2010年4月17日 大宮駅

 4月17日は400系さよなら運転に乗車するツアー客のため、団体列車として運行された。この団体列車のダイヤは、ツアー旅行の告知に載せられていたのでこれに従って私は大宮駅へと足を運んだ。ツアー客の乗車があるということは、扉の締め切り扱いなどで停車時間を長く取らざるを得ず、その間に詳細な写真が撮れるのではないかと期待したためである。
 関東地方では41年ぶりという季節外れの積雪に驚きの声を上げ、当日を迎えた。私は大宮駅へ向け残雪の道に愛車を走らせた。車で出かけたのは大宮駅での撮影終了後、そのまま翌日の撮影地点まで移動しようと考えたからである(高速代節約のため)。朝9時半過ぎに大宮駅新幹線ホームの真上にある駐車場に愛車を止め、ホームに上がった頃には既に「狙っていた場所」は先客に取られていた。だが何とか撮影できそうな場所を見つけ、来るべき400系到着の時を待った。
 例によってまた400系以外の写真から始めよう。
 「つばさ」+「MAXやまびこ」定期列車の進入シーンから始めよう。これはE3-1000系で、前述したようにE3-2000系とライトの形が違う。E3-1000系は3編成しかない貴重な存在だ。
 こうしてみると、MAXってでかいなー。
 そのE4系「MAXやまびこ」が8両×2編成の16両編成でやってきた。この編成はいつ見ても大迫力だ。
 またこの先頭形状も迫力があって私は好きだ。外見的には東北新幹線で1番のお気に入り。
 E2系「やまびこ」、東北新幹線でも「こまち」をぶら下げないE2系の単独運用ってけっこうある。
 でも今回の撮影行を通じて、E2系の写真は最も少ないかも知れない。これも大好きな車両のひとつなのだが。
 「こまち」E3系。どうもこの「よだれかけ」みいな黒い部分が気になってしょうがない。もっと違うデザインは思い付かなかったのかといつも思う。
 同じE3系でも、「つばさ」のそれは洗練されていて好きなのに。
 200系もまだ細々と生きている。といってもこのリリニューアル車ばかりで、オリジナルの「みどりのしんかんせん」はリニューアル車を無理矢理塗り直した1編成だけになってしまった。
 これは「なすの」として東北新幹線へと進んで行く200系。
 おおっ、いよいよ本日の本命400系の登場だ。
 やはり新幹線軌道上だと、後ろに何も繋がっていないのは寂しい。
 ホームに入線する。今回の撮影行で一番きれいに決まった400系の写真になったかも知れない。
 0系や100系の流れを汲むボンネットスタイルだが、そのスタイルはおでこに持って行ったヘッドライトも相まって完成された姿だと思う。
 現在の空力性能最優先の車両とは違う魅力を醸し出していた。

 400系団体列車はこんな感じでやってきた。では細部を見てみよう。

 400系の側面、出入り台と「つばさ」シンボルマーク。このシンボルマークはセンスが良くて気に入ってる。もちろんE3系「つばさ」にもこのマークは受け継がれている。
 このマークが設定されたのは1999年の新庄延伸以降、その前の旧塗装の時代は「400」のロゴが入れられていた。
 400系東京方先頭車。こちら側は東北新幹線区間で「やまびこ」と連結する側だから、東京駅や大宮駅では滅多に顔を見せてくれない。だが1日1往復の定期便と、多客期の臨時列車では「やまびこ」を連結しない「つばさ」もあった。
 この写真では分かりにくいが、こちら側の先頭車はボンネット先端部が縦に割れ、そこから「やまびこ」連結用の連結器が出てくる構造になっている。
 朝日新聞社サイトの報道によると、この車両の静態保存が決まったとのこと。
 こちらは山形側の先頭車、「やまびこ」をはじめとする他形式と連結するための機能が省略されている。ボンネット先端部も割れる構造にはなっていない。
 この塗装では帯色の回し方を上手く処理したと思う。元々単色塗りが前提だったスタイルなので、ボンネット側面部のカーブをどう処理するかで印象が変わったはずだ。200系リニューアル車はこの処理をもう少しうまく出来なかったのかと思う。
 側面も見える角度で撮った。400系普通車の側面窓は、当時の新幹線車両としては珍しい「大窓」となった。0系の後期タイプから窓が小さくなりつづけた新幹線だったが、400系で大きな窓が復活。その後、JR東日本のE1系・E2-1000系・E4系が「大窓」を受け継ぐことになる。だが400系から「つばさ」を受け継いだE3系は「小窓」、だが300系と同じように「小窓」で可能な限り大きな窓となっている。
 新幹線駅停車中なので、新幹線幅と在来線幅を埋めるタラップが展開している。このタラップも「新在直通」車両が持つ特殊装備のひとつだ。
 いよいよツアー客を乗せて一路山形を目指す。その後ろ姿を撮影した。撮影者が多くて、他の人が入らないように撮影したら後ろが切れてしまった。
 予定通りならこれが東京から山形へ、最後の客を乗せての旅になる。400系自身はどんな思いで走っていたのだろうか。
 こうして4月17日のツアー列車の撮影は無事に終了した。だがこの日はこれで終わらない、翌日の「さよなら運転」に備えての大移動が待っていた。400系引退の報せを聞いて以来、最後に撮影する場所は「ここ」と決めていた場所があったのだ。私は愛車のインサイトで国道を北上し続けた。
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