17時05分、私と愛車を乗せた「びなす」は青森港を出港した。
この時刻に青森を出港する青函航路は、私にとっては特別な思い出がある。1987年6月、初めて青函連絡船「羊蹄丸」で津軽海峡を渡ったときに乗った便も、17時05分出港の7便であった。その時の航海で見た海の景色は、今もハッキリと脳裏に焼き付いている。
「びなす」に乗る前に、少しだけ去年6月の津軽海峡渡航を振り返ってみる。
仕事で函館へ行くことになった私は、片道は時間があることもあって津軽海峡フェリー「ブルードルフィン」の客となった。当日の海峡は青森からしばらくは霧雨の中の航海となったが、雨が上がると曇天ながらも津軽海峡の景色が広がった。
これは青森を出てしばらくのところですれ違った、後続便の「びなす」。霧雨の中から突然現れた。 |
|
|
「びなす」と前後してすれ違ったのは、今回はドック入りで撮影できなかった「3号はやぶさ」である。こちらも霧雨に滲んでいた。 |
そして今回の航海では、出港からまもなく日が西に傾いて夕焼けの光景となった。
その黄昏の海を背景に青森へ急ぐのは、津軽海峡フェリー「えさん2000」。彼女だけは元東日本フェリーではなく、道南自動車フェリー出身のフェリーである。
2001年3月、道南自動車フェリー時代の彼女を撮影したはずなんだけど、写真が出てこない。 |
|
|
青森へ向けて後ろ姿を見せる「えさん2000」、煙突が1本になっただけで、青函フェリーの船に船影が似ている。 |
「えさん2000」の後を追うように、青函フェリー「あさかぜ5号」がすれ違って行く。 |
|
|
「あさかぜ5号」も前述の「あさかぜ21」と同じ水色と黄色のストライプだ。黄昏の海を行く姿は幻想的でとてもきれい。 |
「あさかぜ5号」は去年の航海でも撮影していた、これは海峡中央部をゆく彼女の姿だ。 |
|
|
津軽半島へと沈んで行く夕日、初めて津軽海峡を船で渡ったあの日を思い出した。
だが28年前のあの日は空気もきれいな澄んだ空だったけど、今日はもやが掛かっていて空もよどんでいる。でもそれがまた独特の美しい景色を生み出している。 |
日没寸前、これは蟹田沖の景色のはずだ。日が極限まで西に傾くと、もやによって太陽の光は力を失ってしまい、昼間の暑さがウソのようだ。 |
|
|
完全に日が落ちた後、左舷側の津軽半島が遠ざかるのを見る。今回の光景はまさに、私が経験した中で2番目に美しい津軽海峡の景色だったかも知れない。 |
海峡に航跡を引いて函館へ急ぐ「びなす」、もう暗いのでシャッタースピードを落としたらこんなスピード感のある写真となった。
考えてみれば、自転車以上の速度は出ているわけで、シャッタースピードが落ちれば嫌でもスピード感が出るはずだ。 |
|
|
定刻より少し早く函館港に到着。私は愛車と共に北海道へ上陸した。
そして最初に立ち寄った場所は、1954年9月26日に発生した洞爺丸事故の慰霊碑だ。この場に夜に訪れたのは初めてだ。 |
その後私は、海峡沿いを走る国道228号線を少し南へ走り、車中泊のためにクルマを停められそうな場所を見つけてそこで夜を明かした。津軽海峡の波の音を聞きながら眠りについたのは初めての経験であり、贅沢であると感じた。
|