6月15日の午前、武蔵小杉から東横線入りした私は適当な撮影地はないかと電車を乗り回していた。まず降りてみたのが都立大学駅、ここのホームの出口がラダー軌道だったと思って取りあえず渋谷方エンドでカメラを構えた。
 本日最初の写真は、東急5000系による「特急 元町・中華街」ゆきの列車。まぁ、渋谷地下化の前からあった平凡な列車ですな。
 だが私にとっては、東横線で「特急」という種別にも、「元町・中華街」という行き先にも、やっと慣れたというのが正解だ。やはりこの駅を豪快にすっ飛ばして行くのは「急行 桜木町」がいいなぁ。
 5000系なのに車番が4000番台というのは、ちょっと違和感が。でも東急5000系と言えば…カエル君なんだーっ!
 上記の列車通過後に振り返ると、そこにはちょっと前までなら信じられない光景が広がっていた。
 立ち去る東横線の特急とすれ違うのは、何と東武9000系「特急 川越市」ゆき。ファインダーを覗き込みながら思わず「ここは何処なんだ」と口走ってしまった。
 ここが「都立大学」駅で坂を登って起伏を越えた向こうが「自由が丘」だとは…まだ信じられない。
 東急電車がすれ違う東武9000系の向こうに姿を消す。9105編成は9000系の中でも初期車だ。
 東武乗り入れ特急都立大学駅通過!
 この9000系も副都心線乗り入れ時に様々な改造を施されている。一番変わったのは、前面の行き先表示類がLEDの電光掲示板になったことだろう。
 当初はこの都立大学駅で少し粘ろうかとも考えたけど、駅が小さいのと周囲に曲線がないので単調な写真になりがちなのが一点、そしてなによりも下り列車の撮影しか向かないのがもう一点。上記写真も上りホームに余り人がいなかったから上り列車が上手く撮れたのであり、そう何度も上手く行くとは思えない。
 この判断で移動を決意し、車窓風景とにらめっこしながら私が腰を落ち着けた場所が、多摩川駅の渋谷方エンドであった。
 ここはかつて、東横線の最新のステンレス車と、目蒲線の緑色の旧型電車が競演した東横線の名所のひとつだ。もちろんその競演は私の心の中にも記憶されていて、立体交差化で景色が変わっていても地形は変わっていないのですぐにその記憶を辿ることができた。そんな東横線のかつての名所に、西武や東武や営団地下鉄の電車が来るかと思うとちょっとこみ上げるものがあった。
 多摩川駅でカメラを構えた。最初に来たのは東急5000系8連と、まぁ最も平凡な電車だ。「各停 菊名」に行き先を掲げているが、これは今年の春までだったら日比谷線乗り入れ列車だったのだろうか?
 東横線〜日比谷線乗り入れ運転の最後を記録し損なったのは、「スーパーひたち」の記録に行けなかったの並び今年の「鉄」活動の中でも痛恨の失敗だ。
 続いてシャッターを切ったのは東京メトロ10000系、この車両は西武池袋線でよく見かけるがまだ乗った事がない。用事があって有楽町線に乗ると、いつも東武や西武の車両が来るし。
 「特急 元町・中華街」の行き先を掲げているが、営団地下鉄〜東京メトロの電車が「特急」として走るのはここだけ。
 上り列車もこんな感じで撮れる。東急5000系8連だが…行き先はなんと「各停 石神井公園」!
 東急の電車が、私が育った故郷の行き先を掲げている! 凄い!
 こんな感じで多摩川駅での撮り鉄を開始、そしていよいよ目的の列車が現れる。
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