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第11章 「マリラ・ブローチをなくす」
名台詞 「あら、何かを楽しみにして待つところにその喜びの半分があるんだわ。楽しみが本当にならなくても、その楽しみを待っている間の楽しみは、間違いなく自分のものだもの。」
(アン)
名台詞度
★★
 教会の帰り道、日曜学校のピクニックがどれだけ楽しみかと言うことを力説するアンに、マリラは「あんまりあんたは物事を思い詰めすぎるよ。一生の間にどのくらいがっかりするか知れないよ」と忠告する。これに対してアンはこう答えるのだ。
 これは私の持論なのだが、「旅行」というのは1回の旅行で3度楽しめるものである。1度目は旅行を計画し準備している時、2度目は旅行中、3度目は帰ってきて写真や旅行記をまとめているときである。無論この台詞はこの持論の「1度目」についてを的確に説明しているのだ。何かを楽しみにしていて待つこと、その日が待ち遠しくてたまらないこと、これらも一つの出来事を楽しむ要素なのだ。旅行前に地図や時刻表を何度も眺めてしまう人もいると思うが、そういう人にはこのアンの台詞の論理がよく理解できていると思う。
 そしてこの旅行の例で言えば、アンの言うとおり楽しみにして待つだけでもう旅行の半分を楽しんでしまっているのだ。だから何らかの理由でいけなくなっても、十分に楽しんでしまったということもある。この論理で行けば「旅行に行ったつもり」でも十分なのだ、まあ流れたら流れたで辛いこともあるが。
 宝くじをたくさん買う人もこんな論理で動いているのかな?
名場面 夜の部屋 名場面度
 ブローチを持ち出してはいないと言い張るアン、それに対しアンがブローチを持ち出したと信じて疑わないマリラ。この二人の争いはいよいよ翌日に迫った日曜学校のピクニックの可否に関わるところまで迫ってきた。夜になってこの争いで疲弊したマリラがアンの部屋へ向かう。ナレーターが解説するとおり、マリラはアンの無く姿を見て一瞬たじろぐ。
 「いつまでそうしているんだね?」とマリラに言われて腰を上げたアンは、これまで通りマリラに自分は無実であることを訴える。そして「まさか私をピクニックに出してくれないって言うんじゃないでしょうね? 午後だけは出してくださらない? そうしたらその後はマリラの気の済むまで元気よくここにじっとしているから…でも私、ピクニックだけはどうしても行かなくちゃならないわ!」と懇願する。もちろんマリラの答えは「本当のことを言うまではどこにも行かせないよ!」という厳しいものであった。こう吐き捨てたマリラを追おうとするアンだが、扉が閉ざされると絶望の表情を浮かべ、ついにはベッドに突っ伏して号泣する。
 この事件と前半で話題に挙がった日曜学校のピクニックがやっと繋がるシーンでもある。楽しいピクニックをアンが想像し、視聴者も同時に想像させられて前半ではつい今回のサブタイトルを忘れてしまった視聴者も多いことだろう。そして「事件」が発生すると今度はピクニックの方が視聴者の記憶の片隅に追いやられてしまう。そしてここで初めてふたつの出来事が繋がると、アンだけではなく視聴者も想像していた楽しいピクニックシーンが幻になるとがっかりし、アンにすっかり同情してしまう。そこへ至るまでの展開や台詞回し、これら全てが素晴らしいが、今回はそれらが全て交錯するこのシーンを今回の名場面として選んだ。
 また名台詞に挙げた台詞とこのシーンを対比させるのも面白いかも知れない。アンは「何かを楽しみにする」と言うことでピクニックを隅から隅まで楽しもうと考えていたのだが、その「何かを楽しみにする」という段階から既に楽しみが奪われてしまったのだ。これではアンの名台詞の論理でもっても乗り超えられない。楽しみが奪われるという本来の意味は、このように理不尽な事象によってその前段階から全てが奪われてしまうことであり、それを示唆した物語だとも言える。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  「ブローチを紛失する」ってだけで1話、いや2話にまたがるのかよ〜。このまったりした物語の進行は何なんだ? ブローチが消える前の話はこの事件の伏線となる日曜学校のピクニックの件で終わってるし。
 しかし次話に物語を持ち越す際、今回のような切り方だと消化不良がなくていいと思う。アンが懇願し、それに対しマリラが冷酷な台詞を吐いて、その答えとしてアンが泣き崩れるというシーンを一通り終わらせてから次回へというのがやはり自然なのだ。私が90年代にあまりアニメを見なかった理由は、年齢的なものもあるがこのような不自然な展開や切り方で見ていて疲れるようになっていたからという点があるのはとても大きい。当サイトで考察した中にも「愛の若草物語」なんかはその代表例の一つで、理由もなく会話やシーンが終わりきらないうちに次回に持ち越してしまう。「小公女セーラ」の馬小屋の火事のように、1週間焦らす事で場を盛り上げる程のシーンでないのにシーン途中でブチブチ切られれば、じっくり見たい人が離れて行くのは当然だろう。ま、アニメはまだいい方でこれがテレビドラマになるともっと酷いが。
 さ〜て、ブローチはどこに行ったんだっけ? この辺りのエピソードはちょっと忘れてるなぁ。ブローチが無くなって大騒ぎになる話があったという事実は覚えていたのだが…その展開の核心部もまとめて次に行ったので、この回は本当に「ブローチをなくす」だけ話になった。この回のマリラの迫力、凄いなぁ。 

