第6章「グリーン・ゲイブルズのアン」 |
名台詞 |
「あんたはただのグリーン・ゲイブルズのアンじゃないの。何度私がコーデリア姫なんだと空想しても、そのたびにあんたの顔が見えるのよ。でも、どこの誰だか分からないアンよりも、グリーン・ゲイブルズのアンの方がずうっとずっといいわね。私はグリーン・ゲイブルズのアンよ、グリーン・ゲイブルズのアンよ!
ダイアナ、心の友になってね!」
(アン) |
名台詞度
★★★ |
祈りの聖句を自室で一人で覚えるようマリラに命じられたアンだが、アンはいつの間にか聖句を覚えることをやめて自分がコーデリア姫になった妄想を始める。服装までは上手く妄想できても、髪の色と肌の色の妄想がどうしても上手くいかない。そんなアンが部屋の鏡のところまで走って行き、鏡の向こうの自分に向かって言う言葉がこの台詞である。
アンは過去に何度もこの自分が「コーデリア姫」になった妄想をしたことがあったのだろう。そのたびに同じように髪の色と肌の色で躓き、同じように鏡に向かっては鏡の向こうの自分に「あんたはただのアンだ!」と叫び続けていたに違いない。だが今回は違う、「ただのアン」ではなく「グリーン・ゲイブルズのアン」という立派な称号が付いたのだ。自分が「ただのアン」ではないことに気付いたとき、アンは再びこの家のアンとして迎えられたことの喜びを噛みしめたシーンなのだ。台詞の後半ではアンは踊り、さらにまだ見ぬ少女を勝手に心の友にしてしまってその家へ向かって呼びかけてしまう。そんな普通なら考えられない事をしてしまうほど、アンは喜びで訳が分からなくなってしまっているのだ(ま、アンならこれは通常の行動かも知れないが)。 |
名場面 |
グリーン・ゲイブルズに置いてもらえることを告知される |
名場面度
★★★★ |
午前中はアンに対してまだ沙汰はなく、アンは不安で大好きなおしゃべりも妄想に耽る余裕もないままマリラに命じられた家事を淡々とこなす。だが午後になるとアンの胸は遂に限界に達した、「お願いです、私を余所にやってしまうのか、そうでないのか教えてください」と単刀直入にマリラに聞くのだ。「朝のうちずっと我慢していたけど、もうとてもたまらないんです」と震えながらに今の心境を打ち明けるアンに、マリラは表情一つ変えずに布巾を熱湯で洗うように指示したはずだがそれをやっていないと指摘する。アンは無言でマリラに指摘された布巾を洗う作業を済ませ、マリラに向き合う。この間の沈黙がアンの不安を上手に再現していていいと思う。アンと向き合ったマリラは一気に言う「私たちはあんたをここに置いておくことに決めたよ。つまりね、あんたがいい子になるように努めて、感謝の気持ちを見せるならばだよ」…アンはまず驚き、そして一瞬笑顔になったかと思うと今度はその顔を歪ませて涙を流す。この表情の変化だけでアンの喜びを再現したのは凄いと思う。それを見てどうしたのかと聞くマリラに、アンは「私、泣いてるの。どうして涙が出るのか分からないわ」と正直に言い、この喜びは嬉しいなんてものじゃないと力説してまた涙を流す。「私一生懸命やります。でも何で泣いてるのかしら?」と問うアンに、「それはすっかり興奮しているからだ」とマリラは冷静に答える。
このアンの喜びの表現に尽きる。表情の変化だけで台詞が無くても視聴者にはこの瞬間をアンがどれだけ待ち望んでいたかわかるってもんだ。ま、それでも黙ってられないのがアンであって、ちゃんとどれだけ嬉しかったか力説してくれるのだが…。このマリラに「ここに置いておくことにした」と言われてから、驚き→笑顔→感涙と次々に表情を変化させるアンは序盤では屈指のシーンだろう。その前の「不安」の表情も含めて。
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今回の命名 |
「心の友」…グリーン・ゲイブルズから見える丘の上の家に住むダイアナ・バリーの事。目も髪も黒くて頬は薔薇色というのはマリラ談。アンはまだ見ぬその少女を勝手に心の友にしてしまうが、本当の心の友になるのはまだ先の話。しかし「赤毛は私だけでたくさん」って…。
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感想 |
このアンがマシュウとマリラに引き取られると決まるこの回までが、「赤毛のアン」のプロローグ的な部分であろう。次回予告を見れば分かるとおり、次からはいよいよアンが日常の中で色々と「事件」を起こしてゆく物語へと変わってゆくようだ。ここまではアンがグリーン・ゲイブルズのマシュウとマリラにどのようにして引き取られたかを丁寧に描いてきたと思う。登場人物も最小限に減らし、1章と5章以外はアンとマシュウとマリラの3人だけで話を進めるという徹底のしようだ。
そうそう、よく理由が分からないままなのはなぜマシュウもマリラも、アンに自分を呼び捨てで呼ぶように頼んだかだ。当然アンは驚くわけで、なんとかおじさんとかおばさんという当たり障りのない呼び方を許してもらおうと懸命になるが、二人はこれを譲らない。ひとつの想像としては、アンを単に子供として受け入れたのでなく、対等の立場の人間として扱おうとしていたのかも知れない。特にアンが過去に引き取られた家では家族と言うより使用人同然の生活をしてきたことをマリラは知っている、これはマリラなりのアンに対する愛情表現なのかも知れない。一方マシュウも理由は「アンと対等」というところだが、マシュウの場合は父性愛としての愛情表現だろう。
しかし、アンが話した「ケティ・モーリス」の話を聞いて私もマリラと同じ感想を持ってしまった。妄想と現実が混同されてしまっているのであり、ちょっと怖かったなぁ。このエピソードも「こんにちはアン」に出てくるのかな? |