・我が家の119のその後
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当サイトで紹介した飯田線119系であるが、あれから月日も経ち色々変わっているので、今回はその点を紹介しよう。 |
1.「するがシャトル」仕様入線
1986年11月ダイヤ改正で、飯田線に余剰になった165系が投入されたことで119系の一部が静岡地区に転用された。移籍した119系は白と赤でカラフルな「するがシャトル」カラーに塗られ、静岡近郊の短距離列車に使用された。 だが、119系の性能では駅間の長い東海道線では使いにくかったこともあり、僅か数年で飯田線に戻って来てしまう。飯田線に戻って来た「するがシャトル」カラーの119系はしばらく塗装もそのままで、水色の元からいる119系と混用されて異彩を放っていた。 その後、現在の「東海色」に塗り替えられたことで、オリジナルと水色と同時に姿を消してしまった。私はこの「するがシャトル」カラーを模型で残すことで、混色時代をいつでも再現出来るようにしている。
2.クモユニ147を連結 119系と同時に飯田線に入線した郵便・荷物電車で、飯田線で119系と名コンビを組んでいたが、国鉄時代末期に飯田線から郵便・荷物扱いがなくなると同時に他路線へ転出して姿を消した。 このクモユニを再現すべく、我が家ではかつてKATOが発売していたクモニ143飯田色からスカートを外しTNカプラー化して使用していたが、その後マイクロエースからクモユニ147が改めて発売されたのでこれを1両購入、119系と連結させて楽しんでいる。
3.レイアウトを走る 最後に我が家の119系の走行シーンで楽しんで頂こう。
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我が家の119系についての追加記事は以上だ。既に実物がJRの鉄路から去っているが、この119系は我が家ではいつまでも残していきたい。若き日の想い出と一緒に…。 |