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4.489系「白山」
我が家には489系「白山」編成も2本ある
 前述の通り、子供の頃に夏を軽井沢で過ごしていた私にとって、末尾「9」の形式の電車はよく見かける存在であった。189系「あさま」「そよかぜ」、そして489系「白山」「あさま」といった信越本線の特急列車たちである。
 軽井沢で電車を見ていると、特急「あさま」は頻繁にやってくるのであまり珍しい存在ではなかった。だが「白山」「そよかぜ」は本数が少なく、見られるとラッキーと心の中で思っていたもんだ。物心が付いた頃には信越本線には既に181系の姿はなく、ボンネット特急は「白山」と決まっていたと言って良い。ボンネットでなくても運転台の上にもライトを載せて「あさま」とは違う表情の特急に特別なものを感じていた。当時は形式の違いなど知らないので、そういう風に純粋に電車を見ていたんだなぁ。
 それと「白山」てせ羨ましかったのは、電車なのにレストランが付いていたことだ(それを「食堂車」と呼ぶことはブルートレインブームの時に知った)。私が軽井沢の往き帰りによく乗っていた急行列車にはもちろん、「あさま」「そよかぜ」にもそんな設備はなく羨望の眼差しで見ていた。
 「白山」の食堂車は1970年代後半に一時廃止になっているが、私はこの時代の「白山」が何故か記憶にない。中学生に上がって見かけた「白山」には食堂車が付いていたので、「白山」はずっと食堂車が連結されていたものだと思っていた。中学3年生になろうとしている頃、「白山」から食堂車が外されたと聞いてガッカリしたことはよく覚えている。
 私が始めて「白山」に乗ったのは、家族との軽井沢への往復ではない。1986年秋、高校1年生になった私は横川機関区でのED42復活イベントを見るために横川までひとり旅をした。往路は高崎線普通列車と信越本線普通列車(165系!)を乗り継いで横川へ行き、復路も同じように普通列車で帰るつもりが横川機関区でことのほか長居をしてしまったために時間が無くなり、横川駅の窓口で「すぐの特急の指定席」を頼んだらそれが「白山」だった。ホームで数分待つとEF63にエスコートされた489系ボンネット編成がやってきて思わずガッツポーズが出たのを覚えている。横川駅に到着した489系のコンプレッサーの唸りは今でも覚えてている。ちなみに485系列のリクライニングしない回転シートは、この時が始めての体験だった。
 そしてこれが、私が「白山」に乗った最初で最後の記録となる。以後、長野方面へ特急で行くときは「あさま」ばかり乗っていたからだ。
 乗った回数は少なくても私の記憶にしっかり残っているこの「白山」は、我が家にはなんと2編成もある。1本は1980年代からKATOが出していた非ボンネットで非貫通の300番台車だが…この489系が頭来ることに、グリーン車と食堂車を入れた8両基本セットはあるのだが、増結用中間車がないのでフル編成が組めないという代物だった。このセットは1990年代初頭の再生産の時に購入、後に485系のバラ売り中間車をモハ2ユニット分購入して12両フル編成が組めるようにした。その際にバラで買った485系中間車の屋根を灰色に塗り替え、489系セットと仕様を合わせることを忘れていない。1997年にはトミックスからEF63が発売、これに合わせてこの「白山」編成のうち上野方の先頭車は運転台側の連結器をダミーカプラーを撤去して、ボディマウントタイプのTNカプラーを取り付ける大改造を行って横川〜軽井沢間の補助機関車連結を再現できるようにした。今年になってヘッドライトをLED化し、同時にTNカプラー取付部分の補強もしている。
 そしてもう1本は、2009年にKATOが発売した489系国鉄特急色「白山」である。これは国鉄時代のボンネット車の12両編成が組めるセットで、金型も新しいものになって前述の489系と違う構造となっている。でも並べてもその時代の差を感じないから凄い。
 双方とも12両のフル編成を組んでいるが、ボンネット編成は1978年改正までの編成で、非ボンネット車の方は1982年改正以降の編成としている。どちらも食堂車が連結されているが、非ボンネットの方はグリーン車は1両だけだ。ボンネット車の方は時代設定的にイラスト無しのヘッドマークでなければならないが、これは私の好みでイラストマークにしている。
 我が家の2本の「白山」は、首都圏と北信越を結ぶ大動脈としての信越本線を思い出すべく、たまに箱から出して眺めている。たまにはEF63も繋いで、もう廃止から20年を過ぎた碓氷峠を思い出すネタのひとつだ。こうなると今度は189系の「あさま」が欲しいけど、予算が…。
489系ボンネット車「白山」
本当は文字だけのヘッドマークでなきゃ…でも「白山」のイラストが好きなんです
こっちは非ボンネット車の「白山」
こちらの先頭車は先頭のカプラーをTNカプラーにしています
「白山」同士のすれ違い
これら模型の設計年は30年位違うが それを感じさせない
街の中でのすれ違い
高崎線でこういうワンシーンがあったのかな?
