2017年12月21日 JR東日本 中央本線線 高尾〜相模湖
 12月9日の撮影に続く撮影行を企画していたが、体調を崩したりしてなかなか出掛けられず、やっと続きを実行したのはE353系デビューを2日後に控えた12月21日だった。この日は高尾駅を拠点に徒歩で旧甲州街道沿いに撮影地を求めることとした。
 最初にやってきたのは国道20号と旧甲州街道の分岐近くにある「小名路踏切」という小さな踏切。ここで朝最初の上り「スーパーあずさ」まで待つことにする。
 撮影地に着いてすぐに上り始発の「あずさ」が来たが、「山スカ」とすれ違いになりこんな悲惨な写真に…。
 それでも負けじと後撃ちすると、これもちょっとシャッタータイミングが遅れちゃったなぁ。
 まぁ、本命はこの後だから…。
 下り「スーパーあずさ」がやってきた。この頃は曇り空だったので光線は余り気にせずに撮れた、その代わり暗かったけど。
 上記の後撃ち、E351系独特のテールランプが良い感じに写ってる。この時はLED表示器には何が表示されていたんだろう?
 続いて上りの「スーパーあずさ」がやってきたが、シャッターチャンス直前にカメラが突然不調をおこしてシャッターが落ちず。光線も明るさもちょうど良かったのに。
 それでも後撃ちしてみたら、前面が完全に影になってしまってこれまた悲惨な写真に…。
 「ここはまた後で来よう」と決断したので、だいたいこの日の行動予定が決まったと言って良いだろう。
 撮影に失敗が続いたのは「あること」をしていなかったからだと思って、次に私が歩いて行った場所は「蛇滝口」バス停が目印の所。ここに新井踏切という撮影場所があるが、ここでの撮影の前にどうしてもしなきゃならないことがある。
 次の撮影の前に私が訪れたかったのは、この慰霊碑だ。撮影名所でもある高尾〜相模湖間の新井踏切の傍にある「湯ノ花(いのはな)トンネル」は、日本の鉄道史上に残る悲劇の場所だ。
 1945年8月5日昼頃、この地にある湯ノ花トンネルに長野行き419列車が差し掛かっていた。
 そこに東京郊外の都市や輸送機関を攻撃目標としていた米軍機(2機または3機)が襲いかかる。米軍機は419列車に対して機銃掃射の反復攻撃を行う。419列車は湯ノ花トンネルに突っ込んだところで停止してしまい、客車は米軍機の機銃掃射を繰り返し受けることになってしまった。
 この銃撃により、419列車の乗客のうち少なくとも52名が死亡、133名が重軽傷を負った。これは日本の鉄道に対する空襲で最悪の惨事と言われている。

 今回の撮影行では、工程上の都合とは言えここで手を合わせることを後回しにしてしまった。ここまでの撮影失敗はその罰が当たったと考え、まずこの石碑と湯ノ花トンネル坑口に手を合わせた。

 高尾〜相模湖間の裏高尾で列車の撮影をする人は、ここで起きた出来事を理解して、この石碑に手を合わせて欲しい。
 そして湯ノ花トンネルの御霊に手を合わせるとすぐに、下り「あずさ」がやってきた。
 ちなみにこの新井踏切は、私は過去に一度だけ撮影に訪れている。それは201系さよなら運転、最後の運行を追っかけた時だ。
 
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