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・2020年3月1日追加記事
日比谷線の仲間たち
〜日比谷線の歴史を彩る「第一世代」の車両たち〜


レイアウトを彩るかつての日比谷線の電車たち
 私が最初に就職した会社の現場が東武伊勢崎線の西新井駅近くで、朝の通勤は乗り換えが少ないルートを選んだため、西武新宿線で高田馬場に着いたら東西線で茅場町へ、ここから日比谷線に乗り換えてそのまま東武伊勢崎線に乗り入れて西新井へ向かうルートとった。よって1990年頃の数年間は日比谷線が通勤の足であり、毎日のように乗車する路線だった。
 日比谷線に初めて乗った記憶はそれよりさらに遡って4歳か5歳の頃となる。何の用事かは定かでないのだが、親に連れられて都内へ出かけた時に「白い電車の地下鉄」に乗った記憶があるのだ。小学生になって東京の地下鉄路線の知識が入ってくると、小さい頃に乗った「白い電車の地下鉄」は何だったのかを追求してみたがそれらしいのが見つからなかった記憶もある。ところが東武鉄道関係の本を見ると、その小さい頃に乗った「白い電車」が出ていた…つまり、小さい頃に乗った「白い電車の地下鉄」の記憶は、東武鉄道の電車が乗り入れている日比谷線に乗ったというのが真相であったことを理解したのだ。
 その後、小学生高学年になって一人で地下鉄路線を乗り歩くようになると、日比谷線にもよく乗るようになった。ただ不思議なのはこうして乗った日比谷線電車のほとんどが東武2000系や東急7000系で、なかなか営団地下鉄の3000系に乗れなかったのを覚えている。何回目かの日比谷線乗車でやっと3000系に乗れた時は嬉しかったが…ドアの窓が小さくて外が見にくく、ガックリした記憶も残っている。
 私が鉄道模型で再現し、今回紹介する地下鉄日比谷線の車両は、そんな第一世代の車両が活躍していた時代を再現したものだ。通勤で日比谷線を利用していた時代も、営団地下鉄、東武鉄道、東急電鉄ともに第一世代の車両から第二世代の車両へと置き換えが進んでいた頃で、3者で6種類の車両が走っていた面白い時代だったが、古い第一世代の車両に乗ることの方が多かったので今となってはこちらが懐かしいからだ。

 では、本サイトをご覧の皆さんを、日比谷線第一世代の車両が活躍していた時代へと誘いましょう。

 日比谷線第一世代の車両として忘れてはならないのは、この営団地下鉄3000系だ。
 丸みを帯びた特徴的な前面デザイン、飾り帯など一切ないステンレスボディが印象的だ。
 営団地下鉄3000系は1961年の日比谷線初期開業と同時に登場。最初は2両編成で、後に4両、6両、8両へと編成が伸ばされてゆく。
 営団地下鉄初の相互乗り入れ対策車で、パンタグラフ集電、M-M'ユニット化など、地上用高速電車では当たり前の装備を初めて採用した。
 面白いのはM-M'ユニットなのに、何故か両先頭車がパンタグラフ付きになることだ。本来は奇数車にパンタグラフが載っているが、北千住寄りのユニットだけは偶数車にパンタグラフが載っていた。
 よって奇数側中間車なのにパンタグラフがない車両もあったりする上、形式の付け方や付番の順序などが複雑で、解りにくい車両であるのも確かだ。
 未だによく分からないのが、パンタ付き車両同士でユニットを組んでいて、片方のパンタグラフを上がらないよう固定している車両があったことだ、その詳細をネットで調べても出てこないからもどかしい。
 いつもの橋梁を行く営団3000系だが…こういう景色の中を走ったことはないのでは?

