2010年4月18日 奥羽本線庭坂〜赤岩間

 4月17日の大宮駅でのツアー列車撮影を終えた私は、寄り道しながらではあったが17日の夜のうちに「道の駅安達」に到着して車中泊で夜を明かした。さらに他の新幹線以外の撮影を1件済ませ、いよいよ朝8時過ぎに「ここ」と決めた場所へ愛車を走らせた。
 最後の場所は奥羽本線の名所でもある「庭坂の大カーブ」のさらに上、いよいよ奥羽本線の線路が福島盆地から板谷峠へと踏み出す最初のカーブとなる地点である。夜「つばさ」に乗ると、夜景が最もきれいに見えるあのカーブである。
 前日の冷たい風が吹く冬に逆戻りしたような天候から打って変わって、春の日差しが心地よい穏やかな日となった。真夏の蒸し暑い日にデビューした400系は、4月の記録的な雪の日に引退の記憶を残すことになったのは、何とも不思議な話だ。
 お目当ての場所に到着してから最初に通過した「つばさ」はE3-1000系だった。この写真を見て頂くとお分かり頂けるように、とても空の色がきれいな春の穏やかな日となった。青空の下を駆ける最後の400系「つばさ」を記録するのに相応しい日和だ。
 次にやってきた下り「つばさ」もE3-1000系。私が乗ろうとすると全然来てくれないのに、撮ろうとするとちょくちょく現れる意地悪な車両。
 それだけではない、私が「つばさ」に乗るときには姿も見せないのに、連結相手の「やまびこ」に乗るときに限ってやって来る。この車両に恨まれているのかな?
 上写真とほぼ同じカットのE3-2000系、よく見るとライトの形だけでなく前面の形状(「こまち」でいう「よだれかけ」部分の形状)も違うし、フロントガラス周りの処理も違う。こうして見比べると随分印象も違うものだ。
 400系の前に通過した上り「つばさ」もE3-1000系、これでここで400系を待っている間に、E3-1000系は全3編成が通過したことになる。そのうち1本でも私が乗るって時に来いよ〜。
 いよいよ最後の400系が来た。その最後の先頭からの撮影は、シャッターを押すのが1秒ばかり早くて後ろが切れてしまった。500系の時といい、なんで最後の最後はうまく行かないんだろう?
 フロントガラス越しに運転席を見ると、花束が乗っているのがお分かり頂けるだろう。本当に最後の400系、山形の人たちに惜しまれつつ花道を走っているんだと実感した。
 上写真の失敗に負けず、すぐにレンズを広角側に変えてアップの画を撮る。400系の迫力が伝わってくる1枚にはなったと思うが、やはり慌てるといい写真にならない。
 ボンネット先端部の「先割れ」する構造がよく分かる写真にはなった。
 そのまま後ろ姿を追う。本当は画面向かって右側に大きな空間がある写真に仕上がっていたのだが、そちらをカットしたらこんな迫力のある画になった。
 400系が持つ「空気」が伝わってくる一枚だ。500系の時と同じく、後追い撮影でいい写真が撮れた。
 遠ざかる400系、400系は陽炎の中に溶け込むように「庭坂の大カーブ」へと進入して行く。この「大カーブ」は、板谷峠に挑む列車や、峠から下りてきた列車達が数々の名場面を生んできた好撮影地。この日もこのカーブで多くの人がカメラを構えていた。
 広軌になって「つばさ」が在来線特急から「新在直通新幹線」に変わると、このカーブの撮影者はめっきり減ったが、400系の引退はまたこの撮影地に人を呼び戻した。
 その人が舞い戻ってきた好撮影地という舞台で、400系はどんな姿を見せてくれたのだろう。そこから僅かに離れた地点にいた私には、それは分からない。
 400系「さよなら運転」が通過した直後、その足跡を払うかの如くE3-2000系「つばさ」が峠から下りてきた。
 「つばさ」の列車名は昭和30年代に東京と秋田を結ぶディーゼル特急として誕生して以来、この奥羽本線を駆ける特急列車の名として代々受け継がれた。
 そして奥羽宇本線が広軌化され、新幹線が直接乗り入れるとなると、その初の「新在直通」新幹線の列車名として当然のように「つばさ」の名が受け継がれた。
 この「つばさ」の歴史は400系が消えてもまだ続く。この新しいE3-2000系が、「つばさ」の歴史の新たな1ページを刻んで行くのである。
 こうして400系は私の前から姿を消した。現地で「回送もある」と情報を掴んではいたが、元々予定にないことだし翌日の出張を考えると早く家に帰らねばならない事情もあったので、この数十分後には東北自動車道を南下していた。
 今回の撮影行の記録はここまでだが、400系写真集という企画としては皆さんにもう少しだけお付き合い頂きたい。
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