでしたでしょうか?
 エンドウ製Nゲージ「あおぞら号」について製作時期や再生産時期などご存知の方がいらっしゃいましたらお知らせ願いたいものです。いつ頃からこれが店頭を飾っていたのか私には分かりません。何てったってこれを手にするまでエンドウがNゲージで「あおぞら号」を出していた事も知らなかったのですから。
 石神井急行「心象鉄道」、これからもこんな思い出深い1形式を取り上げて行きますので、乞うご期待。

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