 我が家の営団3000系は、2019年に発売された鉄道コレクションのもの。それ以前にもグリーンマックスの板キットや、マイクロエースの完成品が存在していたが、板キットは作る暇がなくてスルーしたら店頭から消え、マイクロエースは私が欲しい時代設定や編成内容から外れたため見送った。
 昨年秋頃に発売されて入手したが、予算が付いて走行化したのは今年の正月。
 実は今回紹介する日比谷線第一世代の車両の中で、我が家に来たのが最も遅かったのがこの営団3000系だ。
 行き先は私が通勤で利用していた電車に合わせ、東武2000系ステッカーの余りから「北越谷」を選んで貼った。本当は運行番号を「40S」にしたかった。
 橋梁を行く姿をズームアップ。これが日比谷線の車両の原設計、編成通じてドアが等間隔に並ぶ18メートル3扉規格だ。
 その18メートル級車体に、何の飾りもないステンレスボディは味気ないという声も聞こえそうだが、それを独特の前面スタイルが打ち消している。

 営団3000系は1994年までに第二世代車両である03系に置き換えられて引退。引退した車両の一部は長野電鉄へ売却され、1998年の冬季五輪輸送でも活躍した。
 現在の日比谷線の車両は20メートル級へ規格が上がり、第二世代車両の03系が今や日比谷線を追われる立場になっている。そして地方私鉄へ売却された3000系の後を追うように、03系も北陸鉄道などの地方私鉄へと旅だってゆくのだ。
 続いて登場するのは、東武鉄道が日比谷線乗り入れ用として設計・製作した2000系だ。日比谷線直通開始前の1961年に登場、最初は4両編成での登場だったが、後に6両、8両へと編成が伸ばされている。
 東武鉄道初の高性能通勤電車で、M−M'ユニット化など当時の「高性能電車」の装備は一通り揃っているが、営団3000系とは違い一般鋼製の軽量車体構造としたのが堅実な東武らしい。
 この車両で私が気に入っていたのは、その「音」だ。甲高いモーター音をうならせての加速、甲高い電気ブレーキ音を響かせての減速、この独特の音を奏でるモーターの音が私は大好きだった。
 そのせいか、スペック的には営団や東急の車両より劣っているはずなのに、それより性能が良い走りをしているように感じたものだ…もちろん錯覚のはずだけど。
 扉の斜め上の青い部分は、「地下鉄線直通」という案内表示だ。この案内表示はステッカーによるものだが微妙に曲がっていて、実物は模型のように真っ直ぐ同じ位置になっていなかった記憶がある。

 なおこの模型は2017年頃に鉄道コレクションの一般流通品として発売されたものだ。私も当時すぐに購入し、数ヶ月後に走れるように整備した。
 行き先は日比谷線乗り入れ列車らしく「中目黒」に、運行番号は「03T」とした。
 いつもの橋梁を行く。東武2000系が登場したのは日比谷線乗り入れ開始前、その頃はどんな運用をされていたのかは興味がある。
 こんな風に風光明媚なところを走っていたのかな?
 サイドビューを見てみると、真四角の大きめの窓が特徴的だ。2000系は地上を走ると、意外に車内が明るかった記憶がある。

 東武2000系は1993年までに、第二世代車両となる20000系にその道を譲り、全車引退した。
 一部の車両は野田線に転用されるも、これも地下鉄乗り入れの2000系より早く1992年に引退している。地方私鉄などに売却された車両はないが、伊予鉄道に転用された台車やモーターなどの部品だけが現役だ。
 そして3形式目は、東急電鉄…いや、日本の通勤電車の歴史に残る車両のひとつである、東急7000系だ。
 日本の東急車輌とアメリカの鉄道車両メーカーの技術提携により、日本で初めて完成したオールステンレス車体の通勤電車。登場は1962年だが、オールステンレス車体による長寿命化で、未だに地方私鉄で現役の車両もあるほどだ。
 そしてその「日本初のオールステンレス車体の通勤電車」という歴史的な電車を、Nゲージ鉄道模型の老舗KATOが発売した。
 もちろん私もこの模型を発売と同時に手にすることになる。その仕上がりの美しさに、西武101系の時と同じように箱を開けてうっとりしたものだ。