第12章 「アン・告白する」
名台詞 「(前略)私をこんな目に遭わせて、いつか心から後悔することがあると思うわ。マリラ。でも…私、許してあげるわ。その時が来たら私が許したこと、忘れないでね。(後略)」
(アン)
名台詞度
★★★
 ピクニックの当日、マリラはアンを昼食に呼ぶがアンは今は何も食べられないと泣きながら語った後、マリラにこう語る。
 アンは紛失したブローチは自分が持ち出した挙げ句、湖に落としたと「告白」した。告白すれば外に出してもらえる、ピクニックに行けるという一心で…。だがそれに対してマリラが取った罰は、アンをさらに部屋に閉じ込めておくことでピクニックに行かせないというものだった。その罰にアンは泣き通し、食欲もなくなるのは当然だろう。
 その中のこの部分は、実はアンの「告白」が真実ではないことを示唆するものである。本当にアンがブローチを無くしたのならばマリラは後悔することはないはずであり、なのにアンが「いつか後悔する」と告げている点はアンはマリラがいつの日かブローチを自分で発見する日が来ることを知っている何よりの証拠である。勘の良い視聴者ならばここでアンの告白は事実でなく、楽しみはマリラがどのようにしてブローチを発見するのか、アンはピクニックに間に合うのかという点に変わる瞬間でもあるだろう。
 そしてアンは、その日に備えて先回りしてマリラを許すのである。アンはマリラが間違いを犯したからといってそれでいい気になるのでなく、この酷い仕打ちでもってしても人間誰にでも間違いはあるという心の広さを持っているのだ。と同時にマリラに早く自分の間違いに気付いて欲しいという願いもあっただろう。この台詞はマリラの側から見たら単なる傲慢な台詞にしか聞こえず、この娘の性格を疑うしか無くなるのだが。
 私は小学生時代にこの話を見た記憶が朧気にあるのだが、この台詞は記憶になくて名場面欄に出てくるシーンだけを覚えていた。
名場面 マリラ間違いを認める 名場面度
★★★★
 その日の午後、マリラは繕い物をしようと思って開いたトランクの中に入っていた肩掛けを出す。ところがその肩掛けに紛失したブローチが付いているではないか、アンがバリーの池に落としたはずのブローチが…。
 マリラはお手伝いのジェリー・ブートに大至急馬車を用意するように命じてから、アンの部屋へ行く。アンは窓辺に腰掛けて自分が行くはずだったピクニックのこと、そしてアイスクリームの味を想像しては悲しい気持ちになっていたのだろう。そんなアンにマリラはブローチを差し出し、朝の「告白」がどういう意味なのか問う。「だって私が本当のことを白状するまで、私をここに閉じ込めておくって言ったでしょう? だから私告白することにしたのよ。どうしてもピクニックに行きたかったんだもの。昨日の晩、寝床に入ってから告白の文句を考えたの。出来るだけ面白いものにしたのよ。そして忘れないように何度も何度も言ったの。でも、マリラは結局私をピクニックに行かせてくれなかったんだから、せっかくの苦心もみんな無駄になってしまったわ」とこの物語における「第二の告白」をする。朝の告白はピクニックに行きたいがための狂言だったと認めたわけだ。この告白の文句もブローチを池に落としたとする「最初の告白」同様、午前中に泣きながら考えたに違いない。
 「第二の告白」を聞いたマリラは遂に耐えきれずに笑い出す、ここまでのマリラには無かった大笑いだ。笑いに耐えきれずベッドに腰を下ろすマリラを、怖い顔で見つめるアン。「ごめんごめん、あんたには負けたよ。アン、悪かった。私が悪かったよ。今まであんたが一度も嘘をついたことがないんだから、あんたの話を疑っちゃいけなかったんだよね。無論、やりもしなかった事をやりましたなんて告白するのも正しい事じゃないよ。とても悪いことだよ。でも私がそうするように仕向けたんだからね。だから…もし私を許してくれるんだったら、私もあんたを許してあげるよ、アン。」とマリラは間違いを素直に認めて許しを請う台詞を吐き、アンはこれに頷いて答える。そしてアンの手を取ってマリラが続ける、「そしてもう一度やり直そうじゃないか…。さ、ピクニックに行く支度をしなさい」と続ける。その言葉にアンは立ち上がり、「ああ、アイスクリーム!」と感激の声を上げる。
 マリラはこの一件を通じて、アンの正直さだけでなく、想像力の豊かさを知り演技をさせたら最高であることまでも見せつけられる。朝の結果的には事実でない「告白」が真に迫っていた事、アンがブローチを出せない範囲でのリアルな設定を考えついて嘘か本当か分からない演技をしていたことだ。そして正直者のアンにそんな芝居をさせてしまった自分の早とちりと態度を反省し、これが間違いであったことを素直に認める…そう、誤魔化したり隠したりするのでなくマリラはここでもアンにキチンと対応して謝罪するという形でアンへの愛情をキチンと見せているのだ。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  最初の「告白」を聞いたとき、「確かそんな話じゃなかったよな〜」と思っていた。なにせ四半世紀以上見ていないアニメだ。展開は朧気にしか覚えていない部分も多いが、アンがブローチを黙って持ち出して池に落とすような話は無かったような記憶があった。うん、これは何かの間違いかアンの妄想に違いない、うんうん…と思って見ていたら名台詞欄の台詞が出てきて、それを決定づけさせてくれて、あれよあれよという間にブローチが出てきて…テンポもいいし、そこに至るまでの「どうなっちゃうんだろう?」的な展開もなかなかよかった。ま、あそこまでアンにピクニックやアイスクリームで盛り上がらせておいたのに、行けずに終わるなんて展開は無しだと思うし、前述したとおりこの流れでマリラがアンに謝罪していたシーンを朧気に覚えていたのもあるので、どうやって事件が解決するかを思い出しながらの視聴となった。これが初めてだったらハラハラドキドキの面白い話だったに違いない。
 アンがピクニックから帰った後のシーンも上手く出来ていると思う。ピクニック後の日常生活の情景に、アンの土産話が延々とかぶせられているというのはアンのおしゃべりが止まることが無かったことを上手に再現していると思う。ただマリラがその長いおしゃべりを黙って聞いていた様子なのが今回の変化だ。マリラは今回の一件でアンの想像力に直に触れ、その楽しさもやっと理解できたのだろう。マシュウのように瞬時に理解したのでなく、きっかけが必要だったわけだ。

第13章「アン・学校へ行く」
名台詞 「アン・シャーリー、私の前で二度と先生のことをそんな風に言うんじゃないよ。あんたは先生の粗探しをしに学校へ行くんじゃないんだよ。勉強するのがあんたの勤めなんだから。家に帰ってきて先生の陰口を言うんじゃないよ。」
(マリラ)
名台詞度
★★
 激しく同意。
 たとえどんな先生であろうと、学校の先生は敬わなければならい。その論理を、私はマリラのこの台詞に教えてもらった記憶がある。学校へ行く理由は勉強が第一、極端に言えば他のことは本来はどうでもいいのだ。だが友達づきあいはキチンとしないとやっていけないし、昼休みや部活などの息抜きや楽しみが必要なのは否定しない。それでも学校では勉強が第一、私はこの論理で他で辛いときも「勉強をする」ことを目的に学校へ行くことは止めなかった。話が逸れた。
 このときのアンの行為は褒められたもんじゃない、家で「親」に先生の陰口を言うなど言語道断だ。そう言う話は学校の休み時間に友達とすべき内容であって、大人に話すべき事ではない。マリラはそういう大事なことをアンだけになく、テレビの前の子供達にも教えてくれたのだ。最近のテレビはそういうことを教えてはくれまい、子供が先生の悪口を親の前でいうシーン自体が無いんだろうな…。
名場面 昼休み 名場面度
★★
 このような少年少女が主役の物語では、どれだけ「学校生活」が楽しく描かれるかが「学校シーン」に視聴者を引き込むポイントになるだろう。この「赤毛のアン」ではそんな学校生活の楽しさを、学校が初登場するこの回の昼休みシーンで上手に描き出し、アボンリーの学校でのアンやその周囲の少年少女の成長が、楽しく面白く描かれることを予感させる事に成功したと思う。
 また川で冷やしている瓶入り牛乳の美味しそうなこと…それは置いておいて、「わたしのアンネット」の例を出すまでもなく学校シーンが多い物語ではこの点はとても重要だ。「小公女セーラ」の場合はある意図を持って学校生活を重苦しいものに描いていたが(最終回除く)。
  
今回の命名 「恋人達の小道」…学校へ向かう途中の川沿いの道、本当に恋人達が歩いているわけではないがダイアナと読んでいる本に影響され、そんな道が周りにあったら…という思いで命名。
「スミレの谷」…学校へ向かう途中の農地にある窪地、春には足の踏み場がないくらいスミレが咲き乱れると聞いてその光景を想像して命名。「谷じゃない」とのダイアナのツッコミは野暮だと思う。
 
「樺の道」(ダイアナ命名)…学校へ向かう途中の樺並木の道、ダイアナのネーミングセンスにアンも思わず微妙な表情を見せる。
感想  アン学校へ行く…「赤毛のアン」の醍醐味としてアンの学校生活も外せない、学校を舞台に成長して行くアンとその仲間達の物語という見方も出来るからだ。そのアンの物語の舞台の一つである「学校」が初めて出てくる記念すべき回だ。
 名場面で書いたとおり、このような物語の場合は「学校」や出てくる教師の最初の描かれ方でこれが面白くなるかどうか決定づけられてしまう事は否めない。「赤毛のアン」では原作段階で教師や教室の子供達の性格付けが完成していたのであろう、この先の展開が楽しくなると予感させる学校の楽しさだ。「わたしのアンネット」に出てくる先生のように、教師が聖人君子ではなくいささか問題を抱えた先生なのがこれまたいい味を出している。これもアンだけではなく、教室にいるみんなが持つ共通の逆境なのだ。
 しかしアンとダイアナの通学路はなんかのんびりしていて羨ましいな。都会で育ってきた人間に言わせると、ああいう風景の中を思い切り走り回れるというのは羨ましい限りである。また学校では男子生徒が「農作業」を理由に欠席していたが、当時はその意味が分からなかったもんなぁ。
 さぁて、次回はいよいよ「アレ」か。

