既に春の日が傾き始め上り特急「きぬがわ」の時刻が迫っていた頃、私はまだ愛車に乗って東武線の線路沿いをああでもないこうでもないと言いながら走っていた。鹿沼駅前後から線路沿いに良い撮影ポイントがないかと探していたのだが、なかなか「ここ!」という場所に巡り会えなかったのだ。「このまま板荷駅まで行こうか…でも時間が厳しいな」と考え出した頃、北鹿沼駅の先で唐突に雰囲気の良い場所に出会えた。「ここだ!」と思って慌てて撮影の準備を始めた。
愛車を止める場所を探している間に、特急「スペーシア」がやってきたので慌ててシャッターを押した。この角度から見る「スペーシア」は美しい、ひとつの鉄道の最高峰である気品と風格を感じるデザインだ。登場から20年を経ても飽きの来ないデザインに、センスを感じる。 |
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今回はターゲットの列車が上りなので、下り列車の撮影はいわば「ついで」ではあるが、こちらもしっかり構図を決めてみた。
北鹿沼駅を出発する6000系を3連続で見て頂こう。 |
東武6000系、JR・私鉄問わず他では見られない珍しいタイプの電車である。2扉でクロスシートというレイアウトは都市間輸送から山岳部ローカルまで幅広い用途に使える。
現在は主に「区間快速」と呼ばれる東京近郊都市間輸送と地方都市圏ローカル輸送を兼ねた列車で使われている。 |
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上記6000系をさらに追い続け、同じ場所でレンズを広角にセットしてまで撮る。この場所は望遠の使い分けでひとつの列車が色んなかたちで撮れるのもいい。 |
6000系の区間快速を見送ってしばらくすると、上り線に本日のお目当てであるJR485系特急「きぬがわ」がやってきた。東武鉄道の線路上を走る国鉄車両、運行開始時は夢のような光景だった。
そして今回の撮影行で見直すと、この線路を走る車両としての歴史は最も浅いのに、何故かここの車両達と風景に溶け込んで、昔から当たり前に走っているような錯覚を覚えた。 |
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振り返って後部を撮る。
この車両で驚いたのは、JRの車両が東武鉄道に色を合わせた事である。東武鉄道では日光・鬼怒川方面の長距離電車に「オレンジと赤」というイメージをつけている。外部から乗り入れて来た電車もこのイメージを受け継いだのだ。
この485系、東武線内で見られるのはあと僅かだ。 |
上記列車を追うようにやってきたのは日光線ローカルの6000系、単独で2両編成だと「区間快速」のような風格は消え去り、ローカル列車としてピタリとはまり込んだ車両になるから不思議だ。 |
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下り特急「スペーシア」、真正面に近い角度から見るとのっぺりしていて少し愛嬌のある「顔」になる。
バブル期のまっただ中に生まれた「スペーシア」、この「のっぺり」感はその時代の特徴的なデザインである。だがバブル期末期となると「のっぺり」とは対照的なデザインに移行する。「スペーシア」はその移行直前の秀作であり、これに続く「のっぺり」顔の電車は京成電鉄AE100系くらいのもんだろう。
同時期にデビューしたJR251系「スーパービュー踊り子」から、「のっぺり」を脱した賑やかなデザインへと進化が始まるのだ。 |
特徴的な流線型に沈もうとしている夕陽が反射する。「のっぺり」デザイン仲間に新幹線100系や300系、小田急10000系「HiSE」車などがあるが、どれもこれももう一線級の扱いではない。またJR九州783系などは、脱「のっぺり」デザインに改造されてしまった。
バブルに浮いていたあの時代は、もう遙か昔の事になってしまったのだ。だが「スペーシア」はそんな時代の流れも感じさせずに、今日も東武鉄道のイメージリーダーとして檜舞台に立つ。 |
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今度の6000系は3本繋げた6両編成で、浅草を目指す「区間快速」だ。同じ電車でも3枚上のローカル列車とはまるで別車両のような風格が出てくる。
でもこの車両のどっちの顔も好きだ。 |
最後に「スペーシア」をもういっちょ。
カッコイイというより美しく洗練されたこの車両が、JRに乗り入れて新宿までやってくるようになるとは、こいつが新車だった時には想像すら出来なかった。
でも現在、JR新宿駅に行くと決まった時間にこの車両を見る事が出来る。新宿の高層ビル街を背景に走る姿も見られる。夢ではないのだ。
そしてそんな都会の景色にも、この電車は見事に溶け込んでいるのである。 |
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本日最後はこの「スペーシア」の振り返り撮影だ。
展望席やダブルデッカーという外見上の「目玉」に頼らず、中身で勝負するからこそこの電車は美しい。まさに特急列車の神髄を見せつけてくれる。 |
今回撮影した東武電車は、オレンジ色の電車ばかりになってしまった。でも白に青い帯を締めた通勤電車や、ステンレスに茶色の帯を締めた通勤電車も好きですよ。もちろん「りょうもう」号も。その「私鉄電車」の中に1列車だけポツンとやってきた国鉄の車両は、なぜか昔からここを走っていたかのように馴染んでいたのだから驚きである。
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