現地に到着すると2月の冷たい雨が鉄路を濡らしていた。さすがに天下の小田急線とあって電車本数は多く、カメラの準備をしている間にもう踏切が鳴りだした。
 下り普通列車が続く。また313系の2両編成だが、よく見るとクモハ車のパンタグラフは1台だけだ。このパンタグラフの台数の違いは何なんだろう? 「霜取り」の運用に使えるかどうかの違いだけなのかな?
 そして既に、371系の通過時刻はすぐそこまで迫っている。この下り普通列車の通過を合図に、これまで賑やかだった撮影地はターゲットの接近の緊張感に包まれ、急に静かになった。
 もちろん、私も周囲の「同業者」の方々との会話を止め、目と耳を御殿場方向の線路に集中させる。
 来た。
 緑と橙の山の中から、白い車体に青いラインを入れた7両編成が、酒匂川の風景をゆっくり愉しんでいるかのように、ゆっくりゆっくり走ってきた。
 上写真の列車部分を拡大したもの。これだけ距離があると線路際の標識類などがカブっても気にならないなぁ。
 紅葉に染まる木々を背景に、近づいてくる。こうしてみると中間車のダブルデッカー車のデザインがとても良い。1階と2階の窓を繋ぐなんて、正直言って当時は「奇抜」と思ったものだが…。
 上写真を拡大、いつの間にかにパンタグラフが新型に変わっていたのね。でも以前撮り鉄した写真も見直してみると、このタイプのパンタになっているんだよね。
 可能な限り引きつけて最後の1枚を撮る。これ以上引きつけると架線柱と重なってしまう。
 これが私にとって、最後に見た371系の姿となる。こんな美しい風景の中で最後を見届けるなんて…。
 最後の写真を拡大。先頭部のデザインは今考えるとうまくまとまっていると思う。
 こうしてみると、けっこう「限界一杯」な車体だったんだなぁ。
 こうしてこの日の「撮り鉄」を終えた。本当はこの後、小田急線の渋沢〜新松田間に移動してロマンスカーを愛でようと思ったが、雨が収まる気配が全く無いためにこちらの「撮り鉄」は中止。このまま愛車を山中湖〜富士吉田〜大月〜松姫峠〜奥多摩湖と走らせ、青梅街道から我が家に帰った。
 371系が姿を消したことで、1991年の「あさぎり」車両は全てその姿を消したこととなる。371系がこれからどうなるのか不安はあるが、出来ればどこかの地方私鉄にでも払い下げられてさらなる活躍ができるよう祈っている。
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