第14章「教室騒動」
名台詞 「卑怯者! 大嫌い! あんたよくも…え〜いっ!」
(アン)
名台詞度
★★★★
 このシーンの詳細は名場面欄に譲るとして、この台詞の迫力の演技は何度見ても凄い。今でも本放送時、アンがこの台詞を吐いたときにテレビの前の私が思わず腰が引けてしまったことを覚えている。それほど「赤毛のアン」という物語を私に印象付けた名台詞だ。
 この絶叫の名演は私にとって「世界名作劇場」を象徴する声である、山田栄子さんの名演だ。当時は声優さんの名前なんか気にしてなかったけど、この人の声は覚えていて他のアニメで聞くたびに「アンの人だ」って分かったのも、この演技で強く印象付けられたからだ。
 ちなみにそうして耳で覚えた声優さんは、「鉄郎の人」「メーテルの人」「車掌の人」「のび太の人」辺りだったと思う。まぁまだ小学生低学年だったから、そんなもんでしょう。
名場面 アンVSギルバート 名場面度
★★★★★
 今回はこれに尽きるだろう。私が「世界名作劇場」において、本放送時視聴においてストーリーをハッキリ覚えている一番古いものと言い切れる程、強く印象に残ったシーンである。この記憶が「小公女セーラ」第33話視聴時に呼び起こされたという事もそちらで語ったとおりで、似たようなシーンが出てくれば連動してすぐ脳裏に再生されるほど印象深いシーンとして私の記憶に残っているシーンである。
 授業中、なんとかアンの気を引こうとするギルバートだが、アンは「きらめきの湖」を眺めて妄想に耽っているのでまるで反応がない。そこでギルバートはアンの髪の毛を引っ張り、「にんじん、にんじん…」とその赤い髪を小馬鹿にした台詞を吐く。すぐにアンは表情を怒りの表情に変えて立ち上がり、「卑怯者! 大嫌い!」と叫ぶ。そして「あんたよくも…えいっ!」という掛け声と共に、唖然とするギルバートに石版の一撃を食らわす。驚きの声を上げる生徒達、親友が驚くべき行動に出て顔を歪ませるダイアナ、そして泣き出すルビー・ギリス…。そこへ問題教師であるフィリップ先生がやってきて声を掛けるが、アンはギルバートを睨むだけで反応が無い。「僕が悪かったんです」とギルバードが立ち上がって説明するが、フィリップは「私の教室からこんなかんしゃく持ちと、こんな執念深い生徒が出たことを恥ずかしく思う」と言うと、アンに自分の方を見るように促す。アンは教師を睨み付けるがこの表情の怖いこと…フィリップはアンに教壇のところで立つように命じると、あんは怒りの表情を変えることなく枠だけになった石版を机に起き、教壇へ行って立つ。「アン・シャーリーはかんしゃく持ちです。アン・シャーリーはかんしゃくを押さえることを学ばなければなりません」と黒板に書き、ジョーシー・パイにこれを読ませるまでが一連のシーンであろう。
 一番はアンが自分がもっとも気にしている赤毛を馬鹿にされたこと、ダイアナも黒毛を馬鹿にされたと告白しているがダイアナの黒い髪はアンの赤毛のように「自分にとって最大の我慢ならない欠点」ではないはずだ。これを馬鹿にされたのだからこれだけでギルバートを許せるはずがない。それだけではない、次の点はアンが大好きな「想像する時間」わ邪魔されたことだ、アンは「きらめきの湖」を眺めながら想像に耽っていたはずで、このアンにとって大事な時間をこんな屈辱でもって邪魔されたのはアンにとって我慢ならないことだろう。無論新登場のギルバートはアンがこのような女の子だとは知る由もなく、いきなり扱いに失敗するという大ミスをしてしまったわけで、本人もこれを自覚していたからこそ「自分がからかったから」と先生に申し出たのである。ギルバートが何でアンの気を引こうとしたのか? 私は小学生の頃、ギルバートはアンに一目惚れしたんだと解釈をしていたが、今になって見直すとそうではないらしい。久々に学校へ来たら見たことのない女の子が転入していて、ただ仲良くなるきっかけか名前と顔を覚えてもらおうとしていた程度だろう。
  
 先生の対応が問題なのは言うまでもないだろう。本来ならば、この後のシーンでダイアナが行ったようななだめすかしでもかまわないから、アンの怒りを抑えようとするべきなのだが…「人の神経を逆なでするのが上手い」というのはこのような人を言うのだろう。この教師は教育者としての資質に問題がある上に、個人的にアンを恨んだのは言うまでもない。それが翌日のさらなる事件を呼び起こし、ついにアンを登校拒否へと追い込むのである。現在だったら大変な事になると思うぞ、この先生。
 
今回の命名 新たな命名無し
感想  前回で学校へ通学し始めたとすると、セオリー通りならばやっぱ学校を舞台に事件が起きるというのが通常のパターンだろう。「赤毛のアン」という物語もそのセオリーに従って、やはりアンが学校で事件を起こす。それも常軌を逸脱した大事件、現在風に言えば「女子生徒がからかわれたことに対する腹いせとして、からかった男子生徒を暴行した」ってところだ。石版ってどんくらいの堅さなのかな? ギルバートには怪我は無かったのだろうか?
 またここではこのフィリップという教師がどれだけ問題を持った教師なのかと言うことも強く描かれている。からかわれて怒りに燃えるアンの神経を逆なでするだけでなく、事件の翌日のシーンではレイチェル夫人の指摘通り、本来ならば全員平等に叱らなければならない事象に対してアンだけを叱って罰を与えるという問題行動を起こす。これなら多くの生徒にそっぽを向かれるのは当然だし、アンでなくてもこんな仕打ちをされれば登校拒否にもなるだろう。原作「若草物語」に出てくるエイミーの先生より酷いぞ(アニメのはどってことない先生に描き直されてるし)。高校の時にこう言う先生いたなぁ、白紙答案出したらなぜか50点付けられていたのは追試をやってまで相手にしたくなかったからなんだろうな。教師というのは教育より感情を優先させると単なるダメ人間になるという典型だ。
 結局この教師がやるべき事はダイアナが必死になってやることとなる。だが人生経験の少ないダイアナでは、アンの心の傷を癒すことは出来なかったのだ。でもこのダイアナの努力は彼女がアンの親友としてアンのことを心から気にかけていることを証明するものであるが、またアンも親友の言うことでも譲れないプライドというものを見せつける。
 そしてマリラ、今回のアンの事件についてこれまたアンに体当たりの対応を取るのである。アンが登校拒否を宣言し、結果的にこのアンの意志を尊重することになるのだが、これはマリラがマリラなりに悩んだ結果の結論なのだ。そのためにレイチェル夫人のもとに相談にまで行っているんだから。こうしてマリラがアンに真剣に対処しているのはちゃんとアンに伝わっている、アンはマリラが自分が心に受けた傷を理解してくれたことに感謝をしているのだ。
 さて、登校拒否のアンはどうなるのだろう?

