・浅内駅
 国道455号線をさらに盛岡方向へ向かい、しばらく行くとやがて国道340号との分岐点となる。これを茂市・宮古方面と指示された方向が岩泉線沿いに走る国道340号だ。340号は455号と分かれると突然センターラインのない狭隘道路…つまり「酷道」の様相を呈する。
 「酷道」を走って行くと小学校とガソリンスタンドが目立つ集落に入る。ここにあるのが浅内駅で、終戦直後に開通してから1972年まで終着駅だったところだ。かつての終着駅とだけあって、その賑わいの痕跡がそこここに残っている。
 まずは駅舎からして立派だ。昔のローカル線にはこういう立派な駅舎を持つ終着駅が多かった。
 駅舎の扉をおそるおそる引いてみると、中に入ることができた。中はきれいに清掃され、地元の小学生が岩泉線復旧を願って書いた絵が飾られている。それらに込められている思いは切実で、岩泉線の今後(存廃問わず)を考えている人には是非とも見て頂きたい。
 駅舎からホームへ、ホームも元は線路が2本の「島式ホーム」であったことが解る。さらに手前には貨車用の引き込み線があったことだろう。かつては山間の終着駅の賑わいがあったことを強く伝えてくる。
 お約束の駅名標。こちらはJR東日本共通のタイプだけど、駅舎には国鉄時代からのものと思われる立派な駅名標もある。
 ホームには小さな花壇があり、来る人の心を和ませてくれる。ホームにも独立した待合小屋がある点も、ここがかつて終着駅として賑わった痕跡のひとつだ。
 これはホームから茂市方向を見たもの。
 岩泉方向を見ると、蒸気機関車時代に使われていた給水塔がまだ残っているのが解る。保線用の側線として蒸気機関車が給水のために行き来した線路も残っている。
 まるで模型のような風景であった。
・岩手大川駅
 国道340号は、所々道が広がってはいるが基本はすれ違い困難の「酷道」だ。その「酷道」が宮古へ下る閉伊川水系との分水嶺に挑む前に、袋小路の県道と分岐する。その県道をしばらく進むと、少し谷が開けたところに現れるのが岩手大川駅だ。ここは駅名になった集落とは少し離れているが、岩泉線が正常運行されていた頃は一般的な乗客の乗降が最も多かった駅だという。
 県道から線路沿いの広場へは少し坂道を上る。かつては駅舎があったようだが、今は土台が僅かに残るだけで、その片隅にトイレが残っているだけだ。
 駅名標だけ見るとどことなく寂しさを感じる。
 ホームの様子である。待合小屋よりも隣に建っている配電箱の方が目立つように感じるのは気のせいか?
 ここも桜が満開である。
 駅前広場からホーム全景を見る。ここもかつては線路が2本あった「島式」ホームであったことはここから見れば明白だ。
 ここも浅内駅と同じように、かつては賑わっていたことだろう。

 そして…。
 私は国道340号に戻り、東北地方の「酷道」では有名な部類に入る押角峠を越えた。その峠道で岩泉線代行バスとすれ違うが、すれ違いに難儀したのはハッキリ覚えている。
 こんな悪路をバスで結ぼうというのは無謀と言えば無謀。この「酷道」を路線バスが通れるように改修するより、岩泉線の赤字を補填した方が安上がりだという試算があるという話を聞いたことがあるが、思わずその試算に頷いてしまう。

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