2015年4月28日 津軽海峡線での「撮り鉄」(2)

 「箱崎道踏切」付近での撮影を終えた私は、江差線と海峡線の接続点である木古内を目指した。津軽海峡に面したこの小さな町に新幹線の駅が設けられることとなり、町はもう来年春の新幹線開業に向けて盛り上がり始めている。
 この木古内の市街地の外れに、今回の撮影行でどうしても訪れたい撮影地があった。ここは「海峡線」の新幹線規格で作られた線路上を行く列車を撮影できる場所だ。だけど事前情報では、ここで撮影できるのは下り列車だけで上り列車は後撃ちしか出来ないということだったが…。
 渡島当別からクルマで20分程度だっただろうか、木古内の違い地を抜けた向こう側の丘陵を登ったところに、その場所はあった。
 周囲は北海道新幹線開業に向けた整地工事で混乱していたが、工事作業員の目を気にしなければ撮影自体は可能であると判断。現に線路際まで行っても警備員に咎められることはなかった。
 撮影ポイントまで行ってカメラを構えるとすぐ、函館行き朝一番の「スーパー白鳥」95号がやってきた。速度制限があるのか、立派な線路の上をそれに似合わない速度でのんびり走ってきた。

 う〜ん、連結器が曲がっていてだらしない写真になってしまった。よし、次の「スーパー白鳥」1号までここで粘ろう。
 私が撮影ポイントの線路際へ降りていったのを見て、宮城から来たという鉄道好きの方が隣にやってきた。工事作業員の目を気にしていたのだろうか。
 その方と色々語り合っていると、青森行きの「スーパー白鳥」20号が通過、後撃ちだけだがきっちりおさえた。
 3線軌道の内側のレール上を走っているのが解るだろう。
 「金太郎」君が牽く上り貨物列車が通過する、上り列車だとこういう写真でしか「金太郎」君の姿を残せない。
 この高規格軌道を走る「スーパー白鳥」も、「金太郎」君の姿も、見られるのはあと僅かだ。
 だがこのようなコンテナ車の後ろ姿だけならば、これからも見ることが出来る。新幹線の線路を行く貨物列車の姿は、これからも津軽海峡の旅情として定着し続けるだろう。
 「スーパー白鳥」1号が通過、ちょっと望遠気味に構図を変えてみた。新幹線線路を行く在来線特急、ある意味昔計画にあった「スーパー特急」構想の完成形だったのかも知れない。
 上記列車を広角に切り替えてもう一枚。この789系は北海道新幹線開業後、どのような使われ方をするのだろうか?
 札幌の785系がもう古くなっているから、この置き換えのために転属するんだろうと思う。
 「スーパー白鳥」1号が去ると、一緒に撮影していた宮城の方は他の撮影地を目指して去って行く。
 私はここに残って485系の「白鳥」22号の撮影を続けるが、いい加減構図を変えようと考えた。トンネルの上を乗り越して線路の反対側へ続く出来たばかりのブル道を歩くと、こんな構図の場所を発見。
 新幹線用の高規格軌道、木古内の町、その向こうに広がる津軽海峡、そしてトンネルから飛び出す485系。まさに「津軽海峡線」を象徴する一枚になったと自画自賛している。

 木古内の町外れでの撮影を終えた私は、もう一箇所記録を残したいと思っていた場所がある。私は木古内からさらに南西方向へと愛車を走らせた。

 峠を目指す国道沿いにあった観光用の展望台、そこに登って辺りを見渡すと、海峡線の高架軌道とそれに繋がって口を開けるトンネルが見えた。
 このトンネルの名は「第一湯の里トンネル」、恐らく日本の数あるトンネルの中で最も本当の名前で呼んでもらえないトンネルである。「スーパー白鳥」の車内案内表記でもこの正しいトンネル名は出てこない。

 この「第一湯の里トンネル」であるが、世間一般では青函トンネルの一部として認識されている。シェルターで隣の青函トンネルと繋がっているため、この坑門が「青函トンネル北海道側入り口」として紹介されている。「青函隧道」という扁額もこの「第一湯の里トンネル」についている。