第15章「秋の訪れ」
名台詞 「この間のこと、僕が悪かったよ。悪気があった訳じゃないんだ、あんなことで君が学校に来なくなるなんて思いもしなかったんだよ。」
(ギルバート)
名台詞度
★★★
 ちょ、ちょっと、「悪気があった訳じゃない」なんて、悪気がなきゃあんなことはできんだろうに。
 アンとダイアナが語り合いながらバリーの池の橋を渡ると、橋の向こうから偶然なのかそれともギルバートが待っていたのかは分からないが、とにかく3人は橋の真ん中で鉢合わせることになる。その時にギルバートはこの台詞をアンに掛けるが、アンは憮然とした表情のまま無視してそのまますれ違って行く。ギルバートはアンを追いかけるダイアナにも視線を送るが、ダイアナも無視して立ち去ってしまう。
 ダイアナ曰く、ギルバートがこのように自分が行った行為を反省して謝罪することは珍しいらしいが、アンはそれを聞いても譲ろうとしない。この台詞にはギルバートがアンのことをどれだけ知らないか、どれだけアンを傷つけたのか分かっていないという事が上手に表現されている。アンは何よりも自分の髪の色を気にしていた、それをああからかわれたのだから彼女のプライドはずたずたに切り裂かれたのだ。ギルバートはアンがどれだけ髪の色を気にしているかが知らないから、それがアンにとって登校拒否を決意するほどの重大なことだと知る由もなく、後になってどれだけアンを傷つけたか気付いてこう言う行動に出たのだろう。謝罪しようとしたことは認めるが、やっぱりここでも言葉選びのミスをしてしまったのでアンに振り向いてもらうことすらできなかった。「あんなこと」はないだろうに…いずれにしろこれから延々とこの二人の戦いは続く。
 「返事ぐらいしてもいいんじゃない?」とアンを説き伏せようとするダイアナは立派だ、だがアンの返答は「私の決心知ってるでしょ? ギルバート・ブライスとは口をきかないし、会いたくもないわ」と言い切る。ダイアナが「あなた変わってるわね」と言えばアンは自分が変わっていることを認めた上でダイアナの手を取り、「あなたにだけは私の気持ちを分かって欲しいの」と訴える。ダイアナは無言で頷くが、やはりアンもその「怒り」の理解者が欲しかったのだろう。
名場面 アンの失敗 名場面度
★★★
 あまりにも有名な大事件に挟まれているので影の薄いアンの失敗談かも知れないが、私はこのエピソード好きだ。
 夕食後、アンはマリラにプディングソースを片付けるように命じられる。マリラは付け加えるようにソースの瓶に覆いをするように言い、アンもこれに気持ちよい返事をしている。ところが台所の棚にソースの瓶を置いた瞬間、頭にギルバートに「にんじん」とからかわれた瞬間がよみがえる。これでアンの頭から覆いのことは消えて、蓋がされないままソースの瓶は放置されるのだ。
 翌朝、アンは目覚めると同時にその瓶に覆いをすることを忘れていたことを思い出して台所へ走る。恐る恐る瓶をのぞき込むと…瓶の中でハツカネズミが溺れて死んでいたのだ。窓の外にその死骸を放り出し、その死骸を出すのに使ったスプーンを良く洗い、今起きた出来事をマリラに報告しようと外へ出たのだが…美しい紅葉に見とれてしまい、アンは何のために外に出たか、いやプディングソースの件すらもすっかり忘れてしまう。
 ここまででおなかいっぱいのシーンだが、よせばいいのに突然の来客があるなんて設定にするからもう大笑いだ。その来客に問題のソースが出され、アンは最悪の形でソースの中のハツカネズミを思い出し、最悪の形でそれをマリラに報告することに…見ているこっちも笑うしかなかった。アンが立ち上がってソースの事実を告げたときの気まずさの表現が秀逸だ。
 前回の教室騒動はある意味突発的な事件でいきなり起きるから面白いのだが、この手の事件は少しずつ要因が積み重なって取り返しの付かない事態へと成長して、満を持して事件に発展するから面白い。「来るぞ、来るぞ…」という感じでどんな事件に発展するか楽しみだし、来たときの見ている方も気まずく笑うしかない状況は本当に面白い。この手の事件をこんな面白く描いてくれるアニメは本当に減ったと思う、「こんにちはアン」のメアリーとの事件も、結局メアリーのいたずらが隠し通されてしまった点でちょっとがっかりもしたりした。
 でもやっぱ次の「いちご水事件」を見てしまうと、このエピソードは薄められてしまう運命にあるんだよな…。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  「赤毛のアン」の物語を彩る大きな大事件に挟まれた話だからなかなか印象に残らない回かも知れないが、語られていることは前回の事件を受けて非常に深いと感じた。前半のブラウニーを作るシーンの前では、会う機会が少なくなった親友ダイアナのことを思ってアンの心は揺れる。そして話の中盤からはギルバートに対する怒りというのがテーマだ。ダイアナに「私の気持ちを分かって欲しい」としつつも、そのギルバードに対する怒りを抱えたままの不安定な気持ちで失敗してしまったことはダイアナにも語れなかったという物語は、視聴者に対して「本当にこのままでいいのか?」と強く訴えることになる。これならアンとギルバートの仲直りは近いんだなと小学生時代の視聴では思ったものだが、それはアンの性格を知らないからこその感想なのだ。
 しかし、チェスター・ロス夫妻来訪の失敗シーンからダイアナとのシーンへの変わり目は上手く作ったと当時小学生ながら感動した記憶もある。自然にアンの語りへと流れ、実はそのアンの語りはダイアナに語っているというシチュエーションに自然に変化して行く。しかし、最後のシーンでアンとダイアナが乗っていたブランコ、なかなかいいなぁ。あのシーンも子供の頃に見たのハッキリと覚えていたぞ。
 で、子供の頃に見たのをハッキリ覚えていたと言えば。次はもうアレか…。

第16章「ダイアナをお茶に招く」
名台詞 「あなたがダイアナと付き合うのに相応しい女の子とは思えませんよ。家に帰っておとなしくしている方がいいでしょう。」
(バリー夫人)
名台詞度
★★★★
 アンがダイアナに誤ってぶどう酒を飲ませた事件について、バリー夫人はこれをアンによる質の悪いいたずらであり故意に行ったものだと誤解してダイアナとアンの絶交を言い渡す。マリラがこの誤解を解こうとバリー夫人を説得するが、それが不発に終わった。それを知ったアンは夜、文字通りダイアナの家へ走り、ダイアナの母に直訴するのだ。その返事がこれだ。
 原作を知らないでこの物語を初めて見た人は、アンが言葉を尽くしてバリー夫人を説得することによって誤解が解けてアンとダイアナの友情は続くと期待するだろう。ここまで存在感の強い主人公の友人だ、こんなあっさり親に絶交を言い渡されてそれっきり友情物語が途絶えてしまうなど考えられない。本放送時の私がそうであったように、多くの人がこれはアンとダイアナの友情物語のなかの1エピソードに過ぎない笑い話と思い込み、バリー夫人の誤解がどのように解けるのか、これが視聴者の焦点となっているはずだ。親に付き合いを禁止された女の子同士がこっそり遊び続けるなんて物語にはどうしても見えないし…。また事件の内容がもう笑うしかない「誤って酒を呑ませた」という内容で、これも視聴者がバリー夫人のアンに対する誤解が解けると考える理由にもなるだろう。残り放送時間も考えれば…アンが誠心誠意バリー夫人を説得して話が丸く収まってエンディング、この後の展開を知らない人はこう思うに違いないのだ。
 ところがこのバリー夫人の返答は劇中のアンだけでなく、テレビの前の視聴者の期待をも裏切ることになる。バリー夫人は冷酷にアンはダイアナの友人として相応しくないと宣告し、さらにアンに対して「家から出てくるな」と宣告するに等しいこの台詞の後半部分をも付け加えるのだ。ここまで楽しく展開してきたアンとダイアナの友情物語の終わりを告げるものであり、劇中のアンだけでなく視聴者もお先真っ暗となる…つまりアンに感情移入できるのだ。このきっかけがこの台詞だろう。
 この台詞を聞いたアンは「せめてダイアナに最後の別れだけ言わせてくれ」と懇願するが、バリー夫人はダイアナは留守とした上で一方的に扉を閉じる。これを受けて涙を流しながら「最後の望みも消え失せたわ…」と呟くアンの姿は、親友を失った少女の姿を上手に描いたと思う。
名場面 ダイアナとのお茶の時間 名場面度
★★★★★
 秋の土曜日の午後、お茶に呼んだダイアナがグリーン・ゲイブルズを訪れた。二人はまるで高貴な夫人のような言葉遣いで会話し、果樹園でりんごを食べるなど楽しいひとときを過ごす。そしていよいよお茶の時間、アンはお茶とお菓子の準備の間にとマリラから「飲んでいい」とお許しのあった「いちご水」を出すことにした。台所の棚からそれらしい瓶入りの液体を出し、コップと一緒に差し出すとダイアナは大喜びしてコップに注いで飲み始める。アンはりんごを食べ過ぎたからと飲まなかった。
 「とても美味しいいちご水だわ」「いちご水がこんなに美味しいものとは知らなかったわ」「リンドのおばさんのいちご水よりずっと美味しいわ、全然味が違うのよ」とダイアナは語りながら飲む。アンは茶菓子の用意をしながら料理中ににんじんを焦がした話を始めるが、そのきっかけとなった想像を聞いてダイアナは涙を流して感動する。この辺りからダイアナの様子がおかしく、まるでアンのように感情の起伏が激しくなるのだ。この間に「いちご水」を3杯も飲んだダイアナは、いつしか足がフラフラで立ち上がれなくなり、「とても気分が悪いの、すぐに家に帰らなきゃ」と訴える。お茶もお菓子も出していないうちに帰られたら大変とアンは必死に止めるが、ダイアナはしゃっくりをしながら「帰らなくちゃ」と繰り返す。アンがダイアナの帽子を取りに行っている間に、ダイアナは一人で外に出てフラフラになりながら家を目指す。仕方なくダイアナを抱きかかえて送りに行くアン、道中でダイアナは突然笑い出して「私あなた好きよ〜」と言い出すなど何か様子が変だ。しまいには「もういいわよ」との台詞を残して、ダイアナは一人家路につく。これを困った表情で見送るアンだったが、うつろな表情で家に戻ると泣き始める。
 もう「赤毛のアン」でも有名な事件の一つだろう。このシーンがBGM等も殆ど無く、このたった二人だけで演じられた。マリラのぶどう酒を何の疑いもなく「いちご水」だと信じて差し出すアン、それを飲んで当然のことながら酔っぱらうダイアナがおもしろ可笑しく描かれた。ま、本人達はいたって真剣なのだが、これは前々回の教室騒動とは違い、見ている方は笑っていられる楽しい事件でもある。そして「いちご水」の正体がぶどう酒だったというオチが分からない段階では、視聴者も劇中のアンと同様に何が起きたのか理解できず、気がつけば初めてのアンとダイアナの楽しいお茶の時間が台無しになっていてアンと一緒に悲しめるように上手く作ったと思う。
 でも、このお茶の時間、何度見ても面白いなー。黙々と「いちご水」を飲み続けるダイアナの飲みっぷりは最高。しかし、これでアンも一緒に「いちご水」を飲んでいたら、どうなっていたんだろう…?
 

