400系メモリアル
このページでは400系引退記念に、私が撮り貯めていてこのサイトに載せるつもりがずっとそのままになってしまっていた400系の写真を載せておきたい。400系が山形新幹線「つばさ」の主役だった時代の記録である。
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東京駅に進入する400系。これは1日1本あった「やまびこ」を連結しない「つばさ」、まだ寒い季節で東京駅も夜が明けきらず暗い。
2000年3月・東京駅 |
新庄延伸間もない頃、新庄駅に400系の新旧塗装が仲良く顔を並べる。
私は旧塗装のシルバー一色がとても好きだった。だがこの新塗装もデザイン的には上手く考えられており、悪くはないと思う。だけどあの鮮烈なシルバー一色の塗装を塗りつぶしてしまった事でどうしても印象が良くなかった。
新庄駅は山形新幹線延伸によって立派な駅舎に生まれ変わった。
2000年3月・新庄駅 |
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板谷峠の急カーブを行く400系。福島〜米沢間に立ちはだかるこの峠は、スイッチバック4連続など昔から多くの鉄道名場面を生んできた難所だ。
400系にとってもここが難所であることは変わらない。急勾配と急カーブに持ち前のスピードが抑えられ、冬には豪雪との戦いが待っている。写真には撮れなかったが、400系が自前のスノウプロウで排雪走行しているのも見たことがある。その日はあまりの大雪で普通列車が立ち往生、400系も峠で身動きが出来なくなったとか。
2000年9月・板谷駅付近 |
この日の撮影行では、かなり数を減らしていた400系旧塗装が目的だった。そしてそのお目当ての車両がカメラのファインダーの中に現れ、喜んだらシャッター押すのが僅かに早かったという写真。こんなんばっかだなぁ。
2000年9月・庭坂〜赤岩間 |
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上写真と同じ場所で粘っていたら、すぐ反対方向からも旧塗装がやってきて大喜び。ここが「庭坂の大カーブ」の最も福島よりの地点となる。
こちらの写真では「編成」としてきれいに決まった。側面の窓の下に引かれた細い緑線がなんとも印象的。
本当にカッコイイ新幹線だったなぁ。500系の次にかっこよかった。
2000年9月・庭坂〜赤岩間 |
上記列車の振り返り撮影。旧塗装車ならではの迫力が伝わってくる1枚になったと自画自賛している。
ただこの日撮った400系旧塗装車の写真で残念なのは、側面の「400」ロゴが上手く写った写真が無いこと。だが窓周りの塗り分けがどうなっていたかは分かり易いだろう。
2000年9月・庭坂〜赤岩間 |
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この日の最後の1枚。「塗り立てほやほや」って感じの新塗装車がカーブを曲がってきた。
400系はどんな角度から見てもカッコイイ。またフル規格の新幹線車両と違う「コンパクトさ」もこの車両の魅力だった。
もう400系はここを走ってくることはない。
2000年9月・庭坂駅付近 |
ちなみに同じ日に撮影したE3-1000系。まだ新車だった頃で、2編成しかなかったから今以上に捕まえるのが大変だった。
この頃はこのE3系の改良型が400系を置き換えるなんて考えもしなかった。400系引退の日が来るなんて想像もしていなかった。
2000年9月・庭坂駅 |
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400系はJR東日本が初めて世に放った新幹線車両であり、また初めての「新在直通」新幹線車両でもあった。その記録は鉄道の歴史にもしっかり刻まれることになることは確実で、JR東日本も1両だけとはいえ保存を決めたのは意義深いことである。
また私にとっても大きな思い入れのある新幹線車両だ。実は数ある新幹線車両の中で、今のところ営業開始初日に乗った唯一の形式が400系である(「はやて」も初日に乗ったがE2系の初列車ではなかった)。1992年7月1日、山形新幹線開業の日に「つばさ」で山形から東京へ向かったのだ。また当日の毎日新聞夕刊1面の山形新幹線開業を告げる記事写真にも、400系にカメラを向けている私の姿が写っていた。
その時、在来線の線路から新幹線の線路へ車両から降りずに直通したことに驚いた記憶は未だ色あせない。また当時はまだ在来線で130km/hで走る列車自体が珍しく、在来線でのトップスピードに感激したこともいうまでもない。客室の窓の位置が300系と同様に座席ギリギリまで下げられている事もあって、乗ると実際のスピード以上にスピード感が強く、新幹線区間では200系と同じ速度とは思えなかった第一印象も、私の脳裏に400系が強く残った理由だ。
400系は私にこのような印象と記憶を残して、鉄路から去っていったのである。その400系との別れに寄せ、私は400系に「銀の疾風」というキャッチフレーズを勝手に付けた。登場時の鮮烈な記憶、奥羽本線や東北本線での活躍を見る度に色あせなかった鮮烈な印象、色が変わってもその印象は変わらず、強い印象を残したまま鉄路から去っていったのである。その登場と去り際はまるで一陣の風のようだった。この風のような記憶と、登場時の鮮烈な「銀色」という印象を掛け合わせて贈った言葉である。
最後に、初の「新在直通」新幹線として、初の「JR東日本」の新幹線車両としてこの世に登場し、0系に続く2形式目の「新幹線車両の形式消滅」という形で鉄路を去ることになった400系に心から拍手を送るとともに、その活躍に心から感謝してこの企画を終わりたい。
そして保存が決まった400系車両が、一日も早く何らかの形で公開されることを心から願う。
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