JR東日本400系 初代「つばさ」惜別記事


 1992年、新幹線の歴史が大きく動いた。
 3月、東海道新幹線では国鉄時代から研究・開発が進んでいた新幹線速度向上の計画が実り、300系「のぞみ」を運行開始して東京〜新大阪間2時間30分走行を実現したのは皆さんご存じの通りだろう。
 そして同じ年の7月、東北新幹線ではこれまでになかった全く新しい新幹線が走り始めた。在来線を広軌に改築するとともに、在来線サイズの新幹線車両を作って新幹線線路が達していない都市に新幹線列車を直接乗り入れる「新在直通」によって新幹線が新たな歴史を刻み始めたのだ。
 その「新在直通」新幹線として最初に開業したのが山形新幹線「つばさ」、そして記念すべき最初の車両がJR東日本が最初に開発した新幹線車両でもある400系だった。400系は東北新幹線では200系と連結して、広軌に改築された奥羽本線では単独で東京と山形を結んだ。

 東海道・山陽新幹線の速度向上を中心とした「のぞみ」の歴史と、東北新幹線の「新在直通」による新幹線の歴史は競い合うように成長した。1997年には「のぞみ」に500系が登場し、「新在直通」は秋田へと路線を延ばして「こまち」の運行を開始した。1999年には「のぞみ」に700系、「新在直通」は山形新幹線新庄延伸と、偶然にも大きく進歩するときは時を同じくした。

 400系はその歴史と共に東京と山形を結び続けた。東北新幹線の車両の変遷と共に連結相手が200系からE4系へと変化し、新庄延伸をきっかけに銀色一色だった車体塗装は銀の濃淡に緑色の帯を締めたデザインに変化した。さらに列車本数の増強と共に6両編成から7両編成に伸ばされ、「つばさ」用のE3系を仲間にくわえた。

 400系はその銀色のボディと印象的な前面デザインでこれまでの「新幹線」のイメージを変えた。それまでの新幹線車両と言えば白を基調に帯を締めるデザインと相場が決まっていたが、その「おやくそく」を初めて打ち破った車両でもあった。この400系のデザインが後の500系に影響を与えたことは言うまでもない。その大胆な塗装に反し、先頭部デザインはこれまでの新幹線の基本形であるボンネットスタイルとなり、ボンネットスタイルで登場した最後の新幹線車両となった。
 さらにこんな車両が、200系という他形式と連結して走るという光景も多くの人の注目を集めることになった。福島駅での「つばさ」「やまびこ」の連結や切り離しは山形への旅行の「風物詩」として定着し、休みの日などは家族連れがこの連結シーンを見物するという光景がよく見られることになった。もちろん2編成の新幹線が連結して走行する定期列車はこれが初で、このための連結機能は以前から開発されていたとは言え400系で実用化され、確立したのは言うまでもない。このシステムはこの後「こまち」だけでなく、時間帯による輸送量の違いに対応すべくE4系にも取り付けられた。

 そんな400系も、いつしかデビューから18年の時が流れようとしていた。
 新幹線車両としての寿命が刻一刻と近付いており、また板谷峠などの豪雪地帯を通ることもあって老朽化の進行は早かった。そしてE3-2000系にバトンを渡して、全編成置き換えということになった。今年になってからは残りが1編成で「予備の予備」という感じでなかなか運用に出ることもなく、4月になってついにさよなら運転というはこびとなった。まだ検査期限が残っているのでE3-2000系に故障などがあれば代走の可能性を含んでいるとは言え、このイベント走行が事実上の最終運行になるということで、私はカメラを片手に東北新幹線沿線に出かけることとなった。
 この引退は、「JR化後に登場した新幹線車両形式」「平成になって登場した新幹線車両」としては初の全面撤退となる。また新幹線車両が形式単位で全車引退という例は、0系に続く2例目ということになる(東北・上越新幹線系統では初)。「新在直通」車両は他の形式と違い、使い方が限定され数も限られていることからこのような短期での前面引退となった。

 実は私、大きな勘違いをしていて400系の引退がここまで迫っているとは最近まで知らなかった。E3-2000系登場は知っていたが、E6系の誕生が噂されている時期に既に「前時代の車両」になりつつあるE3系の新車だったので、「増発による増備車両」であって400系置き換え車両だとは思っていなかったのである。だから「400系引退」と突然知らされ、しかも気付けば「もう1編成しか残っていない」といわれ今回のさよなら運転はかなり大慌てで撮影に出かけたことを明記しておこう。

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