 
今回の命名 新たな命名無し
感想  やっぱ何度も見ても面白い。初めて見た人はお茶のシーンで「何が起きているんだ?」と思い、ラストで「どうなっちゃうんだ?」と不安になることだろう。一度見たことがあってもダイアナをお茶に呼ぶの決まったところで「来るぞ…」と思い、酔っぱらったダイアナを見て大笑いし、お茶の時間が台無しになった切なさをも何度も味わうことだろう。「いちご水を飲むと酔っぱらうなんて夢にも知らなかった」というのは本放送当時の私も思ったことだ。それとアンが飲ませたのはぶどう酒だったと知ったマリラの言う「アンはゴタゴタを起こす天才」というのも同意だ。こんな女の子がいたら疲れるけど楽しいだろうなぁ。
 でも名台詞欄にも書いたが、この事件は内容が内容だけにすぐに解決するものだと思っていた。マリラが一肌脱いでバリー夫人と話し合いに言っただけで解決したら面白くないとは思うが、その後のアンの直訴では(展開を知らない人は)誰だってここで解決と思うだろう。こうやって話を引っ張るのも大好きだ。確か次々話がバリー夫人がアンを見直すきっかけとなる話だった記憶が。

第17章「アン、学校にもどる」
名台詞 「懐かしいアン。お母さんは学校でもあなたと遊んだり、話をしたりしちゃいけないと言うの。私のせいじゃないから気を悪くしないでね。私、前と同じようにあなたを愛しているわ。あなたに会って、私の秘密をみんなしゃべりたくてたまらないの。ガーディ・パイなんて大嫌い。あなたに赤い薄紙で新しい栞を一枚作ったわ。今、とっても流行ってるんだけど、学校じゃ3人の女の子しか作り方を知らないのよ。栞を見たら思い出して。あなたの忠実な友、ダイアナ・バリー。」
(ダイアナ)
名台詞度
★★★
 これを「台詞」と言っていいかどうか分からないけど、ダイアナ役の声優がダイアナの声と役で読み上げているのだから「台詞」としよう。実はこの教室で行き交ったアンとダイアナの手紙、どっちを名台詞欄に挙げるかかなり悩んだが、ダイアナの手紙の方が予告無しにやってきて物語を推し進める役割が強く印象に残るため、こっちを挙げることにした。でもアンの返事も捨てがたいのでこういう取り上げ方をすることにした。
 午後の授業を受けるアンのところへ、生徒達のネットワークを通じてアンの元に手紙が届く。その手紙を開き差出人を見ると、なんとそれはダイアナからだったのだ。アンは喜んでダイアナからの手紙を読み、これに感動する。
 もちろんこの手紙から読み取れるのは、引き裂かれても変わらぬダイアナの「心」である。前日のシーンでは互いに教室でこっちを見てもくれないことを気に病み(実は交互に見つめ合っていたのだが)、夜になれば窓に映る心の友の家を見つめてはため息をつく、そんなシーンが描かれていた。心からの友が目の前にいるのに話も出来ない苦しみと、なんとか自分は相手を嫌いになってはいないという気持ちだけでも伝えたいと、先にダイアナが心を込めた手紙とプレゼントをアンに贈ったのである。これわ通じて見えてくる事実は、アンからの返事にあるとおり二人の心が通じ合っていることであり、どんなことがあっても変わらぬ友情を我々に見せつけてくれるのだ。
(次点)「我が愛しのダイアナへ。もちろん、あなたがお母さんの言いつけに従わなくてはならないからと言って私、怒ってなんかいないわ。私たちの心は通じ合っているんですもの。あなたの美しい贈り物はいつまでも取っておくわ。ミニー・アンドリューズはとてもいい女の子よ、想像力は持っていないけどね。でも私、ダイアナの心の友だった後なのでミニーの心の友にはなれないの。字を間違えてごめんなさい。私、まだ字の綴り方があんまり得意じゃないのよ。大分上達はしたけどね。死が我々を引き離すまで…あなたのアン、またはコーデリア・シャーリー。  追伸 今晩はあなたの手紙を枕の下にして眠るつもりです。アン、またはコーデリア。」(アン)
…上記ダイアナの手紙に対するアンの返事。ダイアナと心が通じ合っていることに感激している心のこもった手紙である。でも「コーデリア」にこだわるなぁ。
名場面 橋の上で 名場面度
★★★★
 アンがグリーン・ゲイブルズの居間で絶望に沈んだ気持ちでパッチワークをしていると、突然窓の外にダイアナが現れて手招きをする。思いかげない出来事に笑顔で駆け出すアンだったが、だがダイアナの表情が決して明るくない事にすぐに気付く。そしてグリーン・ゲイブルズの近くを流れる小川に架かる橋で、ダイアナは足を止める。
 「お母さん、まだ怒ってらっしゃるのね」、先に口を開いたのはアンだった。ダイアナは頷くと「それにね、もう二度とあなたと遊んではいけないって言うの」と深刻な声で母からの宣告をアンに告げ、大泣きして母にアンは悪くないと訴えたがダメだった事も告げた。「私たちもう二度と会えないの?」とアンは大声で聞くが、ダイアナは涙ながらにやっとの思いで最後のお別れを言う許しだけもらってきたことを告げる、しかも10分間限定で母は時計で時間を計っているという。「あんまりだわ」と今度はアンが泣き始める。
 「でも、いったいどうすればいいの?」とダイアナが聞いても、名案は思い浮かばず小川の流れる音だけが響きわたる。「わかったわダイアナ、でも永遠の別れを言うのに10分じゃ短いわ。若き日の友として決して忘れないと約束してくれる?」と力説するアンと、ダイアナは「もちろんよ、それに決して心の友なんか持たないわ。持たなくないの、どんな人だってあなたみたいに愛することは出来ない」と訴える。この言葉にアンが驚く、「あなた本当に私を愛してくれるの?」と笑顔になって尋ねるアンに、ダイアナは「もちろんよ、知らなかったの?」と平然と答える。アンは「私を愛してくれる人がいるなんて思ってなかった」とした上で、もう一度言ってとダイアナに言う。「あなたを心から愛しているわ、いつまでも変わることなく。本当よ」とダイアナが繰り返せば、またアンは感激する。ちょっと脇道に逸れ始めてないか?
 しかし時間はない、アンはダイアナに形見としてその黒髪を欲しいと告げる、ダイアナが了承するとパッチワークの途中だったアンが偶然はさみを持っていたこともあって、ダイアナの髪を切ると持っていたハンカチに包む。そして二人は手を取り合う、「いざさらば、我が愛しき友よ…(以下略)」…見つめ合うアンとダイアナ、このときの二人はしばらく時間が止まっていたことだろう。「私、行かなきゃ」ダイアナが時間切れを告げ、アンが頷く。何度も振り返りながら走るダイアナ、遠ざかるアンの姿とグリーン・ゲイブルズ…。
 冷めた言い方をすれば、「もう二度と会えなくなる訳じゃないのに大げさなんだよ」ってところなのだが、その大げさなのが「赤毛のアン」のいいところであって、このシーンはその典型的なシーンだ。ちょっとした間違いから会う事を許されなくなった二人、しかも隣同士なのだから本人達に言わせればロミオとジュリエットより状況は酷いかも知れない。それにこの時点ではアンの登校拒否は続行中だったから、二人は本当に会う接点を失ってしまったのであるのだから大げさでも過ぎるって程ではないだろう。
 このシーン、「世界名作劇場シリーズで色んな「別れ」が描かれてきたが、その中のどんな別れよりも感動的に描かれていると思う。無言の時間が多く、そこに二人の口では言い表すことの出来ない「思い」がキチンと描かれている。そう、本当の別れというのは言葉の少ない静かなシーンであるはずなのだ。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  また「事件」と「事件」の間に挟まる話だが、この回では今までの仲良く付き合っていた頃以上にアンとダイアナの友情が強く描かれた。こうして距離を置いたことで、お互い相手がどれだけ大事な存在かを思い知り、相手がどれだけかけがえのない存在であったかを思い知る。これを強く視聴者に見せることが、いつの日かアンの汚名が晴れて二人が元の友人同士、いやそれ以上の仲の良い親友として結ばれるであろう事を強く示唆しているとも受け取ることが出来る。アンとダイアナのこの関係こそが、次回の話になるのだが次の「事件」が起きてダイアナがピンチに陥ったときに、母に付き合いを禁止されているアンに頼るきっかけとなるのだ。
 しかし、アンとダイアナという本筋以外では、男の子からのアンへのプレゼントのエピソードが気に入った。どんなに美味しそうなりんごでも、それを置いていったのがギルバートと知ればそこいらに放り投げ、それを触った手まで拭くという徹底のしよう。だがそれを見たギルバートもアンに対して激高するのでなく、黙って教室を出て行く辺り「大人」だと思うのだ。対してチャーリー・スローンの石筆は大事に取っておくと宣言、アンに気があるチャーリーの喜びようはこれまた見ていて楽しかったし、その後のオチもよかった。チャーリー・スローンの中の人って、「わたしのアンネット」でジャンをやってた人だよね?
 こうやってアンとダイアナが引き裂かれ、引き裂かれつつも心が通じているという1話を上手く入れた。原作を知らず初めて見る視聴者の興味は「アンの汚名がどのように返上されるのか?」という方へ移り出す頃かも知れない。その答えは意外に早くもう次で出てきてしまう、これまでと違って洒落にならない事件を通じて…。

