・我が家の119のその後


119系は永遠に不滅です…

本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

 当サイトで紹介した飯田線119系であるが、あれから月日も経ち色々変わっているので、今回はその点を紹介しよう。


1.「するがシャトル」仕様入線

 1986年11月ダイヤ改正で、飯田線に余剰になった165系が投入されたことで119系の一部が静岡地区に転用された。移籍した119系は白と赤でカラフルな「するがシャトル」カラーに塗られ、静岡近郊の短距離列車に使用された。
 だが、119系の性能では駅間の長い東海道線では使いにくかったこともあり、僅か数年で飯田線に戻って来てしまう。飯田線に戻って来た「するがシャトル」カラーの119系はしばらく塗装もそのままで、水色の元からいる119系と混用されて異彩を放っていた。
 その後、現在の「東海色」に塗り替えられたことで、オリジナルと水色と同時に姿を消してしまった。私はこの「するがシャトル」カラーを模型で残すことで、混色時代をいつでも再現出来るようにしている。

 白い車体に赤いライン、その赤いラインが正面で三重の山形を描いているのが「するがシャトル」カラーの特徴だ。
 そしてその派手な色合いと、ブラックフェイスデザインの調和が美しい。「国鉄車両」らしい美しさは色は派手でも消えていない。
 行き先表示はまだ差していないが、私としては静岡を追われて飯田線に戻った姿にする予定なので、飯田線の行き先が入れたい。
 そして「するがシャトル」カラーのもうひとつの特徴、これは側面に大きく描かれた「SS」を模した斜めストライプ。
 このデザインを始めて静岡駅で見た時には驚いた記憶がある。このデザインはセンスが良くて好きだった。
 不思議にも飯田線の景色にも馴染んでいたんだよなー。これが水色の119系と繋がる違和感が、たまらなく好きだった。


2.クモユニ147を連結
 119系と同時に飯田線に入線した郵便・荷物電車で、飯田線で119系と名コンビを組んでいたが、国鉄時代末期に飯田線から郵便・荷物扱いがなくなると同時に他路線へ転出して姿を消した。
 このクモユニを再現すべく、我が家ではかつてKATOが発売していたクモニ143飯田色からスカートを外しTNカプラー化して使用していたが、その後マイクロエースからクモユニ147が改めて発売されたのでこれを1両購入、119系と連結させて楽しんでいる。

 グリーンマックスの119系に、マイクロエースのクモユニを連結してみた。色あい的にはKATOのクモニよりも合っていると思う。
 マイクロエースは119系も発売したが、私は「グリーンマックスのがある」という理由でこれを見送った。さらに鉄道コレクションの119系も同じ理由で見送っている。
 話を戻して、こうすると国鉄に荷物電車があった時代が上手く再現出来る。残念ながら私が始めて飯田線を訪れた時は、まだ国鉄だったけどクモユニの姿は既になかった。
 クモユニをぶら下げた119系が川を渡る光景。今思うとこの3両が119系の「使い方」として本来の姿なのかも知れない。


3.レイアウトを走る
 最後に我が家の119系の走行シーンで楽しんで頂こう。
 川を渡る119系編成。この光景から飯田線の景色を思い浮かべる人も多いだろう。背景のトンネルが単線トンネルだったら完璧なのに。
 これほど均整が取れたローカル電車は、他にはないと思う。
 実物は既にJR東海の鉄路から去り、一部が福井県のえちぜん鉄道に払い下げられて活躍しているに過ぎない。そのえちぜん鉄道に移った119系は大改造により、往時の姿を思い起こすのは難しいと聞く。
 こちらは両運転台の100番台。15両対応の長編成向けレイアウトだが、たまにこんな感じで単行列車で楽しむのも楽しい。
 この両運転台車のこちら側の先頭は、窓配置が違うなど「改造車」らしくて好きだ。
 100番台車をアップで見る。やはり均整が取れていて美しい。この美しさはほぼ同じ車体の105系新造車にも言えることである。そちらは一度だけ、宇野線で乗った。
 お金と土地があったら、実物を一両欲しかったなー。

 我が家の119系についての追加記事は以上だ。既に実物がJRの鉄路から去っているが、この119系は我が家ではいつまでも残していきたい。若き日の想い出と一緒に…。

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