西武新宿線6月改正では、「快速急行」と「拝島快速」の廃止といった面が目立つが、この改正で新宿線から姿を消したものは他にもある。
 まずは新101系や301系といった、「抵抗制御」の車両がこの改正を機に新宿線での運用を失ったと聞いた。言われてみれば、今回の撮影行でもこれらの車両は全く見かけなかった。旧101系が去ってからかなり時間が過ぎ、今や新101系や301系がその後を追って西武線の鉄路から姿を消すのは時間の問題となりつつある。もし新101系や301系がこのダイヤ改正で本当に消えたのなら、新宿線は2000系投入開始から35年の月日を掛けて、通勤電車全部が回生ブレーキ付きの電車で統一されることになる。
 そしてもひとつが、私が長年ペンネームに使用していた「急行 拝島・西武遊園地」…つまり萩山分割急行の廃止だ。萩山で分割併合する電車は、下りは全廃、上りは縮小ということになった。上りは行き先表示は他の電車と変わらないが、下りでは文字数の多い独特の行き先幕を掲げて走る姿が見られなくなるということだ。これが廃止になるなら最終列車を追いかけたかったが、廃止を知ったのは最終列車が走って数時間後のことであり追いかけは叶わなかった。
 本コーナーの最後に、メモリアルコーナーとしてこれら新宿線から姿を消した列車の在りし日の姿を載せておこう。
 1999年に撮影した旧101系。この車両が新宿線を去ってからもう6年位経ったんだっけ。
 野方のカーブは今も昔も変わらないが、近い将来このカーブに変化が訪れる。西武新宿線の中井〜野方間の連続立体交差化工事が始まれば、取り付け部はこのカーブのすぐ向こうなので景色に何らかの変化が生じるのは確かだ。
 上写真と同じ日に撮影した301系、この頃には「黄色電連」では無くなっていて、新宿線ならではの外観の違いはない。
 この西武最初のブラックフェイスデザインは、眠たそうなパンダみたいな表情で賛否両論あるが、私としては旧501系から続く正面二枚窓スタイルとブラックフェイスデザインを融合させた、デザインの到達点の1つとして好きなデザインのひとつだ。
 ここからは2001年、101系赤電リバイバル塗装車がイベント列車として新宿線を走ったときのものだ。
 中井から新井薬師前へ向けての長い30パーミル勾配を駆け上がってきた新101系。301系との違いは編成両数だけで、西武電車ファン以外にはややこしいところだろう。
 沼袋駅を通過して西武新宿へ急ぐ301系の準急。沼袋駅も前述した連続立体交差化が実現すれば、地下化されてしまいカーブをゆっくり通過する優等列車は見られなくなるかも知れない。
 野方のカーブを行く旧2000系の「急行 拝島・西武遊園地」、スキャナ読み取り後の調整がどうしても上手く行かない。
 やはり2連が本川越方に来るのは珍しい。この編成内容は2−4−4である。
 大きなカーブ描いて萩山駅に入線する「急行 拝島・西武遊園地」。この萩山駅で前6両は拝島行き、後4両が西武遊園地行きに分割される。
 側面の行き先表示には「この車両は拝島ゆき」「この車両は西武遊園地ゆき」と小さく添えられているのが好きだった。
 西武新宿駅を出発して行く「急行 拝島・西武遊園地」、2000系の小さな行き先表示によくぞこれだけの文字を並べたものだと感心する。
 でも池袋線へ行けば、同じサイズでもっと文字数が多い行き先があるもんなー。
 1996年、横瀬での701系/401系の撮影会。この時、全部の方向幕を一通り表示するという大サービスがあり、「フィルムが何枚あっても足りない!」と泣きたくなる状況だった。
 もちろんその中で「急行 拝島・西武遊園地」表示にしたときを1枚残している。
 701系や401系が西武鉄道の鉄路から消えて既に15年、売却された先の地方私鉄でも引退した者がいる。
 2011年、旧101系によるリバイバルカラー車のイベントでも、方向幕を全部出すサービスをしてくれた。
 もちろん、この時も「急行 拝島・西武遊園地」表示はちゃんと押さえている。赤電時代の801系を思い出すひとときだった。

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