第18章「アン、ミニー・メイを救う」
名台詞 「あーっ、マリラ! すぐ行っていい? お皿を洗わないで構わない? 帰ってきたらすぐに洗うから。だってこんなにわくわくするときに、とても皿洗いなんて現実的なことに縛り付けられちゃいられないんですもの。」
(アン)
名台詞度
★★★★
 バリー夫人は医師からミニー・メイはアンのおかげで助かった事を聞かされる。医師によるとミニー・メイの症状はとても悪く、アンの適切な処置が無ければ手遅れだったとした上で、お礼はアンに言うべきだとするのだ。この言葉を聞いたバリー夫人はアンが自分の娘の生命の恩人であると認識し、ぶどう酒事件は誤解だと思い知る。そしてアンを許しダイアナとの交際を認める事にしただけでなく、お礼の意味も込めて家に招待することにしたのだ。
 徹夜の看病のため午後まで寝ていたアンは、この事をマリラから聞かされる。その返事がこれである。アンは今まで会う事を禁じられていた「心の友」との交際が認められたことを素直に喜び、この台詞を言い切るともう待ってられないとばかりに家を飛び出してダイアナに会いに行くのだ。
 あれだけ仲の良かった友と会う事を禁じられ、それによってあれほどの絶望を演じ、それでも心が繋がっている事を演じてきた。そんなアンの汚名が晴れてまたダイアナと元の付き合いに戻れると分かった瞬間のアンの反応である。視聴者もこの瞬間をずっと待ち続けていたことだろう。その喜びは瞬間的に爆発する、もう何をとっても嬉しくて次は思いついたことはダイアナとその喜びを分かつ事であろう。だからこそアンはマリラにダイアナのところへすぐ行っていいかどうかを聞くのだし、皿洗いどころか食事中であったことも忘れて家を飛び出すのだ。そしてダイアナの家に着いたら、アンの声を聞いて外に出てきたダイアナと抱き合ってこの喜びを分かち合う。
 またこの台詞を吐いて家を出て行ってしまったアンを見たマリラの独り言もいい。「まるで風に説教してるみたいだ」…でもマリラがどう言おうと止まらなかったのは、これまで禁止だった心の友との付き合いが認められたという大事な喜びだからなのだよ。マリラもそれが分かっているから追いかけることはしなかったのだろうし、皿洗いをせずにダイアナの元へ行くことを許したのだろう。
(次点)「大事件というものは全て、ありとあらゆるささやかな事件と関わりのあるものである。次の年の一月、カナダの総理大臣がその遊説先にプリンス・エドワード島を加えることにしたということが、一見したところグリーン・ゲイブルズの少女アン・シャーリーの運命に、大したどころか少しでも関係があるとは思えないであろう。ところが、それが大ありであった。」(ナレーター)
…今回冒頭のナレーターだが、これから起きる事件に視聴者を引きつけるべき要素がたくさん詰まっていると思う。カナダの総理大臣の動きがアンの運命をどのように変えるのか…これを聞かされれば今回の物語を注目しないわけにはいかないだろう。
名場面 ミニー・メイを救う 名場面度
★★★★
 マリラが留守の夜、アンとマシュウがおしゃべりをしながら平穏な時を過ごしていると、そこにアンと会う事を許されていないはずのダイアナが飛び込んでくる。ダイアナは家から全力疾走で来たようで息を切らせていた。アンはひょっとしたらダイアナの母の許しが出たのかと一瞬期待をするが、ダイアナは真剣な表情でミニー・メイが喉頭炎にかかってしまったこと、両親共に留守で医者を呼びに行くことが出来ないという自分の家の状況を語る。話を聞いたマシュウは防寒着を着込むと無言で外に出て行く、医者を呼びに行ったのだ。町に行っても医者はみんな不在(総理大臣を見に行ってる)だし、アボンリーにも頼りになる大人が皆不在だと泣き出すダイアナに、アンは力強く医者はマシュウが何とかしてくれることと、自分が喉頭炎の子供に対処できる事を告げてダイアナを励ます。かつての里親の元には双子が三組もいたおかげで、小さな子供が急病になったときの対処法を自然に学んでいたのだ。アンは喉頭炎に効くイピカック(吐根…痰を切らす効果がある)を持ち出してダイアナの家へ走る。
 雪道で何度も転びながらもやっとダイアナの家に着くアン、そこで見たものは喉頭炎に苦しむミニー・メイの姿と、突然の事態にどうしていいか分からずオロオロするだけのお手伝いの姿だ。ミニー・メイはぜい鳴が出るなど症状は重く、早く痰を切らないことには窒息して生命を落とす可能性が高かった。アンはダイアナとバリー家のお手伝いのメアリーにテキパキと指示を出し、ミニー・メイを救うべく動きだす。イピカックを一口ずつ辛抱強く飲ませるアン…しかしミニー・メイの症状はなかなか好転しない。そしていよいよ最後の一滴のイピカックとなった、これを飲ませると「あとは天命を待つのみ」という感じで窓辺へ歩いて外を見つめるアン。突如、ミニー・メイの咳込みが激しくなる。思わずダイアナが声を上げるが、すぐにミニー・メイは痰が切れ、みるみる呼吸が楽になる。
 「赤毛のアン」の中でももっとも緊張感あふれるシーンではないかと思う。アンはミニー・メイが可愛そうと心から思っていただけでない、ナレーターの解説にもあるとおり心の友ダイアナと思いを共にする時間が出来たことは嬉しかったと思うし、心の奥底にはこれでミニー・メイを救えればぶどう酒事件による汚名を返上する事が出来るかも知れないと考えたかも知れない。また純粋に心の友ダイアナの悲しい顔を見たくない、あるいは心配を取り除いてやりたいとも考えただろう。アンは必死に、そして心を込めてミニー・メイへの対処に全力を尽くすのだ。
 そしてこの事件によってその思いが通じ、ミニー・メイが死の危機から救われただけではなく、バリー夫人にも思いは届いて汚名が晴れてダイアナとの交際が認められる最大の理由となってゆくのである。このアンの医療行為も医師に認められ、医師がバリー夫人に「アンがミニー・メイを救った」と言うことになるのだ。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  いよいよアンの汚名が晴れる。ミニー・メイの生命を喉頭炎による危機から救うという展開で、アンがバリー夫人に認められるという大事な回だ。この話は大まかにいうと3部構成になっていて、とくに2部目が占める割合が大きい。1部は最初からダイアナが飛び込んでくるまでのまったりとした時間、2部はそこからマシュウが医者を連れてくるまで、そして残りが3部というところだろう。最初は「事件の前の静けさ」というものを上手く描いていて、冒頭のナレーション(名台詞次点)も手伝ってなんか不吉な予感をも連想させるのだ。そして第2部の緊張、3部目では「事件」の結果を丁寧に描いている。ポイントが高いのは「アンがミニー・メイを救いました、ダイアナとの交際が認められました、よかったですね」で終わらせず、アンがダイアナの家では「娘の友達」ではなく家族の賓客として扱われたことや、母親も含めての友情復活シーンを描いたことであろう。そして最後にそれらを振り返って幸せを噛みしめるアンの姿も、今回の物語を統括する「オチ」として上手く出来たと思った。
 ぶどう酒事件以降、アンとダイアナが引き離された事でその友情が確固たるものとなったのは否めないだろう。あのまま何の障害もなく二人が付き合い続けていたら、多分一度の喧嘩であっさり別れてしまうそんな仲になった可能性が高い。友達づきあいも恋人づきあいも障害があるからこそ強い絆が生まれるのであって、この3話は二人が引き離された事で絆が強まった事が描かれたのだ。そのパートの最終話として素晴らしい物語であったと思う。
 今回、アンとダイアナの演技も凄い迫力があったが、無言のうちに「医者を呼びに行く」という大役を果たしたマシュウの影ながらの力も大いに評価されるべきだろう。そしてなによりも、今回の物語を一番盛り上げたのはミニー・メイを演じるアラレちゃんの演技力だと思う。台詞一つ無い喉頭炎という病人の呻きやぜい鳴を、よくぞあそこまで上手に演じたと感心した。

