2016年1月9日 富士急行 大月線 三つ峠〜寿ほか



 私の子供の頃からの鉄道の思い出を彩る電車に、国鉄が生んだ急行電車165系がある。
 子供の頃、家族のレジャーで遠出する先は軽井沢や那須高原と言った首都圏からほど近い観光地であった。当時そこへの足としてよく利用していたのが「急行電車」であり、これで乗る電車は決まってオレンジと緑のツートンカラーのボックスシートの電車だった。その電車の形式が「165系」(信越線方面の場合は169系)であることを知ったのは、小学校高学年の頃だ。
 さらに私が成長し、10代後半にあちこち旅行するようになると、この165系がローカル用列車に格下げされてあちらこちらで使用されているのに何度も乗った。東海道本線の通称「大垣夜行」では、この電車を宿代わりにして車内で寝たものだ。その他、上越・信越・両毛・総武・中央・篠ノ井・飯田・関西・紀勢の各路線で165系の旅を楽しんだ。
 ところが1990年代後半になると、165系電車は急激に数を減らした。21世紀の声が聞こえると定期運用から撤退し、秩父鉄道と富士急行としなの鉄道に売却された車両以外は乗るのが非常に困難になった。そしていつしか、JRの鉄路からその姿を消していた。

 その後、私鉄に売却された車両も秩父鉄道としなの鉄道のものは既に姿を消し、いよいよ富士急行で「フジサン特急」として活躍する元「パノラマエクスプレスアルプス」の2000系1編成3両だけとなった。
 富士急行には元々2編成あったが、うち1編成は2年前に廃車になっている。この時は車体塗装が「パノラマエクスプレスアルプス」時代のものに戻されて話題となったが、私はどうしても時間が取れなかったのと、唯一撮り鉄の日程が取れた日が大雪に見舞われて家から出られなくなるという憂き目を見て結局は行けずじまいで終わってしまった。
 そして2015年秋、残ったもう1編成の2000系も2016年2月に、新しい特急車両に置き換えられて引退する旨が伝えられた。私はこれまでさんざん世話になった165系の最期の有志を追いかけたいと思い、「撮り鉄」の予定を組んだ。

本日のターゲット
富士急行2000系 初代「フジサン特急」
1987年、分割民営直前の国鉄が165系を改造して作った「ジョイフルトレイン」。国鉄最初の前面展望スタイルとして、強いインパクトを与えた。
こちらは、貫通タイプの先頭車
こちらは165系の原形をほぼ保っている。国鉄〜JR時代は中間車として使用されたため、先頭に出る機会はあまりなかった。

…今回の撮り鉄は、2016年1月9日に行ったとしているが、そのプロローグとして年末の「撮り鉄」活動から入っていこう。その後に1月9日の撮り鉄行を見て頂くこととする。

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