流し撮りしてみた
このボンネットスタイルは重厚かつスピード感があって良い
EF63を繋げてみた
ボンネットスタイルと電気機関車の組合せが何故かしっくりくる 軽井沢へ登り上げる「儀式」はもう模型でしか再現できない
KATOのクハ489のカプラーはそのままTNカプラーと連結可能
非ボンネット車にも繋げてみた
トミックスからEF63が発売されたときに真っ先に再現したかったのはこの光景
その後KATOからもEF63が発売されたが 我が家の「横軽対策」はTNカプラー化する方向となっていたため EF63はトミックスで統一することになった

5.583系「はつかり」
万能特急583系だったが 最初に乗ったのは…
 今回、最後に紹介するのは583系だ。
 583系の存在についても子供の頃に読んだ少年向けの鉄道書で知った。最初は単なる色違いの青い特急と認識していたが、いつの頃からかこの車両は昼は普通の座席特急、夜はベッドをセットして寝台特急になる万能選手であることを知る。その活躍範囲は東北特急、北陸特急、関西から九州方面と幅広いことも知識として入ってきた。
 ところが、中学1年生の時に衝撃的なテレビ番組を見てしまう。何の番組だったかは記憶が定かでないのだが、国鉄の工場に潜入していくとそこには583系がいて、それがみるみるうちに通勤電車に改造されて行く内容だった。当時の私は国鉄の最新情報の収集をしているわけではなく、583系があまっていて715系や419系といった通勤電車に改造される計画があったなんて知らなかったから、ものすごくショックだった。
 そして、私の583系の初乗車も特急としてではない。1987年3月に「青春18きっぷ」で始めて乗った北陸本線、やってきた普通列車が583系を改造した419系だった。本来は特急の座席に乗れて喜ぶべきなのか、それとも檜舞台から降ろされた583系の変わり果てた姿を見て嘆くべきなのか…でもこの715系や419系という車両の魔改造ぶりが気に入ったのも、紛れもない事実である。
 本当の583系に始めて乗ったのは1987年夏の高校の修学旅行。東北新幹線で盛岡に着いた我々一行を、青函連絡船が待つ青森へリレーしたのが583系「はつかり」だった。この「はつかり」の車内で、青函連絡船「羊蹄丸」と運命的とも言える出会いをすることになる。
 そしてこれをきっかけに、東北旅行で「はつかり」や「はくつる」といった特急列車で583系に何度も乗ったし、電車化された急行「津軽」の583系も何度か乗った。北陸では急行「きたぐに」の583系にも何度か乗っている。そしてそれ以上に、583系を改造した715系や419系という通勤電車で、「583系」を何度も味わっている。
 583系の模型も我が家には古くからある。購入は1990年頃で、実家の近所の模型屋にバラ売り単品が沢山売れ残っているのを全部買い取ったら編成になりましたってイメージを想像して欲しい。編成内容は東北新幹線開業前の東北特急13両編成だ。これに1998年頃に購入したサードパーティの別売りヘッドマークフィルムを取り付け、ヘッドマークは1978年以前のイラスト無しヘッドマークとした。同時に編成順序も変更して上野方から2両目がグリーン車だった、1979年以前の編成にした。今年に入ってから、ヘッドライトをLED化した。
 こうして我が家の583系は東北特急華やかしき頃を再現している。北を目指す人々を青函連絡船にリレーしていたこの列車は、間違いなく私が大好きだった青函連絡船の歴史のひとつだろう。
いつもの橋を渡る
2両目がグリーン車だった時代を再現しているのがお分かり頂けるだろう
583系の模型写真はあまり撮ってないんです

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