 トンネル好きでもある私は、このトンネルをちゃんと本名である「第一湯の里トンネル」と呼んであげたい。
 展望台の上でああでもないこうでもない、展望台から降りてああでもないこうでもない、国道の橋を渡ってああでもないこうでもない、と構図に悩んでいる間に時間が迫った。
 そして「スーパー白鳥」24号が新幹線規格の立派な高架橋を疾駆して行く。ステンレスの銀と先頭部の黄緑のコントラストが美しい。
 超望遠で「第一湯の里トンネル」方向へと構図を切り替える、すると本州へ続く闇へ飛び込もうとする「スーパー白鳥」の姿がそこにあった。
 本州へと続く闇へ吸い込まれて行く列車、これが青函連絡船なきあとの津軽海峡の鉄道旅情。それを初めて外から見たその瞬間。
 「第一湯の里トンネル」と「青函トンネル」を足して55キロほど向こうまで続く闇の向こうで、列車は津軽半島に上陸する。
 ほんのしばらく待つと、今度は本州から55キロ続いた闇から列車が飛び出してきた。「スーパー白鳥」5号だ。
 この瞬間の明るさが「北海道に上陸した」という明るさであり、すっかり旅情として定着したものだ。
 だがこの瞬間は、寝台特急では体験できなかった旅情でもあったはずだ。
 編成全体が写るタイミングでもう一枚、車両は「スーパー白鳥」16号の折り返しなので、後部の増結車は785系だ。これはこれで貴重な記録だが…先頭部に標識が掛かってしまって残念な写真に。
 そして高架橋を疾駆して真横から1枚、一瞬だけシャッターが早かったなぁ。でもこのタイミングだと連写だったら思い通りにならなかっただろう。「せーの撮り」だからこその写真もあるのだ。
 もう一度望遠で後撃ち、785系をアップにして見た。木があるのは仕方が無いね。

 これで北海道側の「津軽海峡線」で、撮影したい場所と車両はだいたい押さえたのと、この日のうちにどうしても訪れたい場所があるので撮影を切り上げることとした。そして私は、愛車をさらに南西へと走らせる。どうしても行きたい場所というのは、過去に何度も訪れる計画を立てておきながら時間の都合や現地のアクセスの悪さから訪れることが叶わなかった場所である。今回は北海道へ愛車を持ち込んだという機動力によって、やっと訪問が実現する場所だ。

 その場所とは渡島福島にある「青函トンネル記念館」である。津軽海峡の歴史を探究するものであれば必ず寄らねばならない場所だ。
 竜飛の青函トンネル資料館は過去に二度訪れたのは、アクセスが多少悪くても自宅と地続きであったため愛車で行くことが困難でなかったことが要因の一つだ。
 やはり海を越える旅は大変なんだと言うことは、愛車の旅をするようになってつくづく感じたことだ。
 この記念館には青函トンネルの資料が数多く展示されているのは言うまでも無い。洞爺丸事故関連の展示が多かったのも印象的だ。
 吉岡海底駅の駅名標がここに展示されていた。海底駅は竜飛の方には一度行ったが、吉岡は行けずじまいだった。竜飛は「青函トンネル資料館」の体験坑道でその施設を見ることが出来るが、吉岡にはそのような見学施設がないのが痛い。
 そしてここは、福島町の「トンネルメモリアルパーク」。それは吉岡漁港を見下ろす丘の上にある。
 桜の木の下に青函トンネル建設時に使用されたバッテリーカーがポツンとおいてある。
 この公園には、青函トンネル関係の記念碑、洞爺丸事故関連の慰霊碑、昭和20年7月14日に福島沖で撃沈された駆逐艦「柳」の慰霊碑などの石碑群がある。
 この公園から見下ろす漁港が吉岡漁港で、その下を青函トンネルが通じている。
 そしてやってきたのは北海道最南端の白神岬、津軽海峡を構成する4つの岬のうち、やっと3つめに到達した。そして今回の旅では、残った一つの汐首岬も訪れている。
 また北海道の端部についても、最北端、最東端は既にクリア済み、今回は最南端をクリアし、最西端も行けるところまでは行っている。
 ここから函館に戻るまでの旅路は、この「撮り鉄&撮り船日記」の本題から逸れるので、別の機会に紹介したい。
 ここからは翌日の昼まで、北海道のドライブを楽しんだ。といっても日本海に沿って行けるところまで行って帰ってくるという行程で、松前から上ノ国、江差と抜けてせたな町で車中泊、翌日は岩内まで北上してから倶知安、長万部、森、恵山経由で函館へ戻る行程だった。それにしても道南の日本海側の海岸風景は凄かったなぁ。
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