 行き先は日比谷線乗り入れ列車らしく「北千住」としたが、模型化されたナンバーの車両は日比谷線乗り入れ対策をしていなかったらしい。でも雰囲気が出ればそれでいい。
 運行番号は「87K」、本来ならば側面に「日比谷線直通」のサボを付けなきゃならないが、KATOの美しい車体を活かしたいのでそのままだ。
 この模型の特徴は、台車枠外側にブレーキディスクを持つ「PV台車」の再現にある。
 なんとあの特徴的なブレーキディスクが、車両を走らせると車輪の回転に合わせて回転するのだ。
 他メーカーもこの台車を再現しているが、ここまで再現したものはない。ブレーキディスクが台車枠と一体成形で、どんなに加工しても「ブレーキディスク」という感触が出なかったのだ。
 いつもの橋を渡る。ブレーキディスクの輪っかが目立つ。
 東急の車両って、西武や小田急の電車を見慣れていた少年時代の私にとっては「小さくて可愛い」と感じたんだよね。今はそう感じないけど、当時は明らかに東急の電車は一回り小さかった。
 サイドビューのズームアップ。こうしてみると東急7000系って、やっぱり小さい。
 ブレーキディスクがころころと回っているのを、動画でお見せ出来ないのが残念。

 東急7000系は、1991年年までに第二世代車両の1000系にその道を譲り、日比谷線直通運用から撤退した。その後はそのまま地方私鉄に売却された車両と、7700系に改造されて東急線内で活躍した車両に分かれるが、東急7000系としての活躍は「こどもの国線」専用車の2両が引退した2000年まで続いた。
 各形式ごとの紹介は終わりにして、ここからは「ファインクラフト」での撮影会といこう。
 いつものカーブですれ違う営団3000系と東武2000系。こういう光景は東武伊勢崎線で頻繁に見られたはずだ。
 同じく営団3000系と東武2000系のすれ違い、向き的にはこっちが正しい(笑)。
 東武2000系の「モニター屋根」がとても雰囲気が出ていて良い。営団3000系のベンチレータがひとつ外れ掛かっているのは…許してください。
 営団3000系とすれ違う相手が東急7000系に変わると、同じ場所でもとたんに東横線の風景に変化してしまう。東急7000系が逆向きだが、ここはおおらかに気にしないことで。
 見た目は似ていても、営団3000系ではシャーシやフレームなどは鋼製のスキンステンレス車体、東急7000系はそれらも全部ステンレスのオールステンレス車体。現在のステンレス車はオールステンレス車体が当たり前だが。
 駅で並ぶ営団3000系と東急7000系。

 現在、東急は日比谷線乗り入れの旅客列車運行をしていない。日比谷線は東京メトロと東武鉄道の車両のみで運行されるようになり、第二世代の営団03系と東武20000系を、第三世代で20メートル車体の東京メトロ13000系と東武70000系に置き換え中だ。東武では70000系のデュアルシート仕様車を投入し、日比谷線直通の座席指定席列車を走らせる計画だという。
 東武2000系と東急7000系のすれ違い。日比谷線で見られた光景で、地上区間となる南千住〜北千住間でこのようなすれ違い光景が展開されたはずだ。
 南千住の急カーブでの、車輪のきしみ音を思い出す…。
 駅で並ぶ東武2000系と東急7000系。この2形式は車体材質の違いを除けば、とてもよく似た顔をしていると思う。ただし東急7000系が若干小さいのと、通過表示灯が設置されている点が相違する。
 東武2000系を同じく東武を代表する通勤電車の8000系と並べてみた。
 やっぱり8000系は東武の「顔」だね。未更新車の新塗装が欲しいのだけど、なかなか安く手に入らない。
 そして東武伊勢崎線の、昔の地下鉄乗り入れ車両と現在の地下鉄乗り入れ車両を並べてみた…と言っても現在の東武鉄道地下鉄乗り入れ車両で我が家に模型があるのは、半蔵門線乗り入れ用の50050系でしかも「クレヨンしんちゃん」ラッピングのみだが。
 乗り入れ先も車両のつくりも全然違うけど、課せられた使命は同じ車両だ。

…と言うわけで、駆け足ではあるが我が家の鉄道模型を通じて、営団地下鉄日比谷線の第一世代の車両たちを紹介した。どの形式もとても懐かしく、貸しレで走らせているときもこの記事を書いているときもこれらの車両を頻繁に使っていた頃を思い出してしまった。
 今回は東武車両中心に貸しレへ持って行き、その一環で日比谷線車両を走らせるというかたちだったので他の営団地下鉄車両との並びは撮影していない。だがいずれは営団3000系と5000系や6000系の「夢の共演」を模型で実現させてみたいと思う(でも我が家には、東急の車両は他には世田谷線しかないんだよな…)。

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