心象鉄道23.東急世田谷線・緑の電車
「連結2人乗り!」

(MODEMO Nゲージスケール)


世田谷を走る緑色の電車!

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私と東急世田谷線

 これまでこのサイトでは、地方鉄道クラス以上の列車の模型ばかり紹介していて、軌道系の鉄道は取り上げていなかった。かといって私が軌道系の鉄道に興味がないわけではなく、若い頃は日本各地で路面電車や小型電車も追いかけていた。
 その私の軌道系の鉄道の興味の原点は、今回取り上げる東急世田谷線の電車たちだ。

 私が東急世田谷線に初めて乗ったのは、小学5年生の時の正月だったと記憶している。お年玉を握りしめ「近くの面白い電車に乗ってみよう」と当時の電車好きの友達と西武新宿線に乗って新宿へ、そして京王線に乗り換えて下高井戸へと向かったのだ。そして都電荒川線や江ノ電に続く軌道系の電車の旅を愉しんだのだ。
 この時に世田谷線の電車で見られた、木造ニス塗りの車内などの「古めかしさ」に感動した。この頃は地元の西武鉄道では旧式の車体の電車はほぼ消えており、その前に経験した都電荒川線も車体が新しい7000系ばかりだったのであまり印象に残らなかったのが正直なところ。そして運転士が立ったまま電車を運転していることや、「連結2人のり」という独特の運賃授受方法、それに環七の若林踏切での信号待ちなどの特徴をみて驚いたものだ。
 そして中学生になると、東急線方面へ行く際に世田谷線ルートを積極的に利用した。バスで吉祥寺へ出て、井の頭線と京王線を乗り継いで下高井戸へ、そして世田谷線を経由して三軒茶屋から新玉川線(懐かしい響きだなぁ)というルートを取ることで、わざわざ世田谷線の旅を愉しんだのだ。その都度乗った緑色の電車は私の記憶に深く刻み込まれ、全国へと旅行して歩くようになった時に各地の路面電車などに立ち寄るきっかけとなったのは言うまでもない。

 今回はその1980年代初頭の東急世田谷線の電車を紹介しよう。

 我が家に存在する東急世田谷線の電車は2編成。まず紹介するのは東急の軌道線車両の名車のひとつである80形だ。
 1950年から28両が製造され、玉川線(現在の田園都市線渋谷〜二子玉川間の前身)で活躍した。
 1969年の玉川線廃止時に18両が廃車され、世田谷線に10両が残る。その後、4両が江ノ島鎌倉観光(現在の江ノ島電鉄)に譲渡され、世田谷線には6両が残り、2001年まで活躍した。

 私はこの80形には、1980年代だけでなく引退間際にも乗ることができた。現行の300形に囲まれての最後の活躍は今も忘れない…カルダン駆動に変わっていたのはびっくりしたが。
 模型はかつて「江ノ電600形」として、車体だけグリーンマックスのキットがあった。私はこれを組み立てて世田谷線にしようと考えたことがあったが、扉の改造方法で躓いて実現出来なかった。
 その後、実車が引退した後に路面電車などで商品展開をしていたMODEMOから発売された。前照灯がおでこに1灯だけのものと、前照灯が腰部に移動した末期の姿の二種を出してきた。私が入手したのは前照灯1灯の方である。
 だがこの模型、構造的な問題があって「腰高」だった。路面電車の低床ホームとはどう見ても合致しないのだ。これは当時のMODEMO製の軌道系電車共通に見られたもので、当時の技術の限界だったのだろう。

 その点は購入当時は気にならなかったが、後述する150形の発売で気になるようになった。同じ路線で同じサイズの電車なのに、車高が合わないのだ。
 そこで私は、150形の足回りをそっくりこの80形に移植したことでこの80形の腰を下げることに成功した。おかげで台車が変わってしまったが…見た目重視!
 駅で並ぶ80形と150形。これに70形更新車があれば完璧なのになぁ。
 ちなみに世田谷線にはこんな駅はないですね。この駅、どう見ても高床ホームだし…。
 続いて紹介するのは150形。玉川線最後の車両となった近代的な車両だ。
 150形は玉川線廃止が既に決定していた1964年に4両が造られた。廃止が決まっているのに新車が造られたのは、乗客が急増して全列車連結運転をするようになって車両が足りなくなったからだ。玉川線は地下鉄である新玉川線に作り替えられたこと廃止されたため、乗客急増の問題は解決を見る。
 よってその前の新車であった200形のような先進的なシステムの導入は回避し、旧型車と同様のシステムを採用した。
 とはいえ、車体は鉄道線で最新の7000形の技術が取り入れられ、ステンレス車体ではなかったものの当時の東横線の最新車両レベルにはなっていた。
 1969年の玉川線廃止時に4両全車が世田谷線に残留、2001年まで活躍する。
 模型は2010年代になってMODEMOから発売された。玉川線時代の仕様と、世田谷線での緑一色で更新前の仕様の2種類がラインナップされ、私が入手したのは後者の方だ。
 80形の模型の欠点であった「腰高」が解決し、軌道系電車らしい腰の低い電車が実現した。これなら路面電車の低床ホームに付けても実感的だろう。
 この「腰高」解決のせいで、今度は80形の「腰高」が気になるようになった。並べるとどうしても車高が合わず、萎えてしまうのだ。
 そこで私は、この150形の不良品(前ユーザが誤って壊したのか、パンタが大きく破損していた)がネットオークションで安く出ているのを見つけると、これを大慌てで落札。この不良品の足回りを80形に移植するということにしたのだ。
 だから我が家には、足回りとパンタを失ったツートンカラーの150形が2両眠っている。
 この模型は1980年代の更新前とされているので、側面のコルゲートが車体色と同じ色で塗られているし、前面も行き先表示の横に「方向指示灯」が残ったままだ。
 「方向指示灯」とは玉川線時代の装備で、渋谷から西へ向かう電車の行き先を示すものだった。つまり二子玉川方面行きの玉川線の電車と、下高井戸方面行きの世田谷線の電車を区別するための指示灯だった。
 この「方向指示灯」が最後まで残っていたのが、150形だった。
 車体をうねらせながら駅へ入ってゆく150形。本来はこういう地方のローカル駅という光景の中を走っていた電車ではないが、とても似合っていると思う。

 ちなみに私が世田谷線で初めて乗った電車が、この150形だった。車両数が少ないので、これが来ると「ラッキー♪」って思っていたが、その後は1度くらいしか乗ってない。


 今回、模型車両の撮影には我が家にある小型電車向けの小さなレイアウトを使用した。これは10年ほど前にネットオークションで安く出ていたのを購入したかたちである。小さな電車しか走れないので今までこのサイトでの模型車両紹介には使えなかったものだ。このレイアウトがあるため、小型電車の模型については貸しレまで出向かずとも自宅で楽しめるのだ。

 このたび、新型コロナウィルス対策で外出を控えているため、自宅のレイアウトで走行写真を撮れる車両の出番となったわけだ。この外出自粛が続くようであれば、次回もこのように小型電車を紹介するつもりだ。

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