心象鉄道4.国鉄/JR東海119系電車 |
私が鉄道での旅で全国を飛び回るようになったのは高校生の頃、友人から譲り受けた「青春18きっぷ」による日帰り旅行がきっかけだった。 その思い出に残る最初の訪問地が飯田線であった。この路線で旅の楽しさを覚えた…新鮮な発見と感動、列車に乗って車窓を眺めている間の幸福感…全てあの日に飯田線の電車が教えてくれた。 私にとっての飯田線は、そんな思い出がある国鉄民営化直前の1987年冬。 無論その時代の飯田線を模型として残しておきたい、その思いから購入した119系であった。しかし人間欲が出るもので、その後の何度か通った飯田線も模型で残したいと考えるようになって、気づけば車両が増えて時代設定に困ったり、設定から外れた車両まで登場してしまった。 今回はそんな我が家の119系電車を紹介する。 |
1.はいじま版飯田線小史
まずはこの119系電車が活躍する飯田線という路線から紹介しなければならない。 |
2.実車について
119系電車について語る前に、119系登場直前の飯田線の車両について語らなければならない。
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3.模型について
Nゲージ119系はグリーンマックスから完成品が発売されている。これはグリーンマックスでも2代目製品で、最初は119系登場間もない頃に発売されたクモハ−クハの2両編成板キットであった。数年前にグリーンマックスが本格的に完成品の販売に復帰し、その初期製品として119系が選ばれた。 なお、119系については某メーカーも完成品の発売を予告していたが、これは正式な企画中止のアナウンスがないままなかったことになっている。まぁそこはプラ完成品第一作目で発売を4年近く遅らせるという重大なミスを犯してしまったからなぁ…119系もグリーンマックスが完成品発売を発表する前に企画を発表していたが、第一作目が遅れている間にグリーンマックスに先を越されたという訳だ。 グリーンマックスに話を戻す。私は初代の板キットも高校時代に2箱購入し、3両を完成させていた。1箱はストレートに作ったがもう1箱は「ニコイチ」で119系100番台とした。この119系はその後の地震で被災する、震度4の地震に襲われたときに部屋のスピーカーが当時実家の自室にあったレイアウトをめがけて落下、走行中だった客車列車と駅に停車していたこの119系に直撃した。双方ともグリーンマックスのキットを完成させたもので客車はバラバラとなり、119系は自作改造の100番台はバラバラに、2両編成のクモハが電気的な発熱を起こしていた場所に押しつけられたのか、側面のプラスチック車体が溶けるという事態となってやむなく全車廃車にした経緯を持つ。以後もグリーンマックスのキットを再組立しようという構想は浮かんでは消えた。現にキットが1箱未組立のまま我が家に転がっている。 完成品としてリニューアルした119系はビデオテープケースに収められた2両セット中心という、グリーンマックス完成品の典型的な内容で発売された。登場時のスカイブルー・「するがシャトル」・「JR東海色」の3色からなり、「するがシャトル」はクモハ−クハの2両編成セットのみ、他はこの2両編成セットの動力込み・動力なしの他に119系100番台を2両納めたセットも用意されている。 私が再現したい119系は国鉄時代末期、当然購入するのはスカイブルー塗装であった。しかし国鉄時代末期の姿ではクモハ−クハの2両編成にしかならず、これでは面白みがないと言うことで100番台セットも購入した。クモハ−クハのセットは2セット、100番台は1セット購入し、全部で6両となった。
再現する時代が「国鉄時代末期」のため、その時代に合わせて最終仕上げである。グリーンマックス119系の場合、完成品とはいえ屋根上パーツは未取り付けでこれは自分で取り付けねばならない。国鉄時代末期として完成させるには屋根上パーツを全て使用…つまり列車無線アンテナを装備したJR仕様と同じとすればいいのである。さらに車体にはJRマークの取り付けは行わず、製品のままの塗装と表記を活かすことになる。最後に連結器を全て車体取り付け式のTNカプラーに統一して閑静とした。
ただし100番台車はJR化後約2年の月日を経て誕生した、つまり2両編成は国鉄時代の設定としているので正直に言えば存在自体がエラーとなる。だが100番台もどうしても欲しい。そこで100番台も2両編成に仕様を合わせ、「もしも国鉄時代末期に100番台がいたら…」というウソ電としてしまった。と言っても字津ぶつのスカイブルー時代との違いはJRマークの有無程度である。ウソ電119系100番台をとくとごらんあれ。
我が家の119系のついての記述はこれで終わらない。 カトーが115系などに連結する荷物電車クモニ143系を発売しているのだが、一時期このクモニ143系を119系と同じ塗装にして限定発売したことがあった。ちなみに飯田線で119系と組んでいた荷物電車は郵便室付きのクモユニ147系で、クモニ143系とは外観がかなり違う。これら荷物電車は1986年11月のダイヤ改正で国鉄の荷物輸送が全廃されて廃車された(一部は千葉で使用されたか)。 しかしこのスカイブルーのクモニ143系、我が家では使い道がなく押入の中で眠っているだけであった。そこでこのスカイブルーのクモニ143系を119系と連結してしまおうと企てた。 ただそのまま連結するのではウソが酷すぎるので、外見を少しでもクモユニ147系に近づけることにした。と言ってもクモニ143系にあってクモユニ147系にはなかった前面のスカートを外したという程度である。実はクモユニ147系も塗装済みキットと言う形で発売はされているが、新進メーカーからの発売であるために価格が高過ぎで、119系のために手が出なかったのが正直なところである。こんな経緯もあってお気軽に「クモユニ147系のつもり」とすることにしたとという側面もある。
この異メーカー連結運転で一番怖かったのはスカイブルーの色調の違いであったが、これが見事にズレてしまった。その上灰色帯については全く色が違うという有様、両社の中間の色があればなー…とつくづく感じた。ああ、完成品小加工による混結はうまくいかないものである。
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以上が我が家の119系である。119系と言えばやっぱりスカイブルーと言うことで色だけにこだわって時代設定とかがいい加減になってしまった感が否めない。 119系は予算の都合がついたら、「するがシャトル」も欲しいなと思っていたりする。静岡の都市圏輸送でなくスカイブルーの119系と混用されて飯田線で活躍していた時代を再現したい。 |