第19章「ダイアナの誕生日」
名台詞 「せっかくですけど、そうしていられないんです。ミスマリラ・カスバートの家に帰らなくちゃならないんです。ミスマリラ・カスバートは、私を引き取ってちゃんと育てようとしている、とても親切な人です。随分一生懸命やってるのに、なかなか上手くいかないんです。私がベッドに乗ったからって、マリラを悪く思わないで下さい。でも帰る前にダイアナを許して下さるかどうか、そしてアボンリーに予定通りずっといて下さるかどうか、教えて頂けないでしょうか?」
(アン)
名台詞度
★★★
 名場面欄に記したジョセフィンへのアンの告白の、とどめとなる部分である。シーンの流れとは別に、この台詞はアンのマリラに対する思いが滲み出ていて好きだ。マリラがどんなにアンにとって辛い言葉を吐いていても、それはアンのためであることだけはちゃんとアンも理解している。だからこそこの場面に及んでも、自分がやったことに対して育ての親であるマリラを責めないで欲しいというフォローを入れることを忘れないのだ。
 その上でアンはジョセフィンに結論を求める、あとは名場面欄参照。。
名場面 アンVSジョセフィン 名場面度
★★
 ダイアナの誕生日の夜、事件は起きた。コンサートから帰宅したアンとダイアナは、アンの提案で自分たちが使うことが許されている客用のベッドに飛び込む。なんとそこにダイアナの親類でこれまた堅物のジョセフィンおば様が眠っていたのだ。翌朝、アンがグリーン・ゲイブルズに帰宅した後になってジョセフィンはそれはとんでもないことだとダイアナを叱りつけ、ダイアナの母にも辛く当たる。
 夕方になってレイチェル夫人から話を聞いたアンがダイアナの家に飛び込んできた、自分が起こした騒ぎで心の友ダイアナだけが叱られるのに納得がいかず、あれは全て自分でやったことだとジョセフィンに告白しようとやってきたのだ。止めるダイアナを振り切って客間にいるジョセフィンの元へ行ったアンは、ジョセフィンにあれは全て自分が言い出したことでダイアナがあんな事を言い出すはずがないこと、だからダイアナを責めるのは間違いだと力説する。ところがジョセフィンはダイアナがベッドに飛び乗ったのは事実だと言い切り、ちゃんとした家庭であんな振る舞いがあっていいはずがないと言う。それでもアンは負けず、あれはふざけていただけだからこうして謝っているのだから許して欲しいと訴え、ダイアナは音楽の授業が大好きでその楽しみを奪ってはならない、楽しみを奪われた気持ちは自分がよく知っているからよく分かる、だからもし怒る相手が必要なら私に怒ってくれと力説するのだ。「怒られるのに慣れているからダイアナよりずっと我慢が出来るんです」と言いつつも震えているアンの姿を見たジョセフィンは、しばしの無言の後高らかに笑い始める。ドアの外で盗み聞きしているダイアナが驚きの表情を浮かべる。「あんたはそんな客用のベッドで寝たかったのかい? あんたにもそれ相応の言い分があることは分かったよ、つまりどんな見方をするかで決まるわけさ」と言うジョセフィンから怒りの表情は消え失せていた。その表情を見て緊張が解けるアンから、ジョセフィンは生い立ちを聞き出そうとするがアンは名台詞欄の台詞で返す。するとジョセフィンはアンがたまにここへ来て話を聞かせてくれるなら、ダイアナを許すとする。感激して外で盗み聞きしているダイアナの元へ走るアン、これを見て笑うジョセフィンでこのシーンは終わる。
 何が面白いって、「いや〜、この二人いいコンビだな」と。よく言えば激論のぶつかり合い、悪く言えば意地の張り合い。どっちにも譲れない思いがあって、本来ならば譲れないのに疲れた方が負けるような展開なのだが、このシーンではアンにも譲れない思いや気持ちがあると見るとジョセフィンがサッと身を引く潔さがある。つまりアンのように意地を張ったら徹底するタイプの人間に対して良いコンビとなるのだ。この辺りは最後にナレーターも説明している。
 ジョセフィンの譲れない思いは、ダイアナのようにしっかりした家の娘がいかなる理由があろうとベッドに飛び込むのは良くないという躾であるが、アンの譲れない思いはひとつはダイアナに対する友情、ひとつはふかふかであろう客用ベッドで寝てみたかったという思いだ。こんな純粋で単純なアンの気持ちが、どこから出てくるのかこのおば様は興味を持ったに違いない。だからこそダイアナは許され、アンと仲良くなる道を選んだのだ(この組み合わせならアンと仲良くなるのに苦労は無かったことだろう)。
  
