…「その日」は2008年12月14日、私はN700系「のぞみ」で新大阪へ急いだ。駅は最後の0系到着を前に、異様なムードに包まれていた。


上り最終列車 「ひかり」340号(9340A列車)

 博多から最後の0系となるR68編成がやって来た。
 JR西日本オリジナルカラーに変更されていた0系だったが、今回の引退を前に見慣れたこの塗装に塗り替えられていた。さらに車体はきれいに磨かれおり、今日で引退という事が信じられない程であった。
 ひとつ残念なのは、白が0系オリジナルのアイボリーではなく、100系と同じ純白であったことだ。
 最後の1往復は「ひかり」として運行され、0系の最後の花道を飾ることとなった。0系の最終営業を「ひかり」として運行してくれたJR西日本に心からの拍手を送りたい。
 0系が停止位置に停車すると、とたんにカメラの放列に囲まれた。
 0系にカメラを向けているのは鉄道好きの人々だけではなかった、引退でこれだけ人を集められる鉄道車両はもう現れないであろう。
 私もこの0系の最後の晴れ姿を写真に収めた。
 東海道からの0系や100系引退と違い、引退を告げるメッセージやマークの類は一切付けられていない。そう、0系は「普段着」のまま山陽新幹線から姿を消そうとしているのである。
 0系のサイドビュー、見慣れた光景だがこのシーンも営業線上で見るのは最後である。
 この顔が日本の動脈を支え、我々の世代に夢と憧れを振りまいてきたのである。
 東京駅ではこの角度からこの顔を眺めることが多かった。
 0系の「顔」はどの角度から見ても優しく、暖かく、そして美しい。
 こんな光景もかつてはとても見慣れた光景だった。だが編成が短いのがとても悲しい。
 こうして上り最後の列車は無事に新大阪に到着。折り返し整備のために博多方の電留線へ引き上げた。
 最後の0系を見に来た人々の多くがそのままその場に留まり、折り返しの下り最終列車を待つことになる。私も20番線の1号車付近に移動し、「その時」を待った。

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