心象鉄道3.阪神電鉄8801形(グリーンマックス製Nゲージキット組立) |
1995年1月、私は所用で神戸へ向かった。私にとって神戸は青函連絡船「十和田丸」の追いかけをするなどいろいろ旅の思い出が詰まっている街、その日もその思い出に浸りながら神戸の街を歩いた。 その日、神戸から宿泊地の大阪へ向かう交通機関に阪神電鉄を選んだ。三宮から梅田まで、阪神地区の海岸線に近いルートを走るこの路線は、大阪・神戸間を結ぶ鉄道の中で一番気に入っている路線であった、JRのような慌ただしさも阪急電鉄のような無意味な高貴さもなく、何も飾らずに阪神間の庶民の足として活躍している路線のキャラクター性、それに応じるように民家の軒先や狭い高架橋の上を豪快に飛ばす電車が好きだった。 この日、帰りに乗った電車がこれから紹介する8801形であった。 そしてその僅か二日後、阪神地区を大地震が襲う。1995年1月17日の「阪神淡路大震災」である。 阪神地区の鉄道は壊滅状態に陥り、何ヶ月にも渡って不通となる事態となってしまった。高架橋は崩れ、列車は脱線し、鉄道にとっても地獄のような状況が展開されてしまったのである。 阪神電鉄も例外でなく例外でなく、本線高架橋の他に石屋川車庫が崩壊して多数の車両を失ってしまった。この阪神電鉄の被災状況のニュースに心が痛んだ。しかも乗ったのは震災の僅か二日前である。 私は被災地に義捐金を送るとともに、現地へボランティアへ行く余裕もないので何もできない自分が恥ずかしくもあったが、せめて趣味の上だけでも何かをしようと思った。某鉄道誌に「鉄道会社へのカンパとしてプリベイドカードを買って未使用で保存しよう」と呼びかけの投稿をし、このショックを忘れないため何か模型を残そうと考えた。 そうして作ることにしたのが阪神電鉄8801形。この車両を選んだのは震災直前に実際に乗ったこと、グリーンマックスキットからほぼ素組で作れること、ただ完成品を買って残すよりもキットを作った方がいいのではと判断したことによる。 早速阪神電鉄車両について調べ始めた。偶然にも震災直後に出た鉄道雑誌に阪神電鉄の車両を特集したものがあり、これで勉強しながらキット制作が進むという状況にもなっていった。 調べてみると片側の先頭車は素組だけではダメで小加工が必要と言うことが分かり、雰囲気を出すのに四苦八苦しながらの完成となった。 完成した車両は事あるごとに運転会などに持ち出し、人々が見守る中を運転させた。去年は職場の模型展示テーマ「阪神タイガース優勝」でも役に立った。 しかし、この模型に関して詳細な説明をしたことがない。そこで今回は、阪神淡路大震災10年を機に、この模型の紹介をネット上で行うことにする。 |
1.実車について
阪神電鉄の車両は大きく分けて優等列車に使用される一般的な性能の急行系車両と、普通列車に使用される加減速性能を重視した普通系車両に分けられる。8801形は急行系車両に分類され、登場した経緯やその後の阪神電鉄の方針などによって波乱の道を歩んできた。 |
2.模型について
模型は前述の通り、グリーンマックスのセットをほぼ素組したものである
まず前面の整形については、余った先頭車車体の前頭部から方向幕部分を切り出し、それを薄く削って元々の車体の方向幕部分に貼り付けた。これはちょっと失敗で方向幕部分の出っ張りが大きくなりすぎてしまい、8902号車の顔を見るたびに鬱になった。
最後に、アホみたいにこだわったのは実物同様、中間車の妻面にも車号を入れたことである。これが阪神電鉄の特徴だと思われるので、連結してしまえば見えないところなのにこだわってしまった。もしもマイクロエースが阪神電鉄を製品化したら、間違いなくこれにこだわるんだろうなぁなんて思ったりして。
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以上が我が「石神井急行」に在籍する阪神電鉄である。 震災の被災地に思いを馳せ、急ぎ作ったので粗だらけですが、当時の私の気持ちや重いが伝わればと思います。そして阪神電鉄に詳しい人に言わせればツッコミどころ満載と思いますが、そこは関東地方の人間が作ったキットということでお許し願いたく思います。 また、これを最後にグリーンマックスの板キットには10年も挑んでいません。箱キットならいくつか作ったのですが…グリーンマックスは半完成品みたいなキットばかりでなく、こういう加工がしやすい板キットをもっと見直してほしいと思っています。 とにかくあれから10年、去年は新潟で大地震があり、日本中を台風や豪雨が襲い、海外でもインド洋で巨大津波が発生して多大な被害が出て災害への思いを新たにしたところであります。 最後に阪神淡路大震災で犠牲になられた方と鉄道車両に、再度合掌して今回の連載を終わらせたいと思う。 |