今回の命名 新たな命名無し
感想  「ダイアナの誕生日」というサブタイトルでありながら、ダイアナの誕生日のことが吹っ飛んでしまう素晴らしいお話。ダイアナの誕生日祝いも、コンサートも楽しくて良かったね程度で終わってしまう。アンやダイアナの台詞は殆ど無くてナレーターが一人で話を進めちゃうし…でも一瞬だが、ダイアナと同じ髪型になったアンが出てきたのは笑った。ハッキリ言って似合わない、その他のアンの髪型も笑ったけどあのダイアナと同じ髪型は特別笑えた。
 ひとつ理解できないのは、なんでマシュウがアンがコンサートに行くのに賛成したのかという点。マリラが反対するのは気持ちは分からなくても理由は分かる。つまりありがちな偏見やら思い込みって事だろう。マシュウは何だったのだろう、ただアンの我が儘を聞いてやるだけだったのかな? 一つあるとすればアンが楽しみを奪われたことによって家の中が暗くなったり、家事の効率が下がるのを恐れたからと言うのも考えられるだろう。
 まあ見ている方は何らかの理由でアンがコンサートに行くのが許されると思うのだが、結局その辺りの展開に理由付けが無くてあまりにも唐突だったのでちょっと驚いた。ジョセフィンおば様、この人面白い。確かにアンと性格合いそうだなぁ。「こんにちはアン」にミントンっておば様が出ているけど、この人と対比する役割なのかな?

第20章「再び春が来て」
名台詞 「今日はね、私がグリーン・ゲイブルズに来た日なの。私、どんなことがあっても今日という日を決して忘れないわ。私の人生ががらりと変わった日なんですもの。もちろんマリラにはどってことないでしょうけどね。去年の今日、私はマシュウの馬車に揺られてここへやってきたのよ。ねぇマリラ、私を引き取って後悔している?」
(アン)
名台詞度
★★★★
 やっとアンが今日は何の日なのかを告白する、パイをこがしたり、ハンカチにのりがけしてしまったりと失敗続きだったアンが、「今日は記念日だから特別いい子になろうと思っていたのに」と口走る。マリラが驚くとアンは「去年の今日、何が起きたか知ってる?」と尋ねる、マリラは「これといって思いつくものはない」と答えた事に対するアンの台詞である。
 アンがいかに「グリーンゲイブルズにやってきた」という事実と、マシュウやマリラとの出会いを大事にしているかか如実に表れている台詞だ。これまて誰にも愛されることの無かった人生を送ってきたとされるアンだが、その人生が一転したのがまさにこの日だったのだ。アンはマシュウとマリラに引き取ってもらえた喜び、そして愛情いっぱいに育ててもらっている喜び、これら全てに感謝しているが、その原点である「グリーンゲイブルズに来た日」を絶対に忘れることはないであろうと告白するのである。同時にマリラに対し、本当に自分がここに来て良かったかどうかをも確認する。
 この台詞によってマリラは今日がそんな記念日であったことを思い出し、その日をアンがどれだけ大事にしていたかを思い知る。そして今回後半の物語へと話が進んでいくのだ。
名場面 お祝い 名場面度
★★★
 春の日が暮れ、マシュウが農作業から戻ってくる。家の中ではアンとマリラが黙々と夕食の支度をしている。マシュウはマリラから「今日はアンがグリーン・ゲイブルズにやってきた記念日」であると知らされ、いてもたってもいられない気持ちだったに違いない。
 「お帰りなさい」とアンに声を掛けられ、黙ってソファに腰を掛けてタバコに火を付けるマシュウは一服した後、アンとマリラの後ろ姿を交互に見つめる。そして意を決したように「食事が済んだら、ひとつ馬車でブライト・リバーまで行ってみないかな? アン」と言う。「えっ?」とアンの驚きの短い声を聞くと、「いやその、よかったらの話だがな」と続ける。アンは振り返って「マシュウ、もう一度言ってみて」と聞き返す、マシュウが再び同じ言葉を繰り返すと、アンは手を組んで喜びを爆発させ、マシュウに抱きつくのだ。「マシュウは忘れずにいてくれたのね、私がグリーン・ゲイブルズにやってきた日のこと、本当は覚えていてくれたのね」…残念、実はマシュウはマリラに言われるまで忘れていたのだが、マリラが目で合図を送り覚えていたことになった。「そんなことで時間を無駄にしていると日が暮れてしまうよ」といつもの調子で声を掛けるマリラ、それに対し「マリラも行かない?」とアンは声を掛けるが、「いいや、私はまっぴらだね。馬車に揺られてせっかく治った頭痛がまた始まるかも知れないし、いいからマシュウと行っておいで」と素っ気ない。だがマリラの台詞には続きがあった、「え〜とっ、何て言ったっけね、あんたが名付けた…喜びの白い道」とあのりんご並木の道をアンが名付けた名前で呼ぶのだ。「今頃はりんごの花がきれいに咲いてるだろうよ、何もかも去年と同じようにね」と続けると、アンは胸がいっぱいになって今度はマリラに抱きつく。「さあさあ、早く食事にしないとマシュウがお腹を空かせて待っているんだよ」「ありがとう、マリラ」…この光景を見てマシュウが頷く。
 マシュウとマリラがこの1年、アンと過ごしてきた日々に対する感謝の念が現れているだろう。今日が何の日だったか思い出したマシュウが、アンと出かけることを提案することから始まり、マリラは一緒には行かないものの自分がどのように反応すればアンが喜ぶかよく分かっており、それを実行してアンを喜ばせる。特にりんご並木の道をアンが名付けた名前で呼んでみたり、そこがあの日のままだと言ってその日を大事に思っている風に聞かせる辺りでアンの喜びは頂点に達しただろう。
 そして何よりも、マシュウとマリラがこの日を大事にしてくれてちゃんと特別に扱ってくれたことが嬉しかったに違いない。この日はアンにとって誕生日の次に大事な人生の一大転換点、それを我がごとのように祝ってくれるマシュウとマリラを改めて「親」と認識したことだろう。
  
今回の命名 新たな命名無いが、アンが命名したものが一通り出てきた。「喜びの白い道」が出ないと思ったら、マリラの口から出てくるとは。
感想  四季は巡った。20話でちょうど1年が過ぎたことになる今回は、アンの「もうひとつの誕生日」とも言えるアンがグリーン・ゲイブルズにやってきた記念日の1日が描かれた。
 ここまで「回想シーン」というものを全く使わなかった「赤毛のアン」だが、今回は初めてアンとマリラがあの日のことを思い出すのに第1〜2話のシーンが回想シーンとして挟まれた。マリラの方の回想は、単にマリラがあの日を思い出しているだけでなく、「今考えるとあの時のアンは面白かった」という点をマリラにそう語らせることなく表現していて秀逸だ。回想シーンの多用で総集編みたいになるのはごめんだが、こういう意味のある使い方なら悪くはないはずだ。
 そういえば久々にアン・マシュウ・マリラの3人だけの話だった。ちょこっとだけダイアナは出てくるが、台詞を一言言うだけなので物語には絡まない。そしてアンがこの記念日をとても大事にしていて、マシュウとマリラへの感謝の念を忘れていないことを丁寧に描いた。対するマシュウとマリラはこの日が「アンがやってきた記念日」であることをすっかり忘れている。マシュウとマリラも冒頭で会話していたとおり、アンが来た事によって生活が一変して「それまでどう過ごしていたか」を忘れたほどだったのに…。だがそうと知ればマリラはマシュウに事実を話した上で、お祝いをマシュウに全て託す。この兄妹の性格もここに良く出ていて好きだ。

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